第13話:ゴメンね
駅の改札前、時間を見計らっていたかのようにイシズは午後2時キッカリにやってきた。
イシズは制服の上からファー付きのダウンジャケットを羽織った格好をしていて、「待たせたね」と僕に声を掛けると同時に、僕の横にいる顔を赤らめて硬直した謎の物体に気が付いた。
「あれ?なんで…」
イシズが驚いてそう言ったが、謎の物体は何の反応もなく、イシズが現れた緊張で言葉が出なくなっていた。
仕方なく、僕はイシズに「ゴメンね、なんか野々村が演劇部について知りたいって言ってたから連れて来ちゃった。色々教えてあげてほしいんだけど、良いかな?」と当初の目的を話した。
イシズは少し間を置いた後「まぁ良いけどね」と了承した。
僕たちはまだ降り続ける雨の中、傘をさして歩き始めた。
僕とイシズが前を歩き、野々村が少し後ろを俯いたまま歩いていた。
イシズが僕に近付いて顔を寄せて言った。
「ところで野々村の奴、いつから演劇部に興味なんか持つようになったのさ?
そんな素振りまるでなかったのに…。」
興味を持ってるのはおまえさんだよ、と言ってやりたかったが、そういう訳にはいかず、「さぁ?」と僕はトボけた。
「それにしても俺なんかで良いのかね?
だって野々村の奴、俺の事嫌いでしょ?
さっきから一言も喋らないし…。」
僕は「そんな事ないよ」と苦笑いを浮かべた。
だけど僕が振り向いて野々村を見ると、確かにイシズにそう思われても仕方ないぐらい野々村は遠くにいた。
僕はため息をついて数歩下がり野々村と歩幅を合わせた。
「野々村、ずっと後ろを歩いてるつもり?
まだイシズと何も喋ってないじゃん。」
僕がそう言うと野々村は前を歩くイシズの背中をチラチラ見て、「だって、だって…」と繰り返した。
「とにかく並んで歩こう。これからどこ行くかも決めたいし。」
僕は野々村を連れてイシズの所に戻り、野々村を挟んで、僕が左側を、イシズが右側を歩いた。
次の瞬間、自分の失敗に気が付いた。
今歩いている路地は狭く、横に並んで歩くには窮屈過ぎた。
僕は野々村とぶつからないよう壁スレスレを歩き、イシズも根が良い人なもんだから何も言わず、手をポケットに突っ込んで壁にダウンジャケットを擦るようにして歩いていた。
そんな僕たちをよそに、野々村は相変わらず俯いたままだ。
「とりあえずどこ行こうか?
僕がそう二人に尋ねると、イシズは「どこでも良いよ」と言い、野々村は「幹事さんに任せる…」と小さい声で言った。
それを聞いたイシズが「幹事か、確かにね!」と笑った。
野々村はそれを嬉しそうに照れ笑いを浮かべて、また俯いた。
そんな光景を目の当たりにして、僕は改めて野々村がイシズを好きなんだという事を確信した。
。
野々村は僕と二人でいた時よりぎこちなく、常に顔を赤らめていた。
他の人には見せない顔を野々村はイシズの前でだけ見せている。
僕にはそれが何故だか少し淋しい事のように感じた。
「それじゃあ、カラオケにでも行く?」
僕がそう提案すると、イシズは「演劇部の話しは良いの?」と言った。
確かにそうだと僕は思ったけど、この重苦しい空気を変えない事には話しをしてもまともに成立しない気がした。
野々村が「話しなら後でも大丈夫だよ。行こ、カラオケ!」と言ってくれたおかげでイシズもそれに頷いた。
カラオケ店は駅から10分ほどの距離にあった。
カラオケ店へ向かう間、野々村とイシズの間では一言も喋らず、僕が常に一人で喋っている状態だった。
僕が何か喋ると、イシズが「へぇ」とか「ふぅん」とか相槌をうって、それに続いて野々村が「クスクス」と笑ったり、「そうなんだ―」と相槌をうった。
そして二人が相槌を打ち終わった後、決まって重たい沈黙が流れた。
正直辛い道のりだった。
カラオケ店に着くと、休日の午後にしては空いていて、すんなりと案内された。
「二人とも何唄う?」
僕がそう尋ねると二人とも考え込むように渋い顔をした。
しばらくしてイシズが僕の顔を見て言った。
「やっぱりここはまず先に幹事さんに唄ってもらわないとね!」
イシズがそう言うと野々村も「うんうん」と頷いた。
カラオケで1番始めに唄いたがる人はまずいない。たいてい誰かしらに押し付けて、その場の様子を窺い、その空気に合った曲を選曲する。
それはここにいるみんなも例外ではなかった。
だけど、一度唄い出してしまえばそんな事関係なくなってしまう事は分かっていた。
僕は仕方なく、曲を入れて、マイクを握った。
そして心の中で叫んだ。
『僕にマイクを持たせたおまえたちが悪いんだ。』と。
「―――ッ!!!!!」
僕はミスチルの【跳べ】を熱唱し、続けて【光の射す方へ】を唄った。
まさか2曲立て続けに入れてるとは思わなかったイシズと野々村は驚いていたが、僕は気にしなかった。
唄い終わった後、初っ端から無茶な唄い方をしたせいで、僕の声はしゃがれてしまった。
そんな状態で僕がイシズにマイクを渡すと、イシズは場の空気を理解したようにニタリと笑った。
イシズはスガシカオの【午後のパレード】をすでに選曲済みだった。
日頃から演劇部で鍛練された発声や腹式呼吸はマイクを握ったイシズを輝かせ、野々村は僕が唄ってる最中には見せなかったキラキラした眼差しをイシズに向けた。
「…俺もまだまだだね。」
唄い終わった後、まるで俺はまだ高く飛べると言わんばかりにイシズがそう言うと、野々村にマイクが手渡された。
野々村はしばらく考え込んだ後、「パス」と言ったが、僕とイシズはそれを許さなかった。
「パスは無し!」
「そうだそうだ!
