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再び上地区に足を踏み入れて、十分ほど歩いたところでリッセが口を開いた。
「……そう。道はちゃんと出来たわけね。で、目印は?」
独白にしかみえない会話をしながら、彼女は周囲に視線を走らせる。そして、ある一点でぴたりと止まった。
釣られるように俺もそちらを見る。
屋敷の門の傍。街路樹のすぐ横に、七十歳くらいの腰の曲がったおじいさんがいた。
それだけだったら、別段なんとも思わなかったんだろうけど、そのおじいさんは両腕を真上に伸ばし、ぴょんぴょんとジャンプをしながら、
「リッセ、こっちこっち」
と、女の子のような高い声を上げていて、正直かなり異様な光景だった。
「……あいつは」
小さくぼやきながら、リッセがその老人の元に駆け寄る。
駆け寄って、手首の力だけでその頭を軽くはたいた。
「莫迦、そんな元気なジジィがいるか? もう少し考えて振る舞えよな」
「え? だって、そんな難しいこと要求されても困るし。大体、声も真似できないから、別にいいかなって」
「あたしは不用意に目立つなって言ってんの。……っていうか、それなら声帯もちゃんと変えて貰っとけよ。出来るだろう? あいつなら」
「うん、多分。でも、それは嫌。こうして肉を貼り付けてるのだって、結構気持ち悪いし、そんな事されたら吐く。腹いせにリッセに向けて吐く」
舌足らずな口調で、老人の姿を纏っているらしい少女は言った。
「……あぁ、わかったわかった。あたしが悪かったよ。で、穴は?」
「そこの庭の端」
「本物の庭師はどうした?」
「木蔭の中で、寝てる?」
「殺してないわよね?」
そういう不安を覚えなければならない相手なのか、リッセは嫌そうな顔で確認を求めた。
「騒がれてないから、それは大丈夫」
「そう、ならいいわ。じゃあ、ここは別の奴に引き継がせるから。あんたはもう帰っていいよ。……はい、報酬」
「……これでお菓子、買ってもいい?」
差し出された硬貨の枚数を指で数えながら、老人姿の少女は弾んだ声で訪ねた。
外見からは一切年齢が読み取れないけど、この感じからして結構な子供なのかもしれない。
「あんたの金なんだから、好きにすればいいでしょう?」
呆れるようにリッセは答える。
老人姿の少女は硬貨を受け取り、それをポケットに突っこんで、
「あ、こら、だからスキップとかするな。歩いて帰れ。というか直行するなよ。先に元の姿に戻してもらってから、お菓子だからね。それさえ守れたらスキップしてもいいから」
「……難しいけど、わかった。がんばる」
と、リッセの要求に渋々といった様子で頷き、足早にその場から離れていく。
そして、三十メートルくらい離れたところで、その要求を放棄した。
「……もう少し頑張れよ」
げんなりとした表情で呟いてから、リッセがこちらに向き直る。
「なんか緊張感削がれたけど、あんたは大丈夫よね?」
「あぁ、問題ない」
そもそもそんな余裕ありはしない。
「そう。それはよかった。じゃあ行くわよ」
言うなり、彼女はひょいっと五メートルはある門を飛び越えて、屋敷の庭に足を踏み入れた。
俺もそれに倣って跳躍する。
そこで、少しだけ人に見られるかもって不安を覚えたけど、リッセがこれだけ堂々としているという事は、そのあたりについてはすでに対策済みなんだろう。
「……開け過ぎだろう、これ。まあ隠せるからいいけど」
庭の隅にあった、両手を広げたほどの幅の落とし穴を前にため息をつきつつ、リッセは底を覗きこんだ。俺も目を凝らして、穴の奥に何があるのかを確かめる。
視界に入ってきたのは白い通路だった。壁に光源があるんだろう、左右から淡い光が差し込んでいる。
穴の深さは大体五メートル程度だろうか、降りるには問題のない高さだ。
リッセに続いて穴に飛び降り、無事に着地を成功させて、周囲に視線を流す。
……まるで秘密基地。それが、最初に抱いた印象だった。
程よく薄暗い感じとか、カーブを描いている所為で奥が見えないところとかが、なかなかにいい雰囲気を出してくれている。
