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1 潔癖


 エリアナ・クリフォード、現在十五歳。成人まではもう少し時間があり、それまではお酒もたばこも何もかも許されていない純然たる子供だ。


「手だって一度も握ったことがない」


 しかしそれは、エリアナが普通の子供だった場合の話であって、このソラリア王国で認定された転生者であるエリアナは、子ども扱いを望まない場合にはそれを主張することができる。


「それどころか、指先一本。俺は君に触れたことがない」


 エリアナには前世の記憶がある。であるからして、両親だけで勝手に結婚の話が決まったり、将又、婚約を破棄するような話を決められたりすることもない。


「……俺が君に手を伸ばした時、君は忌避するように俺の手を払いのけて距離をとる。その時の俺の気持ちを想像してほしい、こういう結末になるのも至極当然だろ」


 つまりエリアナは、十五歳という若さで婚約者であり王太子でもあるカイルから直接、婚約破棄の申し入れをされていた。


「……」


 その様子に、エリアナは目を大きく見開いて固まっていた。


 たしかに、エリアナは彼に指一本触らせなかった。それはもちろん、まだ正式に結婚もしていない政略結婚の相手に恋人のように手を握らせて、触れさせることは当たり前ではないからだ。


 もちろん、結婚したら、夫婦生活をするのだし、エリアナだってそれを拒絶するつもりはない……多分。


 ……だから、結婚するまでは待っていてくれるって、そういう話だったのではないの?


 普通は触れられない事が理由で婚約破棄することなどない。


 もちろん彼は王太子でそういうわがままを言ったとしても、エリアナが今の地位を手放したくない人間だったら、今からでもその手を取ってこれならば良いかと問いかけるだろう。


 けれどもエリアナは流石にそんなことはできない。その一因としてあるのは、カイルのそばに、うっとりとしなだれかかって笑みを浮かべる女がいるからだ。


 歳の頃は、エリアナと同じぐらい。清流のような青く透き通る美しいしなやかな髪。聖女しか着ることの許されない純白のドレスに身を包んだその姿。


「んふふっ、そぉよねぇ。だってお前みたいに潔癖な令嬢相手だとあと何年もこうして寄り添ったり、手をつないでデートしたりできないんだものぉ。


 呆れかえってわたくしみたいな愛情たっぷりの女性に心惹かれるのだってなぁんにもおかしくないわ」


 彼女の名は、べルティーナ。


 隣国であるアカシーレ帝国から、神託を受けてこのソラリア王国にやってきた見通す力を持つ聖女だ。


「……そ、そんなこと……」


 彼女の言葉を否定しようとエリアナは口を開いた。


 しかし、男心などエリアナは深く知っているわけじゃない。否定をしたところで意味などない。


 となれば、エリアナに言えることは、今目の前にいる、生まれた時から婚約者であったカイルの事だ。


「そんなの、カイルが本当に思っているかなんてわからないじゃない」


 彼は少々、何を考えているかわからない部分のある人であるが、少なくともそんなふうにべったりと寄り添って、恋人のように手を握って日常生活を送りたいと望むような人ではない……と思う。


 ……だって今までだって、たしかに触れたいと思っているようなそぶりはあったけど、切羽詰まっている様子ではなかったし、私たちはずっと婚約者で誰かとそういう関係になっているところなんて見たことなかった!


 ずっと、ここ十五年! なのに今更、それが嫌になって別の人にするなんて……するなんて……もしかしてずっと耐えてた? だから耐えかねて?


 そう言われてしまったら、今までそうではなかったなんていう言葉はただカイルをエリアナが我慢させていた時間がこれだけ長かったという事を証明するだけになってしまう。


 そうならないようにエリアナは続けていった。


「それに、カイルと婚姻関係を結ぶということは、王太子妃になるという事。私はずっと、そのために教育を受けてきたし、突然やってきたあなたが代わりを務めるなんて……出来るわけない」

「出来るわよぉ? だって、わたくし聖女なんだもの。王家に神聖な血筋を入れる、そして聖女の血を引いた子供をもうける。それだけで、万々歳じゃないのぉ。んふふっ」


 エリアナの指摘に、べルティーナは勝ち誇ったような様子でそう言った。


 それは、間違いない事実だった。血筋の神聖性それは王族にとってとてもデリケートな問題で、それが損なわれることは王族の存続の危機になる。


 もちろん実務ができて、きちんと国王を支える力のある王妃であるということは加点にはなるだろう。


 しかし、彼女は聖女というだけで、すでにエリアナが十五年努力してきた地道な加点など一気に追い越して満点をたたき出してしまうほどに、その身は優れた母体だ。

 

