04
店員さんの案内の元、俺たちは広場がよく見える丸テーブルの席に向かい合って腰を下ろす。
置かれていたメニューを開き、まずは値段の確認。……兵が調達する肉を使った料理は、宿の料理とそれほど大差はないけど、一部の料理の値段は桁が一つ違うくらいに高い。
多分、これは野菜が含まれている料理だろう。
しゃきしゃきとした食感には飢えていたんだけど、さすがにこれを注文するのには勇気がいった。
……ルノーウェルさんは、野菜とか好きなんだろうか?
店員さんが用意してくれた水で口を潤しつつ、ちらりと様子を窺ってみる。
彼女はメニューに視線を落としながら、やけに難しい顔をしていた。
「どうかした?」
「あ、いえ、その、そういえば食べ物に関しての情報は抜けていたな、と。……申し訳ありません」
悔しそうに眉間に皺をよせながら、彼女は俯き加減に深刻なトーンで言う。
……まただ。対等じゃないからこそ、こんなどうでもいい事でも彼女は委縮してしまう。
ここで「謝ることじゃない」って言ったって、結局生じてしまった空気は取り払えない。だから、別の言葉を返そうって決めた。
「ルノーウェルさんは、運試しって好き?」
「――え?」
虚をつけたのか、ルノーウェルさんから間の抜けた声が漏れる。
俺はメニュー欄を指でなぞりながら、軽い調子で言った。
「お互いメニューからどんな料理が出てくるのか殆どわからないわけだし、好みを引くか、苦手を引くか、そういう遊びも出来るかなって」
「ですが――」
「多分、そこまでの外れはないと思う。お客さんも入っているし。フラエリアさんのお墨付きでもあるしね。だから、別に間違えても問題ない」
畳み掛けるように言って、俺は動かしていた一指し指を適当に止めた。
「私は、これにしようかな。……ルノーウェルさんはどうする?」
視線をメニューから彼女に戻して、訪ねる。
「私は、そうですね、ええと………………」
「あぁ、ちなみに、種類を多く味わうために半分こにして食べる予定だから。ルノーウェルさんがおかしなのを引くと、私もそれを食べる事になる。だから、ちゃんと美味しそうなのを選んでくれないと困るかな?」
これは値段とかそういう余計な考慮を省かせるための物言いだ。
正直、命令とも取れる強引さなので、口にした時は嫌われないかなってちょっとドキドキした。表情や声色なんかには出なかったと思うけど、足の指に不必要に力が入ってしまっていたのがその証拠だ。
「……それ、ちょっと難度が高いです」
躊躇いがちに、ルノーウェルさんがぼやく。
その表情は困っているようではあったけど、さっきまであった暗い顔じゃなくなったのなら、なんだってよかった。
「それは私も同じだから」
と、涼しげに言葉を返しておく。
すると彼女はメニューに視線を落として、
「……わかりました。では、このフルカルルルのテマリア添えというのと、ズゥインのトヴァリ漬けでお願いします」
真剣勝負に挑むかのような神妙さで、品名を読み上げた。名前からでは、やっぱりどんな料理か想像できなかった。
「うん。じゃあ注文するね」
すみません、と店員の女性に声をかけつつ、一応合計金額を計算して、財布にある分で問題ないなと判断し、注文を済ませる。
そうして去って行く店員の後姿をなんとなく見送ったところで、俺は一つ見落としに気付いた。
「あ、ところで、ルノーウェルさんはどうしても食べられないものとかってあるの?」
「……そうですね。やっぱり、腐った物ですかね」
少し考えるような間を置いてから、彼女は至極真面目な口調でそう答えた。
「いや、それは誰でもそうだと思うけど」
というか、そうじゃなくて、アレルギーとかの話をしたつもりだったんだけど……。
「じょ、冗談です。冗談」
こちらの戸惑った反応を見てか、ルノーウェルさんは慌て気味にぼそぼそと訂正した。
恥ずかしさからか、顔が赤くなり始めている。おかげで、まったくもって冗談には聞こえなかったが。
「え、ええと、辛いものが少し、苦手です」
「そうなんだ……」
どうも会話がかみ合っていないし、この話題はここで切るとして。でもじゃあ、他にどんなことを話すのがいいのか……ちょっと悩んでしまう。
なんというか、らしい話なのかもしれないけど、今日にいたるまでルノーウェルさんと交わした会話は、その全てが必要な情報の交換だけだったのだ。
その所為で、どういうジャンルが好きなのかも苦手なのかもさっぱりわからないし、彼女の国の事も俺は殆ど知らないわけだから、共通の話題というものにも乏しかった。
