41 パンチ
エリアナたちはリオ王子を送り届けてからクリフォード公爵家へと戻った。
父や母はまだこれから、いろいろとやることがあるらしく王城へと忙しなく向かって行った。
エリアナも荷物をもってまたアリアンナのところへと向かおうとすると、それを邪魔するようにチェスターが声をかけてきた。
自室で必要なものをコンチェッタとまとめていただけだったのに、彼はわざわざやってきて、イラついたような目線で二人を見つめており、エリアナを守るようにコンチェッタが前に出た。
「何の用ですか、チェスター。いくら妹の部屋だとしても無断で入室してくるなど、マナー違反ですよ」
彼女は少し緊張している様子だったが、きっちりとそう指摘する。
しかしコンチェッタの指摘などまったくどうでもいいかのようにチェスターはエリアナへと視線を移動させ、あざけるように言う。
「やっと、本格的に出ていく気になったのか? エリアナ、お前にしてはいい判断じゃないか」
「……」
「おいおいなんだよ。跡取りに向かってその反抗的な目は。アルカシーレ帝国の王子殿下もいらっしゃったことだしこれからこの国は、ベルティーナ様を中心に改革をしていくだろ? その立役者になったクリフォード公爵家跡取りに歯向かって今後が心配じゃないのか?」
……そもそも、リオ王子殿下を助けたのは私だし、来てもらうように交渉したのもお父さまたちだし、チェスターお兄さまは何もしてないじゃん。
だというのに彼はあたかも自分の功績でこれからそれを自由に扱えるつもりでいるようだった。
「精々俺に媚びて転生者の力で奉仕してくれよ。お前なんて婚約者がいなければ普通の令嬢以下の存在なんだからな」
けれども、彼がどれほどそのつもりで主張してきても、エリアナはもう迷ってはいない。
少なくとも彼の下につくことはないだろう。
「……だとしても、チェスターお兄さまに施しをお願いするぐらいなら、私は、アルフとディーナを連れて自分の好きな場所に行くし、私が転生者だからって特別なのが目障りなんだろうけど、いい加減うざい」
傷つくとか、悲しいとか、このままでは潰れてしまいそう、というよりも、気持ちが落ち込んでいないときだと普通に彼はうざいのだ。
目ざわりで、こざかしくて、腹立たしい。ただそれだけだ。
文句を言うばかりで自分から何をするわけでもない。そんなにエリアナが気にくわないならば実力で見返せばいいのだ。
それなのに顔を見たら思い出したようにチクチクと文句を言ってくだらないったらない。
「はぁ?」
「だから、そもそもチェスターお兄さまの事なんて眼中にないのに、文句ばっかり言われて突っかかってこられて、面倒くさい」
「……お前、そんなことを言って、俺に後から謝って縋ってすり寄ることになるんだぞ?」
「そういう妄想が好きなら頭の中でやってくれる。現実に持ち込まないで」
エリアナは歴代のアルフのハーネスを並べていた机から離れて、睨みつけて腰に手を添えてこっちだって言われっぱなしではないのだと示した。
しかし、彼も簡単に折れるつもりがないらしく、睨みつけながらも逡巡してそれから、どや顔で言った。
「いいのかそんなこと言って……ああそうだ。俺、お前のうわさ知ってるんだぜ?」
「そんなのベルティーナが意図的に流しただけのことでしょ。屋敷に戻ってないとか亜人びいきだとか、そんなの━━━━」
「いや、これは最近ベルティーナ様から直々に聞いたんだ、だから噂っていうか事実に近いか?」
そんなの気にしないしどうでもいい、そう言おうと思ったのに彼は先回りしたようにそう付け加えて、エリアナは不審に思って首を傾げた。
すると、彼は勝ち誇ったかのような表情で、たっぷりと間を置いてから言った。
「ベルティーナ様の見通す力によると、お前の魂、咎人のように汚れているらしいな! そんな不浄な人間だと多くの人に知られれば、怖くて誰もお前に近づかないだろ!」
……!
驚いた。まさかそのことを言い当てられるとは、思っても見なかった。しかし、当然のことだろう。彼女は聖女なのだから。
言動から気品と神聖性を感じないとしても聖女なのだから教会が持つ魔法道具かそれ以上の見通す力を持っているのだ。
「前世で一体何したっていうんだ? エリアナ、お前はそんな……無害そうな顔を……して………………な、なんだよ」
しかし、さらにあおるように続けようとしたチェスターにコンチェッタが無言で向かっていき、エリアナが見えなくなるほどに彼の真ん前で至近距離に視線を交わしている。
チェスターは困惑した様子で少したじろいだが、イラついた様子でコンチェッタに手を伸ばす。
けれども、コンチェッタが構える方がずっと早かった。
具体的には、足を引いて体の重心を低くしてぐっと握った拳を後ろに引き、体のひねりを使って思い切り、前に拳を突き出した。
「がはぁっ!?」
「……いい加減にしてください、チェスター。見苦しいです。今の今までずっと我慢してきましたが、そんなふうに妹を侮辱するような人間にする配慮はありません」
「はっ、がっ、ゴホッ、う゛~っ、が」
「あなたは、私がひそかに体術を学んでいることを知っていましたか? 知らなかったでしょう」
「っ、ぐぅぅっ、ゔぇっ」
「エリアナが、リオ王子殿下を助けて、襲撃が起きたこの領地の責任を軽くするために最善の行動をとれるほど果敢で、立ち回りがうまくなっていることをあなたは知っていましたか?」
ものすごく切れの良いパンチを繰り出したコンチェッタは、すっと女性らしい立ち姿に戻って、静かに彼に語り掛けた。
しかし聞こえているのかわからないぐらいチェスターはもだえ苦しんでいる。
「知らなかったでしょう。人というのは変わりゆくものです。それなのに昔からあなたはエリアナに文句を言うばかりで一歩も進歩しない。
だから人も同じだと思って侮ってかかるのでしょうが、そのせいで痛い目を見るのは自分だとしっかりと覚えていてくださいね」
赤い髪をさらりと揺らしてとても冷静に、言いつける姉の姿は、この家を出た時同様に、おっとりしていて気弱で弱々しくは見える。
しかし、アレだけ素晴らしいパンチを繰り出せるようになったのだ。
それはとてもすごい事だ。
けれども、姉はエリアナの魂が穢れた人殺しだということは知らなかったはず。
それなのに、一切動揺せずにかばってくれた。
その事実はエリアナを信頼してくれているということに他ならないと思える。
彼女はゆっくりと振り返って、もがき苦しんでいるチェスターの事は気にせずに「さぁ、荷物の整理を続けましょうか」と当然のように言った。
それにエリアナは、圧倒されてコクリと頷いて片づけをしていると、いつの間にか回復したチェスターは痛む腹を抱えて、尻尾を巻いて逃げていったようだった。
人も自分も変わっていく。自分が新しい価値観を手に入れるのと同時に、人もまた何か新しい事を身に着けている。
それは着実に少しずつ前に進んでいっているという事でずっと変わらないものなど、良い意味でも悪い意味でもないのだと改めて思い知った。