僕なんか2曲唄ったんだぞ!」
「それは君が勝手に唄ったんでしょ…。」
野々村は観念したように、「ちょっと古いけど良い?」と言って、平松絵里の【部屋とワイシャツと私】を入れた。
僕はこの曲を何かの番組で聴いたぐらいであまりよく知らなかったけど、なんともかわいらしい唄で、野々村の雰囲気によく合ってると思った。
だけど歌詞の最後の方に刺があり、まるで今後を予感させるようで少し怖い気がした。
そんなこんなで僕たちは2時間唄い続け、カラオケ店を出る頃にはみんなの緊張はすっかり和らぎ、野々村にいたっては鼻歌を唄っていた。
外ではすっかり雨も止み、秋の夜空に薄く染まっていた。
洗い流された町に風がキレイな空気を運び、雨雲の隙間から星たちが恥ずかしそうに覗いていた。それはまるで野々村の鼻歌に風や星たちが引き寄せられているようだった。
僕たちは休憩がてらカラオケ店のすぐ近くにあるファミレスに入り、ドリンクバーを注文した。
向かい側でイシズが間延びして、「いやぁ、たまにはカラオケも良いもんだね」とじじ臭く言うと、僕の隣で野々村がクスクス笑った。
「あ、ところで演劇部の話しだっけね?
野々村もしかして演劇部に入りたいの?」
イシズがそう言うと野々村はコクりと頷いた。
「や、やっぱり私なんかじゃ無理かな…?」
「いや………」
イシズは一言そう言うと考え込むように黙った。
そしてゆっくりとその想いを口にした。
「演技をやりたがってる人に対して、俺がどうこう言う権利なんてないよ。
野々村が本気で演劇部に入りたいって言うなら俺は大歓迎だし、俺の方から部長に話し付けても良い。
要はうちの演劇部はそれなりに厳しいし、中途半端な覚悟じゃつとまらないって事だけ知っといてほしいんだよね。」
僕は思いの外イシズが野々村に対して悪く思ってない事に少し驚いた。
劇の練習時の事もあって、イシズは野々村に不真面目な印象を持っている気がしていた。
「なんか…あっさりしてるね?」
まだしゃがれ声が治らない声で僕がそう言うと、イシズは僕の疑問に気が付いたように言った。
「ああ…。
そうだね、まず謝らないとね。」
僕と野々村は謝るという言葉にはてなマークを浮かべた。
「野々村、劇の練習の時は酷い事言ってごめん。あれから色々考えたんだよね。
言い方っていうのがあると思うし、野々村は野々村なりに演技に集中出来ない事情があるんじゃないかって…。
ある特定の条件で集中力を掻き乱す何かがあるんじゃないかってさ。」
僕は思わずイシズの洞察力にドキリとした。
それは隣にいる野々村も同様で、顔を赤らめて口を鯉のようにパクパクしていた。
イシズは落ち着いた口調で続けた。
「野々村…もしかして君…俺の事………。」
野々村の口のパクパクは加速していき、僕は期待と興奮で心臓が爆発寸前だった。
(どうなるの?どうなっちゃうのこれ!?)と、そんな事を思いながら、僕はイシズの次の言葉を待った。
「…怖くてしょうがなかったんじゃない?」
イシズがそう言うと、僕と野々村はプツンと緊張の糸が切れ、「へ…?」と、二人で目を点にして言った。
「聞いた事あるんだよね。人は恐怖心で笑う事があるって…。
一種の現実逃避って事だと思うけど、その対象があまりに精神的に負担の掛かるモノだと、心がそこから逃れようと反射的に笑ってしまうんだ。
野々村もそれで演技に集中出来なかったんじゃない?