思い切ってプライベートに話を振るというのも、レニという立場がある以上強要になる可能性があるから出来ればしたくないし、当たり障りがない上で彼女の興味を惹く話題となると、なかなかすぐには浮かんでくれない。
こういう時はどうするか。
とりあえず、なにか話のタネになりそうなものはないかと周囲に視線を向けて、
「……それにしても、広場賑わってるね。あの肉美味しいのかな? 結構並んでいるけど」
本当に、当たり障りないところに着地した。
「買いますか?」
と、淡々とした口調でルノーウェルさんが訪ねてくる。
「ルノーウェルさんは、食べたい?」
「いえ」
その切り返しはやたらと切れ味鋭く、また早かった。
「うん、私も同じかな」
会話、終了。
またも沈黙が過ぎる。……けど、まあ、これはそんなに悪い感じではなかった。
あの肉不味そうという感想が重なったことによるシンパシーのおかげだろう。案外、こういう好き嫌いの一致っていうのは大事なものだったりするから、これは結構大きな収穫でもあった。
「お待たせいたしました」
思っていたよりずっと早く、店員が戻ってくる。
その手にもつトレイには鮮やかな赤色の野菜が映えるマリネと、脂身の多そうなステーキが乗せられていた。見た感じ普通に美味しそうだ。ボリュームもある。
頼んだのは四品だが、この二品を食べている間に残りの二品もやってきそうだし、待たされるというストレスも感じないで済みそうだった。そういう意味でも、ここはいい店なのかもしれない。
そんな事を思いつつ、テーブルのカゴに入っていたナイフを使って、まずはステーキを半分にする。
マリネも手を付ける前に皿の左右に分けてしまえば、お互い食べ難かったり汚いと感じる事もないだろう。まあ、やってる最中にマナーの悪さが気になって、勢い任せに言った事だったなぁ、と少し反省を覚えたけど、後には引けない。
一応、ルノーウェルさんの反応を窺ってはみたが、特に眉を顰められる事はなかった。もちろん、それは表に出さなかっただけの可能性が高いが、別段目くじらを立てられるような行為でもない可能性もあるので、そっちを期待しつつ、料理をいただくことにする。
食事中は基本的にお互い喋らないので、自身のたてる咀嚼音なんかが妙に気になるものだけど、周りが騒がしいおかげで今日はそこに神経を使う必要もなかった。
おかげで、味だけを堪能できたといってもいいだろう。途中で運ばれてきた残り二品にも不満はなく、どれも値段に見合うだけの美味しさだった。
その証拠というわけでもないけど、黙々と食べているルノーウェルの頬と目元も心なし和らいでいて、なんだかほっとした。
「……大変良き代償でした」
食事を終えたルノーウェルさんがそう呟く。
これは日本で言うところの「ごちそうさま」に該当する言葉で、つまりは対価を払うだけの価値のあるひとときだったという事らしい。まあ、この場合は店に対する賛辞という意味合いの方が強そうだったけど。
しかし、それにしても、相変わらずルノーウェルさんは食べるのが速い。
けして大口を開けているわけでも下品なわけでもなく、むしろ上品なんだけど、今日もまた俺が半分消化する前に片付けてしまった。
どうもこの世界(というよりは彼女がいた国といったほうが適切だろうか)には、下のものが先に食事を済ませるっていうマナーがあるみたいだ。
正直、相手を待たせるのは好きじゃないんだけど、どう頑張っても彼女の速度では食べれないため、この状況を覆す事も出来ないわけで……きっと、この辺りのズレは受け入れた方がいいんだろうと、最近は思うようになっていた。
「……」
手持無沙汰になったルノーウェルさんは、ぼんやりとした表情で広場の方を見ている。
箸休めに水を口に含みながら、俺はそんな彼女の視線の先をなんとなしに追ってみた。
「ねぇねぇ、これ買ってよぉ!」
玩具屋の前で、大きな声を上げて十歳くらいの子供が駄々をこねている。
傍にいる母親は周りの目を気にしながら、
「ダメよ。つい最近も買ってあげたでしょう?」
と、口早にそんな事を言っていた。
「みんな持ってるの。だから!」
「よそはよそ。うちはうちよ」
「やだ! 買ってくれなきゃやだぁ!」
子供は母親の足にしがみついて、泣きそうな顔でそんな言葉を繰り返す。
すると、はぁ、と諦めるようなため息が母親から零れた。
「家の手伝いできる?」
「うん」
「ちゃんと魔力の勉強も出来る?」
「うん」
「約束よ。破ったら没収しますからね」
「うん!」
子供は涙を滲ませながら、満面の笑顔で頷く。
……なんとも、ムカムカする光景。やっぱり子供は苦手だ。
