21.貸切の夜は密やかに更けていく その1
「お久し……ぶりです」
美桃は半ば放心状態になりながら、その人を視界全体に捉えていた。多分、梶谷さんだと思う。いや、梶谷さんだ。どうして海外勤務続行中のはずの梶谷さんがここにいるのだろう。
ついさっき中森さんや梶谷さんのことを思い出していただけに、何かのドッキリではないかと疑ってしまう。この奇遇すぎる再会に驚嘆していた。
「いやだなあ、僕ですよ。梶谷です。まさかとは思いますが、忘れてしまいましたか? 僕のこと」
オーバーコートをぬぎ、スーツ姿になった梶谷さんは、冗談っぽく笑った。
「いえ、忘れただなんて、そんな、そんなこと、ありません……。あの、どうして日本にいらっしゃるのか、不思議に思って」
「何言ってるんですか。桜野さんの店がオープンするっていうのに、じっとなんかしていられませんよ。本当は昨日のうちにお伺いしたかったのですが、都合がつかなくて、今日になってしまいました。桜野さん、店のオープン、おめでとうございます」
梶谷さんがていねいにお辞儀をしてくれる。
そして、どうぞと言って、籠に賑やかにいけられたフラワーアレンジメントを手渡してくれた。薄い桃色のバラと白いマトリカリアの取り合わせが優しい空気を醸し出しているかわいいアレンジメントだ。
どうしてこの人は、美桃の好きな花がマトリカリアだと知っているのだろうか。いや、それは考えすぎというもので、偶然に決まってるじゃないかと自分に言い聞かせる。
「わあ、きれい。梶谷さん、ありがとうございます。こんな雪の中、わざわざ来ていただいて、本当に嬉しいです」
「あ、ようやく笑ってくれましたね。花のことはよくわからないので、隣町にある園芸ショップのオーナーのおまかせチョイスです。気に入ってもらえてよかった。おお、なるほどね、いい店だ」
梶谷さんは店内をぐるっと見回し、褒めてくれた。ほらほらやっぱり。マトリカリアを選んだのは隣町のお花屋さんだ。
「まさかあの廃墟がね。こんなにきれいな店に生まれ変わるなんて、本当にびっくりだ。これは桜野さんが自分で設計を?」
「はい。設計というほどの物ではないのですが、工務店さんと何度も打ち合わせをして、こちらの希望に沿った図面を引いてもらって、このような店になりました。とても満足しています。それもこれも、梶谷さんがこちらの物件を紹介して下ったからです。本当にありがとうございました」
「それを言うなら、こっちこそ。村の活性化のためにも、桜野さんの提案は渡りに船ってところですから。地主さんも快く引き受けてくれて、ホントによかった。僕は何もしていませんからね。桜野さんの人柄が、皆の心を動かしたのです」
「そ、そんな……」
たとえ社交辞令だとしても、そのように言ってもらえると嬉しいものだ。
決して、何事もなくすーっとオープンを迎えたわけではない。工務店とのやり取りもなかなか思いが伝わらず、何度も壁にぶち当たった。予算の都合上、妥協した部分もある。
けれど、すべてを含めてこの店が愛おしい。美桃よ、よく頑張ったと、自分を褒めてあげたいくらいだ。
「おや、もしかして、店を閉めようとしていたのですか? 本日はもう終わり?」
梶谷さんが美桃を見て言った。
「あ、はい。雪がひどくなってきたので、もうお客様はいらっしゃらないかと思って……」
「そしたら、日焼けした大男がのっそりと顔を出した、というわけですね」
「いえ、その、あ、はい……」
こういう場合、どのように返答すればいいのか迷ってしまう。梶谷さんとは夫である桜野さんの命日の時に数度会ったのを除けば、電話で数回、それ以外はメールでのやり取りしかしていない。
夫とは親しくしていたようだが、美桃にとっては他人も同然の人だ。軽口をたたくには、まだまだ距離がある。
「心配はいりませんよ。中森にも連絡しているので、あいつが雪道でも強い四駆車でやって来るでしょうから。あなたの家まで送らせます」
「ありがとうございます。心強いです。実はこの雪の中、どうやって帰ろうかと不安だったんです。雪道の運転はまだ初心者なものですから」
「いやいや、僕だって無理ですよ。雪と言っても、この村は普段はそんなに雪深い土地ではないですからね。去年、今年と、たまたま雪の当たり年なだけです」
美桃は梶谷さんの話に頷きながら、あることを考えていた。
「そうだ、中森さんもいらっしゃるのなら、この札をぶら下げておきますね」
「おお、いいね。もしかして桜野さんの手作り?」
「はい。トールペイントに興味があったので、見よう見まねで作ってみました」
「へえ、器用ですね。もしかして店内のカーテンやあの壁飾りも?」
「ええ、そうです。パッチワークは子どもの頃から好きだったので、作りためたものをここで使っているんです」
「ほお。パッチワークね。この店の雰囲気作りに一役買っているようですね。いいなあ」
「ありがとうございます」
美桃は少し照れながら貸切と書いたティーカップ型のプレートをドアのところに下げて、お湯を沸かし始めた。




