表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白月色の兎 ー妖兎の幻妖京異聞ー  作者: 御崎菟翔
第一章. 旅の始まり
4/51

4. 源泉の捜索

 翌日、「やはり一緒に行きます」と着いてこようとする旦那さんを押し留め、蓮華姫のところへ送り出す。奥さんは子どもの世話だ。


 出発直前、


「危険ではありませんか? 主人の帰りを待ったほうが……」


と念をおされたが、居候の分際でグータラするのは気が引けるので、お断りをして早々に出発した。


 雪山の源流まで行くため、奥さんから毛織物の毛布を竹籠に入れて持たされる。

 さらに粗末なボロ布だった私の服も、ウール製で瑠璃色の、袖のあるポンチョのような貫頭衣をこの短い期間で作ってくれていたようで身に着けた。


「薄い銀色でとてもキレイな毛並みですが、光や月の明かりできらめくので、少し目立ちますからね」


と奥さんが笑った。



 第三の支流までの道のりは、一度来たことがあるので、気楽に足を進めていく。

 夜は紙人形と二人だけなのがだいぶ不安だったけど、それも2日目には慣れた。この世界に来て、だいぶ図太くなったと思う。

 前回の旅で火の焚き方も羊の旦那さんに教えてもらったし、薬草を煎じる道具はさすがに持ってこれなかったけど、薬草ほどではないもののそのまま食べて疲労回復に効く木の実や足に貼って痛みを取る草なんかも教えてもらっている。

 先達に学べたのは今後の旅を考えても有用だったと思う。


 とはいえ、目的のある旅を終えたら、ちゃんとした家でゆっくり過ごしたいなぁ……水浴びはしてるけど、あったかいお風呂にも入りたいし、寝るのは地面じゃなくて、やっぱりフカフカベッドがいい。

 羊家族の家で過ごして改めて感じたが、ふかふかの羊毛は豊かな暮らしを送るためにはかなり重要な素材だ。

 温泉探しでポイントを稼いで、是非たくさんの羊毛を譲ってもらいたい。

 それに、温泉の近くに家を作れたりしたら素敵かも。

羊家族に羊毛を譲ってもらって、ふかふかベッドをつくるんだ。ふふふ。


 素敵な将来設計で、なんとかモチベーションを維持しつつ旅を進める。


 最初のうちは鼻歌なんか歌いながら気分を高め、紙人形も拍子に合わせて自然と体をゆらゆら揺らして遠足気分で進んでいた。


 が、他から見れば、小さい兎の一人旅。いくら弱い妖が多い場所だからといっても、こんな世界で何事もなく順調に進むなんてあるはずがなかった。


 明日には第三の支流にたどり着くだろうという日の夜。パチパチとはぜる焚き火の前で、紙人形に見張りを任せて眠りについた。

何もない屋外で身一つで寝るのは不安なので、せめてもと、持たせてもらった毛布に包まる。


 突然、何かにぐいっと上に引っ張られる感覚があり、毛布が剥ぎ取られたことに気づいて飛び起きる。布団をとられ無理やり起こされる感覚は、何だか懐かしい感じもしたが、それどころではない。


 何事かと周りを見ると、毛布を掴んで走り去ろうとする影が見えた。人の子どものような背格好だ。


 せっかく持たせてもらった毛布だ。これから雪山を登るなら絶対に必要だし、毎日の安眠のためには手放せない。


 私は標的を見つけると一気に駆け出した。


 兎の体は軽くて、人の頃の感覚よりも驚くほど早く駆けることができる。と思ったら、無意識のうちに普通の兎の姿になっていて、四足で走り抜けていた。人の頃の体の重たさがなくて走るのが爽快だ。これはいい。私はぐんぐんスピードを上げていく。


 ザッという音に気付いたのだろうか。

 前方を駆けていた影がこちらを振り返る。若干スピードが落ちた隙に、素早く二足歩行の体に戻って勢いに乗ったスピードのまま飛びかかった。


 今まででやったことは無かったのだが、あまり意識せずに、二足歩行型と四足歩行型に切り替えが出来そうだ。


 四足歩行で走り抜ければ、旅を早く終えることが出来たのでは? と頭を過ぎったが、兎は持久力が無かったはずだ。無理はしないほうがいい。現に、今の時点でかなり息がきれている。


 私は二足歩行型のまま、毛布泥棒がうつ伏せになるような形で馬乗りになって押さえつける。

 私より体格は大きいが、やはり人の子どものような後ろ姿だ。丈の短い着物を着ていて、草履を履いている。


「毛布を返しなさい!」


と一喝すると、犯人が震え上がるのがわかった。


「お……お助けください!」


 震える涙声が聞こえてくる。ちょっと可哀想かなと思ったが、今の私はこの子どもよりも小さな兎だ。手心を加えて反撃されたり、毛布を持ち去られては困る。


「毛布を返しなさいと言っているの!」


 私がそう言うと、


「お、お返しします! お返ししますから、どうかお助け下さい!」


と後手に毛布を少し持ち上げて私に差し出した。

 私はそれを受け取り、しっかりと脇に抱える。

 目的のものが手元に戻ってきたことで、少し声を和らげる。

 ただし、事情をしっかり聞くまでは逃がすつもりはないので、馬乗りはやめない。


「何故、これを盗ろうとしたの?」


 しかし、子どもは、申し訳ございません、申し訳ございません、と繰り返すばかりで何も答えない。しかも、ずっと小刻みに震えている。


 というか、子兎相手に恐れすぎではなかろうか。毛布を奪うときに姿を見てるはずだし、そうでなくても、自分より体が小さいことくらいは分かっているはずだ。体重も軽いだろうに、振り払う素振りもない。


