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盲目の桜木  作者: ヨッキ
12/22

第12話:雨

次の日は雨だった。

それはそんなに強い雨ではなく、しっとりと降り続ける弱い雨だった。


昨日の夜、僕が家に帰ると母イクヨはすでにパートに出掛けていて、リビングのテーブルの上には夕食が用意されていた。

夕食を横目に僕は二階に上がり、自分の部屋に閉じ篭った。

ベットに横たわりながら、僕はイシズにメールを送り、午後2時に最寄りの駅で待ち合わせる事を決めた。

そしてそれを野々村にメールで伝え、『了解!ありがとうね!』という返信を受けた。

僕はそのやりとりを終えると夕食も食べないまま眠りに落ちた。


僕は夢を見る事もなく、深い眠りに身を任せ、朝9時に目が覚めた。

およそ12時間くらい眠っていた事に僕は驚いたが、まだ寝足りないような気怠さを感じた。

ベットから這い出て、僕はその重い足取りでリビングへ向かった。

リビングでは母イクヨがソファーに座り、ニュース番組を見ていた。

僕は冷蔵庫から牛乳を取り出し、コップに注いで、それを一気に飲み干した。

飲み干してもまだ喉の渇きが癒えず、僕はもう一度牛乳をコップに注ぎ、一口だけ飲んだ。

まだ牛乳の残ってるコップを片手に僕は母イクヨの座っているソファーの後方にあるテーブルの椅子に腰掛けた。

テーブルの上には夕べそのままにしていたはずの料理が無くなっていて、代わりになにやらゴチャゴチャ詰まったビニール袋が置いてあった。

椅子を引く音に母イクヨはピクンと反応し、振り返った。どうやら夜勤の仕事から帰ったばかりで、ソファーの上で少しウトウトしていたようだ。

そんな母イクヨが僕の顔をマジマジと見ながら言った。


「ヒドイ顔ねあんた…

目の下クマ出来てんじゃない。」


「そう言う母さんこそ、疲れてんならちゃんとベットで眠ったら?」


僕がそう言った後、母イクヨは立ち上がりテーブルの上に置いてあったビニール袋を漁り始めた。

中には母イクヨがパート先のお弁当屋から貰ってきたお惣菜がたくさん入っていた。


「昨日いっぱい残っちゃったのよね…。

本当は全部棄てなくちゃいけないんだけど、勿体ないから貰ってきちゃった。

食べる?」


僕が頷くと母イクヨは茶碗と箸を食器棚から取り出し、茶碗にご飯を大盛りに乗せ、僕の前に差し出した。

僕は零れ落ちそうなご飯の山を見て、思わず「ウぷッ…」と声を上げた。


「…そんなにお腹空いてないよ。」


僕がそう言うと母イクヨはため息をついて言った。


「信人、あんた夕べ何も食べなかったでしょ?

食べないなら食べないで冷蔵庫にしまっといてくれないと、せっかく作っておいた料理が腐っちゃうじゃない。

これは夕べの分も含んでんのよ。成長期なんだからちゃんと食べないとダメよ?」


僕はしばらく沈黙した後、「…うん」と頷いた。

母イクヨが元気の無い僕を心配している事がなんとなく分かった。


僕はご飯は頬張り、少し元気な所を見せた。

母イクヨはそれを見ると、向かい側の椅子に座り、その疲れた顔を頬杖で支え、僕の顔をじっと見た。

そして息を吹きかけるように優しく言った。


「何かあった?

そんな風に元気なふりをする時は、たいてい何かあった時じゃないあんた。」


僕はその母イクヨの言葉に少し驚いた。

僕の事なんて何も分かっていないと思っていた。

接する時間もそんなに無く、僕を観察する機会すら無いはずなのに、母イクヨが気付いてくれた事が僕は嬉しかった。

…だけど、僕の心境は複雑で、例え分かってくれても今の僕の悩みはあまりにマヌケ過ぎて話す気にはなれなかった。

僕は「大丈夫だよ。少し疲れているだけだから。」と言ってその場をごまかした。


「母さんこそ疲れてるんだからそろそろ休んだら?

今日も仕事でしょ?」


僕がそう言うと、母イクヨは「そうね」と言って椅子から立ち上がった。


「あ、そうだ。

今日友達と遊ぶ約束してるから出掛けてくるね?

