08
翌日、朝食を済ませたらすぐに、俺は実入りのいい仕事を探しに外に出た。
隣にはルノーウェルさんがいる。ペンダントの件抜きに、収入を確保することは最優先事項だったので、この条件を口にした時も特に怪訝な顔をされる事はなかった。
「兵の質が低い国ならば傭兵というものが最も短期で利益を出せる部類だと思いますが、食糧事情から見て、この国の兵力は潤沢なようです。ですから、やはり冒険者がその条件に一番適しているのではないでしょうか」
こちらの質問に、ルノーウェルさんはすらすらと答えてくれる。
食糧事情と傭兵の関係性がいまいちよくわからなかったが、常識っぽいのでそれはあとで調べる事にして、俺は「冒険者か」と、そのある意味で馴染み深く、ある意味で非常に縁遠い単語を口にしてみた。
ゲームなどではよく聞くが、実際には見たこともないフィクションの象徴のような職種。
でも、この世界では確かな現実として機能している。
それを強く実感したのは、剣や槍、弓といった武器を携えている集団とすれ違った時だった。
やっぱり、フィクションなんかとはディティールが違うというか、コスプレ感がないというか、当たり前なんだろうけど、本当に本物っぽいなぁ……なんて莫迦みたいなことを思いながら、ルノーウェルさんの案内の元、冒険者を抱える組合――いわゆるギルドの前に到着する。
他に有力な候補があればそちらを選ぶかもしれないけど、まずは真っ先に思い当った線から吟味していくのが建設的だ。
両開きのドアを押して、中に入る。
左手に受付があって、三人ほどで対応しているのがまず目に入った。
結構な人数が奥の壁に設置されたボードに群がっている。そのボードには張り紙のようなものが無数にピンでとめられていて、ボードの一番高いところまで埋めていた。
これがもし依頼だとするなら、結構な盛況ぶりだ。
「一階は新米の方向けのようですね。運送に店番に、窓拭き……下水掃除なんていうのもあるんですね」
ボードまでは結構距離があるんだけど、どうやらルノーウェルさんは紙に記された依頼内容が読めているようだった。
レニはどうなんだろうか、と俺も目を凝らしてみる。
すると双眼鏡でも使ったみたいにはっきりと、そこに記されている文字が読み取れた。
彼女の言う通り、本当に雑用が多く、また報酬も微々たるもののようだ。さながら短期のアルバイトでる。ここでは、こちらの目的は果たせそうにない。
「上に行こう」
ルノーウェルさんに言って、右手にある階段をのぼっていく。
二階には一階の三分一程度の冒険者の姿があった。違うのは、身に纏っている鎧についている傷の数だろうか。明らかに下に居た冒険者たちより練磨されている印象だ。
この分だと、最上階であろう三階にいるのは歴戦の猛者になりそうだけど……見た感じ、この階に張られている依頼でも、目標を達成することは出来そうになかった。
正直、かなり不安になってきたが、足を止めるわけにもいかない。さらに階段を上って三階へと赴く。
その途中で、眼鏡をかけたやや神経質そうな青年とすれ違った。左手に依頼の紙をつまんでいる。どうやらそれを受付に持っていくというシステムのようだ。
「やっぱり、国が違っても変わらないものは多いみたいですね。……魔物の質も、そうだといいのですが」
ぽつりと、どこか不安そうにルノーウェルさんが呟いた。
それに同意も励ましも出来ない自分の中途半端さに押し黙りつつ、俺は三階のボードの前に立つ。
長期的になりそうな類はまず除外して、知識が必要そうなものを次に外していく。すると残るのは単純で危険な分野だけになった。魔物を狩るという依頼だ。
群れで行動するズゥイン種、一体二万五千リラ(心臓と牙と核)。
森に住まうグルドワグラ種、一体五万三千リラ(クチバシと尾針)。
他にも高額で魔物の肉や骨、臓器などが求められている。
その中で、今自分が着手できそうだったのは、グルドワグラを狩るというものだった。
それだけがどこに生息していて、どんな姿をしているのか、すでに知っていたからだ。
いや、まさか、興味本位で読破してしまった魔物図鑑第一巻が役に立つとは思わなかったけど、調べる手間が省けたというのはいい事だ。それに、なにかしらの縁のようなものを感じなくもない。
冷静に考えて、残り三日という期日で大金を揃えるのに、リスクのない手段というのはあり得ないだろうし、これだけお膳立てがされているのなら、これに決めるべきだろう。
ここでそう決断し、俺は依頼の紙を確保するべくピンを抜いた。が、抜いた拍子にひらひらと舞いながら紙が落ちていく。咄嗟に左腕を伸ばしたが、手がないから掴めない。
ショックというほどじゃないけど、出鼻をくじかれた感も相まって、あぁ、と落胆がもれた。
それを救うように、ルノーウェルさんの手がすっと伸びて、中空でその紙を掬った。
たったそれだけの事にどうしてか強い安堵を覚えつつ、俺はピンをボードにさし直して、地面に落ちなかった紙を受け取り、階段を下りた。
そして、受付の前に立つ、
「あの、この依頼を引き受けたいのですが」
「では会員証をお見せください」
事務的な口調で、受付の女性は言った。
そこで、我ながら本当に抜けていると思うけど、依頼ってそんな簡単に引き受けられるものじゃないよな、大金がかかっているわけだし責任問題とかもあるだろうし、という当たり前の現実に直面する。
