短編 背骨
長編の次の章の出だしを短編として書きました。アクションを描きたかったので。長編の方では少し書きなおす予定です。ご興味がある方は是非長編の方もよろしくお願いします。
短編 背骨
雲は我先にと争うように頭上を高速で流れていく。風は徐々に強まっており額の汗を乾かした。辺りは静寂に包まれていて馬が地面を蹴るひづめの音と、細かく吐き出させる息と「ブルウ」という小さないななきのみだ。
遮るものが何一つないこの場所では太陽が私たちを眩しく照りつけている。
半島を南へ、目的地であるスキヴィアス修道院へと私たちは並足を保ち馬を走らせていた。目的地は南の断崖の上に張り付くように建てられているそうだ。堅牢な自然の要塞となっているらしい。
砂と小石の不毛な道には草一つはえていない。左手には美しい海が広がり遠く地平線まで見渡すことができる。海岸はなく断崖絶壁で、のぞき込むと崖に波が当たる波濤を見ることができる。落ちればひとたまりもないだろう。左手も同様で、そちらは海ではなく深い谿谷でV字谷となっている。谷の底では川が流れているようだが、暗く深いため見ることはできない。この道は分岐路はなく、現地の言葉で「スピーナ・ドルシー」と呼ばれている。意味するところは背骨である。
右手にそびえる霊験あらたかなアールガウ山を見上げるが山の頂には雲が分厚くかかり見ることはできない。谿谷の向こう側は険しい二千メートル級のアールガウ山と深く鬱蒼とした原生林に囲まれており、山は聖なる場所で人の立ち入りが厳しく禁じられている。しかし盗賊、山賊、海賊、呼び名は人によって違ったがその者たちがこの一体を根城にして山塞を築いて住んでいるらしい。そして定期的に巡礼者を襲撃するそうだ。何もこんなところに住まなくてもと思うのだが、迷路のような谿と深い森に囲まれたこの地は賊にとっては住みやすいのかもしれない。利便性の悪い場所に居を構えるのはそれなりの利があるのだろう。国も手をこまねいて放置しているわけではなく討伐を何度も行っているが賊はゲリラ的な戦術に長けているためほとんど効果は上げていないらしい。また賊は半島の全域にわたって潜伏しているので一掃するのは困難なのだろう。
背骨に巣くう賊はその中でもかなり厄介で、巡礼者から物資を奪い捕獲した人間を奴隷として使役しているのだと数日前に滞在した修道院で僧が言っていたのを思い出す。そんな前時代的なことがまだまかり通っているのかと耳を疑ったがここ数日この半島に滞在して、現実世界から隔絶されているため、それもありうるかもしれないなと今は思い直している。またこの背骨という立地は見通しがよく一本道で逃げ場がないため賊にとって格好の狩り場なのだろう。
この難所を避ける方法がないかと相棒である案内人と相談したのだが目的地へたどり着くことができる道はここしかないらしい。
「どうもまずいことになりそうです、ヴォルガレスさん」
案内役のスパグスが背後をにらみながら言った。少し後方ではオジェとドメニカリの二人が横並びで馬に乗り何やら話しながらついてきている。彼らは荷物が多いためか先ほどから遅れがちだ。私は彼らを指さした。
「彼らが原因だろ?」
私はスパグスに訊いた。私は彼らの遅れにより目的地へ夕方までにたどり着けないのではないかと危惧していた。修道院は日没までに中に入らないと門が閉ざされてしまう。どんな事情があろうとも翌日の朝まで門は開くことはないので私たちは野宿しなくてはならなくなるのだ。
前の修道院では出発日をずらしてまで二人を連れてきた。その時一緒に行く必要があるのかと問うたら「旅は人数が多い方が楽しいでしょう?」とスパグスは私の質問をはぐらかしたのだ。
太陽は中天から傾きかけており日が落ちるまではまだ時間があるようだ。
「いえ、さらに後方です」
スパグスは遠くを指さした。
「何者かがこちらにむかっているようです」
背骨はゆるやかな下り坂だったため私は見上げ目をこらしてみたが何者も確認することはできなかった。砂煙がうっすらと見えた気がしたがおそらく思い込みによる気のせいだろう。だが私はスパグスを全面的に信用していたので彼の言っていることは間違ってはいないだろう。
「どのぐらいで追いつかれる?」
