ウツボの恋のお相手は
岩の隙間からそっと顔を出して、ウツボが辺りを見回しました。どこかからニンゲンの声が聞こえてきたのです。
「うわっ、固くなった!」
「こっちはデロデロに軟らかくなった〜!」
「おいっ、俺の方は、体の中から何か出てきたぞ」
「内臓じゃないのか?」
「ゲーッ、気持ち悪い!」
ここまでは子どもの声でしたが、そこに大人の声が加わりました。
「お〜い、おまえたち、そろそろ行くぞ〜」
「あっ、お父さんが呼んでる」
「行こうぜ!」
「これどうする?」
「投げちゃえ!」
ポチャン、という音が3つ響いたと思ったら、そのうちのひとつがウツボの目の前に落ちてきました。
「あ、ナマコ……」
ウツボはポツリと呟きました。
ナマコは砂の上でじっとしています。
「大丈夫かしら」
心配しながら見ていると、そのうちナマコはモゾモゾと動き出しました。
「あ〜、やっと終わった。今日のニンゲンはしつこかったな〜」
「ナマコさん、大丈夫ですか?何があったんですか?」
ウツボが恐る恐るたずねました。
「あ、ウツボさん、こんにちは。いや〜、さっきまで、ニンゲンの子どもに掴まれちゃってたんですよ。ニンゲンに掴まれるのはたまにあることだけど、今日は長かったな〜。参りましたよ」
ナマコはケラケラと笑いながら答えました。
それを聞いてウツボはびっくり。
「えっ、ニンゲンに掴まれたんですか?だ、大丈夫ですか?」
「あ、こんなのヘッチャラです〜」
ナマコはニコニコしています。
「ナマコさんって強いんですね。ワタクシなら、ニンゲンに掴まれたところを想像しただけで心臓が止まりそうです」
ウツボは本当に想像してしまったらしく、フラフラと倒れそうになりました。
「あ、ウツボさん、しっかり!」
なんだかんだと言葉を交わしているうちに、ウツボとナマコはすっかり仲良くなりました。
ウツボはいつも岩陰に隠れていますが、ナマコは体を隠すところなど何もない所でウニョウニョと動いたり休んだりしています。比較的浅い海なので、周りは明るく、ナマコの姿が良く見えます。
ウツボはそれが心配でなりません。
「ナマコさん、そんなに明るい所にいて大丈夫ですか?敵に見つかったりしたら……」
「あ、大丈夫大丈夫。お気遣いなく〜」
ナマコはケロリとしています。
「ナマコさんって、勇気があるんですね。ワタクシは明るい所に出るなんて怖くて怖くて」
「ウツボさんも出てくればいいのに。明るい所は気持ちいいですよ〜」
「い、いえ、ワタクシは怖がりなので、そんなことはとても…」
と言いかけたときに、ウツボの目の前を魚が通りました。
目にも止まらぬ速さでその魚を咥えると、ウツボは口元でその魚をバキッと二つ折りにして飲み込みました。
「うわ〜〜〜っ!ウツボさん、魚を二つ折りっ?しかも、魚を掴むの速っ!」
いつもは落ち着いているナマコが珍しく驚きの声をあげました。
「あ、ワタクシの口の中には、もうひとつ口があるんです。外の口で魚を押さえて、中の口で魚の真ん中を引っ張ると、二つ折りにできるんですよ」
ウツボはうふふ、とはにかみながら答えました。
さらに
「魚を丸呑みできるほど大きな口を開けるなんて、そんな恥ずかしいこと、ワタクシにはとてもできません」
と言いながら、ポッと頬を紅く染めました。そして恥ずかしげにチラリとナマコを見ました。
ウツボはナマコに恋をしていたのでした。
いつも岩陰でひっそりと暮らしているウツボにとって、明るい所で堂々と暮らすナマコは輝かしい存在だったのです。
「そっか〜。ウツボさんにはすごい特技があるんですね!」
ナマコは屈託なく言いました。
「それほどでもないですよ〜」
ウツボは照れて顔を左右に振りました。
数日後、大きな貝がナマコに襲いかかりました。
「キャーッ、ナマコさんっ」
ウツボの叫び声が響く中、ナマコは貝の中に引きずり込まれていきます。
「ナマコさぁん!!」
ウツボが半泣きになって叫んでいると、
「あ、大丈夫大丈夫!」
というナマコの声が聞こえてきました。いつものケロリとした口調です。
