第2章 『恐れ』(2)
「僕……どうして……僕なんだ。」
「そんなのどうでもいいだろ。向こうが望んだ。それだけだ。」
優一が僕の肩を掴んだ。
「海斗、こっちとしても悪い話じゃない。断れば、本家に話が行ってたかもしれない。黒田の方がしつこかったんだ。分かるか?」
「で、でも……僕、まだ十六で……。」
――そうだ。政府がなんとかしてくれるかもしれない。
けれど、優一は首を振った。
「この国じゃ、親の同意があれば十六で結婚できる。法律的には問題ない。」
馬鹿げている。
未成年を守るための制度じゃないのか。
どうしてこんな理不尽がまかり通るんだ。
心の中で、何度も毒づいた。
「海斗、見ろ。」
優一が僕の頬を掴み、無理やり顔を上げさせた。
「向こうは了承した。しかも、すぐに式を挙げたいって言ってきた。……明日だ。」
「……明日?」
「理由は分からんし、知りたくもない。だが、条件はそれだけだった。両家にとって悪い話じゃない。」
僕は頭を振った。もう理解の限界だった。
額に汗が滲み、目が泳ぐ。
優一は深く息を吐いた。
「そんなに嫌か? 何をそこまで恐れてるんだ?」
すぐには答えられなかった。
僕には、いくつもの“恐れ”があった。
一つ目は――失敗。
期待を裏切り、家の恥になること。想像するだけで胃が痛くなった。
二つ目は――知らない人と暮らすこと。
一見、夢のように思う人もいるかもしれない。けれど現実は違う。性格も過去も知らない相手。優しい人か、恐ろしい人かも分からない。
中には、結婚してすぐ他の男と関係を持つ者もいたという。
昔、本家の誰かがテレビ業界の女性と結婚したが、彼女は式の日にカメラマンと二人関係を持った――そんな噂さえあった。
だが、その男は何も言えず、黙って受け入れるしかなかった。
それがこの世界の掟だ。政略結婚に“離婚”など存在しない。
つまり、三つ目の恐れ――結婚が永遠に続くということ。
もし相手が僕を嫌っていたら? もし僕が嫌悪の対象だったら?
ある女は、結婚初日に夫を十メートル以内に近づけなかったという。
吐き気を催して、夫の目の前で嘔吐し、「これを浴びせられたくなければ見るな」と言い放ったらしい。
そして最後の恐れ。
それは、僕自身の問題――人が怖いということ。
話すことも、反論することもできない。
何より、兄の目すらまともに見られない僕が、どうやって知らない人と暮らせるというのか。
金持ちの女の中には、鬼より怖い人間だっている。
「海斗、本当にやるんだな?」
優一の手が頬を強く掴む。顎が痛い。
「絶対に失敗するな。約束しろ。」
目を細めた瞬間、彼の瞳の中に“光”というものがなかった。
――やっぱり、僕は人の顔を見るのが怖い。
だから、静かに頷いた。




