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第40章『 試してみる価値はあるだろう? 』

優一の視点


正直に言えば、短い人生の中で、僕は幾度となく冷たい仕打ちを受けてきた。父からも、母からも、友人からも、そしてもちろん、女性たちからも。だが、あのときの麗華の表情は……まったく、神に誓って言うが、人はどれほどの怒りを抱けば、あんな顔ができるのだろうか。疑いようもなく、あれはこれまで誰から受けたものよりも、最悪の拒絶だった。


右手を賭けてもいい。あのまま唾を吐きかけられても不思議ではなかった。


内心でため息をつき、意識的に自制心を総動員して、彼女を無視することにした。


「……少し、話せないか」


懇願するような声で、そう声をかける。


麗華は目を細めた。


「何のために?」


なんて冷たい返事だ。自分の説得力にはそれなりの自信があったが、どうやら僕の声は、麗華の感情を一ミリも動かせていないらしい。


それなのに――なぜか、それが僕の胸を高鳴らせた。


わざと聞こえるように、低く「……頼む」と呟きながら、はっきりと息を吐く。


「話があるんだ」

ハンドルを指先で軽く叩きながら続けた。

「病院からの、話だ」


沈黙――。


その間に、麗華の目に宿っていた硬さが、一瞬だけ揺らいだのを僕は見逃さなかった。


「そんな話、病院でいくらでもできたでしょう」


反論はもっともだ。言ったことは、もちろん嘘だった。それでも、嘘が必要な場面というのは、確かに存在する。


「君がどれだけ心配してるかは分かってる。でも……」


周囲に視線を巡らせる。


「ここ、人目が多いだろ。車に乗らないか。こういう話は、二人きりのほうがいい」


麗華は片眉を上げた。二秒にも満たない沈黙が、彼女が考えていることを物語っていた。やがて、渋々といった様子で頷く。


「……はあ。確かにね」


だが車に乗り込んでからも、彼女は僕を見ようとしなかった。警戒を解いた様子はない。


「手短にして。やることがあるの」


「用事? 今日は病院に行かないのか?」


「後で行くわ」


それはどういう意味だろうか。少しずつ海斗に疲れてきた、ということか。それとも、水面下で何かを企んでいるのか。ほとんど反射的に、僕も身構えた。


麗華はスマートフォンに視線を落とし、素早く何かを打ち込んでいる。送信して数秒後、返信が届いたのだろう。画面を見た彼女は、舌打ちをした。何か厄介ごとを抱えているらしい。


「仕事か?」

思い切って尋ねてみる。


だが、彼女はその問いに取り合わなかった。


「要点だけ言ってくれる?」


「分かった、分かった……」


ゆっくりと言葉を選びながら、話し始める。正直に言えば、海斗の容体に新しい情報などなかった。先ほどの話は、完全な作り話だ。誤解しないでほしい。彼の回復を願っていないわけではない。ただ、昏睡がどれほど長引こうと、そこまで気にかけていない僕がいるのも事実だった。


僕の逡巡に気づいたのか、麗華は眉を上げ、携帯から目を離して僕を見る。


「……深刻なの?」


その声に、確かな不安が滲んでいた。そこにつけ込むこともできただろう。だが、今回は割に合わないと判断した。


「いや、深刻じゃない。知っての通り、状態は安定しているし、回復の兆しもある。目を覚ます時期は分からないが、命の危険はもうない」


「優一さん」


「何だ?」


「それ、全部もう知ってることよ」


「そうか?」


白々しく、とぼけてみせる。麗華は数秒間、僕を睨みつけたあと、再びドアを開けようとした。


「時間を無駄にしないで」


ため息をつき、ドアロックのボタンを押す。麗華の動きが止まった。


「……いい加減、うんざりなの。分かってる?」


まったく、なんという女性だろう。もっとも、その言葉が空威張りではないことは、僕にも分かっていた。彼女がかろうじて僕を許容している理由は、僕が海斗の兄だから――それ以外にない。兄弟仲が決定的に壊れたとき、海斗がどう反応するか、彼女にも分からないのだろう。


「正直に言っていいか?」

僕は腹を割った。

「君、少し大げさじゃないか。つまりだな……これは全部、僕の弟のことだ。心配してるんだよ、当然だろ」


麗華は嘲るように口元を歪めた。信じていないのは明らかだったが、それでも僕は言葉を続けた。


「君が僕に向けてる怒りは、正直、筋違いだと思う。海斗は今、繊細な状態だ。こんなときに他人と争っている場合か? ……義姉さん。今日ここに来たのは、そのためだ。謝りたかった。ただ、それだけだよ」


再びドアロックを解除し、彼女に出口を与える。何気ない独り言のように、低く付け加えた。


「つまりだ、義姉さん。僕たちは、うまくやるべきだと思う。海斗のために。ただ、それだけのために」


――これでいい。言うべきことは、すべて言った。僕の演技は、ここで終わりだ。


麗華は車を降りた。しかしドアを閉める前、妙に長い時間、僕を見つめてきた。あまりにも長く、まるで品定めでもするかのように。


「……どうして?」


「何がだ?」


「どうして、そんなに本気じゃないように見えるの。あなたの弟でしょう。なのに、心配しているように見えない。それが、私があなたを信用できない理由よ」


返す言葉が見つからなかった。気づけば、僕は無意識に顔に手をやっていた。今、どんな表情をしている? どうせ、いつもの顔だ。では、心配しているふりをするには、どんな顔をすれば正解なのだろうか。


麗華はドアを閉めた。意外にも、乱暴に叩きつけることはなかった。去り際に、彼女の声が聞こえた。


「もう行って。今日は、これ以上あなたと関わりたくない」


彼女は職場の建物へと歩き出した。それでも、数メートルも進まないうちに、僕は声を張り上げた。


「麗華さん! 君だって、僕たちはもっと仲良くすべきだと思わないか!」


返事はない。振り向きもしなかった。僕の声に足を止め、ひそひそと囁き合う人々がいる。それでも、僕は叫んだ。


「僕は諦めない! 仲良くなるまで、何度でも言う! 何があっても、うまくやってみせる!」


そのとき、麗華は拳を掲げた。中指を立てるようなことはしなかった――公共の場だからだろう。それでも、意味は十分に伝わった。


……まったく、どうしてこんな女が結婚できたんだ?


いや、待て。そういえば、海斗に無理やり受け入れさせたんだった。


麗華は、弟をどう扱っているのだろう。見ず知らずの女性と同居させたようなものだ。そこでようやく、僕は哀れな弟に、わずかな同情を覚えた。


可哀想に。

本当に、可哀想な――僕の海斗。

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