まんまと玩具を買わされた親は、それでも我が子が可愛いのだろう。仕方がないって呆れた表情には、だけど温かさがあって……これ以上、見ていられなかった。
視線を食べかけの料理に戻す。
と、そこで、肌を針でつつかれるような感覚が過ぎった。
弛緩していた神経が、一気に引き締まる。
この感覚は知っていた。あの森で嫌というほどに味わった。これは敵意だ。それも余波の類じゃない。明確に、こちらに向けられている。
被害妄想に近かった想定が、現実だった事を証明した瞬間。
いや、それにしても、まさか白昼堂々、こんな大勢の人がいる前で感じる事になるとは思ってもいなかった。そういう意味では、まだまだ警戒が甘かったわけだ。
武器も持参していないし、そもそも心構えも出来ていないので、戦うという選択は避けたい。
「……ルノーウェルさん」
「騎士団の本部がこの近くにあります。そこまで行きますか?」
こちらの声のトーンだけでおおよそ読みとってくれたのか、ルノーウェルさんが提案してくれた。拒む理由は見当らない。
俺は小さく頷き、席を立つ。
直後、なにかが風を切り裂く音を、聴覚が感知した。
音の方に視線が走る。――矢だ。どこかの建物の上から放たれた一撃が、ルノーウェルさんの頭部を射抜こうとしていた。
意識が臨戦態勢に入る。世界が、水の中に落ちるように緩慢に染まっていく。
矢の速度は遅い。これならルノーウェルさんの前に立って掴むことも可能だろう。力加減にだけ気を遣い、今しがたイメージした事を現実に反映させる。
微かな摩擦による抵抗。矢は問題なく、掴んだ手の中で停止する。
だが、脅威はまだ終わっていない。
今のが合図だったことを告げるように、複数の敵意が四方から突き刺さる。
矢を手放しつつ周囲を見渡して、俺は迫ってきていた襲撃者たちを視界に入れた。
強盗が好みそうな覆面をした男たち。手には短剣やら斧なんかが握られている。初手の矢より幾分速い。俺の居た世界じゃ考えられないことだが、この世界では魔力の扱いに長けた人間は時速二百キロを優に超えて動けるのだ。
予断の許されない相手。
この敵の狙いはなんだろうか? ルノーウェルさんへの一撃は、多分防がれる事が前提のものだった。矢の速度がそれを物語っている。これだけの能力をもっている奴等が、自分たちの速度より遅い一射しか出来ないなんて事はあり得ないからだ。彼女を殺すのが目的ではないだろう。
やはり、彼女を人質にするのが狙いと考えるべきだ。そして、今のはその価値があるかどうかを確かめるための一手だった。
だとするなら、ルノーウェルさんから離れるのは避けたいが、かといって近すぎるのも不味い。彼女との位置関係やらなんやらを把握しながら相手を迎撃するだなんて高度な戦闘は、俺には出来ない……いや、そもそも戦闘をする気がないのだから、この場合は彼女を抱えて逃げるのが一番だ。
問題は、その時の負荷にルノーウェルさんが耐えられるかどうかだが、そこは我慢してもらうしかないだろう。
「舌、噛まないようにね」
短く言って、俺は彼女の腰に右腕を回し、持ち上げた。
ここの力加減さえ間違えなければ、大怪我をさせる事だけはないはずだ。
まずは傍に人がいない状況を作るべく、彼女を抱きかかえたまま跳躍する。
なかなか上手く力を調整できたようで、それほどの衝撃もなく五メートルほどの高さにあった店の平たい屋根の上に着地できた。
だが、逃げ道なんて読めていると言わんばかりに、周囲の屋根の上には伏兵が潜んでいたようだ。
ざっと見て十人程度。こっちの方が、層が厚い。
「本部の方向は?」
「あの金色の紋章を飾っている建物がそうです」
指を差しながら、ルノーウェルさんは言った。
大体、三百メートルくらい先だろうか。かなり高い建物らしく目印がここから見えるのは救いだった。
ただ、屋根を伝っていくという選択が難しくなった以上、広場を横切る必要がある。
広場には大勢の人がいるし、こちらで起きた騒ぎにもまだ気づいていない。気付いているのは、店にいる人達くらいだ。
……というか、これって無銭飲食なんじゃ、という余計な不安が顔を出す。
それを無視する事も出来ず、
「ごめん、財布とって」
と、俺はルノーウェルさんに言った。
あとになって考えれば、彼女を降ろしてから自分でやればよかったんだけど、そういう当たり前の考えがこの時は抜け落ちていた。
「え? あ、は、はい」
一瞬きょとんとした顔をみせてから、彼女は俺のポケットをまさぐって財布を取りだし、
「店員さん!」
叫びながら、それを店員に目掛けて両手で放り投げる。
