二階からチョコレート
家の外に出た途端、「寒っ!」と思わず言葉に出てしまう。
今日はいつもにも増して冷える。二月の風は容赦がない。
だけど、今日は寒さも吹き飛ばしてしまうくらいのイベントがある。
バレンタインデーだ。
「おっはよ。愛実」
教室に入った途端に明るく挨拶をしてきたのは白鳥皐月だ。
「おはよう」
私はそれだけ言うと、机の上にカバンを置き、ふうとため息を一つ。
「あ、もしかしてチョコ持ってきたんだ?」
皐月が声のトーンを落としてそう尋ねてくる。
「えっ?! なんで分かったの?!」
「さっきからカバンちらちら見てる。分かりやすいんだからー」
くすくすと笑う皐月は、同性の私ですら見とれてしまうほどきれいで、さらさらの長い髪の毛に整った顔立ち、スタイル抜群で社会人の彼氏がいる。
「今日、皐月はバレタインデーデートだっけ? いいなあ」
私は席につき、カバンを開ける。
「うん。まあ、会うのは夜からだけどね」
「両思いってのはいいよねえ」
私は言いながら手を止める。カバンの中にはきれいにラッピングした箱が中央を陣取っている。さらに、この下にも同じようにラッピングした箱がもう一つあるのだ。
「やっぱ手作り?」
皐月の言葉に私は大きく頷く。
「ダブルチョコマフィンを作ってみたんだ。お菓子はよく作るから失敗しなかったんだけどさ、ラッピングがうまくいなくて何回も材料ダメにしちゃったよ」
ネットで『きれいなラッピングをする方法』の動画を見つけて何度も見て、納得がいくまでやった甲斐があって、一つだけうまくいった。
「でもさ、どうやって渡すの? 直接?」
皐月の言葉に、私は小さくため息をつく。
「それも昨日、色々と考えたんだよね。でも、良いアイデアが浮かばなくってさあ」
「相手は先生だからねー。うちの高校は校則が厳しいから、先生に直接チョコ渡したらマズイか」
そうなのだ。私の片思いの相手は、一年一組担任の五十嵐匡先生。堂々と渡せる相手ではない。
「持ち物検査になると『連帯責任』とか言ってクラス全員にとばっちりになるからね」
私はそう言ってため息をつく。そんなことになったらクラス全員に恨まれるな。
でも、それであきらめるつもりはない。
「ねえ、皐月、後でちょっと付き合ってくれないかな?」
私の言葉に、彼女は少しだけ不思議そうな表情をしつつも「いいよ」と承諾してくれた。
「ええっと、何が始まるの?」
一時限目の休み時間。
廊下の隅に移動し、床に文庫本を置き始めた私に皐月が戸惑いながら尋ねてくる。
私は文庫本から少し間隔を開けたところに空のペットボトルを置きながら口を開く。
「ドミノするの」
「は?」
「こうやって、色々な物を並べていくの。それで職員室のドアの前にチョコを置く。んで、最初に置いたこの文庫本を指で押せばドミノ方式で物が倒れて、最後にある箱はドアのすぐ前に移動するんだよ」
私が再びドミノの作業に戻ろうとすると、皐月が私の向かい側にしゃがみこんでこう言う。
「それで、どうなるの?」
「え? だからマフィンの入った箱が押されて職員室のドアの前にぴょこんと現れたら、五十嵐先生が拾ってくれるでしょ?」
「そうだけど。それじゃあ落し物と変わんないよ。あ、名前書いたら余計にマズイからね。没収されて持ち物検査。しかも拾うのは五十嵐先生じゃないかも」
皐月の言葉に、ビールっ腹のハゲ頭の顔が浮かぶ。
「これを見つけたのが、生活指導の鬼瓦だったら最悪だ!」
私がそう言うと、皐月は大きく頷く。
「ダメだあ。ドミノ作戦は一つ穴があったんだ!」
「むしろ穴しかないよ……」
皐月はそう言って苦笑いをした。何だか悔しくなって、私は声を張り上げる。
「作戦その二があるもんねー!」
そこで一時限目の休み時間を終えるチャイムが鳴り響いた。
続きは次の休み時間にしよう。
二時限目は自習だった。なんでも国語教師が風邪で寝込んでいるとかで、代わりに教室に入ってきたのは五十嵐先生。
「早弁とかスマホのゲームとかするんじゃないぞ。ここで見張ってるから問題集やれよー」
それだけ言うと、五十嵐先生は黒板の前の椅子に腰かける。
クラスメイトが「えー」とブーイングする中、私は小さくガッツポーズをした。
濃いグレーのスーツ姿の先生、レアだなあ。写真撮りたい! でもそれは無理だから目に焼き付けておこう。
私はこっそり先生を盗み見る。
結構、顔は整っているし、俳優みたいな顔だと思うんだよね。三十二歳だから他の女子からは『おじさん』とか影で言われてる。でも、体型は中肉中背で姿勢もいいからスーツを着ていると、イケメンだともてはやされている男子よりも百倍はカッコイイ。これで既婚者じゃないなんて奇跡だよ。
だけど私が五十嵐先生に惹かれたのは、外見だけじゃない。
「如月、落としたぞ」
教室の中を見回りしていた先生が、私のペンケースを拾って机に置いてくれた。
「ありがとうございます」
先生のことばっかり見ていたら、ペンケースが落ちたことにすら気づかなかった!