そしてウニョウニョと貝の中からナマコが出てきました。
見ると、貝はナマコの皮を咥えています。
「大丈夫ですか、ナマコさんっ」
ウツボは慌てて声をかけました。
ナマコの見た目は何も変わっていませんでした。
「僕、外側の皮を自分で脱ぐことができるんです。だからこの程度の敵に捕まっても全然平気です」
ナマコはニコニコと微笑みながら答えました。
「やっぱりナマコさんってすごい」
ウツボの目はもうウルウル。
別の日には、カニがナマコに襲いかかろうとしました。
「ナマコさん、危ないっ」
と叫びながらウツボが岩の隙間から首を突き出して、カニを捕らえました。
カニは、バキッ、ミシミシッ、グシャッ、と色々な音をたてながらウツボの口の中に収まっていきました。それはなかなかに恐ろしい光景でした。ナマコも呆然としています。
しかしすぐに
「ウツボさん、助けてくれてありがとうございます。いや〜、ウツボさんって強いな〜」
と笑顔でお礼を言いました。
「つ、強いだなんて、そんな……ワタクシはただ、ナマコさんを助けたくて必死で……臆病者のワタクシが強いなんて、とんでもないです」
ウツボの声は消え入りそうでした。
「いやいや、あの獰猛なカニを一瞬で捕らえるなんて、なかなかできることじゃないですよ。すごいな〜」
「い、いえ、ワタクシが強いなんて、そんなこと、絶対にありませんっ」
ウツボは必死で否定しました。臆病者で小心者の自分が強いなんてことはありえないと、本気で思っているのです。
「むしろ、どんな敵に襲われても明るくいられるナマコさんの方が、ずっとずっとお強いですわ」
目をキラキラさせながらウツボは言いました。
「え〜、僕が強い?まさか〜」
ナマコはケラケラと笑い出しました。「僕には鋭い歯も爪も、素早く泳ぐヒレもないんですよ。ただゴロンと転がっているだけですから〜」
「いいえ、ワタクシには分かります!ナマコさんはとても勇敢なお方です!」
ウツボはナマコを真っ直ぐに見つめながら言いました。「そして、とても素敵なお方です」
そう言ったあと、ウツボは恥ずかしそうに俯きました。
「素敵だなんて言われると、照れちゃうな〜」
ナマコはまんざらでもないように、ニコニコしていました。
ある日、ウツボが目を覚ますと、この間よりもっと大きなカニがナマコに襲いかかっていました。
「キャーッ、ナマコさんっ」
ウツボの悲鳴が響き渡ります。
ナマコのお尻からは、何かがニュルニュルと出てきていました。ナマコの腸です。カニはそれを美味しそうに食べ始めていました。
そんな状況にもかかわらず、ナマコはいつもの明るい声でウツボに向かって声をかけました。
「あ、ウツボさん、おはようございま〜す」
「ナマコさん、挨拶どころじゃ」
真っ青になっているウツボの言葉を制するように、ナマコが言いました。
「あ、これなら大丈夫です〜。心配いりませんから〜」
そう言いながら、ナマコはウニョウニョと動き出しました。カニはまだナマコの腸を食べています。
しかしそのうち腸がブチッと切れて、ナマコはカニから少しずつ遠ざかり始めました。カニは腸を食べるのに夢中で、ナマコが離れていくことに気づいていません。
ウツボはハラハラしながらその様子を見ていました。いくら明るい声で大丈夫と言っても、内臓を食べられているのです。
「大丈夫なわけないじゃないですか!」
このままでは死んでしまうに違いない、そう思って慌ててナマコの側に行こうとすると、またしてもナマコから明るい声が聞こえてきました。
「安心してください!生えてきます!」
そうなのです。ナマコの腸は、たとえ敵に食べられてもまた生えてきて、3ヶ月もすれば元通りになるのです。
それが分かっているから、ナマコはわざと自分の腸を敵に食べさせて、その間に遠くへ逃げるのでした。
「ウェ〜イ!今夜はパーリーナ〜イッ」
体が少し軽くなったナマコは、いつもよりちょっとスピーディーにウニョウニョしていました。
「ナマコさんって、やっぱりすごい」
ウツボはキュルンとした瞳でナマコの後ろ姿を見送っていました。
「いつかまた会えますように」