彼女は彼女でなんかテンパっている様子だったが、なにはともあれ、これで余計な憂いは絶てた。
相手の位置もここに立ったことによって、より正確に把握できている。単純な速度ならレニの方が上だろうし、警戒するべきは射手だけだ。
そう判断し、俺は広場に向かって跳びだした。
足場を失った身体が空に投げ出される。グライダーを使っているかような滑空。
一足をもって、この身体は三十メートル以上離れていた広場にまで辿りつく。
着地も問題なし。俺は、間髪入れずに広場を駆け抜け、駆け抜けながら後ろをちらりと見て、相手との距離を確認した。
こちらの想定通り、追いつけるだけの足をもっているものはいない。
それにひとまず安心したところで、弓を引き絞る音が耳に届く。
次の射撃はきっと前よりずっと速い。その予感を覚えながら、俺は屋根の上に居た射手の方を見据えて――その狙いが、自分たちではない事に気付いた。
煩わしい子供の声が、左の後方から聞こえてきている。
全身に悪寒が走った。どうしようもなく嫌な予感。
――関係ない。このまま逃げてしまえばいい。それが最善だ。
頭はそれを理解している。でも、同時にその行為が確実に別の誰かを殺す事も確信してしまっていて……結局は、その責任を負う覚悟が、俺にはなかったという事なんだろう。
足が止まる。一緒では手が使えないから、ルノーウェルさんを降ろしてしまう。
離れるのは駄目だって解っているのに、そうして身体は踵を返す。
その結果、子供の母親に迫っていた矢には間に合ったが、当然のように敵の狙いにも嵌ってしまった。
広場にも潜んでいた伏兵の存在。
覆面はしていないが、懐からナイフを取り出している。ルノーウェルさんのすぐ傍だ。
この距離では到底間に合わない。相手は彼女の背後を取り、ナイフを突きつけて盾にしてくるだろう。そうなれば詰みだ。
……危惧していたのに、まんまとしてやられた。
自身の愚かさに歯噛みしながら、俺は掴みとった二本目の矢に意識を向ける。
足では間に合わないが、これをダーツのように投擲すれば或いは防げるかも……いや、ダメだ。周りに人が多すぎる。正確無比を誇れるのならいざ知らず、この状況で下手な鉄砲は撃てない。
つまりは打つ手なし。これなら、万が一間に合ったかもしれない可能性に賭けて、足を使ったほうがマシだった。
悔しさから拳に力が入って、矢がへの字に折れる。
その小さな音に混じって、ひゅん、となにかが空気を切る音が鳴った。
音に意識が流れるが、それがなんだったのかを視認する事は出来なかった。
「――がっ」
短い呻き声。
ルノーウェルさんに迫っていた男が倒れる。
その太腿からは、鮮血が溢れていた。それでも男は即座に立ち上がろうと顔をあげて――目の前にいた赤毛の青年に容赦なく蹴り飛ばされた。
顔が跳ね上がって、身体が宙を浮き、二秒近い浮遊ののち地面に落ちて動かなくなる。
「ぼけっとするな」
刺すような一言に、我に返った。
俺は慌ててルノーウェルさんの元に駆け付けて、再度敵の位置を把握する。
店の傍にいた連中が後ろから追いかけてきていた。
ここで、ようやく広場にいた誰かが悲鳴を上げて――
「煩い奴ら。少し黙ってろよ」
そんな声が、真横から響いた。
思わずぎょっととする。いつのまにか、傍らにリッセがいたのだ。
「あんたらは地面でも見てな」
小馬鹿にしたような表情を浮かべながら、彼女は言う。
言うと同時に、頭上に二つの魔力が凝縮されたのを感じた。これはきっと、言う通りにしないとヤバいやつだ。
直感と同時に、俺は自分の足元に視線を落とした。
瞬間、世界が真っ白に染まる。
それは、他の色も輪郭もなにもかもが塗りつぶされるほどの、強烈な光。
直視しなくてもその影響は甚大で、とても目を開いてはいられなかった。
「……せっかく言ってやったのに、それくらいちゃんと防げよな?」
呆れたような物言いと共に、左の服の袖を引っ張られる。
多分、リッセだ。どこかに向かおうとしている。
俺は右手を彷徨わせて、近くにいる筈のルノーウェルさんの手を探した。
指先が触れる感触。
「ルノーウェルさん?」
「……はい」
頷きの発生源からみても間違いないようだ、と俺は彼女の手を掴んだ。
光は未だに広場を支配し、その強さに平伏すように誰もが動きを奪われ、呻き声をあげている。目で確認したことじゃないから、これは感覚的なものになるけど、きっと特殊部隊とかが使う閃光弾をくらったような状態に陥っているのだろう。
その中をリッセの誘導の元、俺たちは静かに立ち去る事になった。
追ってくるものは、誰も居なかった。




