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第3話 実技試験、静かな無双 ――数字は遅い。だが、嘘よりも強い。

 ◇


 総合実技試験の朝。

 鐘が三度鳴り終えると、校庭の仮設観覧席から小さな歓声が上がった。旗竿が風に鳴り、霜の残る芝が薄く白い。

 採点官は三名。剣術は実技審査官ロッシュ、魔術は連合派遣のネリス、戦術は老騎士マルソー。第三者として外部監察官が立会う。昨日から噂の“布短冊”は、審判規定の文言どおり「呼吸同期の補助具」として限定許可――ただし剣術の基礎審査では使用不可が事前に通達された。


(基礎は、基礎だけで立つ)


 レティシアは剣帯を整え、砂地の立ち位置に入る。

 剣術で問われるのは三点――姿勢の安定、間合い、手数。派手な連撃は配点が低い。

 ロッシュ審査官が片手を上げる。


「開始」


 一歩。

 砂が最小限だけ跳ね、靴底の角が地面に触れた音をレティシアは自分の鼓動と同じ列に並べる。

 正眼。

 相対するのは同級の試刀役。上段から“教科書どおりの”一太刀が降る。


 受けない。

 半歩、斜め。肩線をずらし、刀身は相手の剣筋だけを触って滑らせる。

 一ノ太刀から二ノ太刀へ。

 本来ならここで三ノ太刀――「止め」の打突を置きたくなるところを、レティシアは置かない。

 二ノ太刀で収束(省手)。

 わずかに崩れた重心に、小指側の押しだけを乗せる。

 試刀役の足が砂に沈み、ロッシュの眉がほんの少しだけ動いた。


(見えた)


「もう一度」

 ロッシュの声は感情を欠いている。だが、“続けろ”の合図だ。


 二本目も同じ理屈で落とす。

 初手の角度、わずか一度分のズレ。呼吸と足の距離が一致していると、三ノ太刀が要らない。

 無駄の削り方に点が入る。それがこの審査の作法だ。


 木剣の音が止む。

 ロッシュが、板に朱筆を入れた。


「――姿勢 ◎、間合い ◎、手数評価(省手)特記。総合 94」


 観覧席がざわめく。

 派手ではない。だが高得点だ。

 レティシアは礼だけを置き、剣を収める。


 ◇


 魔術審査は実験棟横の簡易試験場で行われる。

 丸い耐魔石台が四基。試験管のような装置の内部に水晶温計と風速測が組み込まれ、誤魔化しが効かない。


 ネリス審査官が淡金の髪を耳にかけ、淡々と告げる。


「課題は瞬間冷却からの属性反転。衝突回避のための“膜”をどう扱うか、そこを見る。詠唱は自由。――開始」


 レティシアは深く息を吸い、口は動くが、声は出さない。

 半詠唱。音を削る。

 掌の内側で魔力を薄い膜に引き延ばす。氷属性を落とし、温度だけを引くイメージ。

 耐魔石台の水面がさっと白む。氷華がひとひら、花弁の形で広がった。


(ここから――反転)


 氷を割らず、縁だけを熱へ渡す。

 氷と熱は相性が悪い。衝突すれば爆ぜる。だから、抵抗膜を“薄く差し込む”。

 “ガラスを拭うときの布”くらいの薄さで、境界に滞在させる。


「……っ」


 見ていた補助員が小さく息を呑む。氷華の縁が湯気に変わり、白が透明へ戻る。

 温度計が目に見えて跳ねた。風速測が僅かな上昇気流を記録する。

 ネリスが板書の手を止める。


「詠唱省略率、五割。音声ゼロ。膜の厚さ、許容範囲下限。――総合 96」


「ありがとうございます」


 礼は短く。

 数字は、言葉より長持ちする。

 観覧席では、耳打ちが続いていた。「口が動いてるのに、音がしない?」「反転、爆ぜなかった……」


 ◇


 戦術は屋内へ移る。

 提示されたのは王国北境の古い地形図――川と浅い丘陵、古道路に沿って点在する村落。

 与えられた兵力は四百。食糧車十五輌。敵は斥候多めの機動部隊。

 制限時間二十分。

 条件は「補給線を“守れ”」だった。


(守る、が正解とは限らない)