「目、開けながら寝てるんじゃないんだろうな?」
先生が笑いながら言うので、私は慌てて反論する。
「してませんよー。そんなに器用じゃないです」
「そうかそうか」
先生はそれだけ言って、さり気なくペンケースについた埃を取ってくれた。私をキュン死させる気かあ! 小さくなる先生の背中を見つめながら、心がぽかぽかと温かくなるのを感じる。
ああ、好きだなあ。大好きだなあ。
だからこそ絶対に渡したい! 私の自信作のマフィンを食べてほしい!
「ごめんねー、皐月。付き合わせちゃって。近いうちに『ラズベリーチョコレートチーズパフェ』奢るからさ」
二時限目の休み時間、私は廊下を歩きつつ隣にいる皐月を見た。
「こっちも楽しんでるからいいよ。あ、でも奢ってくれるんなら甘えちゃおっかな」
皐月はイタズラっぽい笑みを浮かべてから、私が肩にかけたトートバッグを見て続ける。
「それ、何が入ってるの?」
「実験用具だよ」
私はそう言うと、急いで階段を上った。
二階の渡り廊下の途中で立ち止まり、周囲に先生がいないことを確認してからバッグから箱を取り出す。
「あれ? それって先生に渡すはずのマフィンの箱じゃあ」
皐月の言葉に「違うんだよ」と言って中を開ける。
「これは実験用に作ったものだから包装も失敗してるし、中に入ってるのは……」
私はそこまで言うと、中の物を取り出す。
「あ、これ、マフィンじゃなくてマフィンの形のハンドタオルだね」
「そう! たたんでリボンしばるとマフィンの形になるからかわいいんだよねー。形もサイズもマフィンに近いし」
私の言葉に、皐月は尋ねる。
「それで何をしようって言うの?」
「五十嵐先生はね、たまにここの下を通るんだよ」
私は中庭を指さす。
皐月がハッとして言う。
「まさか、マフィンを投げてそれをキャッチしてもらおうってこと?」
「違う違う。先生をここで呼び止めて『なんだ?』って言った隙に口の中にマフィンを放り込むの!」
「ダメだよ、それは」
皐月は即答する。
「え? なんで?」
「だって、うまいこと口に入ったとして。愛実だったらいきなり口に入ってきたもの食べる?」
私は十秒くらい考えてから答える。
「食べないね。あ! じゃあさ『マフィンです!』って先に言ってもダメかなあ?」
「そういう問題じゃないよ。しかも、それじゃあ『お菓子を学校に持ってきています』って公言してるのと同じだし」
皐月はそこまで言うと、マフィンならぬハンドタオルを私から取り上げる。
そして、視線を私の手元に落として続けた。
「で、その箱は何のために用意したの?」
「え? 必要になるかもしれないから。本物で実験したくないし」
「なるほどねえ」
皐月は少しだけ考えてから、こう言う。
「愛実の実験は現実味がないんだよねえ。ドミノだの二階から落とすだの。もっと現実的な作戦を考えたら?」
「はっ! 五十嵐先生の気配がする!」
私はそう言って下を見る。「人の話、聞きなさいよ」と呟きながら、皐月がハンドタオルを箱に入れた。
ちょうど先生がこの真下を通っている。
「五十嵐先生!」
でっかい声で呼ぶと、先生は立ち止まり、上を見上げた。
私は試しにハンドタオルを先生の顔めがけて投げてみる。
そうだ、すっかり忘れてたけど私は球技が大の苦手。
ハンドタオルは明後日の方向へと飛んで行った。
「なーにやってんだ」
先生は呆れたような口調で言うと、地面に落ちたタオルを拾い、土をはたいて落としてから、こちらに投げ返してくる。
タオルは私の慌てて差し出した手でも難なく受け止めることができた。さすが体育の先生だな。
「ありがとうございます!」
