聖印騎士団長ヴァチアの侵略。
『お前にゃ才能がねぇなぁ』
ヴァチア・クルス・ソーディアは、かつてそんな言葉と共に隣国の辺境の地へと放り出された。
孤児だったヴァチアを気まぐれに拾い、そしてあっさり手放したのは、ソドム王国屈指の豪商にして大悪党と呼ばれた男、リーバだった。
隣国の辺境軍に下働きとして送られたヴァチアには……しかし才能があった。
剣を振るう才能が。
ヴァチアは、下働きから徐々に頭角を表してやがて騎士に成り上がり……辺境軍の中でも最も勇猛とされる騎士団、聖印騎士団の騎士団長となっていた。
そして今、高台の地面に剣を立てたヴァチアは、真紅の髪を靡かせ、金の瞳でかつて生まれ育ったソドム王国の王都をジッと見下ろしている。
王都は既に外壁を攻城兵器によって破壊され、開いた穴から侵入した兵団による『粛清』が開始されていた。
そこかしこで煙が上がっており、風が運んでくる焦げ臭さを嗅ぎ、戦う者達の怒号を聴きながら待っていると。
飛竜に乗って戻ってきた伝令が上空から飛び降り、そのままヴァチアの前に膝をついた。
「報告致します! 聖印騎士団は先ほど王城を制圧し、対象を確保致しました!!」
「ご苦労」
部下の報告に一言の労いで応えたヴァチアは、横に寝そべっていた愛騎の飛竜に、鎧に止めたマントを翻して跨る。
そして、ずっと斜め後ろに控えていた副団長に目を向けた。
「私は王城へ赴く。指揮を取り、引き続き残党を制圧せよ」
「は!」
副団長の言葉に頷いたヴァチアは、飛竜と共に舞い上がって王城を目指した。
既に騎士によって制圧されている庭に飛竜を下ろすと、先陣を切っていた第一隊隊長の案内で『確保した対象』の元へと向かう。
相手は王……ではない。
「王族は?」
「誇りある内に、遠き地へと旅立ちました」
第一隊長の言葉に、ヴァチアは小さく頷いた。
つまり、既に処刑を終えているということだ。
そもそも『浄化』の為に侵攻した異教の地の王族は、全員処刑するのが慣わしである。
ヴァチアはさらに重ねて、『衆人環視の中での斬首という恥を掻かせぬよう、王族は見つけ次第始末せよ』と命じておいたのだが、騎士達はきちんとそれを守ったようだ。
ーーーただの建前だがな。
そもそも、この国は腐り切っている。
一番上に立つ王族の始末に関しては、もっともらしい前例があったのでそれに倣っただけで、ヴァチア個人として長く生かしておく理由がなかっただけだ。
ーーー神も天上の地も、存在しない。人は、死ねば土塊に還る肉だ。
だから、生きていることに価値がある。
この腐った国で育ち、人の醜悪な部分を見続けてきたヴァチアは、神への信仰など持ち合わせていなかった。
都合よく人を救ってくれる存在など、いるわけがない。
もしいるのなら、こんな国はとっくに天罰が下っていただろう。
そうして王城の地下に向かって行く内に、廊下に血溜まりと転がった死体が目につき始めた。
そんな死体の間に転がっていて、まだ息があったらしい兵が一人、呻き声を上げる。
「ヴァチ糞、の、犬、どもめ……」
ヴァチアが目を向けると、その一言だけ搾り出して彼は事切れたようだった。
元々瀕死だったのだろう。
そんな兵士の言葉に、おかしくなってヴァチアは思わず口元を緩める。
「第一隊長。ヴァチ糞、というのは私のことかな?」
「おそらくはそうでしょうね。人を犬呼ばわりする腐った国の兵は、鏡も見たことがないようで」
「違いない。鏡を見れば、そこには我々よりもよほど臭う糞が映っているからな」
お互いに笑みを浮かべ、そんな軽口を第一隊長と叩き合う。
ソドム王国との会戦で、聖印騎士団は情け容赦のない殲滅を繰り返してきた。
故にヴァチアの悪名は、こちらの兵の間で悪評と共に轟いていると、間者から聞いた覚えがある。
冷酷非情。
無慈悲。
人の姿をした鬼。
どれもソドム王国の連中に、そっくりそのまま返してやりたい言葉だ。
「着きましたよ。こちらです」
そうして第一隊長に案内された先は、鉄錆に似た血の臭いよりもカビ臭さが勝る場所……湿気のこもった牢屋だった。
中に入ると、薄暗い中にランタンが置かれており、中にいる人物が照らし出されている。
髪は半分白髪で、殴られ過ぎたのか顔が判別出来ないくらい赤黒く染まり、片目が開くことの出来ないくらい腫れ上がった一人の初老の男。
かつてヴァチアを隣国に追い払ったかつての豪商、リーバである。
血の繋がりはないが、彼はヴァチアと同様に金の瞳を備えていた。
潰れていない方の目は昔と変わらず爛々と輝いており、顔が判別出来なくとも彼をリーバであると証明している。
ヴァチアは笑みを浮かべて、縛られて壁にもたれかかっている彼に声を掛けた。
「お久しぶりですね、義父上。随分と無様なことで」
そう口にすると、彼は口元を引き攣らせるような笑みを返して来た。
歯も何本か折れているのだろう、ヒュ、と少し空気が抜けるような音と共に彼が口を開く。
「ヴァチアか。お前さんの方は、随分と別嬪になったじゃねぇか」
「お陰様で。まだ覚えていただいていて光栄です」
「これでも俺ぁ、頭は悪くなくてな。すぐに物を忘れるバカと一緒にされるのは困るってぇモンだね」
よく回る口は健在のようで、何よりである。
