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Phantom Amethyst  作者: なち
5/10

Happy days 1


 変わり者のマゼル・ブラウン。

 幼い頃から、私は影でそう呼ばれてきた。

 人形遊びより、外で泥だらけになるまで駆けずり回っている方が好き。綺麗なドレスより、美しい毛並の馬を見る方が心が躍った。恋愛小説より伝記小説を選び、刺繍やピアノより乗馬や狩りに夢中になった。

 母親を三つで亡くし、男親一人に育てられたのが悪かったのかもしれない、と大叔母は言う。

 乳母はいたけれど、それはあくまで世話をするだけ。行儀見習いやお稽古事を私が厭だと言えば、父は無理矢理押し付けるような事は無かった。

 二人の兄と同様、のびのびと自由に育てられた。

 子爵である父は出世欲も無い温和な人で、私の行動を一切咎めなかった。

 けれど植物学者の叔父の研究所に遊びに行く事にだけは、年々厳しく口を出すようになった。

「女性が学問に興味を持つことなど、言語道断」

 世間の風潮通りに、父もそう言った。


 それが、私が変わり者と呼ばれる最たる所以だっただろう。


 変わり者の私が社交界に出るようになっても、そのレッテルは剥がれる所か更にひどくなるようだった。

 私が当たり障り無いつもりで話す事に、ある人は苦笑いを浮かべ、ある人は奇妙な視線を寄越した。誘われてダンスを踊ってみるものの、その相手は二度と誘ってくる事も無い。

 私の噂が酷くなる程大叔母は激昂し、父はそんな大叔母に困り果てていた。

 適齢期になると結婚の話も何度か出たが、最終的には全て相手から断られたし、私も同様に御免だった。

 何て窮屈なのかしら。

 自分のしたい事の多くを制限される生活にうんざりしていたけれど、五月蝿い大叔母の説教も、周りのお小言も、私は意にも介さなかった。

「オールド・ミスになるつもりなの」

 と、歎く大叔母を「その方が幸せかもしれませんわね」等と言って寝込ませた事もある。

 そうして極め付けは、叔父の研究所に勤め出した時だろう。

 当時叔父が所長を務める研究所には、女性はただの一人も居なかった。男所帯に年頃の女性が勤めるという事態に、温厚な父も声を荒げた程。

 けれど私が長い計画の元渋る叔父を説得したと知ると、元来娘に甘い父と二人の兄は、私の我侭を受け入れてくれた。

 ――私は幸せな娘だった。

 渋々とは言えども理解を示してくれる家族に恵まれ、醜聞を忌み嫌う貴族社会に生まれた娘としては、有り得ない程に幸せだった。




 叔父の研究所は、三階建ての研究塔と、広大な敷地に作られた温室からなる。研究員は二百余名。叔父を筆頭に四つの部門があり、私はブルー・ローズ計画部門の末席の研究員だ。不可能と言われる青薔薇を作り出す計画は、叔父の長年の夢だった。その夢物語を幼い頃から聞いていた私にとっても同様で、その研究に携われる事が私の誇りだ。

 だからこそ私は叔父にも劣らぬ情熱を持って研究に没頭しているのだが、思う程の成果は上げられていない。

 躍起になるあまり私は時間を忘れ、研究室に泊り込む事もよくある。

 そうなると実家の父と兄は良い顔をしない。夕飯までには家に帰るように、と、まるで遊びに夢中になる子供に向けるような言葉を、何度聞いた事だろう。

 同じ様に研究所に勤める次兄はさっさと実家から独立したが、女の私が一人暮らしをする事は、絶対に許してくれない。

 そもそもが女性が独立するという概念が無い。結婚するまでは親元で暮らし、結婚すれば相手の家族となり、未亡人となれば子供と、あるいは再婚してまた家庭を持つ。

 独身の貴族の女性が一人暮らし――類を見ない馬鹿げた考えだと長兄に一笑にふされた。

「世間体も悪い」

と付け加えられた時には、

「今更私の世間体を取り繕えますか?」

と真剣に聞いてしまったけれど。

 悪い、と思っていないわけでは無いのだ。

 父や大叔母、二人の兄の顔に泥を塗るような真似ばかりを仕出かし、享受してくれる優しさに甘えているのは心苦しくもある。

 それでも、世間一般が望むように、結婚して子供を生んで母親になる――という未来は、想像に容易くない。

 大叔母は言う。

「百歩譲って、その上で研究所に勤めに出る日があっても、良いでしょう」

 厳格な大叔母にとってはかなり譲歩してくれた言葉だっただろうと思う。

 それでも、たった一度の恋に破れた身としては、行き遅れと言われようとなんだろうと、みんなの願いは叶え難いのだ。

 研究所に勤めて、二年。私はもうすぐ、二十歳だ。

 元々恋に恋する時代なんて無かったし、同年代の娘達と恋物語に夢中になって、年上の紳士方に憧れるような事もなかった。社交界に胸を躍らす事も、ない。

 私のたった一度の恋も、恋と呼べるような代物だったのかどうか。

 相手は、研究所に勤めて三年の男爵子息だった。年齢が近い上、趣味や話が合う。元来研究所に勤めるような人間は変わり者だ、と言われていたから、話が合うのは当然だっただろう。

