15 独り言
カイルに与えられている執務室に到着すると、事務官が扉を開けて書類を持って出ていく。
その扉が閉まるまでの間に身を滑り込ませて、エリアナは中に侵入することができた。
ここは彼の仕事場なのであまり来たことはなかったが、落ち着いた雰囲気で、私室と似たような雰囲気の壁紙やカーテンなのであまり緊張するようなことはなかった。
一番大きな机で、書き物をしているカイルはなんだか久しぶりに見たような気持ちになる。
もともとしょっちゅう顔を合わせていたというわけでもないし、まだ婚約破棄を言い渡されて数日しか経っていない。
それなのにどこか懐かしいような気がして、あんなことを言った相手なのに、笑顔で声をかけたくなる。
……まぁ、今は小鳥だからそれもできないけれど。
考えつつも、せっかくここまで来たからには彼にも事情があったのかもしれないという考えのもと何かを探らなければと思う。
しかし、探るといっても、この姿では何もできないし、何よりエリアナだとばれることは嫌だった。
だってそれでは彼に振られたというのに未練たらたらの見苦しい女だと思われかねないだろう。
だから小鳥然としたまま何かを探るしかない。けれどもそう丁度良く、彼がひとり語りを始めることはなく、真面目に仕事と向き合っているだけだ。
……そりゃ、そうだよね。
カイルはエリアナと婚約破棄をしたところでいつも通り変わらない。彼の立場は王太子でそこそこ真面目な人だった。
今でも真面目だという部分については変わらないのだろう。
……まぁ、そう簡単にガラッと人が変わったようになってたらなにかきっかけがあったのかなとか、私に見せていた部分はまったくの嘘だったのかななんて思ったりできるんだろうけど……。
それでも変わっていないところがあると、どうしてと思う気持ちがある。
どうして急にエリアナに対する態度だけを変えて、べルティーナを選んだのだろう。
疑問に思ってから、エリアナはそうかと自分の気持ちに気がついた。
復讐も見返すことも新しい人を探すこともできないのは、きっと最低だとカイルのことを思うばかりで、納得できていなかったからだ。
腑に落ちていなかったからだ。
ぱさっと翼を羽ばたいてエリアナは飛び上がった。それから、彼の机の上にちゃっと音をさせて着地した。
……その理由や事情が分かれば私はあなたに幻滅できる? 触れ合ったり、性生活を共にすることだけがすべてじゃないってあなたに示して後悔させることができる?
問いかけるように、エリアナはカイルの事を見つめて首をかしげる。
彼は顔をあげて、少し驚いたような顔をした。
「あれ……なんか南国みたいな色の鳥だな。……まさか誰かの使い魔?」
……赤に金の目だからたしかにね。
気が付いて手を伸ばしてこようとする彼の手を机の上を移動して避ける。
「……」
「……チチチ」
「……」
鳥らしく鳴きつつ、エリアナは避けた先でも指先で触れようとしてくるカイルの手から逃げる。
使い魔というのは、魔獣の類が人に飼いならされているものだ。おもに魔法使いたちが使役している。
だから動物がそこら辺を歩いていたり飛んでいたりしても誰も騒ぎ立てない。これは前世とは大きく違う部分だろう。
しかし、こうして寄ってきたからには自分に用事があって手に乗せるなりちょっとばかり指先で撫でることぐらいはさせてくれることが多いが、エリアナは魔獣ではないので彼の手から逃げるのみだ。
「……懐いてない子なのか……なんだかあの子を思い出すな……エリアナは、今は何をしてるんだろう」
「ピチチ」
……あなたの前にいるよ。
「案外、俺の事なんて気にせずに、面倒な立場から解放されて自由を謳歌してるかも。あの子は産まれた時から、俺の婚約者で転生者ってだけで可哀想な思いをさせてきたから」
ペンを置いて頬杖をつきながらカイルはエリアナを眺めていった。
彼はたまにこういう事を言う。
「本当だったらもっと自由に……好きに生きられるはずだったのに、不憫だった。俺なんかの為に、周りからの目も厳しくて」
カイルが俯くときっちりとまとめている白い髪がさらりと落ちてきて、グレイの色素の薄い瞳がエリアナの事をとらえる。
王族の血筋の人間というのは、皆こういうはかなげな容姿をしているが、だからと言って存在が儚いという事もない。
カイルに限っては体つきもしっかりとしていて、アルフと同じぐらいがっしりとしている。その様子が健康そうでエリアナは割と好きなのだ。
抱きしめたことはないけれど、”彼”と違ってしっかりとしているだろうし、手に触れたら骨と皮だけの冷たい手ではなく、きっちりと筋肉がついている血が通った温かな手のひらをしているのだろう。
指先だけなら、この姿でも触れてもいいかもしれない。
エリアナの体は今羽毛に覆われているし、そう考えはするけれど、手のひらをこちらに向けて広げられてもそばに寄ったりしない。
カイルも目の前にいる小さな小鳥に触れてみたいと思っている様子だったがそれはとても難しい事だ。
ふいっと顔を逸らすと、彼はくくっと喉を鳴らして笑みを見せる。
眉を八の字にして笑うその様子は、少し情けないのにその笑みを見られると嬉しいと思ってしまうのは何故だろうか。
「……でも、嫌われただろうな。あんなこと言ったら流石に、どんだけ心が広い人でもうわって思うだろうし……」
「ピ、チチ」
……そうだ、そうだ! うわって思ったよ。
「実際、うわって顔してた……ような?」
「チチ?」
……え、してた?
「けれど、よかったんだ。もともと、俺みたいなのにエリアナは相応しくない。エリアナにあんなことを言ったけど、あの子は触らせない事できちんと線を引いてた、自分の心と違う事をして、俺も自分も傷つけないように」
「……?」
「でも、俺は違ったし今でも違う。きっとどこかで大きな痛みを伴って傷つけることをわかっていたのに、手を伸ばすし、簡単に手を取る」
カイルは、目の前にいるエリアナにわかるようには話をしてくれないし、質問をすることもできないのでエリアナは彼が何を思い浮かべてどういう話をしているのかわからなかった。
「唐突な事だったけど、ああやって別れられて正解だったのかもしれない。あの人なら別に傷つこうが何だろうがどうでもいいし。まぁ、それでも君に嫌われたことだけは、心残りだ。なんて、な」
そう言ってカイルはペンを手に取ってペン尻の部分でエリアナの頬をこしょこしょと触った。
…………バレて……る?
「…………」
「…………」
エリアナは、予想外の話の展開に固まって静かに撫でられていた。
驚きすぎて反応できなかったというのが事実だったのだが、カイルからするとまったく反応を示さなかったように見えた。
「…………やっぱり違うか。エリアナがアリアンナに変身魔法をかけてもらって遊んでいるって言っていたから、もしかしてと思っていってみたけど……なわけないか」
「ピ、ピー」
「それに、ばれたら困るんだ。べルティーナとはそういう約束だから……エリアナとはもう……」
どうやらカマをかけただけだったらしく、カイルは目を細めて、ペンでエリアナのフワフワの羽毛を撫でる。
真っ赤な羽毛を撫でつけられて、ひやひやする気持ちと同時に彼の言ったべルティーナとの約束という言葉が気になった。
……べルティーナとどんな約束をして私を振ることにしたの?
疑問に思ってもカイルに聞くことはできない。それをやってはこうして変身して探りに来た意味がなくなってしまう。
それから、エリアナはカイルにペン尻で一頻り撫でられてから、窓を開けてもらって執務室を飛び出した。
そのころにはもう日が暮れるころであった。




