13.スコーンが繋ぐもの その1
「あ、ヒロト君のお母さん……」
「はい。間宮かなえと申します。先ほどは大変ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした。あんなお恥ずかしいところをお見せしてしまって……」
かなえさんはニット帽の上に雪を付けたまま、深々と頭を下げた。
「さあ、どうぞどうぞ、中へ入ってください」
美桃は羽織っていたオーバーコートを脱ぎ、かなえさんに青い椅子を勧めた。
「いえ、もうこのままで。お店も終わりのようですし。あの、それが……」
かなえさんは座ろうとせず、立ったまま何かを話したそうにしていた。
「私の方は大丈夫ですので、どうぞお座りになってください」
「いや、でも……」
「さあ、こちらへどうぞ」
椅子を引き、ここに座るように促す。
「いいのかしら。ではちょっとだけ。あの、これ、お口に合いますかどうかわかりませんが、どうぞ……」
恐縮しながらもやっと座ってくれたかなえさんが、何か紙袋のようなものを差し出した。
「え? いえ、そのようなお気遣いは……」
もしかして、さっきの騒動のお礼かお詫びの品ということだろうか。けれど沢井さんからちゃんと代金も受け取っているし、店としてあたりまえのことをしただけなのに、このような物をいただくわけにはいかない。
かなえさんを傷つけないように、やんわりと断ったのだが。
「あの、本当に気持ちばかりの物なんです。わたくしの仕事がこのような物を作ったりコーディネイトしたりするものですから。お恥ずかしいのですが、是非受け取っていただきたいのです」
そこまで言われて押し返すわけにもいかず。
美桃はいい香りのする袋から中身をそっと取り出し、手のひらの上に置いた。
「スコーン、ですね?」
「はい、そうです。あの後、家で焼いてまいりました」
美桃は目の前のさっくりと焼けたスコーンから目が離せなくなってしまった。
「わあーー。すごいです。おいしそう」
美桃はお世辞でも何でもなく、かなえさん手作りのこのスコーンが、これまでに見た中で一番おいしそうな焼き上がりに見えたのだ。
高さも十分で、中間あたりがいい具合に割れている。
まるで宝石でも見ているかのように、その美しいフォルムにうっとりと見とれていた。
実はこのスコーンなるもの、とても単純な工程で作る英国伝統のお菓子なのだが、とにかく奥深い。
クッキーとパンの中間とでも言えばいいのだろうか。 けれど、実際はそのどちらでもない。
スコーンはスコーン以外の何物でもないのだ。
何度作っても粉っぽかったり、高さが出なかったりと思うような結果が出ない。美桃も幾度となくチャレンジしたが、納得できるものは作れなかった。
紅茶にはつきもののスコーンだが、まだまだ未完成な品を店で出すわけにもいかず、メニューに登場させるのは当分無理だとあきらめていた。
「本当にいただいてもいいのですか?」
美桃はかなえさんにもう一度聞いてみた。
「ええ、どうぞどうぞ。喜んでいただけて嬉しいです」
かなえさんはそう言って、はにかんだ笑顔を見せた。
「あの、スコーンを作ったり、コーディネートしたりとおっしゃいましたが、もしかして、お菓子教室の先生をされているのですか?」
美桃はかなえさんが携わっている仕事に興味が湧いてきた。
「いいえ、教室の先生とはちょっと違って、フードコーディネーターという仕事をしておりました。広告や雑誌などの食卓の写真をプランニングしたり、料理本を監修したり、あるいはテレビの料理番組の裏方をしたり……そんな仕事をしているんです。いや、していたのです。今は主人の仕事でこの村に移住してきたため、会社を辞めたので、フリーになりました。子どもも小さいので、今くらいの仕事量がちょうどよくて……。あ、すみません。こんなことお話してしまって」
かなえさんの目が輝き、生き生きとしている。よほど、フードコーディネーターという仕事が好きだったのだろう。
「そうでしたか。今はフリーでなさっているのですね」
「はい。ポツポツと仕事をいただいております。それと、あの、先ほどのことなのですが……」
かなえさんがうつむき加減になり、急に元気を無くしていった。
「あれから家で少しだけ主人と話しました。子どもが主人にまとわりついて離れないので、あまり掘り下げた話はできていないのですが……」
「そうでしたか」
沢井さんの不可思議な応対のことを言っているのだろう。いったいかなえさんは、どこまで彼らのことを知っているのか。美桃の心がざわつき始める。
「つい気を許してしまって、こちらの店内で沢井さんといろいろ話してしまい店主様にご迷惑をかけてしまったと、主人が申しておりました」
「いえ、そんなことは……」
これは困った。話の流れからいくと、かなえさんは二人が恋仲であることを知っているとも取れる。安易に頷くと、男性と沢井さんの間柄を認めてしまうことにならないか。
美桃は慎重に言葉を選びながら、わざとあいまいに答えたのだ。
「あの、私、今回のことは薄々気づいておりました。携帯を肌身離さず持っている主人にかなり違和感がありましたし、仕事で遅くなると言っても、そこには実態を伴わない、説明のつかない時間の流れみたいなものがあると、常に感じていましたから。そのほかは、いつもと変わりのない主人でした。子どもにも、私にも、優しく接してくれていましたし、それこそ、離婚のりの字も会話に上ることはありませんでした。今日、こちらで彼女の姿を見た時、すべてがはっきりと理解できました。主人は、この人と二人だけの時間を持っていたのだと……」
「そうだったのですね……」
やはり、かなえさんは気づいていたのだ。