私が大きな声でお礼を言うと、「気をつけろよー!」と言って先生は校舎へと戻って行った。
見えなくなってしまった背中を眺めていたら、チャイムの音で現実に引き戻される。
「もう作戦ないよー」
お昼休み。
私は購買から帰ってきた皐月にそう言った。
「あの二つしか作戦なかったんだ」
呆れたように笑う皐月に、私はカフェオレの紙パックにストローをさしながら反論する。
「私だってさあ、ドミノだの二階から落として口に入れるだの、そういうことで受け取ってもらえるなんて本気で思ってないよ。でもさ、それで渡すための良い方法が思つくかなあって考えたんだけどね」
何も思いつかなかったけど。
「愛実はズレてるんだよねえ。アイデアも男の趣味も」
皐月はそう言ってにやりと笑う。
「そっかなあ。かっこいいじゃん」
「入学式の頃は『五十嵐先生、怖い。担任なんて嫌だ』とか言ってたくせに」
皐月は言いながらサンドイッチの袋を開ける。
「あれは、入学式したての頃の印象ね。生徒になめられないようにわざと怖い先生ぶってたのは今なら分かる」
「うちの高校、微妙に荒れてるからねえ。去年の三年生とかすごかったらしいし」
「その卒業生のせいで、私たちはやたら持ち物検査だの校則違反チェックが厳しいんだよねー」
私はそう言っておにぎりにかぶりつく。
「あ、愛美。ご飯粒ついてる」
皐月の言葉に、私は手鏡を取り出して自分の顔を映す。
右頬についたご飯粒をとり、ついでに髪が乱れていないかとか吹き出物ができていなかをチェックした。
鏡の中には、冴えない私が映っている。平凡で地味な顔。
先生だってこんな子にチョコをもらうよりも、かわいい子にもらう方がうれしいよね。
そんなことを考えて落ち込みそうになる気持ちにブレーキをかける。
弱気になっちゃダメ! 男は胃袋から掴めって言うし問題ない!
五時限目の世界史の授業は右の耳から入って、左の耳へ出て行く。
フランス革命じゃなくてチョコの上手な渡し方とか教えてくれないかなあ。
皐月とスマホでこっそりメッセージを送り合い、意見を交換した。
先生のカバンに入れておくとか、先生が帰る直前まで待って相手が小腹がすいた状態で渡すとか、そんなアイデアは出たものの、どちらも受け取り拒否の可能性があるので却下された。
そうこうしているうちに、六時限目の授業。
次は体育だ。しかも大嫌いなマラソン。
でも、担当が五十嵐先生だからマラソンも頑張れちゃう! というのは昨日までの私の考え。
今はマラソンをしている間に抜け出して、先生の机の引き出しにチョコを押し込みたい気持ちしかない。
喋るたびに白い息がもれる。
準備体操をしていると、あちこちから「寒い」とか「死ぬ」って声が聞こえるのに、チョコのことで頭がいっぱいの私は寒さすら感じなかった。
ベンチコートを着て暖かそうな先生に視線を向けると、生徒をじっと見守っている。
あのコートのポケット大きそうだから、チョコを忍ばせてみようか。
でも、肝心のカバンを持っていない。ダミーの方でも持ってくれば実験できたのになあ。
だけど万が一、忍ばせることに成功しても、結局、怒られて持ち物検査になるだけかな。
なんだか先生にチョコを渡すのは不可能な気がしてきた。
「愛実、みんな行っちゃうよ!」
悲しい気持ちになっていたら、皐月の声で現実に引き戻される。
周囲には誰もいない。すでにマラソンは始まっていた。
慌てて走り出そうとして、足がもつれて転ぶ。
「大丈夫?!」
皐月の言葉に、私は「平気」と笑って起き上がる。
アスファルトに叩きつけられた体がじんじんと痛い。
ジャージのズボンをめくると膝から血がにじみ出ていた。
「どうした?!」