「これって、どれくらいの広さなんだ?」
「この辺りはエレジー家以外、地下を借りれていないから、周囲の屋敷八つ分ってところだろうね。で、地下は五階まである。その内一階から三階までは農場みたいだけどね」
「見取り図とかは?」
「当然頭の中にあるさ。この手の場所は色々ときな臭いものだしね」
「それならいいけど。ルノーウェルさんの具体的な位置とかはわかってるのか?」
「そこまでの報告は来てない。けど、この地下にいるのは間違いないわ。なら、魔力を探れば見つけられるわよ」
自信たっぷりにリッセは答えてくれるけど、はたしてそれを鵜呑みにしてもいいものなのか……。
「不安そうだな?」
顔色を変えたつもりはないけど、空気の変化を嗅ぎ取られたらしい。
「……状況が見えていないしね。それに、あの夜、ルノーウェルさんの気配を私は感じ取れなかった。もちろん、歪な魔力が原因だとは思うけど……」
なんとなくだが、あれは補佐的な効果しかないもののように感じられたのだ。
それを成立させた大本が別にあるような、そんな気がしていた。
「……たしかに、あんたの危惧する通り、厄介な奴がいるのは間違いないでしょうね。あたしも感知には自信がある方だけど、上手い奴が本気で魔力を隠せば多分気付けない」
表情をやや引き締めて、リッセは言った。
その上で、真っ直ぐに俺を見据えて続ける。
「でも、魔力を隠すってのは息を止めるのと同じでね、永続的に維持する事は出来ないんだよ。まして他人の魔力を隠すとなれば、なおさらにね。だから、たとえ侵入がばれたとしても、感知を続けていればいずれボロが出る」
それは誠意をもった言葉のように感じられた。
ただ、不安を全て消してくれるほどではなくて、
「例外は?」
ついつい口走ってしまったその失言を前に、リッセは可笑しそうに微笑んだ。
「この世界は例外だらけでしょう? そんなの全部考慮してたら、なに一つ選べなくなるわよ?」
「……かもね」
自虐と共に頷くしかない。
俺自身もまた、まさにその例外の一つといっても過言ではないわけだし、個体依存性なんて道理が通る格差に満ちた世界なのだ。個人に可能性があり過ぎるから想定は難しくなるし、どうしたって割り切りが必要になってくる。
「まあ、なんにしたって人質を解放してしまえばこっちが優位に立てる。そしてそうなれば、あとはじっくりと首謀者を探し出して、そのふざけた真似でいったい誰を敵にしたのか思い知らせるだけさ」
獰悪な笑みには背筋にくる冷たさがあったけれど、同時に酷く彼女らしい表情のようにも思えて、今はそれが頼もしくもあった。
俺たちは周囲を警戒しながら、地下の通路を進んでいく。
先導するのはもちろんリッセだ。彼女は左右に広がっている分岐点を迷う事なくかき分けて、誰にも出会うことなく地下四階にまで辿りつき、十字路に差し掛かったところで足を止めた。
その理由は、言葉にされなくてもすぐに理解出来た。
この先になにかいる。それも覚えのある、なにか。
「……まるで、中域と魔域の境目だな。空気の色まで変わってやがる。大したものね」
微かに緊張を帯びたリッセの声。それだけの魔力が、目の前に広がっているのだ。
否応なしに、互いの神経が張り詰めていくのがわかる。
「抜けられる?」
「あたし一人なら、なんとかね。……どうする? 引き返したいなら、それでもいいけど」
「他の道はないんだろう?」
「あれば、こんな風には言わないわね」
だったら、進む以外に選択肢はない。
それを示すように、俺は鞘から短剣を引き抜いた。
「相手、誰かもう判ってるみたいだけど。強いわよ、あの冒険者は。グルドワグラのようなただの化物とは違う」
「……注意が向いている間に頼むよ」
「わかってるわよ。まあ、せいぜい死なないように踏ん張りな。あたしも、あのいけ好かない女が人質として使われる前に、見つけ出してやる」
彼女の方も心の準備が完了したのだろう。その姿を綺麗さっぱりに消していく。
それを確認してから、俺は止めていた足を大きく前に踏み出した。




