第24章 『 少し穏やかに 』
法成学院へ向かうために家を出たとき、胸の奥に妙な安堵が広がっていた。
誤解しないでほしい。別に家から離れたかったわけではない。
ただ、麗華とのあの会話が、長い間背負っていた重荷を少し軽くしてくれたのだ。
だから今は、どこか落ち着いていて、心も穏やかだった。
眠気はあったが、体は不思議と軽く、力がみなぎっていた。
昨夜の雷雲もすっかり消え、今日はいっそう暑くなりそうだ。
それでも傘は持っていく。用心するに越したことはない。
授業の日は、特に変わったこともなかった。
退屈な講義、増えていく宿題、教師の説教……。
唯一の救いは、今日は公開授業のために教室を追い出されることがなかったことくらいだ。
それでも、黒板から視線を外したわずかな合間に、廊下を行き来する見慣れぬ制服の生徒たちが目に入った。
緑の制服だけでなく、青い制服の生徒まで混ざっている。
──今日は招待校が多いらしい。
だが昨日とは違い、どこか落ち着かない空気が漂っていた。
彼らは目的なく歩いているわけではないのに、妙にまとまりがなく、ぎこちない集団に見えた。
……とはいえ、運命とは残酷なものだ。
「今日は平穏な一日になりそうだ」と思った矢先、あの鬱陶しい連中と、なんと五度も顔を合わせる羽目になった。
そう、昨日トイレで出くわした、あのグループだ。
──ついてないにもほどがある。
一度目は休み時間。
例の静かな場所──離れた校舎の裏にある階段へ向かおうとしていたときだった。
互いに一言も交わさなかった。ただ数秒間、視線がぶつかり、それで終わった。
二度目は生物の授業への移動中。
友達のいない僕はいつも最後に教室を出るのだが、同じ廊下で彼らと鉢合わせた。
そのとき、あのリーダーらしき男の顔に、どこか冷たい笑みが浮かぶのを見た。
そう、あのとき僕に「友達」と言わせた張本人だ。初日にぶつかったのも、確かそいつだった。
三度目は授業へ戻る途中。
クラスの連中の後ろを歩いていた僕の目の前に、またしても奴らがいた。
通り過ぎる瞬間、彼らの話し声がぴたりと止んだ。
背中に刺さるような視線を感じながらも、僕は何事もなかったかのように前を向いた。
──関わらないに限る。
四度目は、教師が「行きたい者は今のうちにトイレへ行ってよい」と言ったとき。
多くの生徒が教室を出た。僕もその一人だった。
校舎の隣にあるトイレへ向かう途中、中庭で奴らとすれ違った。
そのときはやけに声が大きく、まるでわざと聞かせるかのように笑っていた。
その急な声の変化に、周囲の生徒たちがびくりと肩をすくめたが、招待校の生徒たちは特に気にも留めていなかった。
そして五度目──放課後のことだった。
その日、僕は提出用の記録用紙を職員室に届ける当番だった。
廊下を歩いていると、突然、背後から誰かにぶつかられた。
運動神経の鈍い僕はよろけて、抱えていた紙束を床にばらまいてしまった。
「悪い、悪い。」
通り過ぎざまにそう言って、彼らはくすくす笑いながら去っていった。
僕が口にできたのは、ただ間抜けな一言──
「……え?」
午後二時ごろ。
あの出来事のあと、僕は家へ向かう途中、大通りの歩道を歩いていた。
空には一片の雲もなく、焼けつくような日差しが降り注いでいる。
いつもならタクシーで帰るところだが、今日は少し寄り道をした。
いつも鞄に入れている飴が切れてしまったからだ。
それに、急いで帰る理由もない。どうせ、家には誰もいないのだから。
学院の近くにあるコンビニへ立ち寄ると、ショーケースの中に小さなケーキが並んでいた。
正直、僕は大きなスイーツがあまり好きではない。
一口サイズの菓子の方が、気楽でいい。
それでも、ふと手に取り、思わず微笑んだ。
「……麗華、こういうの好きかもしれないな。」