その声に顔をあげると、五十嵐先生が何事かという顔でこちらに駆け寄ってきた。
「転んだだけです」
私がそう言うと、「じゃ、私はお先に!」と皐月が走り出す。
「保健室に行ってきます」
そう言って校舎に戻ろうとした時、先生は皐月に向かって叫ぶ。
「マラソンが終わった生徒は休憩していろ、と伝えてくれ」
「はーい!」
皐月は元気に返事をして、こちらを一度だけ振り返って笑みを見せた。
保健室は空っぽで、中に養護教諭の先生の姿はない。
「そこ、座って」
先生に言われて私は椅子に腰かける。
棚から消毒薬と脱脂綿とピンセットを取り出すと、丁寧に膝を消毒してくれた。
「先生に手当されるの、二度目です」
私はそう言ってから『先生は覚えてないかもしれないけど』付け加えようと口を開く。
「ああ。五月頃だったかな。派手に転んでたなあ。膝とそれから肘もすりむいてたな」
先生は言いいながらピンセットでガーゼをつかむ。
「覚えてたんですね」
「そんなに年老いちゃいない。それに記憶力は良い方だ」
先生はそう言って笑った。細くなる目と笑い皺が好き。
ずっと怖いと思っていた先生。だけど五月に体育の授業中に派手に転んで、こうして手当てをしてくれた。その時はすごく優しくて『大丈夫か?』の声もやわらかくて、それで好きになったんだ。
「先生って、彼女いるんですか?」
「なんだ急に」
「クラスの……名前は伏せますが『五十嵐先生には美人の彼女がいる』って言ってました」
先生は苦笑いをしながら答える。
「なーんだそれ。どこの情報だ」
「偽ってことですか?」
私の言葉に先生はため息をついてから言う。
「彼女がいたら休日に男だけで飲みに行くことはしないだろうな」
「えっ?! じゃあ……!」
思わず声を張り上げてしまう私。
先生は驚いたように目を丸くした後、手当てしてくれたガーゼをぺちっと叩く。
「いったい!」
「俺は如月みたいな生徒の子守で忙しいからな。恋愛にまで手が回らないよ」
先生はそれだけ言うと立ち上がる。
もう行っちゃうのかあ。もっと話したい。もっと見ていたい。
でも、先生も私だけにかまっていられないんだよね。
先生の都合だって考えてあげなくちゃ。
私はそこでハッとする。
「都合?! そうだ!」
思わず声に出てしまい、ドアに手をかけていた先生が立ち止まってこちらを振り返る。
「ん? どうかしたか?」
「あ、いえ。何でもありません。手当て、ありがとうございました」
「他に痛いところがないなら、早めに戻ってこいよ。見学でもいいから」
先生はそれだけ言うと保健室を出て行った。
私は「はーい」と返事をして、一人になって考えこむ。
私は渡すことばかり考えていた。
受け取る先生の気持ちを無視する方法ばかり実験してたんだ。
だけど、そうじゃない。
バレンタインデーは、好きな人に思いを伝える日だよ。
無理やりチョコを渡す日じゃないんだ。
放課後、私は職員室の前であっちをうろうろ、こっちをうろうろしていた。
緊張が伝染したらしく、隣の皐月もそわそわしている。
「でも、愛実も思い切った結論だしたんだね」
「それが一番でしょ」
「うん。そうだね」
皐月がにこりと微笑む。今夜デートだという彼女をあまり付き合わせるわけにはいかない。
私は、拳をぐっと握り、息を吸う。
職員室のドアに手をかけた途端、背後から声をかけられる。
「如月と白鳥じゃないか。何か用か?」
後ろに立っていたのは、鬼瓦だった。
その不意打ちに驚いた私は、「なんでもありません!」とはたから見たら怪しさ満点の声と態度で答えてしまった。
鬼瓦がにやりと笑い、私の肩にかけたかばんにターゲットロックオン。マズイ!