 レティシアは三手先から逆算する。

 “守れ”と言われたら、敵は必ず“狙う”。

 狙いを学術的に“必然化”させる。


「補給線は一本だけ――あえて露出します」


 マルソー老騎士が顎をさする。「正気かね?」


「露出の前段で、渡河点を“誘導路”に変えます。川の浅瀬を二箇所、いずれも渡りやすく見せておき、片方に藪の遮蔽と見張り、もう片方に“救援線”の道標を数本。敵は道標を“逃げ道”と誤認します」

 レティシアは指先で地形図の等高線を撫でる。

「敵が補給線を叩きに来たとき、我が方はあえて救援線から“遅れて”現れる。敵は“間に合ってしまった”と感じ、追撃に伸びる。そこで包囲を反転します」


「救援という名の誘導……むしろ“遅延”か」


「ええ。わざと遅れる。現場なら通るが、教科書では×と書かれそうな策です」


「教科書的には×だが、現場では○」

 老騎士の口から、その言葉が零れ落ちた。

 採点板に大きく丸が入る。


 ◇


 試験棟を出ると、石廊下に昼の光が斜めに差し込んでいた。

 曲がり角の手前で、レティシアは足を止める。

 ミリアが待っていた。頬が紅潮し、唇だけがやけに白い。


「ごきげんよう、レティシア様。――ねえ、採点官は皆、私の味方なの。あなた、知らなかった?」


 返答は不要だ。

 だがミリアは続ける。「あなたのやり方って、冷たい。人の心を置いていく。殿下は人の心を大事にされるの」


(人の心――)


 レティシアは視線を落とし、微笑の角度を変えなかった。

「心を軽んじるつもりはありません。……ただ、記録は、心の上に残ります」


「記録って、紙切れじゃない!」


「紙切れが、あなたを守る日もあります」


「だれが、そんな――」


 遠くで鐘が鳴った。

 扉が開き、掲示板へ向かう生徒たちの波が廊下を満たす。


 ◇


 掲示板の前。

 人だかりが割れ、数列の数字が視界の中心に収束する。

 上から順に、暫定順位が刻まれていた。


 一位 レティシア・アーデル 総合 286(剣94/魔96/戦術96)

 二位 アーサー・ヘイル   総合 281(剣88/魔98/戦術95)

 三位 フィオナ・クレア   総合 271(剣90/魔90/戦術91)

 …

 十七位 ミリア・バートン  総合 219(剣70/魔74/戦術75)


 ――静寂。

 次いで、大きくない、だが広がり方の速いざわめき。

 耳打ちが耳打ちを呼び、噂の継ぎ目が別の形へと縫い直されていく。


「アーデルが一位……?」「魔術でヘイルに勝ってる?」「戦術も――」「省手、見えなかった……」


 人波の後方で、王子が一瞬だけ立ち止まった。

 唇が片側だけで歪む。

 何か言いかけて、言葉を飲み込む。

 彼は何人かの取り巻きと短く視線を交わし、踵を返した。

 追随する影の中にミリアの横顔がある。蒼ざめ、目だけが動く。


(数字は遅い。けれど、嘘よりも長く残る)


 レティシアは歓喜もしない。

 ため息も落とさない。

 机上にこぼれたインクを布で拭うみたいに、心の表面を無音に戻す。

 勝ちという言葉を使わない。使えば鈍るからだ。


 外部監察官が群衆を縫って近づいてきた。

 昨日から彼女の行動に目を配る、近衛の紋章の青年だ。


「見事だ。――だが、ここからが政治だぞ」


「承知しています。“政治”は、私の領分ではありません」


「その言い方、好きだ。ならば俺は俺の領分で動く。審判に口を出させない手続きは回した。君は次に備えろ」


「次?」


 青年が顎で示した。

 第二掲示の紙には二回戦の組み合わせが貼られている。


 《二回戦 レティシア・アーデル vs アーサー・ヘイル》


 観覧席のどよめきが二段階で上がる。

 魔術科首席。詠唱を棄て、連結を多用する“連鎖術チェイン”の使い手。

 正面からやるしかない。迂回は、数字を濁らせる。


「――承りました」


 レティシアがそう答えると、青年は鍵束を鳴らし、軽く笑った。

「“承る”か。いい言葉だ」


 ◇


 塔に戻る途中、レティシアはひとりの司書とすれ違った。

 銀髪の青年の姿は窓辺にない。

 だが、閲覧卓の上に紙片がひとつ、置かれていた。


 《ヘイルの連鎖術は“視線の跳ね返り”で始まる。

 最初の術式で視線が一点に固まる瞬間、合図が出る。

 ――合図の外へ、呼吸を置け。》


(視線、呼吸。――剣では呼吸、戦術では視線。魔術で両方を外す)


