世界の終末、そして――エピローグ
ドオオオオッ……
空気が振動して、さらに要塞が震えた。
立っていられないほどの衝撃に、僕はしゃがみ込む。何が起こったのか。皆、一様に顔をこわばらせ、身体を硬直させている。
「終末が始まったようじゃな」
唯一の例外は烈歌老師で。
醜い顔に不敵な笑みを浮かべている。お楽しみはこれから、といった風に。
「どういうことだ?」
いかぶるナナオに、老師はシスターを振り返って、
「そろそろ潮時じゃろ、メアリジェーン山内。真の目的を明かすときが来た」
「……はい」
世界国守クラブの代表は、可憐な唇をきゅっと結ぶ。
さらに老師は嗤いながら、
「『ワールドエンド要塞』――対トロルとして世界最強の施設とはよく言ったものじゃ。シスターとファム少年は人質などではない。組織の最重要人物だからこそ、要塞に避難したのだ。討伐隊を装いひっそりとな」
「避難……? 僕らが招集されたのは、トロル討伐のためじゃなかったのですか」
コスモックル多羅がシスターにつめ寄る。
こうしている間も、細かな振動が要塞を揺らしている。
やがて覚悟を決めたように――シスターが細く長い息を吐いた。
「烈歌老師の予言どおりです。今朝、危険区の防波堤を越えたトロルが居住区を襲撃しました。本部との連絡も先ほど途絶えて……おそらく、もう」
「壊滅した? 居住区が? バカな」
呆然と多羅氏がつぶやく。
「どうしてそのことを黙っていたのです……!?」
肩をつかまれたシスターは答えない。答えようがないのだろう。
ジェントルマン男爵は、千里眼から人類滅亡の報を聞き、とうに希望を失くしていたのだ。ファム少年の言いなりになったのも、その所為だ。
烈歌老師はシスターに〈終末の予言〉を伝え、交渉の上、自ら指定したメンバーを要塞に集めさせた。
裏で、老婆は己の歪んだ欲望を満たそうとしていたのだが……今それを咎める場面ではなかろう。
「ああ、神様ッ!」
祈りをささげようとしたミセスローズに老師がささやく。
「祈っている暇などないぞ。まもなく夥しい数のトロルが襲って来る。大量の生き血を吸ってさぞ猛っておるだろうな」
ドオオオオッ……と再び要塞が揺れる。
見上げると、天井に亀裂が走りぱらぱらと瓦礫が降ってくる。
「犬死にして、たまるかッ」
もっとも死にそうな様の槙村ナナオが憎々しげに怒鳴る。
「ひゃははっ! その意気じゃ小僧。なんならワシの寿命を少し分けてやろうか? まあ、すぐ死ぬだろうがな」
どんなことがあっても死なない、不死の老婆は涼しい表情のまま腰を下ろす。
「さあ――今こそ団結すべきじゃ。
能力者、非能力者関係なく、力を合わせ、戦うときが来た。今のワシは千里眼を失っているゆえ、この戦いの結末まではわからぬぞ!」
皮肉にも。この状況を楽しもうとする老師の言葉で、場の士気が高まった。
男爵がステッキを掲げる。コスモックル多羅が前に出た。
「私が先陣でいく」
「いえ、僕がまず能力を発動してみます。今度は――惜しむことなく全力で」
「皆で迎え撃つべきです」
いつの間やら、シスターが弓矢を構えていた。
次の瞬間――
人類最高の技術を駆使した装甲がもろくも崩れた。
空いた隙間から、無数の狂気じみた眼がこちらを覗いている。人間が突然変異した化け物――トロルだ。
「瞳に知性が宿っている……?」
「進化しているのでしょう。なにせ元人間だから」
「いや、人間以上かもしれんぞ。厄介だな」
多羅氏と男爵。能力者同士が皮肉げに会話を交わした。
「神に、運命に逆らう瞬間がやって来ました」
戦いの女神のように、シスターが高く右手を上げる。
この世に惑う子羊を先導するように。
「このワールドエンド要塞から、奇跡がはじまるのです――」
世界の終わり。そして、はじまり。
それは人類にとって駆逐なのか、それとも、進化のための試練なのか。恐ろしい咆哮が間近に迫っている。
僕は……