スパグスは耳を澄ませて風の音を聞いている。
「あと十分ないぐらいでしょうか。人数は十から二十というところでしょう」
馬は時速三十キロで三十分は走ることができる。十キロ以内に迫っているということか。
「賊か?」
「ええ、おそらく」
背骨へ向かうなら賊に気をつけろと何度も聞かされていたが、挨拶などと同じ常套句というか些末なこととして私は気にもしていなかった。そこまでひどいことにはならないだろうと高をくくっていたのだ。
何も知らないオジェとドメニカリの二人は商人特有の乗馬で、鐙を踏まずに脚を解放した状態で乗っている。並足でリラックスし馬も騎手も疲れないそうだ。また手前をあわせて荷物が多くても馬の身体に過度な負担がかかるのを防いでいた。商人は基本的に移動に馬を使うためその操作は巧みで熟練している。商人たちは一様に前傾や後傾姿勢、左右によれたり脚や膝で馬体を挟むなど癖のある乗り方をする。染みついたその乗り方を今更矯正することはできないのだそうだ。
「荷を捨てて逃げるぞ」
私は二人に向かって言った。当然ながら二人は従おうとはしなかった。前の修道院で仕入れた品物は本土に戻ればその十倍で売れるだろう代物だ。
その時、遠く後方から放たれた矢が放物線を描き、我々の近くの地面に深々と突き刺さった。その際、砂や小石が舞い上がり私たちの頭上に降りかかった。この距離でここまで飛ばすその腕力もさることながら威力もかなりのものだと想定される。
「どこ狙ってやがる、下手くそ」
オジェが嘲笑した。
初発は目的地との距離を測るためのものだ。二発目はより正確にこちらを射貫いてくるだろう。しかも初発から間をとっている。こちらが慌てて右往左往するのを遠目から見て楽しんでいるのだろうか。
矢の威力や距離から推測するとかなりの強弓の使い手がいるのか、もしくは機械の力を用いて弦を引いているのだろう。
「あれは三人、いや五人張りの強弓です」
スパグスが私の考えていることを見透かしているように訂正した。つまりいま弦を引いて矢をつがえているのだろう。
「オジェ早くこっちへこい!」
私の叫びは矢鳴りでかき消された。後方から再び放たれる矢。遠く視界にキラリと鏃が輝く。風を切り裂く矢鳴りがまるで獲物を狙うオオカミのうなり声のようだ。
馬が耐えきれなくなったのか大きないななきを発する。
矢は初発と同じように放物線を描きオジェの肩口を捉え、貫通すると彼の左肩ごと吹き飛ばした。腕は転がり谷底に消えた。血が一瞬遅れて滝のように噴き出し、辺りに霧散する。まるで静止画かスローモーションのようにオジェは動きを止め瘧のように震えた後「どうっ」と地面に落下した。
ドメニカリが近づこうとするが私はそれを制した。
「逃げるぞ、格好の的だ」
私たちは常歩から速歩、駈歩へとスピードを上げた。オジェの乗っていた馬は主を失いながら恐慌状態に陥っておりそのまま疾駆している。やがて馬は姿勢を崩してその場に崩れ落ちた。脱臼かあるいは骨折したのだろうか、そのままのたうち回っているのを尻目に私たちは追い抜いた。
ドメニカリは手綱を締め、靴の踵に付けた金具を馬の脇腹に当てて拍車をかける。馬はハミを取りスピードを上げ私に並ぶ。ドメニカリは名残惜しそうにくくりつけていた荷をほどいて捨てた。荷物はそのまま谷底へ落ちていった。私はあっという間において行かれる。案内人のスパグスが舌鼓し、馬の注意を引き追い立てる。私はまったく信仰していないが神の名を口にした。私が神の名を口にするのは人を罵ったり冒涜するときにのみ口に上がるのだ。
我々が逃げ切れる確率はおそろしく低い。地の利もなくまさに袋のネズミだろう。賊は狩りを楽しんでいるのだ。
後方の賊はまだ見えないのだが馬が大地を捉える蹄の音がうっすらと聞こえ、私の激しく打つ心音と共鳴する。私は馬を早駆けしながら何度も背後を振り返る。馬にも私の焦りが伝わるのか激しく疾走する。南へ行くに従い下り坂だったのだが再び緩やかな上り坂になっていく。
ドメニカリ、スパグス、私の順で走り続ける。二馬身づつ離れているだろうか。私は飛んでくる矢と対峙することになる。最後尾にいれば矢の標的になってしまう。