 次に生まれた王子さえきちんと教育をしていけば何ら問題ない、聖女の血を引いた稀有な王子となるだろう。


 ……そんなの分かってるけど、っ、これだから血筋だ何だにこだわるのは嫌いなんだって……。もちろん自分だってその恩恵にあずかっているけれど。


 けれども、それでも、血筋の恩恵にあずかるその地位にいるからこその努力はしてきたのだ。


 血筋だけで身分が決まるこの世界でも、人の為になるように……何というかあれだ。前世でみた持つ者の義務みたいなものだろう。


 それを遂行するためにエリアナは、王妃になるからには国をより良くしようと考えていた。


 ……それなのに……努力もしないで自分の生まれに慢心して王妃になろうだなんて……。


 今世の人々が信じているこの社会構造に文句をつけることはできない。転生者だとしても、今あるものを全部ぶち壊しにしていいわけではないのだ。


 しかし、その理論を認めることはあまりにも腹立たしくエリアナは、苦々しく思いながらも別の指摘をした。


「だ、だとしても、実際問題、実務が出来る妃が必要ってのは事実でしょ。そんなに都合のいい第二夫人が見つかると思う?」

「いるじゃないちょうどいいのが」

「……もう当てがあるの?」


 実務が出来なければ、国というのは回っていかない。しかし付け焼刃で出来るほど、楽な仕事ではないだろう。


 第二王子の婚約者もいるが、彼女はあまりそういうことが得意な方ではない。エリアナが知っている人の中でそんな大役をばっちこいとこなせる人間など思い浮かばない。


 しかしべルティーナは余裕な素振りで笑みを浮かべて寄りかかっているカイルの腕に頬擦りをしてそれから目の前の人間を指さした。


「いるじゃないのぉ、ここに、十五年も王太子の婚約者をしていて、ほかに結婚できる相手も早々出てこないようなぁ、仕事しか能のない可愛げのない女がね」

「……」


 エリアナはいったい誰だと思考を巡らせていたが、指されてその指先を見て、婚約を破棄されたその後の自分の状況について思い浮かべた。


 聖女に負けて、王妃の座を奪われた身分ばかりが高く、扱いづらい転生者の女だ。


 普通に考えてこんな物件めったなことがない限り結婚しようと思わないだろう。


「あらぁ、黙っちゃった。んふふっ。わかったでしょぉ? お前を使えばどうにでもなるのよ」

「…………」


 けれどそれでも、こんな聖女のいいように使われることなど、断じて許せない。

 

 一生独身になったとしても、エリアナは今この場でそれを認めることだけはしたくなかった。


「……絶対に、第二夫人なんかにはならない」

「だからぁ、お前がそんなことを言ったって、外堀を埋めていけばいずれそぉなるのよ。諦めなさいそういう運命なんだから」

「……それでも絶対ありえない」

「……なによ。生意気ね。腹立たしいわ」


 絶対に譲らないという強い意志を持ってエリアナが言うと、流石にべルティーナもその様子に苛立ったらしく、おっとりとした笑みを浮かべるのをやめて、エリアナをじっと睨んだ。


「……」

「……」


 にらみ合ってどんなふうに、言い負かしてやろうかと考えていると、今までその様子を静かに見つめていたカイルが一つため息をついて、それからべルティーナの肩を抱いた。


「エリアナがそう言ったとしても、そもそも、婚約破棄については変わらない。俺は……この人が、気に入った」

「んもう。情熱的ねぇ」


 それから額にキスをして、カイルはエリアナに言った。


「それに、男なんて皆、下世話なものだ。すぐこうして手の届く位置にいて、思い通りになってくれる女が良いに決まってるだろ」

「やだ、んふふっ」

「俺は、王太子だ。一国の王になる男がどうして女が与えてくれるのを待たなければならない」


 カイルは、少しばかり笑みを浮かべて、べルティーナの手を取る。


「君にはうんざりした。未練がましくべルティーナと言い合ったって何の足しにもならないだろう。もう、君と俺にはまったく関係がなくなるんだから」

「カ、カイル……」


 彼の言っている言葉が、エリアナは信じられなくて、ぐっと拳を握って彼を見た。


 しかしエリアナの声は彼に届かない。


「ヤれない女なんて意味ないっていってんだ。もういい加減諦めてくれ、君は俺に許してくれなかっただろ」


 エリアナとは違うとばかりに、二人はいちゃいちゃとしだし、エリアナはもうなんだか堪らない気持ちになった。


 結局、カイルがべルティーナを選んだのならば、エリアナがどんな指摘をしても意味はない。


 彼とは終わったのだ、エリアナが潔癖だから。彼がヤれない女など意味がないというような男だから。


 あまりにもその事実は、受け止めきれない事でエリアナはそのまま、顔を背けて、王城の応接室を出た。


 侍女であるディーナが後ろをぱたぱたとついてくる。


 どうにか帰りの馬車の中まで涙をこらえたのだった。




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