第41章『 執拗 』
優一の視点
その日、家に戻ると、早めに休むのが最善だと判断した。普段なら就寝は夜十一時を回るが、翌日は間違いなく消耗する一日になると分かっていた。
自分の仕事をこなさなければならないだけでなく、父からも連絡が入っていた。内容からして、少なくとも三時間は取られるであろう用件だ。
それに加えて、午後には義妹の見張り――いや、世話に少し時間を割く必要がある。さらに、海斗の容体にも常に注意を払っていなければならなかった。万が一、予兆もなく目を覚ました場合、即座に対応できる状態である必要がある。
要するに、やるべきことが多すぎて、一日が三十時間あったとしても足りないだろうと思えた。
それでも床に就く前に、大輝へ短いメッセージを送った。
「今日は病院には行かない。代わりに義妹を見ていてくれ。何かあったらすぐ連絡を」
返ってきたのは、親指を立てた絵文字一つだけだった。スマートフォンを放り出し、布団の中で身じろぎする。だが、何度寝返りを打っても、眠りは訪れなかった。
「……くそ」
* * *
仕事を終えて外に出られたのは、すでに夕方七時近くになってからだった。疲労は隠しようがなく、そのせいで病院へ向かう前にコーヒーを三杯も飲む羽目になった。
昨日とは違い、麗華の職場に顔を出すことはしなかった。唐突な訪問は控えるべきだと分かっていたし、何より時間がなかった。
物事は、往々にして思いどおりには運ばない。
とはいえ、その日に彼女と会わなかったというわけではない。どうやら運命というものは、こちらの都合などお構いなしに、無理やり引き合わせてくるらしい。
病院では、海斗の病室にいたのは彼女と僕の二人きりだった。いつものように話しかける。当たり障りのない質問、天気の話、地域の有力家系についての雑談。だが彼女は、相変わらず短い返事と素っ気ない頷きで応じるだけだった。
飛鳥が現れ、八時前までの三十分を麗華と共に過ごすようになって、ようやく僕は口を閉じた。
翌日もまた、病院の個室で麗華と二人きりになる時間があった。
日を追うごとに気づいていたことだが、彼女の友人である飛鳥は、以前のように常に麗華のそばにいるわけではなくなっていた。最初は少し遅れて来る程度だったが、今ではほとんど姿を見せない。
それも自然なことだろう。どれほど親しい友人であっても、海斗は彼女にとって赤の他人だ。きっと、私的な事情もあるに違いない。
沈黙が、僕を苛立たせた。そこで、麗華が一人でいるのをいいことに、改めて自分の態度について詫びようとした。
「麗華さん」
彼女は視線を向けてきたが、口は開かなかった。
「本当に、海斗を総合病院へ移したほうがいいと思っているのか?」
危険な問いだと分かっていたが、これが唯一、彼女の注意を引ける方法だった。何度も失敗を重ねて学んだことだ。彼女が気にかけているのは、海斗ただ一人。
「……麗華さん?」
促すと、彼女は小さく息を吐き、ゆっくりと言った。
「そう聞いているわ」
「誰から?」会話を途切れさせまいとして続ける。「総合病院にいる、君のお父さんの知人か?」
「信頼できる人よ」
「信頼できる? 麗華さん、海斗は僕の弟だ。もしここより良い医療が受けられると本気で思っていたなら、とっくに僕自身が移していると思わないか?」
麗華は海斗へ視線を移した。彼の様子は何も変わっていない。全身を毛布に覆われ、頭の上半分には包帯。わずかに感じ取れるのは、規則正しく、静かな呼吸だけだった。
「……あなたの言うことも、一理あるわね」
「なら、なぜ僕を信用しない?」
彼女は再びこちらを見た。冷たい瞳の奥に、微かな好奇心が滲んでいる。
「優一さん。どうしてそこまで私に話しかけるの? お互い、好意なんて持っていないのは明らかでしょう」
一瞬、言葉に詰まった。用意していた嘘はあったが、即答すればあまりに作為的に聞こえる。
「分かりきったことじゃないか」
そう言って、海斗を見た。
「弟のためだ」
喉を鳴らし、続く言葉を選ぶように間を置く。
「麗華さん……どうして、僕を信じられない?」
彼女は真っ直ぐに僕の目を見つめた。沈黙ののち、口を開く。
「私に、あなたを信じろって言うの?」
その声に、嫌な予感がした。それでも探るように、ゆっくりと頷く。
「そうだ。そうすれば、もう少しうまくやれる」
麗華の唇に、かすかな笑みが浮かんだ。以前なら、その表情を見るために大金を払っていただろう。だが今は、ただ不気味だった。
「じゃあ、大きなお願いを一つ聞いてちょうだい、優一さん」
僕の表情の変化に気づいたのだろう。彼女の笑みは、さらに深まった。
「海斗の後見権を、すべて私に移す手助けをしてほしいの。つまり、あなたのご両親には代理人を辞してもらう。これから先、彼が成人するまでのすべての決定権と法的代表は、第三者の介入なしに、私が持つということ。自然な話でしょう?」
麗華は髪を整える。
「だって、私は彼の妻なんだから。……そうでしょう、義兄さん?」
……クソ女め。




