冬休みの旅行でシンガポールに行った私だが、現地人との意思疎通が出来ずくしくも帰国するが多くの蟠りが残ってしまった。そんな私の勉強物語。
本作品をお手に取っていただきありがとうございます。初めての小説風自己啓発作品かつ人生初小説?執筆なのでとても拙い文章ではあると思いますが、どうか最後まで読んでいただけると幸いです。
〜プロローグ〜
ある年の冬休み、私はシンガポールで時を過ごしていた。
時刻は午前十時をまわり気温は三十度近くである、今が冬であるとは考えられないような湿度と暑さに全身に汗を這わせていた。
そんな暑さにもがきながら宿泊地のソファーに身を預けダラダラとしていると現地に住む私のおばさん一家に、一緒に買い物に行かないかと誘われた。確かに今日一日をダラダラと過ごすのはもったいないと思い、その買い物に同行することにしたのだった。
早速服を着替え、家を出て駅へ向かった、シンガポールの駅はすごい、なにせすべてが自動化されているのだ、まさに現代国家、今の日本が後進国のように思えてきてしまう。ホームの安全性も抜群で電車の入口部分以外は壁で閉ざされ滑落の心配は無用だ。その脇では年配の女性がスマートフォンを器用に操作して改札を通過していた、どうやらシンガポールでは年配の人にも使い方が行き渡っているのだろう、そんなことに驚かされつつ時刻通りに到着した電車に乗り込み、郊外のビルの地下にある商業施設、日本で言うところのデパ地下というのだろうかそこへ向かっていった。
そこには、観光客のための店がずらりと鎮座していて数千平方メートル近くの敷地が狭く感じられた、ある店ではマーライオンのキーホルダーが販売され、またある店ではシンガポールでメジャーなチップスが販売されていた。その中のある店に入り買い物かごを手に取り、商品棚に少し荒々しく陳列された商品を吟味して幾つかを買い物かごに丁寧に入れた、そして支払いを済ますためレジへ向かったのだがレジだというのに商品に溢れいる、そこに立っている店員と思わしき人物に商品を手渡し会計をしてもらった、そこで気がついたここはシンガポール、公用語は英語、私は学校で習っていた簡単すぎる英語しかわからないつまり殆ど会話による意思疎通は出来ない、英語で話しかけられた私は、まさにマーライオンのように硬直し口をあうあうと動かすことしかできなっか、その時は同行していたおばさんが変わりに会計を済ませたがそれ以降それがどうしても心残りになっていて帰国してからもずっと忘れられなかった。
世界は英語で溢れている、身近なものでいうとインターネットである世界中の情報が網羅的に集うコミュニティーの英語率は約40パーセント、それに比べ日本語の割合は僅か10パーセントにも満たないというのだ、英語の重要性を身にしみて感じることができたのである。
(情報通信白書 出典)
〜第一章〜 英語にあふれる東京
私は趣味で写真を撮っているのだが、ある日おじさんであるマイクに私のワークショップに来ないかと誘われていた。これは貴重な体験だと思い二つ返事でそれに参加することにしたのだった。
ワークショップ当日の朝、少しの肌寒さに震えながら幸福の象徴とも言えよう布団から這い出でている最中であった、アルミサッシでできたスライド式の大きめの窓からは朝焼けの光と陽気に包まれ、それによってできた影の角度から現在の時刻がそこまで早くはないことに気がついた、途端に鞭を打たれた馬のように布団から飛び出して韋駄天の足でもついたかのような速さで部屋の扉を開け、とてつもなく急な階段を駆け下り、一目散に着替えたかと思えば玄関に前日の内に用意していた服やら何やらが詰め込まれたリュックを投げるようにして肩にかけ、自前の一眼レフカメラが入っているケースを投げ飛ばしては行けないので自制して動きに静止を利かせ丁寧に担ぎ上げた。庭では私と同行する祖母が車を車庫から出して待っていた、申し訳なく思って仏にでも拝むように手を合わせながら車に飛び乗った。
