03
途中で街道を見つけ、それに沿って進むと、特に問題もなく城塞都市の門の前に辿りついた。
開かれたその門前には、西洋風の鎧を纏った二人の男が佇んでいた。兜は装着していないが十分に重武装で、腰には剣が携えられており、いかにも門番といった佇まいだ。
その内の一人、こちらから見て左手側の相手が口を開く。
「ずいぶんと手酷い目にあったみたいだな」
どうやら、血塗れなうえに剣をもっているという状態が、ここではそれほど珍しくないようだ。彼には驚きも警戒も殆どみられなかった。
「……ええ、想定外の魔物が出たものですから」
と、ルノーウェルさんが話を合わせる。
正直、魔物? と鸚鵡返ししたい気分だったが、口を挟んで彼女の邪魔をするのもよろしくない。
「それより、一つ窺ってもよろしいでしょうか?」
「なんだい?」
そこで一拍の間をおいて、ルノーウェルさんは訪ねた。
「ここは、なんという街ですか?」
「妙な事をきく奴だな。そんな事も分らずにやってきたのかい?」
呆れるように、左手の門番は肩をすくめる。
それに対してルノーウェルさんは弱々しい微笑を浮かべ、
「外の世界では、なにが起きるかわかりませんから……確証が欲しくて」
「……どうやら、本当に大変な目にあったみたいだな」
含みをもった言葉と、こちらの状態を鑑みてだろう。門番はやや同情的なトーンでそう呟いてから、
「ここはトルフィネだよ」
と、答えた。
「トルフィネ、ですか。……そうですか。よかった」
安堵の息と、微かに震える声が、ルノーウェルさんから零れる。
この反応から見るに、あの孔を通るという選択自体、かなりのギャンブルだったみたいだけど……
「……で、入るのか?」
むすっとした顔で黙っていた右手側の門番が、素っ気ない口調で急かしてくる。
「え、ええ、お願いします」
やや照れた様子で、ルノーウェルさんは頷いた。
すると門番は足元に無造作に置かれていた長方形の木箱の中からスプレーのようなものを取り出して、それを彼女に噴きかけていく。
一体、どういう効果があるのかわからないけど、彼女が抵抗していないのなら、きっと大丈夫なんだろう。俺もそれを受けいれる。
ひんやりとする程よい冷たさと柑橘系の匂い。なんとなく、消臭スプレーをかけられているような気分だ。
「まあ、浄化はそれくらいでいいんじゃないか?」
と、左手にいる気さくな方の門番が言う。
どうやら、あながち的外れな印象だったわけでもないみたいで、この街は外部から持ち込まれる疫病などに、ある程度神経を使っているようだった。この分だと、衛生方面は安心できそうな気がする。
「じゃあ、次写しするから、動かないでくれよ」
言いながら、気さくな方の門番は再び箱から、今度は拳ほどの大きさの透明な石を取り出して、レンズを覗くみたいにその石越しにこちらをじっと捉え、こんこん、と二度ほど中指で石を叩いた。
すると、透明だった石の中心に、全身を漆黒の鎧で身に纏った何者かの姿が刻まれる。
おそらくだけど、それが今の俺の姿なんだろう。
兜、脱がないでいいのかな? とちょっと思ったけど、特に指示されなかった以上、それでも問題はないのかもしれない。
ともあれ、二つの手続きが終わり、
「では改めて。ようこそトルフィネへ。まあ、のんびりしてきな」
「問題は起こすなよ」
という二人の門番からの言葉と、短剣の刀身を隠す用途に使えという視線込みの包帯を貰って(即座にルノーウェルさんがそうしたので、理解出来た)俺たちは城門をくぐった。
石畳の感触が足を伝う。行き来する人々の活気が、驚くほどに嬉しかった。少しでも日常めいたところに戻ってきた、という実感があったからだと思う。
「まずは寝床……いえ、換金が先ですね」
と、ルノーウェルさんは呟き。「あの、すみません」と道の端で立ち止まっていた中年の男性に声をかけた。
「え? 宿? ……そうだな。おすすめ出来るのは、ミザリーのところかね。あの角曲がって、真っ直ぐ行ったところにある。で、買い取りは、あまり縁がないから俺もよく知らないが、たしかあっちの広場の傍に一軒あった気がするな。まともかどうかは知らないがね」
