4 出立
エリアナはそうして一晩悩んだ。一晩じっくりと悩んで、このままでいいはずがないという結論に至った。
それにともかく、このクリフォード公爵邸にいてはいけない。
兄のチェスターに目をつけられているからには、にっちもさっちもいかない状況になるだろう。
それに彼は暴力男だし、彼のイラつきの元であるエリアナがここにいてはコンチェッタがまた不憫な目に遭いかねない。
そして何より、カチンときた。
今回の事ばかりは、様々なものが自分を振り回しているように感じる。
このまま受け身な姿勢でいては、エリアナはきっと一生、自分に起こったことが運命なのかと悩みながら、つまらない人生を送っていくだけだと思う。
そうなってたまるか。そんなつまらないものに翻弄されて使いつぶされてたまるかと思うのだ。
エリアナは好きなように生きる。これがエリアナの結論だ。
そうと決まれば早かった。
まずはアルフに革のハーネスをつけて、撫でまわし、ディーナにはエリアナの決断を話す。
すると彼女もまったく止めることはなく、エリアナに同意し、そうしてエリアナはクリフォード公爵家を出ることに決めたのだった。
エリアナとアルフ、それからディーナの三人分の荷物を馬車に積み込んでエリアナは早朝に、エントランスホールで出発の準備をした。
もちろん、十五歳の令嬢が家出して行方が分からないとなったら両親が慌てることは間違いなしだが、エリアナは転生者なのでそのあたりは、まぁ、それほど心配しなくてもいいだろう。
彼らは割と寛容な人々だ。
しかし心配事は一つある、気弱で優しい姉の事だ。
そう考えているとタイミングよく彼女がやってきて、エリアナは流石に急いで騒がしく準備しすぎたかなと少し思った。
「…………出ていくんですか、エリアナ」
まだ何も言っていないというのにコンチェッタは静かにそう言って、下ろしたままの髪を少しまとめて、エリアナのそばに寄った。
「ごめんなさい……おいていってしまうことになって、でも私、このままじゃいられないんです。お姉さま」
彼女は部屋着の上からかけているストールを自分の肩にかけ直して、エリアナを見た。
「それに、チェスターお兄さまは私がいなければ少しは、常識人にもどりますから。一応あれでも優秀な方だっていうし」
「それは……」
「心配しないで行く当てはあるし……ほら、私は転生者だから大丈夫ですよ」
にっこりと笑みを浮かべて、コンチェッタを安心させるように元気にふるまった。
すると彼女も少し笑って、それから申し訳なさそうに眉を落とす。
「……ごめんなさいエリアナ、わたくしがもっとしっかりしていればあなたに何も言わせたりしないのに」
「お姉さまのせいじゃないですよ……ね?」
「いいえ、これはわたくしの責任です。父と母が忙しい今の状態であの人を止められないわたくしが不甲斐ないの……エリアナ」
「はい?」
「時間はかかっても、ここをあなたの帰ってくる家にする。そう約束します。だから、どうか失ったとは思わないでください。……あなたは寂しがりなんですから」
……寂しがりって……間違ってないけど。
彼女は優しくていい人だ。エリアナは幼いころ、前世の記憶と今世の人生が混濁していて情緒が不安定だった時期があった。
その時に、コンチェッタにべったりとくっついていたのを彼女はずっと覚えているのだ。
父と母は、そのころから忙しい人たちで、幼いエリアナは転生者という事であまり構わなくても大丈夫だと思っていたらしい。
そんなときにいてくれたのが彼女だ。だからこそ、あまりコンチェッタに乱暴をされるとエリアナはチェスターに歯向かう事ができない。
一度離れるというのもいい手だと思う。
けれどもたしかに、エリアナは寂しがりといってもおかしくはない程度に、一人が得意ではない人間だ。
そんな自分がこの場所を失ったと思ったら、悲しむことを彼女は心配している。
「うんっ、大丈夫です。じゃあまた、コンチェッタお姉さま」
そう言ってエリアナは、あまりにも気軽に手を振って家出を決行した。
そしてその日の昼、エリアナを散々いびれると思っていたチェスターは彼女が忽然といなくなっているのを見て、頭に血が上って顔を真っ赤にさせて怒鳴り声をあげて一日が始まったのだった。
家出といってもそう遠くに行くわけではない。行き先はエリアナと交流のある人間だったら簡単に想像がつくであろう場所だ。
彼女はなんだかんだと言ってエリアナの事を好いてくれているし、エリアナも意見を聞きたいと思っている。
このソラリア王国には転生者が多く、その筆頭というのは王家であるコールリッジ家だ。
どういう仕組みかはわからないが、魔法のように家系でその資質が受け継がれているらしく、記憶を持っていたり、転生者特有のギフトを持っていたり将又その両方を持っているという場合もある。
普通の貴族の中からも一定の確率で出現すると言われていて、この国が他国に比べておおらかで何事も新しい事を受け入れる特性があるのはそういった理由があるのだ。
ちなみにエリアナも転生者のギフトを持っている。魔法のような代物だが、聖女のもつ女神の加護に性質が近い。
「ねーねー、どこ行くの? エリアナさま。さんぽ? さんぽ?」
「さんぽじゃないよ。アルフ。危ない所に行くわけじゃないけど、護衛よろしくね」
エリアナの膝の上に上半身を預けるように乗っかっているその頭をなでながらエリアナは、彼に念を押した。
アルフは一応護衛で、獣人なのでもちろん強いが、少々抜けているところが難点なのだ。
剣すら持ち忘れることが多い。そこで、彼の為に装備を作ってもらって、ハーネスの背中にくっつけている。これはアルカシーレ帝国から逃れてきたドワーフ製の武器である。
「うん、わかった。ところで今日の夕ご飯なに?」
「わからないけど、きちんとあなたの分も用意するから安心して」
「俺、お肉がいいー!」
「うん。そうだね」
エリノアはコンチェッタと別れたことによって少し悲しくなっていた気持ちを、無邪気に笑うアルフで、ごまかすように両手で顔を掴んでわさわさと撫でまわす。
するとふわりと毛がまって、向かいに座っていたディーナが「ふぇっくしゅ」と可愛いくしゃみをした。
「はぁ、申し訳ありません。アルフは落ち着いたら、ブラッシングしなければいけませんね」
「えー! やだよ、俺やだよ!」
ディーナの言葉にアルフはがばっと起き上がって、ぶんぶんと首を振る。そうするとまた毛が舞って馬車の座席を毛まみれにしたのだった。