予想に反して空港に到着した頃には、まだ時間に多少の余裕があった、その間に空港外の自販機を前してまだ少し寝ぼけたような状態で100円玉を二枚、硬貨投入口にすべらせた、投入金額を示す液晶が緑色に200円の文字をみせていたときブラックコーヒーを買うべくボタンを押すとガチャンと自販機からスチール缶が出てくる音がしたあと一拍おいて、お釣りがカランカランと少し重い鈴のような軽快とまでは行かないような音をさせてはきだされた。購入したブラックコーヒーを手に取り、その手にやや温かさを感じたことで初めて自分が買ったものがホットであることに気がついたのだった、白い吐息を漂わせその白い靄が日光に照らされて白銀色に輝くのを眺めながらコーヒー缶の栓を開けた、手元から伸びるコーヒーの微香を楽しみながら出発の時刻を待った。
空港に到着して20分が経過した頃、搭乗口への誘導のアナウンスがなされた、私達の便は羽田空港(東京国際空港)行きの便である、空港の一階部分にいた私達は二階にある搭乗口へ足早に向かった、搭乗口に着いた頃には25人ほどの先客が列をなしていた、時間はかかったが無事に搭乗することが出来た私は安堵の息を漏らしながら飛行機の離陸を待った。
細かい上下に振動に気がつくと機体は滑走路の真ん中で両翼の高揚力装置を展開させて今当に離陸しようとしていたのだ、機体が加速していくにつれて振動も大きくなりシートに押し付けられるような感覚を感じたとき機体前方言わば機首の方が大きく上に引き上げられ、私の体には約1.3Gの力がかかっていた。機体の高度が安定した頃、先程の重力からは開放され、シートベルト着用のランプも消灯していた。そうして、いると少しずつ瞼が開かなくなって行き、空の旅とは打って変わり夢の旅へと離陸していった。
空の旅を終え、目的地である東京に降り立ちすぐさまその視界には私の地元では数少ない巨大構造物が辺り一帯を占領している光景が広がった、そんな景色を首が垂直になってそのまま後ろに倒れそうなほどに見上げた、空港から中心地に向かうバスに乗り込み中心に向かうにつれビル群の密度は更にましていった。
渋谷スクランブル交差点近くのあるビルの一角に日本人の若者と初老の男性、欧米人と思しき金髪の女性とブラウン色の髪をした青年、そしていかにもこの集まりの主宰であろうマイクがそれらの人たちと談笑していた、彼ら彼女らの手にはどれも一眼レフカメラがにぎられていた。私がその輪に加わったとき、一気に視線が集まり軽く会釈をすると数名で円を描くように集まり各々が自己紹介を始めた、そこで気がついたのだがその自己紹介はすべて英語で行われているのだ、幸か不幸かあのシンガポールでの出来事以降英検4級を取得していた、とはいえど実際に使える語彙や会話文はそれこそ拙いもので一人また一人と自己紹介を終える度に鼓動は速くなっていった。そうこうしていると私の番になり、恐る恐る自己紹介するのも以降の会話が引けるような気がしたためできる限りフレンドリーに自己紹介を行った、以外にも反応は良く拍手が辺りに舞い隣にいたカナダ国籍の金髪女性は幾分か褒めてくれた、それが嬉しく思えたため以降のワークショップも英語で積極的にコミュニケーションをすることができ、楽しく終わることが出来た。
その夜、マイクに誘われ小洒落たレストランに向かった道中、四車線道路と首都高速道路が交差する地点を通過した、そこはクリスマスはまだまだ先だというのに赤や緑、青といった光に支配されていた、光の正体は車のヘッドライトやブレーキランプ、信号機が点滅を繰り返しているためであった、その地点は交通量が突出して多く様々な自動車が交錯していた、途端霧雨に辺りが覆われ湿潤とした空気が体を纏っていたが何故か不快に感じることはなく小さな雨粒に光が当たり反射によって更に幻想的な風景が映し出されている景色の虜になりつつあった、自身あまり鉄筋コンクリートのマンションやビルに囲まれた所謂コンクリートジャングルは好まなかったが、このときはその情景に美しさを見出していたのかもしれない。