8時頃には帰ると思うから。」


僕がそう言うと母イクヨは「そう、夕飯は?」と尋ねてきた。


「…いる。」


僕がボソリとそう言うと、母イクヨは微笑みながら「分かったわ」と言ってリビングを出ていった。


今日はしっとりと降り続ける雨だった。



午後1時に僕は家を出た。

僕の家から駅へは歩いて10分で着く距離で、ずいぶんと余裕のある出発になったが、何故だか家にいても落ち着かず、身体を動かしたくてしょうがなかった。


僕はフード付きの白いトレーナーに黒のジャケットを重ね着して、黒のジーパンをはいていた。

家を出てから、まるでオセロみたいな白黒のコーディネートをしていた自分に気付いたが、意外と悪くはないと思った。

傘をさしながら雨の中を歩いていると、水溜まりが跳ねて、何度も僕の足を汚した。

だけど僕はそれに気付かないほど、頭の中は彼女の事で一杯だった。


今の僕の心はモヤモヤとした寂しさで満ちている。

息を吸う度、胸が圧迫されたように苦しくなって、昨日の事を思い返してはため息をついた。

今までどんな風に息をしていたのかも分からず、ただひたすらそのサイクルを呼吸代わりに熟していた。


正直言って今日は友達と会えるような状態ではなかった。

イシズと野々村のいる前で、突然泣き出してしまうじゃないかと、それだけが心配だった。


駅へは案の定すぐに着いた。

まだ誰も来ていないのは分かっていたが、とりあえず僕は待ち合わせ場所を確認しておこうと思って駅の改札口へ向かった。

駅周辺は雨にも関わらず人込みが多く、僕と同じ高校生ぐらいの年代が食事やショッピングをして休日の午後を楽しんでいた。

そんな人込みの中、行き交う人々の邪魔にならないよう改札口のうんと端で、じっと佇む女の子を見かけた。

僕は思わず「あれ…?」と声を上げた。

野々村だった。

野々村は薄茶色のコートとフリルの付いたデニムのスカートをはいていて、とてもかわいらしい格好をしていた。

駅前の大時計は1時15分をさしていて、自分が言うのもなんだが、今ここにいるのが不思議だった。

野々村はチラチラと大時計を何度も見ては、何度も深呼吸を繰り返していて、僕が見ても明らかに緊張してるのが分かった。


なんだかこのままにしておくのが可哀相な気がして、僕は野々村に駆け寄って声を掛けた。

野々村は僕に気付くと照れ臭そうに笑った。


「し、静谷くん!

こんにちは…っ!」


野々村がそう言うと僕も「こんちは」と返した。

続けて僕は言った。


「ずいぶんと早いね?

何時くらいから待ってたの?」


「1時のちょっと前かな?なんだか落ち着かなくって家を早く出ちゃったの…。

静谷くんこそ早いね?」


「僕は言ってみればこの集まりの幹事だからね。

遅刻する訳にはいかないし、早めに来て駅に何があるのか見ておかないといけないんだ。

いざみんなが集まった時にどこ行けば良いのか迷わなくてすむようにね。」


僕がそう冗談を言うと、野々村は「それ地元の駅で必要?」とツッコミを入れて笑った。


僕は僕に冗談を言える元気がある事に少し安心した。

暗い自分を友達には見せたくはなかった。


「まだイシズが来るまで時間結構あるし、どっか店入って時間潰さない?

ほら、あそこに喫茶店あるよ。」


僕がそう提案すると野々村は頷いて、僕たちは店に入った。


僕たちは向かい合わせになるように席に座り、僕はカフェラテを頼み、野々村はクリームソーダを注文した。

野々村はクリームソーダのアイスをスプーンで削るように少し取り、それを口に運び、両目をグッとつぶって美味しさを表現した。

そしてアイスをメロンソーダに少し溶かし、表面の混ざり合った部分をストローで飲んだ。


「あー!おいしー!!」


野々村がそう言ってあまりに美味しそうに飲むもんだから、僕はクリームソーダが高等な飲み物のように思え、自分で注文したカフェラテを飲んでもあまり美味しく感じられなかった。