リーバに追い出されて隣国に送られた時、ヴァチアはまだ14歳だった。
今は28歳、花盛りは過ぎたものの、騎士団で親しい者には未だ〝芍薬〟のあだ名で呼ばれている。
毒を持つ美しい花、と。
その根となったのは、間違いなくこの国とリーバだった。
「貴方が育てた毒花は、無事腐れた王国を滅ぼしましたよ。気分は如何です?」
「最高だね。俺もこの国の上にいる連中には、ほとほとうんざりしてたからな」
それは本心からの言葉だろう。
ヴァチアは、まだ今より若く、白髪もなかった頃の彼との出会いを思い出していた。
『よう、汚ねぇ小娘だなぁ? うちに来れば飯くらいは食わせてやるぞ』
その時既に、ソドム王国で一角の商人だったリーバは、好んで孤児を引き取っては自分の商会で働かせる変わった男だった。
孤児らに読み書き算術を叩き込み、それぞれに適した仕事を見極める、先見の明がある確かな目を持った商会の長。
『この国は腐ってる。腐ってるからこそ、好機がある。目先のことしか見えない、金が好きな連中ばっかりだからなぁ?』
『リーバの瞳は金で出来ている』と言われ、誰よりも金儲けの才能があった男は、しかし金に執着していなかった。
そんなリーバは、ある日呼び出したヴァチアに告げたのだ。
『お前にゃ才能がねぇなぁ。……ヴァチアよ。お前さんは一番魔力の扱いが上手ぇし、腕が立つ。真面目で頭も回る。が、致命的に金儲けの才能がねぇ』
そうして彼は、護衛として常に側に置いていたヴァチアに、今のように皮肉げな笑みを浮かべて、こう言葉を重ねた。
『隣国へ行け。あっちの辺境伯様とはちぃとばかし、懇意にしててな。騎士団に入れるように斡旋してやる』
『私は、義父上の側を離れるつもりはありませんが』
彼は、拾った孤児を『子』と呼び、自分を『義父』と呼ばせていた。
こんな国ではいつ死ぬか分からないからと、妻は娶らなかった。
代わりに、『お前達が俺の家族だ』と。
詳しく話されることはなかったが、彼自身も、元々はおそらく孤児だったのだろう。
酒に酔った時に漏れ聞いた話を繋ぎ合わせると、リーバも商人に拾われ、その商人は国の役人の横暴で殺されているようだった。
彼は、ヴァチア達に厳しかったが、良くしてくれた。
だからそう伝えたのだが、リーバは首を横に振ったのだ。
『俺の横に、商売が出来ない奴はいらねぇ。ここはお前の居場所じゃねぇよ』
確かに、そんな彼の言葉は真実だったと、今になってヴァチアは思う。
「私には商才はありませんが、人殺しの才能はあったようですよ。手放さなければ、義父上も財産も奪われず、こんなカビ臭い場所に叩き込まれることもなかったでしょうに」
「いいや、時間の問題だったさ。敵にも小賢しい奴がいてなぁ。まさか拾った奴が抱き込まれるたぁ思わなかった」
「身内と認めた相手を信用し過ぎなのです。それは身を滅ぼす甘さですが……同時に、貴方の命を救う甘さでもありましたね」
ヴァチアは、全力で駆けてきた『子』の一人に、『リーバが人を攫っては売り飛ばす奴隷商として捕まった』と聞いて、一瞬耳を疑った。
その直後に『今が動く時』だと理解し、辺境伯様の許可を得て、聖印騎士団を率いて赴いたのである。
ソドム王国を滅ぼし、リーバを救う為に。
「貴方に手を出さなければ、この国も命を縮めることはなかったでしょうに。愚かな真似をしたものです」
「全くだな」
ヒュヒュ、と空気の抜けた笑いを漏らした後、苦しそうに咳き込むリーバに対して、ヴァチアは剣を抜く。
そのまま、彼の手足を牢に繋ぐ鎖を断ち落とした。
「懲りたのでしたら、今後は我が国の辺境伯領にてお過ごし下さい。私の庇護の下で、大人しく」
「金を奪われた上に『子』に養われるようになっちゃ、もう現役は引退だな。言われた通りにしとくさ。どうせ俺に選択肢はねぇんだろ?」
「ええ」
ヴァチアは剣を鞘に納めると、彼に手を差し出す。
「お迎えに上がりました、義父上。〝黄金の瞳を持つ男〟の役目は、もう終わりです」
するとリーバは、大きくため息を吐いた後、その手を取った。
彼が特に目をかけていた『子』達は、ほぼ彼の側にはいない。
それどころか、おそらく全員がソドム王国の外に出されていた。
最初にここに辿り着いたのはヴァチアだったが、ソドム王国は現在、四方の国から一斉に攻め入られている。
リーバが才能を見出し、適した場所に振り分けた者達……リーバを『父』と慕う者達は皆、そこで才能の花を開き、各々に活躍しているのだ。
ソドム王国は近年外圧の強さと内政の杜撰さで周囲から経済的に追い詰められていた。
今回リーバが捕まったのは、その困窮の元凶が彼であったことが、ついに露見したせいだった。
「間に合って良かった。そう思います」
「どこが間に合ってんだよ。この顔を見ろ。男前が見るも無惨だろうが」
「残念ながら、元々そこまで整った顔はしておりませんよ」
リーバは、結構な悪人ヅラなのである。
飛竜のところに戻るまでの間に、ヴァチアはポツリと、支えている彼にこう言われた。
「さっきの話だが、お前が持ってたピカイチの才能は、人殺しの才能じゃねぇよ」
「では、何でしょう?」
ヴァチアがリーバに向かって首を傾げると、彼はニィ、と笑って、その答えを口にした。
「英雄の才能だよ。ーーー俺の目に狂いがなくて、何よりだぜ」