ひとり恐怖に縮こまっていた。孤独に。
なぜなら――今や登場人物らは、まるで僕が見えていないかのように。最初から居なかったかのように振舞っていたからだ。
ふっと。
僕は、自分の存在が薄くなるのを感じた。僕自身が消失していく気配がした。
烈歌老師の油断ない眼光が、この世界から消えゆく僕を見張っている。死神みたいに。
たぶんこれは〈死〉と同じ感覚だ。死んだことはないけど、直感的にそう思った。
僕という意識は上昇し、蒸発する。
化け物さえ通り越し、灰色の空が眼前に迫ってくる。
そして。
そして――
* * *
モノトーンだった世界が、ぱっと開けた。
次は赤だった。
血のように赤く紅く染まった空。まるで世界の終わりを予感させるような、すべてを覆いつくしてしまうような、どこか懐かしい――あっとうてきな夕焼け空。
「……っ!」
目に痛いほどの斜光が射している。
僕は、この世に産まれ堕ちた直後みたいに、こわごわと瞼を開いた。
見上げると――紫色のレースだった。
「設楽くん……? 死んじゃった?」
クラスメイトの女子、法ノ月烈歌が僕を見下していた。
あいかわらず爬虫類みたいな冷たい瞳だ。
ちょこん、と。粗大ごみを扱うように、僕の身体を何度か蹴る。というか、本当に死体だと思っているらしい。だって無防備すぎる。
スカートの中は丸見え、ブラウスの裾から白いお腹とこんもりした二つの丘が望めた。すごい見え方だった。
僕はかっと目を見開く。
「!? やだ、目を開け」
「法ノ月さん、下着、見え……うぐっ!」
足蹴にされた。
踏むだけでなくグリグリと押し付けられる。容赦ない。ようやく気が済んだのか、飛びのいた気配がしたので、僕はそろりと起き上がった。
学ランの腕を上げて指をグーパーしてみる。蹴られた箇所は痛むが、動く。うん、生きている。
用心深く見回すが、バーチャルリアルティの装置類はなかった。
それどころか、なんだか馴染みのある光景が広がっている。
雑巾のような匂い。古ぼけた黒板、教室の後ろに乱雑に寄せられた机と椅子。ここは……まぎれもなく、放課後に法ノ月と待ち合わせた空き教室ではないか。
ということは――
「生還おめでとう。なーんだ、戻ってきちゃったか」
なーんだ、って何だよ!
生還……。僕は戻ってきたのか、現実に?
いつのタイミングで打ったのか、後頭部にコブが出来ている。コブを擦りながら尋ねる。
「今、何日?」
「はあ? そうか、あっちでは日を跨いでいたものね。こちらの世界は今日のままだよ。午後五時五十分。まもなく下校時間よ」
「う、うそだろ……」
あれから三時間も経っていないなんて。
「なんかさぁ」
法ノ月は眠たげなゆったりとした声で、
「最後とんでもない展開になってたね。同人誌に投稿できるかなこれ。あ~あ」
ばさばさと原稿用紙の束を触る。
『ワールドエンド要塞の殺戮』――記憶が目まぐるしい勢いでよみがえってきて、
「……ッく」
知らず知らずのうちに僕は涙を流していた。制御しきれない感情の放出か、涙がとめどなく溢れる。仮想世界ではあるが、色々な出会いがあった。別れがあった。絶望と、そして希望があった。
とてつもない喪失感。脱力感。
体力と気力には自信がある方だが、これまでに憶えがない程、身体も精神も疲労していた。
よりによって、法ノ月の前で。かっこ悪。
現実に還ってきたら、色々と言ってやりたいことがあった。聞きたいこともある。まずは、ぶん殴ってやろう、と決めていたのに。こんな状態じゃとても……
泣きじゃくった顔のまま寝転ぶと、スカートの裾をガードした法ノ月が、ぴょこんとジャンプしながら近づいてきた。
「どうだった? 私の創作した世界」
「……とんでもなかった」
あはっ、と女の子らしく笑う。
そこは笑うところではないのに。
「探偵キャラは? 鬼畜毒舌ババア探偵。けっこう斬新でイケると思うんだけど」
「……絶対に止めたほうがいい」