「そうですか、ありがとうございました」
淑やかにルノーウェルさんは微笑む。
その笑顔に見惚れたのか、彼は数秒ほどぽかんとした表情をみせてから、
「あ、あんた、余所から来た人だよな?」
「ええ、そうですが」
「だったら忠告だ。その先にある下地区には行くな。夜中は出歩くな。どっちも物騒だからな。……まあ、戦士付きには必要ない忠告かもしれんがね」
ちらりと視線をこちらに向け、俺が彼女の連れだと把握してか苦笑気味に微笑んだ。
そんな彼にお辞儀を一つして、ルノーウェルさんが小走りに戻ってくる。
「親切な人で助かりました。では、行きましょうか」
「あ、あぁ、うん」
頷き、俺は彼女のやや後ろを追いかける。
……一人じゃなくてよかった。か細い背中を前につくづくそう思う。でもそれと同じくらい、ちょっとカッコ悪いよなぁ、って自己嫌悪にも陥りそうだった。
そんなバツの悪さを払拭するように、空を見上げて……本当に、今更なんだろうけど、改めてここは異世界なのだと実感した。
雲一つない空だというのに、無数の星も月もない。
代わりにそこには、木星のような輪をもった大小二つの衛星だけがあった。
輪と輪が絡み合って、底無しの闇のような夜に物凄く輝いていて……それは、こんな時でも綺麗だなと素直に噛みしめてしまうほどに、特別な存在感を放っていた。
§
多少迷いながらも、広場の傍にある買取店を見つけた。
その道中で、ルノーウェルさんは「文字の方も問題なさそうですね。昔は世界の全てが地続きだったという説がありますけど、案外信憑性があるのかもしれません」と、店の看板などをみながら、そんな事を呟いていた。
つまり、ここは彼女にとっても海の先の異国だという事だ。……だからこそ、安堵したのか。
疑問を口にするか迷っている間に、ルノーウェルさんが店のドアを開ける。
「すみません。いくつかの品物を売りたいのですが。査定にはどれくらい時間がかかりますか?」
「すぐに済むさ。目利きの素人ではないんだからな」
ぞんざいな接客態度をみせつつ、眼鏡をかけた初老の店主はそう答えた。
その突き放した感じをそのまま表わすみたいに、受付のカウンターに客用の椅子が二つだけと、店内には無駄なものが一切なかった。本当に買い取り専門のようだ。
「そうですか。それはよかった」
店主に腹を立てる事もなく淡々とした調子でそう流し、ルノーウェルさんは胸にかけていたペンダントに手をやって……それを数秒ほどぎゅっと握りしめてから手を離し、服のポケットに手を伸ばした。
「では、まずはこれの査定をお願いします」
取り出されたのは、三枚の硬貨だった。
店主は妖しい輝きをもったその紫の硬貨をつまみ、目を凝らす。
その際、彼の青みがかった瞳の色が、冷たい灰色に染まったのが見て取れた。
「ジルス鉱石で作られた異国の硬貨か。純度もなかなか高いな。刻まれている細工も悪くない。……それにしても、ずいぶんと優れた造幣技術だな。どの硬貨にも差異が殆ど見当たらない。どこで手に入れた?」
「答える必要があるようには思えませんが?」
さすがに不快を覚えたのか、ルノーウェルさんの口調には棘が込められていた。
「だろうな。ただの興味本位だ」そこで目を閉じて「……七千四百リラまでなら出せる」と、店主は言った。瞳の色は元に戻っていた。
「では、それでお願いします」
そうして換金は完了し、紫の硬貨三枚は、緑色の硬貨七枚と赤色の硬貨四枚になった。
その価値がどれくらいなのか正確には計れないけど、広場に複数あった出店で売られていた食器が二十から三十くらいの数字だったので、それを大体六百円から九百円と仮定した場合、二十数万円くらいの価値にはなったのではないかと期待する事は出来た。
もちろん、この街の物価を俺は知らないので、大きく外れている可能性もあるけど、少なくとも散財をしなければ数日は泊まれる程度の金額ではあるはずだ。
「他には?」
