9 二人の正しい関係
「それで、あの女ってばよっぽど好かれていませんのねぇ、クリフォード公爵子息がわたくしに協力して情報を渡してくれましたのぉ」
べルティーナは公務の為に執務室にいるカイルにたいして間延びした声で言った。
あの女というのは、まごうことなくエリアナの事であり、べルティーナが広めた噂はそれが事実であれば都合がいい輩によって急速に広められている。
「ここまでくると不憫なものですわぁ。んふふっ、だってわたくしはこうしてすべてを手に入れているのに、あの女は失うばかりこれからもずっと」
語尾にハートマークでもつけていそうな話し方に、カイルはいい加減仕事ができない事を理由にこの部屋から追い出そうと考えた。
「……べルティーナ、その話はもう何度も聞いた。今は下がってくれ、君も神事の出席や準備などやることは山ほどあるはずじゃないか」
冷たくそう言うカイルに、べルティーナはもっとこの話が盛り上がると思っていたのであしらわれたような気持ちになって、カイルの言葉に表情を硬くした。
「あら、冷たい。わたくしは、あなたの婚約者ですのよぉ? いいんですのそんなふうに接して、そぉ、れぇ、にぃ、昨日も一昨日も、そうして仕事や勉強ばかりしていましたわ。いい加減騙されませんわよぉ?」
「……だますって……なにを?」
べルティーナは目線を鋭くしてカイルの鼻先にチョンと触れ、にんまりと笑みを浮かべて指摘するように言った。
「そんなに四六時中仕事があって忙しいわけありませんものぉ」
そう猫なで声を出してカイルの顎をすりすりと撫でる。
「仮にも王太子、次の王になる人間なのに、ちっとも優雅で贅沢な生活をしていませんわ、そんなに隠していないでどんな贅沢をしているのかわたくしにも教えてくださいませ、カイル」
そんなふうに言った彼女に、カイルは怪訝そうな顔をして首をかしげる。
もちろん王城での日々は贅沢であり、カイルは王太子という国で二番目に地位の高い存在だ。
平民の生活よりもよっぽど優雅なものだろう。
しかしその優雅な生活も、何のためかと言われれば国をよく統治し、発展させ人々の暮らしが少しでも豊かになるように努めるそのために、日々の些末な事項を使用人に肩代わりをしてもらっている。
人間であるからして時には娯楽も必要だし、外交の際に国力を見せつけるための贅沢をすることはあるだろう。
けれどもカイルは生憎、彼女の知らないような贅沢な遊びというものを知らないし、前世でもそういう遊びをした記憶はない。
「? 話が分からない。とにかく仕事が忙しいのは事実なんだが」
「……はぁ? なにを言ってますの? そんなことはないはずでしょう? だって王族なんですのよ?」
「いや、そうは言っても時間に余裕はない。俺の予定はだいたい休日以外は決められているし、仕事の時間を使って今までは君に対応していたが、プライベートな関係になったからには、休日以外の対応は難しい」
カイルはしごく当たり前のこととして、真面目な顔をしてべルティーナの言葉に答える。
もちろん、婚約者と過ごす時間というものも月に二度ほどもうけられているが、相手方も王妃教育で忙しいことが想定されているので、数時間が関の山だ。
だからべルティーナに構って贅沢な遊びを今から知って、決行するというのは無理な話なのだ。
そんなことぐらいはわかるだろうとカイルは思った。
べルティーナはカイルの話を聞いて、その言葉が心からくる本音の言葉だとやっと理解して、それからカイルから手を放し少し考えてから思いついたとばかりに、カイルの手を取って自分の胸に押し当てた。
むにっとした感触が、伝わって、ぞわりとする。
「いいじゃないのぉ、ほらぁ、そんなお堅い事言ってないでぇ、真面目な男はたしかに好きですわ。でもぉ、そんなんじゃあつまらないですわよぉ、カイル」
「……」
「エリアナを振った時に、言ってましたものねぇ、本当はこういう事がしたくてたまらないからわたくしにそんなつれない態度をとるんですわよねぇ?」
真っ赤な唇で弧を描く、彼女にとってはそれはとても良い思いつきだったのかもしれないが、カイルはその手をすぐに振り払って、冷めた目で目の前の少女を見つめた。
歳はエリアナの一つ上、しかし中身はエリアナの方がずっと年上だ。なんせ彼女は正真正銘、この世界に生まれた初めての人生を歩んでいる十五歳。
カイルの弟のフィルの方が年齢が近いぐらいの幼い少女だ。
そんな子供の胸などもんだところでなんとも思わない。というか彼女が子供じゃなくても……。
「……もしかして初心なのかしらぁ? わたくし、これでも一応、こういう関係だけれど、あなたの事を気に入ってますのよぉ」
「気に入ってる?」
「ええ、そうですわぁ、だってほらやっぱり高貴な身分の方は顔がいいんですものぉ、かっこいいし、背格好もたくましくてぇ」
間延びした声でそういって彼女は机の上に胸を押し付けるみたいに寄りかかってカイルを見上げるように視線を送る。
その染められた頬や、瞳の中にともる感情を見て、なんとなく納得する。
……奪い取っておいて、愛されようとまでしてるのか。
自分を求めて欲しいと望む瞳、ありていに言うと、恋のようなものをしている目。
たしかに、カイルはそれなりに顔も整っている、しかし貴族連中なんてみんなだいたいこんなものだろう。自分が特段良いとは思わない。
ということはやはり王太子という立場も含めてフィルターがかかっていて惚れられているのだろう。
けれどもその感情に応える義務も、義理もない。そんな義務があってたまるかと思うのだ。
「あなたが、王太子じゃなくてもぉ、わたくし本当はあなたの事を、運命だって思っていましたの」
「……」
「だからね、ほら、仕事ばかりしていないで、わたくしと街にでもいってあそびましょうよぉ」
「……っはは……誰が」
媚びたような声を出すべルティーナに、カイルは思わず渇いた笑いが出て、顔を背けた。
すると、一つ間を置いてから、バシンと音がして、同時に自分の頬が強くはたかれたのだと気が付く。
普通ならば、ここで騎士が動いたりするものだが、この部屋には生憎侍女しかいないので、どうしようとばかりに慌てる彼女たちに助けは必要ないと手を振って合図する。
「なによ。馬鹿にして……わたくしにそんな態度取っていいんですのぉ? 本当、バカみたいですわぁ、頭の悪い男っ」
さらに頬をはたかれ、その長い爪が頬をひっかいて、びりっとした痛みが走る。
怒った様子で振り返って去っていく彼女の背中にカイルはまた一つため息をついた。
結局最後の脅しを言って去っていった彼女に、自分たちの関係を忘れてなどいないのに、よくもあんな、愛してほしそうな顔が出来たものだと思う。
べルティーナの事を心底腹立たしいとカイルが思っている気持ちまで忘れられてしまっては困るのだと思うのだった。




