友情のアカシ
バルコニーに飛び出してから5分ほど経っただろうか。冷たい空気が頬を刺し、夜の静けさに包まれていた。部屋のカーテンが静かに開き、そこから人影が増えていく。
「優莉」
優しく名前を呼ぶのはいつだって玲央。
「そんな思い詰めてるなんて知らなかったよ。気づけなくてごめん」
冷静に諭しながら、その場を収めるのは綾斗。
「俺らだって、ずっと優莉に会いたかったよ」
浩輔は、いつも柔らかな言葉で気持ちに寄り添ってくれる。
玲央は私の背中に、自分が着ていた大きなカーディガンをそっとかけて、部屋に戻るよう促した。寒さが苦手な私を一番知っているからだろう。涙は乾き、残るのは壊してしまった空気だけ。
「俺らのことなんて調べればいくらでも出てくる。だから、自分だけが知らないなんて言うなよ」
スッと首元に冷たい触感があり、触ってみると"レオとお揃い"と人気のネックレスが付けられた。
「ファンの子が持ってるのはお揃いのブランドデザインだけど、それ裏見てみて」
小ぶりのチャームを裏返すと”NOV2009 JULIA”と刻印されていた。
2016年のデビューした日がフューチャーされてあまり知られていない、2009年11月、文化祭で軽音部が発表したJULIAの結成日。
「綾斗のブレスレットにも浩輔のピンキーにも同じ刻印が入ってる。誰一人として俺らと同じ物持ってる子はいないんだよ。今の優莉以外は」
「……でも」
「俺も、もう優莉に会えないんだって心のどこかで思ってた。多分、綾斗と浩輔も同じ気持ちなんじゃないかな」
「浩輔なんかちょっと泣いてたもんな」
「泣いてねーよ!」
冗談を交えながら、玲央は話を続ける。
「デビューして、それこそ寝る暇もないくらい忙しくなって。正直、もう無理かもって思いながら毎日仕事してた。……久々に実家に帰ったとき、駅でJuLiaの広告を見て立ち止まる優莉を見かけたんだ」
確かに一度、駅の広告に見知った顔がどデカく掲載されていて思わず立ち止まったことがある。
「あのとき、胸張って『優莉のおかげでデビューできた』って言えるまで諦められないって思った。……そもそも、俺らがなんで頑張れてるかわかる?」
「知らない」
「優莉が頑張ってるのを身近で見てたからだよ」
「私、何も頑張ってない」
「そんなことない。優莉がどれだけ必死に語学をやってたのか、みんな知ってる」
玲央が「俺はスタートから知ってる唯一の人間だけどな」と鼻を鳴らし、思わず笑ってしまった。
「自分だけ置いていかれてるなんて言わないで。言葉にしてくれたら、その不安を消すから」
「でもみんな忙しいし」
「寝る暇がなくても、移動の隙間でも、必ず連絡するよ。俺ら、優莉のためなら時間なんかいくらでも作れる」
涙で顔はぐしゃぐしゃだったけれど、私はその温かい言葉に少しだけ救われた気がした。すぐそばに微笑んでくれる3人がいる。その温もりを感じて、私は自分が幸せだと心から思った。
「私はそんな優莉が大好きだから、これからも弱いままでいてよ。弱いところを支えさせてよ」
美波のその言葉が、心の奥に深く響いた。その瞬間、私は確信した。今ここにいる全員に出会えた道なら、私の選択は間違っていなかったのだろう。
落ち着いたころ、携帯を置き忘れていたことに気づき、部屋へ戻ることにした。
「ちょっと部屋に置いてきた携帯取ってくる。美波はここにいて。部屋荒れてるけど、使える画角あったら素材撮って活用できるかも」
「たしかに!ちょっと、ソファの位置直しまーす」
ドアロックを外し、エレベーターホールへ歩いていく。ボタンを押して待っていると、マスクにキャップ姿の玲央が追いかけてきた。
「俺も行く」
「いいよ。誰かに見られたらめんどくさいから」
「もう遅いし一人じゃ危ない」
「いや、館内……」
JuLiaが泊まってるセミスイートとは違って、私たちの部屋は生活感が漂っていた。間接照明がほんのりと灯り、テーブルは散らかったままで、少し片づけながら携帯を探す。
「こっちのほうが狭くて落ち着く」
「贅沢言わないでください」
ベッド横のカウチまで行くと後ろからふわっと抱きしめられた。
「どうしたの……?」
質問しても玲央は黙ったまま。
「おーい」
「……行かないで」
「ん?」
「隼人んとこ、行かないで」
さっきからずっと不貞腐れてる理由はこれもあったか、と忘れかけてた言い訳を思い出す。さっきは思ったことを口にしてモヤモヤの解決はできたけど、根本的な問題は何も変わってない。玲央は私といるべき人間ではないし、たくさんの人の応援と笑顔を背負ったレオの未来を奪いたくない。
「断言はできない。私も独身アラサー女だから」
「本当に嫌だ」
抱きしめる腕は徐々に強くなる。
「一人暮らしで、まわりはどんどん結婚して……寂しさもある中で再会したんだもん。可能性はある」
「なんで……、なんで俺じゃダメなの」
玲央の声が震える。私は追い討ちをかけるしかできなかった。
「あの日、音楽を選んだのは玲央だよ。そして成功した。私はひっそり生きていくって決めたの」
「優莉がいないなら、JuLiaをやってる意味なんてない」
「意味はあるでしょ。ファンを悲しませないで」
背中に回された腕がほどけ、ふいに身体をくるりと正面に向かされる。薄暗い部屋に、静かで甘い空気が満ちていく。玲央は「俺は優莉じゃなきゃだめだから」と低く囁いた。視線がぶつかった瞬間、その瞳に吸い込まれそうになった。
「優莉は俺じゃなくてもいいの?」
「別に」
「ほんとに?」
部屋は静まり返り、鼓動の音だけがやけに大きく響く。玲央は余裕を装った顔をしているけれど、その瞳の奥に緊張が滲んでいるのがわかる。数秒間、互いに視線を絡めたまま、引き寄せられるように――そっと唇が重なった。
「絶対迎えに行くから。その時がきたらちゃんとカタチにするから。だからよそ見しないで待ってて」
「善処します」
スイートルームに戻ると、部屋の中がとてつもなく綺麗に片付いていた。
「そこもうちょっと左!あ!逆逆!」
美波にしごかれている綾斗と浩輔の姿があった。