 世間に厭われる私を、彼は忌避しなかった。

 それが嬉しかった。

 気付けば共にいる時間が増え、互いの家の夕食に呼び合うようになれば、勝手に盛り上がった周りが結婚を秒読みしだした。

 公園を歩いた。劇場で音楽や演劇を楽しんだ。夜会で、当然のように踊りに誘われた。

 普通の男女が結婚に行き着くまでの時間を真似るように、逢瀬を重ねた。

 ――でも最終的には、彼は他の女性を選んだ。

 落胆はあったけれど、私は泣かなかった。結婚する、と言った彼に「そうなの」と答えた時、私は多分、心から「おめでとう」と告げたのだ。

 本当の所、彼に恋をしていたのかは定かでない。

 だからまあ、そういう事。

 私はきっと家族が杞憂するとおり、オールド・ミスになって、兄達の奥方に疎まれたりしながらも、彼らに養われて生涯を過ごすのだろう。

 それも、悪くない。

 好きな研究に没頭して、出来ればその間に、ブルー・ローズの開発が成功すれば幸せ。


 そう、思っていた。




 温室の中で作業をするのに、ドレスでは勝手が悪い。土壌作りに精を出していると、気付いた時には裾は泥だらけ。汗で額に張り付た髪を腕で拭いながら、一息。背後のガラスに薄らと映る自分の姿は、ほつれ髪もそのままの泥だらけの女。

 作業着姿の男性陣が羨ましいが、こればかりは貴婦人としての嗜み云々、という家族の訴えがある以上、仕方が無い。最も皺くちゃで泥を被ったドレスに、品も何もあったものではないけれど。結局家に帰る為に着替えるのだから、研究所内では作業着で構わないと思う。

 始めは研究所の職員内でも異質であったドレス姿の私も、二年も居れば当然のように受け入れられて、最初の頃はドレスが汚れるからと仕事を受け持ってくれた仲間達も、もう手出しもしてこない。

 月日の流れは、ある意味惨酷だ。

 私だってそれなりに女の自覚はあるので、あまりにアンバランスな自分の格好にため息をつきたくなる日もある。

 ――なんて事を家族に言えば、研究所を辞めればいいなんて言われてしまうから、けして口にはしないけれど。

 この日憂鬱なのはそればかりで無く、億劫な予定が差し迫っているからだろう。

 夕日が差し込み始めた温室は、その色合いもあってか何となく物悲しい。

 今頃父と次兄は、駅で大叔母を待っている最中だろうか。夫が無くなった後の伯爵家を切り盛りする大叔母は、月に一度程我が家の晩餐に顔を出す。

 はじめ、彼女を迎えに行くのは私と父の役目だった。けれど道中にも彼女の小言を喰らうのだろう、と私がため息をついた時、優しい次兄は苦笑しながら代役を買って出てくれたのだ。

 のんびり屋の父と長兄が大叔母に檄を飛ばされる姿は極稀にあるが、次兄は概ね、大叔母のお気に入りだった。頭の働く次兄であれば大叔母をご機嫌にさせて、家までやってくるだろう。

 その後の展開は、大叔母のご機嫌次第だ。上機嫌であれば私への説教はお小言程度で済むし、少し機嫌が良いくらいでは、会話の途中に「それはそうと」とどこからでも説教を持ち込んでくる。

 先月は確か着ていたドレスが時代遅れだと怒られた。大柄なレースの刺繍の流行はとっくに廃れたのよ、と、翌日に買い物に引っ張り出されたのだ。それに休憩に立ち寄った喫茶店で挨拶をしてきたある貴族の夫妻を見て、何時かの夜会でダンスに誘われた事があったわよね、と私でも忘れていたような過去を持ち出して、どうして結婚まで持ち込まなかったのかと悔やんでいた。下心で誘われたダンスだって次は無いのに、社交辞令のそれに何故結婚話がついてこよう。

 その時は確か、まだ私の結婚を諦めていなかったのかと、呆れよりも感動を覚えたものだ。

 何にしても大叔母を嫌いになれないのは、対外的な事もあれど、私の未来を本気で心配してくれているのが分かるから。

 だからこそ余計に、この後の時間が憂鬱なのだ。


 ――そんな事を考えてばかりいたから、ばちが当ったのだろうか。




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