レストランに到着して、席に案内され注文を”英語”でしたあと周辺を見渡すと客の8〜9割が外国人であることに気が付き、客は”英語”で注文をして日本人の店員が”英語”で対応するという光景を目の当たりにして東京という日本の中心の都市であるというのにまるで海外に来ているかのような奇妙な感覚に襲われた、てっきり日本では日本語でしか会話が基本的には行われないのでは無いかと田舎生まれ田舎育ちの私は思っていたが東京の公用語が英語のようだ、その帰り路よくよく耳を澄ますと外の会話も英語英語英語、英語ばかりなのだここで私は心に誓ったのだ「絶対に英語を操れる人間になる」と。
〜第二章〜 英語への歩み
最近はやけに英語の調子が優れない、簡単な文法であるのにミスを連発していたりしている、どうしたものか。そんなとき学校であるプリントが配られた、それは黄色と赤を基調とした目立つプリントでその表紙には”英検”の二文字、知っている、私は一年生のときにこの検定の4級を取得していたからだ、まもなく二年生中盤に差し掛かる頃英語に関してはすでに三年生の範囲まで履修済みであったためもう関わることはないと思っていたが、4級の受験の横に書かれているものに気がついた”3級”の文字がそこにははっきりと印刷されていた。
プリントを持ち帰り”英検3級”について調べることにした、通学リュックの底からいくつも折り重なる紙を払いのけスマホを鷲掴むようにして取り出した、スマホの小さな電源ボタンを3秒間ほど長押しすると自身の親指に少し薄紅色の跡を残しながら内蔵モーターによる微かなバイブレーションとともにスマホが起動し始めた。個人情報を守るべく適当に設定されたロックを解除してカラフフルな検索エンジンのマークをタップすることでホーム画面を開き検索を開始する、入力欄にアクセスすると日本語キーボードが液晶下部に出現し、それをぎこちなく操作する”英検3級”そう入力すると検索候補に”英検3級レベル”が現れ内容が気になり検索した、検索のトップに表示されたサイトを開き概要を確認したところ3級は中学卒業レベルであるとのことだった、将来の受験のために有用であると思えて更に今の自分のレベルを知りたい、そんな思いで母親に相談を行い3級を取得する価値を解いて無事取得の許可を得ると早速過去問題集を買い勉強を始めた。
勉強を始めて何週間か過ぎた頃、3級の受験には面接が必要であるということを知りスピーキング、リスニングの練習も開始した、文法はある程度理解していたので苦戦はしなかったが慣れないリスニングには何度も苦戦を強いられた。それから、何日がたったのだろうか、いよいよ明日が試験日である寝る寸前まで必死に問題を解いていた、この感覚、この心理状態は初めての経験だった、ここまで必死に一つのことに打ち込んだのは絶対に後悔したくない、最初の一歩を大切にしていく姿勢がこれからの勉強人生を変えると確信していた故の行動であった。
どれほど、文法を理解しても単語を暗記しても問題を解いても、本番の心理状態は再現不可能である故に対策が難しいことは重々承知していた、だから今の私にできることそれはただひたすらに一点でも多くスコアを稼ぎ一次試験を突破することであった、一歩目がなければ二歩目も無いように一次試験を突破しなければ後の二次試験、即ち面接試験にさえ辿り着くことが出来ないのである。
翌日の朝、体調は万全で寒気一つない状態である、急ぐ必要はない試験は午後である、それまでに感覚を完璧に近づけそして本番で最高のパフォーマンスを発揮できるように持っていくのみである。午前中はひたすら問題集と向き合い対策に励んだきっと大丈夫そう言い聞かせていた。