「そういえば――あのとき、老師をどうやって誑して謎解きをさせたわけ? よく聞こえなかったんだけど」
お前に聞こえないようわざと小声で話したからな。
老婆に耳打ちしたことを思い出し、僕はゲンナリする。
「というか。“予言”したんだよ、僕が」
「設楽くんが?」
法ノ月が細い目をぱちくりさせる。
「探偵として謎解きをしてくれたら、僕がこの世界から消えて、代わりに老師の千里眼が戻る――って。もし、そうならなければ腹いせに殺す、って脅されたけどな」
僕は二つ返事でOKした。
現実に戻れなければ、死んだも同然だからだ。
烈歌老師にとって、千里眼が消えたことは想像以上にショックだったらしい。
老婆は怯えていた。
“分からない”ということに。
今まで全てが視えていたから。過去も未来も。彼女にとって、世界はどこまでも平面のように見晴らせていたのだ。
僕の出現を予知したとき、老師は、かつてない悍ましい悪寒がしたという。だから、僕があの世界にとって“異端”ということは疑わなかった。僕はそこを突いた。疑り深い老師は、完全には信用してくれなかったが、まぁ聞く耳を持ってやるか程度に、心を開いてくれたらしい。
「ふうん……」
法ノ月は胸の下で腕を組む。制服のリボンが嫌々をするように揺れる。
「ヤバい賭けをしたんだね。殺してもいい、だなんて。創作世界でも、生きていたら案外楽しく過ごせたかもしれないのに」
顔をしかめた僕に、法ノ月は鼻の下に指をやって、
「教えたでしょ、まだ戻っていない人がいるって。関ケ原くんって、中学のときの同級生なんだけど。楽しくやってるみたいよ、創作世界で」
「楽しく、だって?」
そんなことがありうるのか。よほど順応性の高い奴なのか、セキガハラってやつは。いったいどこのどいつだ。
悶々としていると、法ノ月がにまっと笑って、顔をのぞき込んでくる。
「そうだ。設楽くん、助けにいってみる? イく? イッちゃう?」
蛇のバレッタを握ってみせる法ノ月。
「……遠慮するよ」
セキガハラ君とやらについては、あまり考えないようにしよう。
同時に、僕と同じく生還したという、法ノ月の兄貴とも話してみたい、と少し思った。
それから、と僕は弱ったように、
「頼みがあるんだ。烈歌老師と約束したんだよ、もうひとつ。作者と話すことが出来るなら伝えてほしいって」
「老師が? なに?」
「法ノ月さんに、物語を書き続けて欲しい、ってさ」
不老不死の願いはひとつ。彼女が生きる世界が永遠に続くこと。そのためには、物語が紡がれ続けなければならない。
「え……勝手に約束しないでよ」
どうしようっかな、と作者は焦らすようにそっぽを向いた。
――これは僕の失敗のエピソードである。
人たらしは、誑す相手を間違えてはいけない、よく選ぶべきという教訓の物語である――
目の前の少女、法ノ月烈歌は、僕にとって恐ろしく不利益な存在でしかない。
しかし、僕を唯一、戒めてくれる存在でもあるのかもしれない。
「あのさ」
なんだか捨て鉢な、やけに清々しい気分だった。矛盾してるが。
僕はぼんやりした口調で言う。
「烈歌ちゃんって、呼んでもいい?」
「死んでも嫌。私、その名前、嫌いだし」
「……紫は欲求不満の色」
「なにか言った?」
「小説の続き、描いてよ。あれからどうなったか、僕も知りたいし」
ちらっとスケベ根性を覗かせたのが悪かったのか。
見え透いた嘘に、法ノ月は薄い頬を膨らませた。
「気が向いたら描くけど。もう、設楽くんには読ませないよ」
そして、にこにこと告げた。
「設楽くん。忘れてない? 私は君が嫌いだって。油断してたらまた――飛ばすよ
?」
僕は起き上がりかけた身体をふたたび突っ伏す。
何の飾りもなく、偽りもなく、算段もなく、ただただ答えた。
「勘弁してください」
【とりあえずの完!】
お読みいただきありがとうございました。
たぶん続編を書きます。よろしければ、またいらしてください。