「そんなに美味しいのそれ?僕もそれにすれば良かったかな…。」


念の為そう聞いてみると、野々村は「うんスッゴク美味しいよ!飲んでみる?」と言って、ストローをこっちに向けた。


ストローの先に僅かについた水滴が、さっきまで野々村が口をつけていた事を証明していた。

僕の脳裏に間接キッスという言葉が過ぎり、僕のこめかみに冷や汗が流れた。

今の僕はキスというのに恐怖心を抱いている。

まるで大博打のように、それは良くも悪くも人生を変えてしまう事のように思えた。


野々村は不思議そうに硬直した僕を見て、ある事に気が付いて言った。


「あ、ゴメン私のストローじゃ汚いよね!

ストロー貰ってくるよ!」


そう言ってストローを貰いに行こうと立ち上がる野々村を、僕は引き止めた。


「あッ、いいよ!

そこまで欲しい訳じゃないから!」


そう言うと野々村は中腰の状態から静かに席に着いた。

僕は小さく呼吸を整え、とりあえずクリームソーダから話題を変えようと話しのネタを頭の中で探ってみた。


「あ…ところで…」


そう口に出してはみたものの、まだ準備が不十分で、その後の言葉が出てこなかった。

野々村が僕の次の言葉を聞き耳立てて待っていると、僕は何故か無性に緊張して、尚更言葉が出なくなってしまった。


「…なんでもない」


やっとその言葉が出たのは沈黙から1分後だった。

野々村も身構えていた状態からフッと緊張を解いた。

僕が気まずそうに顔を伏せていると、野々村が言った。


「静谷くん、今日はありがとね。」


僕が顔を上げると野々村はニッコリと笑っていた。


「ゴメンね静谷くん、変な事に付き合わせちゃって。

でも本当にありがとう。

石塚くんとプライベートで会える日が来るなんて思わなかった。静谷くんのおかげだよ?」


僕はそれを聞くと、「そんな…」と照れ笑いを浮かべた。

そしてそれと同時にある問題点を思い出した。


「あ…そうだ。

野々村ゴメン、先に伝えたい事があるんだ。

実はイシズと約束する時、野々村の事話さなかったんだ…。

だからイシズは僕と二人で遊びに行くつもりだと思ってんだけど…

平気かな?イシズがどんなリアクション取るのか分からないんだけど…。」


僕がそう伝えると野々村は「そうなんだ…」と少し不安げな表情を浮かべた。

僕は当然だと思った。

ただでさえ不安なのに、相手が自分が来る事すら知らないなんて、どんな顔で待ち合わせ場所に居合わせたら良いのか分からなくなる。

その時の相手のリアクション次第で今日の気分がガラリと変わってしまうんだと思う。

僕はやはりイシズに野々村が来る事も伝えておくべきだったと今になって後悔したが、次の瞬間野々村に笑顔が戻った。


「大丈夫!!

これは私の問題だもん!

静谷くんにはここまでしてもらって感謝してる!

後は私自身が頑張って石塚くんと仲良くならないとね!!」


僕は明るくそう言う野々村を見て「凄いな…」と思わず声が漏れた。

僕だったら今頃逃げ出しているはずだ。


野々村は機嫌良さそうにクリームソーダについているサクランボの茎を指で摘み、口の中に放り込んだ。

口の中でサクランボの実を食べ終わると、取り出したサクランボはまだ茎に種がくっついた状態で、野々村はそれを上品にナプキンに包んだ。


「ねぇ静谷くん知ってる?

私は出来ないんだけど、サクランボの茎を口の中で結べる人ってキスが上手い人なんだって。」


僕はまたしてもキスという言葉にドキリとした。

だけど僕は平静を装って落ち着いた口調で答えた。


「知ってるよ。

前にそんな話しを聞いて試してみたけどダメだった。

練習もしてみたけどやっぱりダメだったね。」


「練習したの?」


野々村は驚いた感じでそう聞いた。


「試してみただけだよ。」


僕がそう答えてカフェラテを飲んでいると、野々村は両手で頬杖をついてニヤニヤしながら言った。


「静谷くんキス上手くなりたかったんだ?」


それを聞いた瞬間、飲んでいたカフェラテが逆流し、だらしなくその場に噴き出した。

僕はむせて、咳がしばらく止まらなかった。

それを野々村は「汚いよ静谷くん?」と叱るように言って笑った。

僕はナプキンを大量に手に取り、その場を丁寧に拭きながら野々村をジロッと睨んだ。


「もしかして野々村ってS?」


僕がそう尋ねると、野々村は斜め横に目を吊り上げ、口元をキュッと結んで「さて、どうでしょう?」とまるで腹話術の人形のようにひょうきんに答えた。


僕は何か仕返しが出来ないかと考え、ある事を閃いて再び野々村に尋ねた。


「ところで…オホンッ!

