第二章 01
§
「――殺せ殺せっ! 早く! 早く早く早くっ!」
怒声のようなその悲鳴を聞きながら、血塗れの少女は細剣を躍らせる。
一切の停滞なく、肉を裂き、骨を断ち、命を奪う。
それが、敵対者の数だけ連続していく。
うるさかった声は、その度に弱くなっていく。
彼等に抗う術などあるはずもない。有している性能が、積み重ねてきた技術が、なにより、殺人という行為に対する適正が、あまりに違いすぎるのだから。
「……化物め」
そんな言葉を遺して、一番強かった敵が死んだ。
そうして残りは、「殺せ殺せ」と部下に命じていた奴だけになった。
「ま、待ってくれ! 有益な話があるんだ! 私を生かしておけばきっと君にも――」
……命乞いは、いつだって醜い。
自分がしてきた行いのツケなのに、彼はどうしてそんな傲慢な事ができるのだろう?
血塗れの少女は躊躇いなく首を刎ねる。そこには一片の慈悲もありはしない。
国家という神に仇名す悪は、すべからく敵だ。
敵は裁かれなければならない。
それが、少女が自身に誇れる、ただ一つの存在価値でもあった。
§
グルドワグラという魔物は、俺とルノーウェルさんが孔を抜けた先にあった森に居るとの事だった。
なんでも、門を守る気さくな方の兵士さん曰く、奥の方はかなり物騒で毎年多くの冒険者が帰らぬ人になっているとの事だったが、くだんの魔物はその奥にいるようなので、入るなという彼の忠告は守れそうになかった。
俺は短剣の刀身を隠していた包帯を解き、森への備えとして購入したナップサックを落とさないように斜め掛けにして、最後の準備を整える。
そして、いざ街の五倍の面積はあるらしい森に踏み入ろうとしたところで、
「見ない顔だな。あんたも森に用があるのかい?」
と、どこか陽気な声が背後から届けられた。
まったく警戒していなかった事もあり少し驚いたけど、平静を装いながら振り返る。
そこに居たのは、三人の男女だった。身なりからして冒険者のようだ。
大剣を背中に携えた軽装の男に、魔法使いが着そうなロープを纏った眼鏡をかけた青年に、この世界では奇抜でもないんだろう、自然な感じの緑色の髪に弓をもった少女。
その内の一人はギルドですれ違った相手だった。
もっとも、声を掛けてきたのは眼鏡の人物ではなくて、大剣をもった男の方だったが。
「……ええ。そういう貴方たちは?」
「薬草詰みと、魔物狩りってところかな。まあ、後者は運が良ければって感じだけどな」
快活な笑顔を、男は浮かべる。
爽やかとはちょっと違う、からっとした空気感。
どうにも警戒心を抱きにくい相手だ。……いや、まあ、無理に抱く必要もないんだろうけど。
「運がよければ、では困るよ。無駄な労力は負いたくない」
ぼそりと、眼鏡の青年がぼやく。
その頭に、大剣の彼の大きな手がポンポンとのせられた。
「心配しなくても公算はあるさ。ただ、それでも出会えるかどうかは運次第だろう? そう気負うなよ。先は長いんだぞ?」
「気安く触るな! ……大体、僕は気負ってなんていない」
乱暴に払いのけてから、青年は努めて冷静なトーンで言葉を返した。
「はは、そうだったな。お前はいつもきっちりしてるってだけだもんな。誰かさんと違って」
そこで、ちらりと、大剣の彼が緑髪の女性の方を見る。
「誰かって誰さ?」
「そりゃあもちろん、よく地面に足を引っ掛けて転ぶどこかのドジだろうな」
「――っ、こっち指差して言うな! …………あ、というか、ごめんなさいね。この人から勝手に話しかけたのに」
置いてけぼり状態の俺に気付いて、彼女はバツの悪そうな表情をみせる。
「はは、まったくだな。悪い悪い」
と、まったく悪びれた様子なく笑いながら、大剣の彼は懐からビー玉サイズの真っ黒な石を取り出した。
「まあ、そのお詫びと言っちゃなんだが、これを持っていきな」
「これは?」
「見たことないか? 信号石だよ。目印となる光と、この森の魔物が嫌いな音を詰め込んだ代物さ。地面に叩きつければ破裂して中身が飛び出る。なにか問題が起きた時に使うといい。運が良ければ駆けつけてやれるからな」
「あ、ありがとうございます」
おずおずと、俺はそれを受け取った。
受け取ったところで、彼は少しだけ表情を引き締めて、
「なにが標的かは知らないが、まあ無理はするなよ? 命あっての物種っていうしな」
と、最後に大人びた笑みをみせた。
そうして「じゃあな」と軽く片手をあげて、彼は森の中にずんずんと入っていく。
その後を二人が小走りに追いかけ、隣に並んだところで緑髪の彼女が口を開いた。
「っていうか、ずいぶんと優しいじゃん?」
……多分、もうこちらには聞こえないと踏んでの物言いだったんだろうけど、レニ・ソルクラウの耳はかなりいいみたいで、一言一句聞き取る事が出来た。
「そりゃあ、あれほどの美人が相手だからな。男なら、悪い印象は与えたくないもんだろう? なあ?」
「そこで僕に振られても困るんだけど。……まあ、たしかに誰かよりはずっと造形が整っていたね。気持ちは判らないでもない」
「む、だったらいっその事、手伝ってあげればよかったんじゃない? 別にわたしは一人でも大丈夫なわけですし?」
「はは、半人前が生意気言ってんじゃねぇよ」
くしゃくしゃと緑髪を乱して、大剣の彼が笑う。
「うぅ、あぁもう、髪が乱れるでしょう。それ止めてよぉ」
拗ねたように言いながらも、彼女はそれを手で振り払ったりはしなかった。
代わりに、眼鏡の青年が呆れるようにため息をつく。
そういったやりとりから、気心の知れた関係だというのがこの短い時間で読み取れた。
きっと、彼等はいい仲間なんだろう。
今、一人きりだからか、それが妙に眩しかったけど、まあ、ないものねだりをしても仕方がない。
貰った信号石をズボンのポケットに入れて、俺もまた彼等の消えた森の奥へと足を踏みだした。