午後になり静かな英検準会場(空き教室)に向かい試験開始を待った、問題冊子と回答用紙が眼の前に配布されたとき嫌な悪寒が全身を襲いたちまち思考を鈍らせた、その瞬間今まで必死に押さえつけていた”弱気”が現れようとしていた、そんな心の葛藤などつゆ知らず試験開始の合図が静かな会場に響き周りの受験生の紙を擦る音が聞こえ、その音は更に心の余裕を奪っていく、少し出遅れて冊子を開くとそこには問題集で全身に刷り込まれ見慣れた景色が照明の光で薄黄色に焦げた紙に広がっていた、そのときなんとか冷静に戻ることが出来た、大丈夫今まで幾度も解いてきて出題の傾向も理解している問題たちはパッと見るととても難しそうに映るのだが実際は落ち着いて読むとしっかりと読解することが出来て、穴埋め問題も本来そこには書かれていない筈の答えがその時は空欄に捉えることが出来ていた、なんとも形容しがたい感覚であって、スポーツで例えるところの”ゾーン”と言うのだろうか、そんな感覚が全身を支配していた、自身の焦燥感を駆り立てる他の受験生の紙を擦る音もそのペンを走らせる音も何もかもを感じることは無くただ問題を解くことだけに集中していた。
ペンの先端に問題を捉えたとき、歴戦の狙撃兵のように問題の要点を捉えその時の心は限りなく「空」に近づいていた、快感である、問題を解いたとき脳から分泌されるアドレナリンが私の口角を釣り上げ気がつくと私は笑って問題を解いていた、純粋にその試験を楽しんでいたのだ。アルミサッシの会場の窓からは日の落ちてゆく空を煌々と輝く夕陽が手元を照らしつつある放課後の空き教室で問題を解き続けた。
最後の英作文を書き終え、慣れた手付きで反復横跳びをするように最初のページに戻り再び問題の世界に入り込み見返しを始めた、振り返りは大切である、そこで初めて自身の回答のミスに気が付き修正することが出来た、試験を受けるものとして振り返りを行うのは自明の理なのだがその必要性は解答欄をすべて埋めるものの次ぐらいにあるのであろうと確信している。振り返りを終え一旦ペンを置いたとき、同時に試験終了を告げるアラームが会場にこだました。
試験が終了し試験監督からその後の詳細を伝えられたあと解散が告げられ肩を凝らせていた緊張感がある種の安堵感とともに夏場のアイスクリームの如く溶け出した。
それから、幾日幾週間が過ぎ合格発表を待った、英検のホームページのURLを前に目の保護のために光量を少し落とした液晶を手元に貧乏ゆすりといえようか小刻みに震えていた。 時間だ、公表の時刻になりサイトをタップした、ページ内に入り込み合格発表の情報を幼少期の頃間違い探しをしたときのように探した、見つからないのでページを更新するとそれは姿を表した。入力欄に自分の受験登録番号を入力すると目的のページが開きその画面を張感を持って下方へスクロールした、この一瞬でここまで何週間にも及ぶ努力の結果が決まるのだ、息を止め部屋という空間の隙間から冷たい空気とともに入り込んでくる環境音にさえ意識を向けること無くその画面を”合格”の二文字を求め注視した。僅か10秒にも満たないその時間でその二文字 ”合格”の二文字を発見し、大声を上げること無く静かに歓喜した。信念を貫き進んだ先には成功が待っていた、これが今後の私の勉強人生を大きく動かす経験となったことは明らかだった。
〜エピローグ〜 変化と転機
英検を経てもなお学び続けている、二年生ながらこれで終わりではないのだこれからの私は人生の分岐点である高校受験を目前に控えている、それは私だけではない同じ年齢の中学生徒なら同じである、それぞれがそれぞれの目標に向けて努力している又はしていくことだろう、人生初めての一大行事、これまでにない経験に戸惑い試行錯誤を繰り返すことだろう、瞬く間に一年という長い時間が過ぎ本番がやって来る、ここで努力するものは卒業後も努力し続けることだろう、ここで努力するものは結果がどのように転んでも絶望はしないだろう、きっと再起してまた努力するだろう、人生とは転機の連続であって人生に失敗なんてないと教えてくれるそれこそが私の転機であると思う。
最後まで読んでいただきありがとうございました。これからも定期的にss等投稿させていただきますので応援のほどよろしくお願いします。