直面して、かぁ、と顔が熱くなるのを感じた。
ヤバい、物凄く恥ずかしい。
その反応を見てだろうか、
「この都市では、緊急性のない魔物狩りにも制限の類があるのですか?」
と、ルノーウェルさんが口を挟んでくれた。
「はい、レフレリなどでは違うのかもしれませんが、トルフィネでは資格制を採用しておりますので」
「その資格を得るにはどうすればよいのでしょうか?」
「まずは仮登録をして、そこの端にある無期限依頼をいくつかこなしてもらうことになります。それで最低限の信用を買えば本登録の試験に進みます。それに通れば溝色ですね」
「どぶ色?」
「色格です。まあ、蒼は貴族の色ですから、このトルフィネの最上位は紫になりますが」
色格。夢の中で聞いた事のある単語を、俺は胸の内で反芻する。
たしか、図書館で得た情報によれば、魔力の色の価値を指すものだった筈だ。そして魔力の色とは、そのまま行使できる魔法の種類を示しているものらしい。
「それを得るには、大体どれくらいの期間が必要になるのでしょうか?」
「人によると思いますが、早くて十日ですね。……どうしますか? 今なら三百リラで仮登録出来ますが」
「そうですね……」
そこで、ちらりとルノーウェルさんはこちらを見た。
どうしましょうか? という無言の確認だ。
「では、また出直す事にします」
言って、俺たちはひとまずギルドを後にした。
そして、少し離れた場所に移動したところで、ため息をつく。特に深い意味はなかった。
だけど、ルノーウェルさんはそう捉えなかったみたいで、
「申し訳ありません。ここが異国だというのは解っていたのに、私、ソルクラウ様に恥を……」
左手で自身の右手首をぎゅっと握りしめ目を伏せて、声も微かに強張っていたりして、本当に深刻そうだった。
なんだろう、凄く悪い事をしたような気分で、ちょっと焦ってしまう。
「いや、うっかりしていたのは私だし、その、ルノーウェルさんが謝るような事はなにもないから」
「ですが――」
「それより頼みたい事があるんだけど。出来れば、また図書館で調べて欲しい事があって。この組合の在り方というか、報酬の仕組みというか、その……」
「……事後承諾、ないしは組合に届いている依頼を、組合を通さずに個人で処理しても法的に引っ掛からないか、ですか?」
顔をあげたルノーウェルさんが、躊躇いがちにこちらの言いたい事を纏めてくれた。
本当、色々と察してくれているというか、ありがたい話というか……その分、余計な神経を使わせていそうで、申し訳ない気持ちもあったりするんだけど。
「うん。お願いできるかな?」
「はい。それはもちろん可能ですが…………そうですね、たしかに図書館などで調べる方が適切かもしれませんね。我々は余所者ですし、獲得したものをここまで持ってきたところで、事前にした確認を覆されて、本来得られる筈の利益を奪われる可能性もありますし。情報の武装はしっかりしないと」
……あ、いや、ごめん。正直そんな事は一ミリも考えていなかった。
これは単純に調べものイコール図書館という構図が頭に出来ていただけで、たしかに普通に考えれば組合の人に直接聞けばいいだけの話なのだ。ルノーウェルさんからしたら、なんでそんな回りくどい事をという疑問にもなるだろう。
まあ、結果的にはそういう可能性にも辿りつけたので、悪くはないポカだったのかもしれないが、どうにも落ち度が続いてしまっている。これはあまりよくない傾向だ。気を引き締め直さないといけない。
「今日一日ほどいただけますか?」
「いや、そんなに急がなくても大丈夫。多分、明日の夕方くらいまでに分かればいい事だから」
というか、二日で必要になればむしろ早い方だろう。
どれだけ早く標的を見つけ、殺す事が出来るか。すべては俺次第だった。
§
ルノーウェルさんと別れて、俺はいったん宿屋に戻った。
これから魔物を狩りに行くわけだが、それには武器が必要だったためだ。……まあ、欲を言えばしっかりとした訓練時間とかも欲しかったけど、短い猶予の中でいつ目的を達成できるかもわからない状況では、そんな贅沢は望めない。
「……やっぱり、ないか」
今日初めて、隈なく泊まっている部屋を調べてみたけれど、漆黒の鎧は部位の一つも見当たらなかった。
勝手に処分されたとは考えにくいし、だとすればあれはレニ・ソルクラウの魔法に関係するものだったということなんだろう。つまり、今の俺には利用できない保険ということになる。どうしてそれが消えたかも把握できていないのだから、当然といえば当然だ。
そのマイナス分を踏まえつつ、俺は壁際に寝かされていた包帯に巻かれた短剣を手に取る。
……重い。
これがゲームとかなら、魔物を殺す、なんて言葉はどこまでも軽いのに、今から現実に血肉をもった生物を殺すと考えると、それだけで息が詰まりそうになる。
その気後れが、重量以上に短剣を重くしているような気がした。
それでも、他に道がないのならやるしかない。今までの常識や弱気はここに置いていく。そのためにも、と短剣を強く握りしめ何度か素振りをする。
重さは気のせいだ。その証拠に、短剣は小枝をふるように軽く、強い風切り音を立ててくれた。
「……よし」
大丈夫。大丈夫。ちゃんと勝算はあるんだから、きっと大丈夫。
自身を洗脳するように執拗にその言葉を頭の中で繰り返しながら、俺は宿を出た。