野々村はどうしてイシズの事好きになったの?」


思わず笑みが零れそうになった。野々村をからかうにはこの話しをするのが1番だと思った。

案の定野々村の顔は紅く染まっていった。


「な、なんで急に?」


「さぁ?なんとなく。」


僕がそう言うと野々村は俯いて、肺の空気を全て出し尽くすように長いタメ息を吐いた。

そして目を閉じて、頭の中で自問自答を繰り返すように「うーん、うーん」と唸り出した。

その様子を見るとなんだか僕は悪い事を聞いてしまったんじゃないかと思い始め、「は、話したくなかったら無理に話さなくて良いよ?」と妥協して言った。

だけど次の瞬間、考え終わったのか、野々村の視線と僕の視線が重なった。


「…別に…たいした事じゃないんだけどね…。

話しても面白くないと思うけど、聞きたい?」


正直そこまで聞きたかった訳ではないが、尋ねてしまった手前、もう後には引けなかった、

僕がゆっくりと頷くと、野々村もゆっくりと話し始めた。


「まぁなんて言うか変な話しなんだけどね…。」

一年前、友達に誘われて市民会館へ演劇部の公演を見に行った事があるの。石塚くんを初めて見たのはその時だった。

その時の劇は白雪姫をやっていて、石塚くんは舞台の上で7人の小人の7人目を演じていたの。

石塚くんもその時は演劇部に入りたてだったからそんな良い役じゃないし、台詞も『白雪姫は魔女の毒リンゴを食べたんだ!』の一言だったのよ。

それでも一生懸命身振り手振りを交えながら演技をしていたの…。」


そう言うと野々村は話しの途中で止まった。

しばらく待っていたが野々村は口を閉ざしてしまったままで、僕は待ちくたびれて「それで?」と急かした。

野々村は僕の目をじっと見て言った。


「…好きになった。」


それだけ言うと野々村は顔を真っ赤にした。

まるで本を数ページ飛ばされたようで、僕は好きになった理由がイマイチ分からず、「はぁ…?」とマヌケな顔を浮かべた。

野々村はそんな僕にもどかしさを感じ、再び長いため息を吐いた。


「だ、だから言ったでしょ?変な話しだって!

自分でもよく分からないんだもん、なんで好きになったのか!

面識があった訳じゃないし、台詞なんて『白雪姫は魔女の毒リンゴを食べたんだ!』の一言よ?

自分でもなんで?って思うよ。

でも舞台に立ってる石塚くんを見てドキドキしちゃったんだもん!

仕方ないじゃない!

それで今年クラス変えで同じクラスになって、なんか運命みたいなの感じちゃって…それで…えーと…っ…!」


野々村は少しムキになってる感じでそう言った。


僕はポカンと口を開いたまま、真っ赤になった野々村を見ていた。

野々村の言ってる事はあやふやで因果関係がハッキリしたような内容じゃなかった。

だけど、僕にもそのあやふやさをなんとなく理解する事が出来た。

桐島美那子、彼女を好きになった理由が今でも分からない。

いつ好きになったのかさえ…。

僕と野々村は似てると思った。

二人とも好きになった理由が知りたくて、恋をするんだ。

からかうつもりで始めた会話だったけど、僕には野々村の想いを壊す真似は出来なかった。

それは自分の想いも壊す事になるからだ…。


「どうしたの静谷くんッ!?」


突然野々村が叫んだ。

僕には何の事か分からず、「え?」と野々村の表情から答えを探した。

だけど、野々村はオロオロするばかりで、何が起きたのか知る事が出来なかった。

膝に乗せていた僕の手に水滴が落ちた。

水滴の付いた手を掲げ、僕はようやく自分の身に起きている事に気が付いた。

僕は泣いていた。


「あれ…?