俺が厳しくし過ぎたのが原因だよね。
そんな事にも気付かなかったなんて…ゴメン野々村…。」
イシズのそんな話しを聞いて僕は、そう言えば昨日の劇の練習中にそんな事あったなぁと思い出していた。
僕のジャグリングのボールが猛スピードで野々村の頬をかすめて行った時、確かに野々村はその恐怖で顔を引きつらせ笑っていた。
僕はなるほどとイシズの言っている事を理解した。
だけどイシズの言ってる事はイシズが原因という所は正解だったが、肝心な所が不正解だった。
僕はイシズのその悲しい誤解を解いてやりたかったけど、野々村の事を考え、絶対に喋らないというおまじないをかけるように息を飲み込んだ。
僕の隣では野々村があたふたしていて、イシズに対して何を言ったら良いのか迷っている感じだった。
仕方なく、僕は真面目な顔をしてイシズに言った。
「実はそうなんだ。
イシズの言う通り、野々村はイシズが怖くて、演技に集中出来なかったんだよ。」
野々村は僕の言った事に驚き、目をパッチリ開けて僕を見た。
そしてイシズは「やっぱりね…」と少し落ち込んだ感じでそう言った。
僕は話しを続けてた。
「だけど…
イシズが厳しくしてくれたおかげでクラスの演技は上達したし、野々村は演技に興味を持つようになったんだよ?
野々村そうでしょ?」
僕が野々村にそう問い掛けると、野々村は我に帰ったようにハッとして、「うん!そ、そうだよ!」とイシズに言った。
「え…と、前はちょっと怖かったけど、今はもう怖くないから大丈夫!
演技だってちゃんと集中して出来るから!
厳しかったけど、石塚くんに稽古つけてもらってる内にすごく演技について知りたいって思い始めたの!
ねぇお願い石塚くん、演技の事色々教えて!」
確かに野々村の演技はバッチリだった。
野々村が上目使いにそう訴えかけるとイシズは照れるように野々村から視線を外し、「そうか、そう言ってもらえると助かるよ」と鼻をかきながら言った。
「それじゃあ一度演劇部に見学に来ると良いよ。
部長には俺から話しておくからさ。」
イシズがそう言うと野々村は嬉しそうに笑った。
僕の作戦はあまりに強引で、僕自身不安のあるモノだった。
だけど野々村はまだ自分の気持ちをイシズに知られたくないハズだし、今この場で僕に出来る事は、イシズが納得する野々村の不可解さに答えを出すことだった。それを示すにはイシズの勘違い通り、話しを合わせるのが一番だと思った。
だけどこれは野々村の印象を悪くする可能性があったが、野々村は小さく「ありがとう」と僕にお礼を言ってくれた。
その後、僕たちはしばらくファミレスに居座って話し続けた。
演技の話しや好きな音楽の話し、近日公開予定の映画の話しなんかをした。
「そういや、花嶋は上手くやってる?
俺が花嶋を推薦したんだし、俺の見る目に狂いは無いと思うけどね。」
イシズが自信たっぷりにそう尋ねて来た。
「まだ演出担当が花嶋に代わってから一回しか練習してないんだよ?
まだ分からないよ。」
そう答えた後、僕は言うかどうか少し迷ってから「僕としてはイシズに戻って来てほしいな…」とボソリと言ってみた。
それを聞いた野々村も「私もその方が良いと思う…」と僕と同じようにボソリと言った。
イシズはそれをまるで地平線に興味があるかのように遠くを見つながら聞き、鼻でフンと笑った。
「あいつは凄い奴だよ。すぐに分かる。
それに…俺が演出担当に戻るなんて、奇跡でも起こらない限り有り得ないね…。
今演劇部も気合い入っているから…。」
イシズはそう少し淋しげに言うと、言葉を失ったかのように黙った。
僕も黙ってしまったが、野々村はイシズの言った事を思い返すように、「奇跡…」と小さく呟いた。
「そう言えばあったよね…うちの学校に変な伝説…。」
そう野々村が思い出しづらそうに言うと、イシズはピクンと眉を動かし指を鳴らした。
「それ、校舎の脇道の先にある桜の木の伝説だよね?」
何故かイシズの目が輝いた。野々村は少しテンションの上がったイシズを見て、恥ずかしそうに頬を染めて俯いた。
「桜の木の伝説って?」
僕がそう尋ねると、イシズの輝いた目がこっちを向いて、少し眩しかった。
「知らないハズないさ!
