⑯~⑰
守はとにかく安心してハヤシライスを食べたかっただけだった。
-⑯ 友の本気と親子の危機-
真希子のパソコンがある小部屋から好美のいる居間まで距離があるからか、それともつけっぱなしになっていたパソコンの画面に各企業の株価ががっつり映っていたのを目撃したからか、守は息切れしていた。
好美「汗だくじゃん、何でそんなに辛そうにしているの?」
守「気のせい・・・、です・・・。」
勿論気のせいなどでは無い、玄関を開けた瞬間に小部屋に駆け込みパソコンを強制終了してから居間までダッシュしたからである。
好美「取り敢えず、何食べようか。そう言えば、何も買ってきてなかったね。」
守「さっき聞いたんだけど、母ちゃんがハヤシライス作ってるみたい。」
居間には深めの鍋いっぱいに入ったハヤシライスの良い香りが漂っていた、守は好美が来ている事をさり気なく報告した。
守「今日彼女来てんだけど、ハヤシライス一緒に食って良い?」
時間的にも株主総会直前なので即座に返信した真希子、携帯の扱いには慣れている様だ。
真希子「この前言ってた子かい?構わないよ、好きなだけ食べて行きなと言っといてね。」
守「了解。(好美に)好きなだけ食ってけって。」
好美「やった、ハヤシライス大好きなの!!」
親子2人は1時間後、自らの発した言葉を後悔する事をまだこの時点では知らない。
鍋を火にかけ、炊飯器から皿に白飯をよそって食事を始める2人。数分後、ハヤシライスを楽しみながら好美がゆっくりとした口調で話し始めた。
好美「実はさ、桃の事なんだけどね・・・。」
時は数日前に遡る、この日午前中の授業を終えた好美は桃と近所のイタリアンレストランで学生限定のパスタランチを食べていた。因みに授業の関係上、守と正は数人の友人達と学内の食堂で済ませていた。
スパゲティミートソースを注文した桃がフォークにパスタを絡ませながら突然切り出した、何気に1口で食べる事が出来ない位の量が絡まっている。
桃「私と正ってね、正直言えばその場のノリで付き合い出したんだけどね。最近思うんだ、正がいなきゃ寂しいなって。正無しの人生を想像できないなって、この前皆でショッピングに行った後に家に帰った時特にそうだった、直前まで会ってたというのにまた会いたくなっちゃってんのよ。大学にいる時もバイトしている時も気付けば正の事考えてる自分がいるのね、こんな気持ち生まれて初めてでさ。今も何しているのかなってまた考えちゃって、こんなになるまで正の事好きになるなんて思わなかったの。」
好美「その気持ち、大事にしなきゃね。後ね、パスタいつ食べるの?」
時は戻り、守が宝田家の居間で目の前にいる自らの恋人が先程まで鍋いっぱいに入っていたハヤシライスを全て平らげてしまった事に驚愕している頃、正と桃は先日4人で行ったショッピングモールの4階にいた。
何かを決心したのか、それとも先日の守の真似をしようとしていたのか、正は今日入ったバイトの給料を口座から全額引き出していた。そして桃もバイト先の給料日が同じだったので同様に全額引き出していた、以前から狙っていたバッグがあるらしい。
正も桃の事を本気に想い始めていた、大学に入学してから気付けば授業やバイト以外の時、気付けば隣に桃がいた。桃がいないと正直泣き出してしまいそうな気持ちだった。
例のバッグが売ってある店に行くなり念願の商品を手に取る桃、すると硬く拳を握った正が財布を片手にしてレジへと向かった。
正「俺が買う。」
桃「何?守君のマネ?」
正「俺も桃を惚れさせたかったから。」
桃「正・・・。」
自らが持っていたモールのクーポンにより思った以上に安く手に入ったバッグを受け取った桃は、固唾を飲みながらその場を離れた。どうやら何かを決心した様だ。
このモールで買い物する大半の客が中央にあるエスカレーターやエレベーターを使うので人気の全くない階段へと正を連れ出し、間接照明と日光が照らす踊り場まで降りた。
音と言えば遠くから聞こえる店のBGMのみで、静寂がその場を包んでいた。
正「なぁ、何で階段に?」
桃「たまには良いじゃない、ゆっくり行くのも。」
-⑰ 静かな時間に包まれた幸せ-
桃は2人きりの状態になっている階段の踊り場の真ん中で突然立ち止まった、頭を下げて深呼吸した桃の肩が小刻みに震えていた。
正「おい、どうしたんだよ。」
桃「ねぇ、私の事好き?」
正「勿論だ、世界で一番愛してる!!一時も桃の事忘れた事なんてない!!」
桃「じゃあ、私が今したい事分かる?」
正「確か食事に・・・。」
すると、正のいる方に突然くるっと振り返り目に涙を浮かべながら訴えた。
桃「もう、いつまで待たせる気?!」
大声を発した桃は正の顎を掴み、無理矢理唇を重ねた。それから数十秒ほど、ずっと静寂がその場を包んでいた。2人はずっと、目を閉じていた。
長いキスを交わした後、顔を離した桃は右手で唇周辺を拭った。
桃「上手いじゃん、本当に初めてなの?」
正「初めて・・・、だよ。桃とのキスってこんなに甘い物なんだな。」
それを聞いた桃は再び顔を近づけた。
桃「これからずっとしてあげる、そして正を幸せにしてあげる。」
正「馬鹿か、俺が桃を幸せにするんだろうが。」
正が桃の肩に手を回して再びキスを交わした、先程よりも長く・・・、長く・・・。遠くから聞こえるBGMと柔らかな明かりにより何となく良い雰囲気になった2人はずっとキスをしていた。2人が顔を離した時、桃が再び涙を流した。
正「また、泣いてんのかよ。」
桃「嬉しくて、温かくて。泣きたくもなるよ、女だもん。」
桃の涙を受け止める様に正が桃を抱いた、桃も正に応える様に自らの体を正に寄せた。
すると、2人をずっと包んでいた静寂が突如消え去った。
子供「ママーあの人達抱き合ってるー。」
母親「もう、見ちゃいけません。本当に、すみません・・・。」
正・桃「あはは・・・。」
何となく気まずくなった恋人たちは引き笑いをしながら親子を見送った。
桃「子供か・・・、行こうか。」
正「うん。」
優しい光が照らす階段から歩いてすぐのレストランコーナーへと繰り出した2人、因みにこのショッピングモールは各階に飲食店が散らばっていたので迷いに迷った。
2人の様にこのモールの階段でキスを交わすカップルは少なくなく、「このモールの階段で長くキスを交わしたカップルは結ばれる」という都市伝説がある位だった。
桃「お腹空いちゃったね、何処行こうか?美味しいお店知ってる?」
正は返答に困った、先程のキス程に美味しいお店はこのモールにあるのだろうか。
正「えっと・・・、何が好き?」
正は今食べたいものを聞いたつもりだったのだが・・・。
桃「正。」
サラリと恥ずかしい台詞を言った桃に顔を赤らめる正、愛されている事を改めて実感して嬉しくなった。
しかし、今はそれ所ではない。
桃「あ・・・、ごめん。お肉かな・・・。」
正「じゃあ、ハンバーガーにするか。」
正は近くにある店を指差した、肉の焼けるいい音とデミグラスソースの香りが2人を誘った。
2人は吸い込まれる様に店に入って行った。
良い雰囲気のデートは2人を一層近づけた。