8 エリアナの日常
エリアナがしょんぼりとしていて、復讐をするでも、見返すための努力をするでもない様子に、アリアンナは王城に向かうことにした。
アリアンナはべルティーナに会った事がない。彼女は聖女という立場で、必要な宗教的な儀式に本来ならば参加して、.大忙しの立場のはずなのだ。
けれども、彼女はそういう大切な場に顔を出さない。
なので存在は知っていても会うことはなかった。それに、アリアンナがべルティーナに会った事がないのにはもう一つ理由がある。
それは彼女にエルフの血が混ざっているからということに他ならない。
彼女の耳が人間よりも幾分長い姿を見て、べルティーナが何というかそれは想像に容易く、争いの火種になることは周りの人間も理解していた。
だからこそ、アリアンナはべルティーナの事を詳しくは知らないのだ。
しかし彼女が王妃になれば話は別だ。べルティーナはアリアンナの義理の姉ということになるし、顔を合わせないわけにもいかない。
そう言った理由もあって様子見に王城に向かった。
自分の為に申し訳ないという気持ちもあるが、エリアナが何をすべきかということはいまだにエリアナの中に答えはない。
アルフとディーナと三人でオールストン公爵家の客間で今日一日は静かにして気持ちを整理しようと思う。
「こら、待ちなさい。アルフ、お屋敷について落ち着いたらブラッシングをすると約束したでしょう!」
「わ~ん、嫌だよ! やだ!」
「そんなことでは、護衛の任を外されてしまいますよっ、まったく! 待ちなさい」
「やだやだやだっ」
と思っていたが、ディーナとアルフが部屋の中でドタバタとかけっこを始めてしまい、部屋の中をぐるぐると回っている。
前世の事を思い起こして、自分はどうするべきかを考えようとしていたエリアナは少し頭を抱えてそれから、無理だなと遠い目をした。
「まちな、さいっ!」
それなりに広い部屋ではあるが、逃げ回っていてもアルフは最終的に捕まる。ディーナが首輪をひっつかみ、ブラシを片手に息を切らせて「つかまえ、ましたよ」とイラつきをにじませた声で言った。
「あっ、やだったら!」
ブラシがアルフの毛皮に近づきアルフは、大きな声を出して、ふわんと魔法の光を飛び散らせて、人間の姿になる。
「あ、こらっ。急に変身しないでください。驚くでしょう」
「エリアナさま。エリアナさま、何とかしてよ! 俺、ブラッシングはきらいだ!」
そう言って彼は、人間からするととても大柄な体をしているという事を忘れて、エリアナが座っている後ろに隠れようとする。
両肩を掴まれるとその手のひらでエリアナの肩はすっかり隠れてしまう。
「……」
「その姿でエリアナお嬢様に近づくなと何度言ったらわかるのですか!」
背後から抱きしめるように、ぎゅうっとしてエリアナにしがみつくアルフにディーナは烈火のごとく怒り、さらにアルフはエリアナにきつくしがみついた。
「ぅ、……だ、大丈夫です。ディーナ、アルフの世話はいつもあなたに任せてしまっていますから。もともと私の為にあてがわれた従者ですから……」
「しかし、エリアナお嬢様」
「たまには私がケアをしてあげませんとね。ブラシ、貰ってもいいですか」
「……はい。エリアナお嬢様は、本当に……亜人がお好きですね」
ディーナは言いつつエリアナにブラシを渡す。
その言葉は、本当は亜人に甘いといいたかったのではないかとエリアナは思う。
それにたしかに、エリアナはアルフに甘いし、獣人でもエルフでもドワーフでも好きだ。もちろん人間も。
「好き、というより、守りたいと思うんです。私は理不尽な人たちから、自分のせいじゃないのに立場が弱く、何も言い返せなくなってしまったような人を守って寄り沿いたい」
アルフは、見た通り少々知能が低いのだ。
先祖の獣の方に知能が寄ってしまっているらしい。それでも人語を介するだけまだましだ。
だからこそ甘くなってしまう。
もちろん甘いばかりではいけない事は知っていても、立場が弱くて理不尽を受ける人が、人並み以上の努力を必要として必死に生きているという事を知っているとどうしても、甘やかしたくなってしまう。
「もちろん、ディーナが理不尽に貴族から、怒られていたりしても守ります。アリアンナの事も、傷つけられたら許せない」
「……ふふっ、それでは、エリアナお嬢様は守ってばかりではないですか……誰があなた様を守ってくださるのでしょうか」
ディーナは少しだけ悲しそうにそう言った。けれどもエリアナは守ってもらわなければならないほど弱くはない。立場的にも健康面でも問題なしである。
「私は、大丈夫です。転生者ですしね。……ほらアルフ、いい加減くるしいから獣の姿に戻って」
「やだって~、ブラッシングされるとゴワゴワするんだ! 俺、それきらい!」
エリアナをぎゅうっと抱きしめている彼の腕をタップして指示するが彼は獣の時と同じミルクティー色のフワフワとした髪をぶんぶんと振って嫌だと示す。
人の形をとっていると、その様子に同じ獣人でも、多少面食らう光景だ。
なんせ良い体格をした成人男性が、少女にへばりつき毛並みを梳かされるのを拒絶しているのだから。
しかしアルフは本気だ。折れた耳が下を向いて小さく震えている。
けれどもエリアナだって本気である。毛足の長い彼にブラッシングをしないというのは虐待に当たる。
嫌だからという理由で拒否していては健康を損なうのだ。それはあってはならない事態だ。責任をもってエリアナが対処する必要がある。
「……アルフ。ブラッシングをしないと毛玉だらけになって、皮膚病になるよ。そうなったら私はあなたを押さえつけて丸刈りにして、薬を皮膚にたっぷり塗ることになる」
「ひぃ……いやだぁ……」
「薬をなめないように口輪をはめて毛がなくなったから体温管理のためにお洋服を着せるよ。それでもいいの?」
事実を淡々と述べて、彼にブラッシングをしなければならない理由を説く。
するとアルフは渋々、エリアナから手を放して、ふくれっ面になりながら犬の姿に戻った。
その様子にエリアナは改めて正面から彼を見ると、言動はさておき、顔がいいなと思う。彼が獣寄りの知能でなければ獣人の中でとても人気を集めていただろうと思うと勿体ない気持ちになったのだった。