なんで………?」


自分でも分からなかった。今の会話のどこに泣かなくちゃいけない要素があったのか…。

ただ、野々村の事をやけに羨ましく感じた。


「ご、ごめん!

ちょっとトイレっ!」


なんだか泣いている自分が無性に恥ずかしくなり、僕は目を擦りながら慌ててトイレに駆け込んだ。


僕は洗面台に立って涙の跡を洗い流し、鏡の中を覗き込んだ。

鏡の中の自分は情けないほど哀しい顔をしていて、とても人前に出せる代物じゃなかった。

僕はもう一度顔を洗い、右側にあったペーパータオルを大量に取り、顔に押し当てた。

息苦しい中、気持ちを落ち着かせようと深呼吸して、ペーパータオルを外した僕はニッコリと頬に力を入れて笑顔を作った。

友達の前で暗い顔を見せるわけにはいかないと、何度も自分に言い聞かせた。


トイレを出ると心配してか野々村が通路で壁に寄り掛かって僕を待っていた。

僕は泣いてしまった事が恥ずかしくて、野々村の顔をまともに見る事が出来なかった。


「大丈夫?」と野々村は尋ねた。

僕は「大丈夫だよ」と笑いながら答えた。


「…湿気のせいかな?

ほら今日雨降ってるから、いつもより湿気強いでしょ?

きっと湿気の奴ら僕のパッチリした目が好きなんだ。だから目に貯まってたんだろうね。」


自分で何言ってんだろうと思うぐらい、僕の冗談がつまらない事は分かっていた。

それでも僕は笑ってそう言った。

野々村はそんな僕の顔をじっと見て言った。


「静谷くん、何かあったの?

さっきから無理して冗談言ってる…。」


僕はそれを聞いてドキリとした。

「な、なんで?」と僕が慌てて聞くと、野々村は「なんとなく」と返した。

少しの沈黙の後、野々村は照れ臭そうに言った。


「あ、あのさ、今のこの状況って、昨日の状況に似てるよね?」


「昨日?」


「そう、学校で私、静谷くんの手を引っ張って、トイレに駆け込んだでしょ?

その時の状況に良く似てる!」


僕はまるで遠い記憶を探るように、「ああ…」と曖昧に答えた。


「あの時ね、私、石塚くんの事でどうして良いか分からなくなっちゃって、すごく不安な気持ちだったの。

トイレの中で顔洗って、出ていった時、静谷くんがまだそこに居てくれてすごく嬉しかった!」


「自分で引っ張ってったんじゃん」と僕はツッコミを入れて笑った。

野々村も笑って言った。


「そうだけど、私がトイレに篭ってる間にいなくなる事だって出来たでしょ?

でも静谷くんはそこに居てくれた。

まるで仲間が居てくれてるみたいで、本当に嬉しかったの。」


野々村の言ってる事が僕にも理解出来た。

僕も今、野々村がここで待っていてくれて、少し嬉しかった。


「だからね…今度は私が静谷くんの味方になる番だよ…。」


そう言って野々村は手を延ばして、僕の頭を優しく撫で始めた。

僕は野々村に触れられた瞬間驚いてビクッとしたが、何故だかその手を払い除けようとは思わなかった。

それはあまりに当然のような、違和感の無い優しい動作で、ただひたすら心地良い温もりが、心の奥底に染み込んでいった。


「私はどんな事があっても静谷くんの味方だよ?

だから辛い事や悲しい事があるなら、なんでも私に言って良いよ。

私なんかで良かったらいつでも相談に乗るから。

ねっ?」


野々村は僕が今まで出会ってきた女の子の中でも特に優しく、母性的だった。

頭を撫でられる度、心が緩んでいく。まるで全身を優しく包まれているような不思議な感覚だった。


「ありがとう…。」


僕は一言そう言った。


本当は誰かに優しくされる筋合いなんて僕には無い事は分かっていた。

何故なら今こうして苦しんでいるのも全て自業自得なのだから。


…だけど今だけは、そんな罪悪感の中でもその他人の温もりを感じていたかった。


外はまだ雨が降り続いている。

今日はしっとりと降り続ける雨だった。



―つづく―


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