「……いえ、以上です」
店主の端的な確認に彼女はやや硬い口調で答え、この場での用件は終了した。
§
宿は食事付きで一泊七百リラだった。
最大で十日は泊まれる計算である。ただし、それは一部屋だけを借りればの話で……
「……本当によかったのかな、一緒の部屋なんかにして」
ついつい零れた独白を聞く相手は、今ここにはいなかった。
服を新調してきますと言って、外に出て行ってしまったからだ。先程の忠告と、一人でいるのは避けたいという心境から止めたかったが、言葉を並べる暇すらなかった。
まあ、服屋は宿の傍で見かけたし、まだ人通りも多い時間帯だ。そこまで神経質になる必要もないのかもしれない。
とりあえず、このまま何もせずに待っているというのもあれだし、案内された部屋を確認することにする。
一人用の部屋にしては広い方だろうか。ベッドとソファーが一台ずつあって、壁際にはクローゼットが備え付けられていた。あと、入口から見て左手には浴室もあり、簡素ながら必要最低限なものは揃っているといった印象だ。(まあ、トイレはなかったんだけど、宿内にはあるので特に問題でもない)
値段に見合っているかはともかく、少なくともちゃんと眠る事はできそうだった。
というか、もう寝たい。くたくたで仕方がなくて、気を抜いたらすぐにでも意識を手放してしまいそうだ。それだけ、この身体は疲れているようだった。
だけどその前に、いい加減に現状の整理をしないと……いや、それよりも、この全身を包んでいる鎧をどうにかして外す方が、先決のような気もする。
街に到着してから移動の間、何度かチャレンジしたのだが、一向に脱ぎ方がわからなかったのだ。
窮屈とかじゃないだけまだマシだけど、最悪これが呪いの装備的なやつで、ずっとこのままという線も……
「……さすがに、それはないよな?」
独り言をつぶやきつつ、棒立ちでいるのも疲れたし、と慎重にソファーに腰を下ろす。
鎧は一応、部屋に入る前に貰った包帯の余りで拭いたので、汚れがつく心配はなかった。
ただ、この鎧、ところどころ尖っている部分があるので、破ったりしてしまう恐れは残っていたんだけど……幸いというべきなのか、伝わる硬さ同様になかなか丈夫そうだ。
これなら、横になっても問題ないだろう。
今日は、というか多分支払った五日分の間はずっと、自分はこのソファーを使わせてもらう事になりそうだし、寝心地は重要だ。
少しだけ、ほんの少しだけ試しておこう、と睡魔に促されるままに身体を預ける。
このまま目を閉じたら、一直線に翌日まで連れていかれてしまいそうだったけど、そこはなんとか堪えて「……レニ・ソルクラウ、か」と、俺は今の自分を指すらしい名前を口にしてみた。
やっぱり、馴染みのない響きだ。
今まで呼ばれた事もなければ、呼んだ覚えもない。
でも、この名はとても重要な情報でもあった。
全ての元凶としか思えないあの異様に綺麗な少女の声も、たしか「レニ」という名前を口にしていたからだ。
仮にその時の話が全て事実だとするなら、あの爆心地のような地獄絵図を生み出した原因はレニ・ソルクラウで、この身体はそのレニを元にして作られたクローンのようなものという事になる。
目を覚ました時の状況から考えても、要はスケープゴートとしての器だったんだろう。実際、あの場所にルノーウェルさんが来なかったら、俺は多分為す術なく殺されていただろうから。
いや、或いは、ここまでが予定調和だったのかもしれないが……まあ、そのあたりの事を気にしても仕方がない。そもそも、声の主が誰かも不明なのだ。正直、二度と関わりたいとは思わないし、関わる流れにあるようにも思えなかった。
燃え尽きたあとの花火の事なんて、誰も気にはしないだろうから。
「…………っていうか、本当に死んだんだな。俺」
多少なりとも現状が把握できた所為か、物凄くそれを実感して。でも、やっぱり轢かれた時と同じ淡泊な気持ちのままで……。
ただ一つだけ、あの人たちは泣いたりしたんだろうか、という後ろ向きな関心だけが、鈍い痛みを伴って残った。