奴隷にするためには絶対的な服従心を植え付けなくてはいけない。それはおそらく恐怖心なのだろう。何人かいても生け捕りにするのは一人なのか。複数捕まえると謀反を起こしたり逃走する恐れがあるのでそれを防ぐためなのだろう。スパグスがここを通るために道連れを連れてこようと提案したわけがようやくわかった。ここで諦めても結果は同じだろう。奴らは生け捕りにするという意思はないらしい。ならば最後まであらがおう。
賊たちが目視できる距離にまで近づいてきた。ここからその姿を確認できるということは向こうからも同様にこちらを補足したというのは自明の理だろう。一瞬、後方のオジェのところで足止めしないか期待したが賊は無視してこちらへ迫る脚を緩めることはしない。組織だって訓練されているのだろうか、ますます逃げ切れる可能性は低まった。
賊たちは全身を地面と同じ黄土色の服で頭部も頭巾で被い風景と同化している。一方私たちは白い――多少は汚れているとはいえ――修行僧衣なので目立つことだろう。後方の一団は馬を駆け砂煙を盛大に巻き上げてこちらに迫ってきている。近いうちにこちらと接触することになるだろう。
我々は分速約二百メートル。弓の射程距離は四百メートル以上か。これだけ離れていても殺傷能力が十分なのは先ほどのオジェにより証明されている。駆け足で数分稼げば射程範囲外に出られるが奴らも黙って待っているわけではないので迫ってくるだろう。奴らの乗馬技術がどれほどのものかわからないができるだけ離れるのが得策だろう。
追っ手は私が思っているよりも早く追いついてきた。馬の蹄の音が威圧感を持って私の耳に入る。
後方から追いついてきた賊は速度を上げた。一団は私たちの右手に展開する。私たちは少し海よりに進路をとり背骨に沿って走り続ける。前方を開けているのはこの背骨は左に湾曲し、岬まで行けばそこが袋小路になっているのでそこへ追い込むつもりなのだろう。だがそうわかったところで我々が打つ手は何もないのだが。
「モンキースタイルで振り切るぞ」
私がそう言うと言うが早いか皆前傾姿勢をとり馬を駆る。ドメニカリは鐙を器用にたぐり寄せ短くした。速度がさらに上がり襲歩となり全力疾走となった。我々は太陽の射す方へ向かって疾駆する。
鐙を短くして尻を鞍から離し、膝を前に出して身体を馬体と平行にする。馬をコントロールしにくいのでこの道では危険なのだがスピードを出さなければどのみち死んでしまうのだ。強弓使いは一人なのか、そう頻繁に矢を撃つことはできないらしい。オジェを撃ち殺してから数分が経過している。このままうまくいけば追っ手を振り切り先に目的地へ到達できるかもしれない。
「目的地はまだか?」
「まだ先です」
目的地までの道を知るのはスパグスだけである。半島は細長く目指すスキヴィアス修道院は南の突端にある。けれど目的地へは一カ所のみ存在する谿にかけられた橋を渡らなければならない。
「太陽に向かって走りましょう」
スパグスは言った。我々は南前方、一条の光が射す方へ向かって馬を駆けた。
だがそううまくはいかない。
「ボゥン」
ドメニカリが低い太鼓のような重低音のうめきを漏らした。続けて「シューシュー」と発しゴロゴロと喉を鳴らす。おそらく極限状態なのだろう。その声は火食鳥にそっくりだった。ドメニカリは普段から首を小刻みに動かし物を見るところなどどこか鳥を思わせる。私はなんともこの場に似つかわしくないことを思った。
「ぶんっ」
矢鳴りだ。耳元で風を切り裂く音が聞こえた後、前方を走っていたドメニカリが動きを止めた。のけぞるように馬上で身体を反らす。天を仰ぎ、こちらからは見えなかったがおそらく口をパクパクさせ声にならない声を漏らした後そのまま後方へもんどり打つように落馬した。
横を通り過ぎるとき胸に深々と矢が刺さっているのが見えた。さらに致命的なことに落馬したときに首の骨が折れたのかあらぬ方向を向いていた。私は天に向かって呪詛した。次は私かスパグスか?
「駈け続けろ!」
私は叫んだ。意味のないことはわかっている。馬が怯え、せわしなく首を振った。私は首に手を当てて落ち着かせる。
「あそこです。橋が見えます」
スパグスが言った。眩しくてよく見えないがそこにたどり着ければ一縷の望みはある。限界を超えていたがさらに馬のスピードを上げた。