俺たちが一年の時、すごく流行ったじゃないか!
学校の脇道を真っ直ぐ行ったそのまた先に、十数年前に落雷に合い、咲かなくなった桜の木があるのは知ってるだろ?
別に枯れてしまった訳でも腐ってる訳でも無いからその桜の木は今も立派にそこに存在する。
そして、その桜の木にはある伝説があるんだ。
…ほら、聞いた事あるだろ?」
イシズの目の輝きが止まらない。
僕は一年前の事を思い返し、そう言えばそんな話しあったなぁとコクりと頷いた。
イシズは続けて言った。
「その咲かなくなった桜の木が、なんの加減か数年に一度満開に咲く事があるって言うのさ。
それも季節に関係なくね。
そしてその満開の桜を見た者には、その者が望んだ奇跡が起こる。
そういう伝説があの学校にはあるんだよ。」
「ロマンチック…」と野々村は小さく言った。
僕はと言うとはてなマークを浮かべたままイシズの話しを聞いていた。
一年前もそうだったが、僕にはこの手の話しをバカにしてしまう傾向があった。
「でも、それって矛盾してない?
数十年前から咲いていないって言ってるのに、どうして数年に一度咲いてるのさ?」
僕がそう言うと、イシズはおかしな物を見るようにキョトンとした目で僕を見た。
「分かってないね君。
だから伝説なんじゃないか。
良いかね静谷くん、そもそも伝説というのは曖昧かつ不自然なモノ。
それが本当かどうかなんて満開の桜を見た者にしか分からないし、それを見てない者にはその桜は十数年間咲いてない事になるんだよ。」
僕はイシズの言った事をうまく噛み切れないまま「…それじゃあ、その満開の桜を見た人は、何か奇跡が起こったのかな?」と尋ねてみた。
するとイシズはニヤリと笑って、「きっとそういう事だろうね」と更に目を輝かせて言った。
僕はやれやれとコーヒーを一口飲み、ソファーにもたれかかった。
「イシズってこういう話し好きなんだ?
知らなかった。てっきり現実主義でこういう類いの話しには批判的なんだと思ってたよ。」
「まぁ、内容によるけど嫌いじゃないね。
元々こういう世界観が好きで演劇を始めたくらいだし、それにこの伝説の面白い所は…」
イシズはそう口にした後、ふと何かを思ってケータイの時刻を確認した。
「そうだ。君たちまだ時間大丈夫だよね?
良かったらこれから行ってみないか?」
「行くってどこに?」
「その伝説の桜の木を見にさ!」
只今の時刻5時42分、辺りは更に暗くなり、電灯の明かりが街を照らしていた。
夕暮れの散歩と思えば僕には断る理由は無く、野々村もイシズの誘う場所ならどこにでもついて行くと言った感じだった。
僕たちはファミレスを出て、学校の方へ歩き出した。
今度は野々村も離れて歩く事は無く、一つの塊になって僕たちは一緒に歩いた。
イシズも普通に野々村と会話するようになり、僕は二人の変化に思わず笑みが零れた。
「伝説の桜かぁ…
もし咲いてたらどうしよう?」
野々村がそう言うと、イシズは「俺だったらテレビドラマに出演したいって願うね」と言った。
「ドラマ?やっぱり石塚くんって俳優さん目指して演劇やってるんだ?」
「まぁね。」
「でも石塚くんなら奇跡に頼らなくてもその内有名な俳優さんになりそうだよね。」
野々村が照れながらそう言うと、イシズもまんざらじゃなさそうに「まぁ何事も経験だからね。早い方が良い」と言って鼻を人差し指でかいた。
「野々村は何か願うの?」
僕がそう尋ねると、野々村は少し考えた後で、「秘密」と答えた。
大体想像つくが、僕は何も言わなかった。
イシズが「そう言う君は何を願うのかね?」と尋ねてきたから、僕は「やっぱりイシズが演出担当に戻ってくれるよう願うかな」と言って笑った。
イシズは「演劇部とクラスの演劇両立させるのってホント過酷なんだぜ?君は俺を殺す気かね?」と苦笑いを浮かべた。
奇跡…。
僕は秋空を見上げ小さくため息をつき、まるで答えを探すようにじっと眺めた。
心の中にある淋しさは、みんなといるこの場でも衝動的に僕の力を奪う。
衝動はふとした瞬間に僕の顔を歪め、僕は強引にそれを心の奥底に押さえ込み、笑顔を作った。
奇跡なんて信じるたちじゃないけど、もし奇跡なんてモノが本当にあるのならば、今だけは信じてみたい気がした。
僕が叶えてほしい本当の願いはただ一つ…。
『僕にもう一度彼女に許されるチャンスをください。』
…ただそれだけだった。
―つづく―