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「……む」
視界が開けた。意識が覚醒する。寝てしまったか。重たい瞼をこすりながら、私は起き上がろうとして―――身体が動かないことに気がついた。
別にそれは金縛りだとか脳だけが覚醒したとかそういう難しい話ではなく、ベッドの上で私の身体に抱きついている存在がいる、ということだ。
背中から抱き締められていたのだろう。力を込めて振り返る。
そこには天使がいた。訂正。女神がいた。訂正。私の枕があった。
視界に広がる銀色の美しい髪。瞼は閉じられているが、その瞳はワインレッドとライトイエローの異色双眸に染まっている。かすかに聞こえる寝息。私が枕にするはずなのだが、すっかり抱き枕にされている。しっかりと抱き締められているからか、彼女の体温だけではなく鼓動や匂いまで感じ取れる。これはいいものだ。これはいいものだ。これはいいものだっ!
このまま心地良い揺れを堪能しながら彼女の温もりを堪能しながらもう一度夢の世界に落ちようか。そう決めた私は自分から手を伸ばして彼女の背中に手を回し、より一層密着する。
「んにゅ……あるじしゃまぁ……」
「おやすみ……ふわぁ……」
「寝てないでいい加減起きて下さい。主にマクラも」
夢の世界に旅立とうとした矢先、仕切りとなっているカーテンの向こう側から声が聞こえた。
諭すような声色。カーテンが捲られ、こちらを見つめてくる二つの瞳。
「…………おはようツルギ。寝てないよ?」
「いいえ。おやすみ、と聞こえたので起こしました」
カーテンの向こう側から私たちを見つめる存在。全身を黒の衣装に統一した女性。漆黒の髪色に、スカイブルーの瞳。そして、自らの視界を防ぐ眼帯をつけた女性。ツルギ。私の従者。
やれやれ、と枕の拘束を解いて身体を起こす。両腕を伸ばし、目覚めたばかりの身体に大量に酸素を供給させる。
ぷはー、と大きく深呼吸。それだけで私の身体は覚醒する。私専用の枕……マクラはまだ夢の世界のようだ。
「起こしますか?」
「いや、いいよ。それより今はどこらへんだい?」
「あと半日もすれば街に到着するくらいかと」
「オーケー。だったらどこかで軽くご飯を済ませよう」
わかりました、と了承の言葉を返すと同時にツルギは外へ出る。
差し込む朝日がやけに眩しい。今日も良い天気だ。ツルギを追って、寝巻き姿のままカーテンの向こう側へ。
視界が揺れる。右を見れば朝日が昇っているのがわかる。今私たちは北上している。目指しているのは北を海に、三方を山に囲まれた商業都市。帝国と王都どちらにも属していない、中立の都市。
ツルギが私の名前を呼んで来る。馬車が止まり、私に着替えてくるよう促がしてくる。
近くで喧騒が聞こえてる。街道最寄の休憩所みたいな場所が近いのだろう。荷台のカーテンを降ろし、寝ているマクラを尻目に手早く私服に着替えるとする。流石に下着とサラシで人前に出ては駄目か。
三頭の馬に同時に一つの部屋を運ばせる―――豪勢どころか贅沢極まりない私たちの住処。さすがに水道施設などはないが、それは旅をしている最中に補給すれば良い。
「ほらほら、サトウ、イトウ、ダンゴロウもご飯だぞ」
手綱を柵に固定して、ツルギが朝食の準備に入る。その間に私は野菜のあまりを馬たちに与えることにする。
聞き分けの良いうちの馬たちは私が野菜を差し出すだけで丁寧に食べだす。ばりばりぼりぼりと音を立てながら、茎まで残すことなく平らげる。
『アルジサンよぉ、たまには肉が喰いたい』
「あはは。お前は草食だろう」
『肉食系馬子です』
「にんじんでも食ってろ」
『にーくーにーくーにーくー。大体あっしたちは普通の馬じゃないんだから食生活だって違うに決まってるでしょう』
「いいんだよ。お前たちは馬だ。この世界では、な」
「主、またダンゴロウと話していたのですか」
「ああすまない。何か用だったか?」
「いえ、動植物と話せる主がいつも羨ましいだけです」
「ほほうお前はこんな畜生と会話がしたいと」
『さっすが姐さんわかってらっしゃる!』
ツルギやマクラと違い、私は、私だけはダンゴロウやサトウやイトウと会話が出来る。恐らく世界中を探せば結構な人数はいるであろう能力だが、この力のおかげで私たちの旅はいつも無理なく順風満帆に行っている。
簡単だがしっかり手の込んだ料理が用意されていた。備蓄してあった米を炊き、交換したばかりの新鮮な野菜で作られたおひたしと味噌汁。もう少ししなければ手に入らない魚なども用意されている。そして何より。
「……卵焼き。塩コショウ多め半熟おーけー?」
「オーケーです。全て主のお好みどおりにしてあります」
「さっすがツルギ私の僕! 愛してるっ!」
「だ、駄目ですあるじ様はマクラのです~~~~~っ!」
私が好物に気をとられツルギに愛の告白をした瞬間、寝ぼけたマクラが馬車から飛び出してきて―――そのまま荷台から落ちた。
相変わらず可愛い奴め。全く。