 レティシアは紙片を手帳に挟み、布短冊の束を数枚だけ抜いた。

 呼吸に合わせる補助具。

 審査では使えなかったが、二回戦では規定範囲での使用許可が下りている。

 呼吸の底に“吸う”。

 剣では衝撃を受け流し、魔術ではタイミングのズレを吸わせる。

 音を消すのではない。乱れを吸う。


(乱れが消えれば、私は**“静かに速い”**。それだけ)


 ◇


 日が傾く。

 校庭の端で一人、歩法をさらい、呼吸を整える。

 刻まれた足跡の線が「間合いの行」の図形になっていく。

 布短冊は使わない。最後にだけ掌の間で軽く弾き、吸いの応答を指先に思い出させる。


 胸の奥に、温度がある。

 歓喜ではない。

 怒りでもない。

 準備の温度だ。

 それは炎ではなく、湯気のように静かに昇る。


(“静かな無双”でいい。派手でなくていい。数字だけ置いていく)


 塔の影が地面を伸び、鐘が一度、低く鳴った。

 レティシアは木剣を納め、息を吐く。

 吐いた息が白くほどけ、空に混じる。


 ――明日、二回戦。

 ――対アーサー・ヘイル。

 ――“合図の外”で戦う。


 ◇


 夜。

 寮へ戻る途中の中庭で、ミリアがまた立ち塞がった。

 取り巻きはいない。風だけが彼女の髪を巻き上げる。

 昼の嘲りは失せ、代わりに焦燥が濃い。


「どうして一位なの。私、あなたに勝ちたいの」


「勝ちたいなら、準備を」


「準備ならしてる。殿下も、わたしを――」


「――“誰か”を積むのではなく、“手順”を積んで」


 ミリアの瞳が揺れた。

 それは憎しみではなく、知らなかったものを初めて見た人間の目だった。


「手順……?」


「明日は、あなたのことで手を止めません。――失礼します」


 レティシアは会釈だけを残し、背を向けた。

 振り返らない。

 振り返るたび、数字は曇る。


 ◇


 自室。

 机上の蝋燭に火を灯し、今日の記録をノートへ移す。

 剣:省手の成功率と失敗例、視線の癖の統計。

 魔術:膜厚の下限、熱反転の安全域。

 戦術:マルソーの評価語彙から審判の好む危険率を推定。

 紙片の隅に、あの銀髪の一文を貼る。


 《合図の外へ、呼吸を置け》


(置く。明日、必ず)


 蝋が一筋、長く垂れた。

 レティシアは火を落とし、暗闇の中で瞼を閉じる。

 心拍が下がり、呼吸が深くなる。

 合図の外に、呼吸を置く練習は眠る前が最適だ。

 寝入りばなに、誰も操れない“静けさ”がある。


 ――数字は遅い。だが、嘘よりも強い。

 ――静かな無双は、派手ではない。だけど、崩れない。


 夜が、音のない毛布のように降りてきた。


 ◇


 翌朝。

 二回戦開始の鐘が、校庭に吸い込まれていく。

 観覧席は昨日よりも埋まり、噂は期待に形を変えていた。

 アーサー・ヘイルが入場口から現れる。

 金茶の髪に明るい瞳、気取らない笑み。だが掌の上で転がる魔力の粒は、冗談を言わない。


「お手柔らかに」

 彼は礼儀正しく会釈した。

「“合図”を見せないタイプだって聞いてる。楽しみだ」


「こちらも」


 審判の合図。

 空気が薄く緊張し、最初の一秒が伸びる。

 ヘイルの視線が一点に固まる。

 最初の連鎖術チェインがそこから始まる――はず、だ。


(合図の外)

 レティシアは呼吸の底を一つ、横へ置いた。

 足はまだ動かない。

 ただ、胸郭だけが、彼の“連鎖”から半拍ずれる位置で上下する。


「――――」


 音のない詠唱。

 掌の中で布短冊が吸う。

 乱れが消える。

 最初の衝突は起きない。

 ヘイルの眉が一瞬だけ跳ねる。


(気づいた)


 観覧席のどよめきが、まだ言語にならない。

 砂上で、二人の**“静かな速度”**だけがぶつかる。

 誰も見えない継ぎ目で、勝敗の種が撒かれていく。


 ――続く。

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