奴はなぜかうれしそうな笑みを見せながら、こう言う。
「今日は女子がチョコを持ってきていてな。うちのクラスは抜き打ちの持ち物検査をしたらわんさかチョコが出てきたなあ」
「私は何も持っていません!」
でっかい声で否定したけど、これじゃあ『持ってます』って言っているようなものだ。
本当にピンチ。どうしよう。鬼瓦のすねでも蹴って逃げちゃおうかな。
そんなことを考えていたら、奴はにたにたと気色悪い笑みを浮かべ、こう言う。
「かばんを見せなさい」
私はふと良い方法を思いついて、こう言う。
「ダメだ。皐月。私、観念するよ」
「ちょっと、愛実!」
皐月が止めるのも聞かず、私は自らカバンの中身を差し出す。
それはダミーの箱だ。
「おお。自分で差し出すとは。潔良いのだけは認めてやろう」
鬼瓦は、箱を受け取ったことで満足。
するかと思いきや、にやりと笑って中を開ける。
「ほー。これは、ああ、ハンカチか。こんなもんは校則違反じゃない」
鬼瓦は楽しそうに言うと、ダミーを突き返してきた。
「うちのクラスにもこういう姑息な手をつかう生徒がいたんだよ」
うわっ! 二番煎じだったよ!
私と皐月は顔を見合わせる。
鬼瓦は、こちらを睨みつけて声を張り上げた。
「二人ともカバンを見せろ」
ああ、もう没収確定。私が心を込めて作ったマフィンはこのビール腹の中に消えるんだ……。
泣きそうになりつつ、カバンのチャックに手をかけた。
すると、職員室にドアががらりと開く。
姿を現したのは、五十嵐先生だった。
「どうかしましたか?」
五十嵐先生の言葉に、鬼瓦は偉そうな態度で答える。
「おたくの生徒の持ち物検査ですよ!」
「なにかありましたか」
「何もしてないです!」
私と皐月が同時にそう叫んだ。
五十嵐先生は、私たちを見てから鬼瓦に視線を戻す。
「うちの生徒ですから持ち物検査はこちらでしますよ」
先生はそれだけ言うと、私たちを「教室に来い!」と睨みつける。
「ああ、まあ、それなら頼みましたよ」
鬼瓦は先生の態度を見るなり、すんなりと引き下がった。
教室には誰もいない。
中へ入るが早いか先生は声のトーンを落として言う。
「今日ぐらいは大目に見るよ。バレンタインに持ち物検査をしてたらキリがないし女子に恨まれそうだ」
目を細めて優しく笑う先生に、胸が張り裂けそうになる。『好き』って叫びたい気分。
「じゃあ、私はデートがあるので先に帰ります!」
皐月はそれだけ言うとそそくさと出て行った。
私と先生の二人きりになった教室は静けさに包まれる。
「先生、あの」
私は言いながらカバンを開け、きれいにラッピングされた箱をそっと取り出す。
先生の顔を真っ直ぐに見つめて、震える声で言う。
「こ、これ、没収してください!」
「いや、だから今日は」
もう引き下がれない。
私は箱に視線を落とし、意を決して、こう口にする。
「先生のために作りました。だから受け取ってほしいんです!」
きっと、これが正しい。
こっそり忍ばせるとか偶然を装うんじゃない。
こうしてきちんと言葉で伝えて、直接渡すのが一番良い。
だってこれが私の気持ちなのだから。
「あー……。うん。そうか」
先生はそれだけ言うと、チョコを受け取ってくれた。
顔をあげると照れくさそうな表情が見える。
「如月の気持ちには答えられないけど、ありがとう」
笑顔の先生は、逆光も相まって輝いて見えた。
次の日、照れくささと不安が混ざった気持ちで学校へ行く。
食べてくれたかなあ。迷惑だったかなあ。そもそも甘い物、嫌いだったらどうしよう。
いろいろなことを考えつつ、廊下を歩いていたら五十嵐先生にばったり会った。
先生は、私を見ると立ち止まる。
「おはようございます」
「おはよう」
先生はそれだけ言うと再び歩き出す。
やっぱり迷惑だったのかな。口に合わなかったかな。
そんなことを考えて歩き出せない私に、すれ違い様に先生は口を開く。
「美味かったよ」
その言葉にはっとして顔を上げると、先生はにっこりと微笑んだ。
どんどん小さくなっていく背中を見つめながら、呟く。
「好き」
<了>