 ……思っているより重いのかな私……


 自分の心の声にショックを受けつつ、このままでは話にならないので、いったん子どもの上から降りることにする。


 私がどいた瞬間、逃げ出すかと思ったらそんなこともなく、子どもはゆっくり起き上がる。


 震えてはいるが、話は出来そうだ。

 そう思いつつ子どもの顔を見て、私は目を見開いた。


 子どもの顔には鼻口は普通にあるが、目だけは中央に大きなものが1つ。


 一つ目小僧というやつだ。


 この世界に来て、不思議の国の動物と限りなく人に近い蓮華姫と生き物と言っていいのかわからない紙人形ばかり見てきたので、カッパぶりに、THE妖怪という感じの生き物……というか妖を見て愕然とする。


 そっか、そういう世界だった……


 今までも会話の中で「妖」という単語が出ていたけれど、そこまで深く考えてなかったせいで、実際に目の前に出てこられると言葉がでない。


 私が固まってしまったからか、一つ目小僧は私の前で正座をしたまま戸惑ったようにこちらを見ていた。


「あ、あの……」


と声をかけられてハッとする。


 ああ、そうそう。毛布盗られたんだっけ。妖怪にビックリしている場合じゃない。私だって妖だ。


 私は気を取り直して、一つ目小僧をまっすぐに見つめる。説教の構えだ。


「どうして私の毛布を盗んだりしたの?」


 一つ目小僧は私の言葉に俯く。答えは返ってこない。


「毛布は返してもらったけど、盗んだこと自体が悪い行いだとわからない?」


 やはり、私の問いかけに口を噤んだままだ。重い沈黙が続いて、私はハァとため息をつく。それから努めて声を和らげる。


「罰するつもりはないから、事情を教えてと言っているんだけど」


 私がそう言うと、一つ目小僧は俯いたまま、ようやくポツリポツリと話しだした。


「……周りの奴らを見返したかったのです……」

「は?」

「……おれは体が小さいし臆病で馬鹿だから、ちょっとしたことですぐに失敗するし、怖がるし、いつも周りの奴らにバカにされてて……今日も家の手伝い出掛けた時に、池の中で何かが光ってるって騙されて池に落とされて……」


 妖の癖に何もできない馬鹿の役立たずと笑われ罵られ、悔しかったら自分たちを驚かせるようなことをしてみろと煽られたらしい。

 しかも、家に帰れば水びだしで叱られ、同じように役立たずと言われたらしい。


 一昔前の子ども喧嘩だと思えば珍しいことではないのだろうが、家でもそうだとすると、さすがに可哀想な気もする。


 そんな中、このあたりに最近大妖が出る。しかも貴重な毛の布を持っているらしい、とういう噂を大人たちがしているのを聞きつけたそうだ。


 夕方、川辺の大きな木に登り、木の実を取っていると、偶然にもその下に身なりの良い兎が歩いてきて、籠の中には毛の布のようなものも見える。


 起きている間に奪うのは難しいが、寝ている間であればそれを奪って逃げるくらいなら出来るのでは。それを周囲に見せれば驚かして見返すことが出来るのでは、と考え、私が寝静まるのを待っていたらしい。


 私は大妖ではないけれど、似たようなものを持って帰れば良いと思ったのだろう。いい迷惑だ。


「見張りの紙人形がいたでしょう?」


 私が尋ねると、一つ目小僧は小さく首を振った。


「途中までは近くにいましたが、しばらくして何処かに行きました。その隙に、毛の布を奪ったのです」


 上にかかった毛布をさっと取るだけのつもりだったのに、私ががっちり毛布を握っていたおかげで、スッと取ることができず、結果的に無理やり剥ぎ取ることになってしまったらしい。


 私はそう言われて、先程までの状況を思い出す。盗人を捕まえることに集中していたので忘れていたが、確かに近くに紙人形の姿は見当たらなかった。ついでに現在、自分の周りを見渡してもやはり紙人形はいない。


 アイツめっ!


 拳を握り心の中で悪態をつくと、何故か一つ目小僧がビクっと体を震わせた。


 兎相手にいちいちビクビクする理由はわからないが、盗みを働いた事情はわかった。

 ひとまず、厳重注意して二度と盗みを働かないことを約束させて終わりにしよう。


 そう思い、私は姿勢を正して懇懇と説教する。

 一つ目小僧は反省したように小さくなって頷きながら話を聞いていた。


「申し訳ございませんでした、もうしません」


と本人の口から出たことで納得することにする。


 毛布が返ってきたので、わざわざ家に乗り込むようなこともしないし、人様の家庭環境にも口出しはしない。既に病気の子どもの為に旅をしているのに、さらに他の家のことにまで手を出せるほど私の手は広くない。


 ただ、ものを盗んで一発逆転を狙うのではなく、耐えていられるうちは地道に努力して一人でも生きていける力を蓄えること、自分に悪意のあるものは相手にせずに無視して、それでも耐えられないと思ったら逃げても恥ずかしくなんかないこと、他に頼れると思う大人がいればしっかり頼ることなどをアドバイスしておく。


 今回は私だったから良かったものの、手を出したのが本当に大妖だったら大変なことになっていたかもしれない。


 私がそう言うと、一つ目小僧はなんとも微妙な顔になった。


 一通り説教を終えると、私は一つ目小僧に元いた川辺まで案内させた。犯人を追って一目散に駆けてきたので、帰り道がわからなくなってしまったからだ。

 内心気恥ずかしい思いをしていたが、顔に出さず、当たり前のような顔をして川辺まで戻ってきた。


 私が戻ると、紙人形が慌てた様子で周囲を探している姿がうつった。


 私より背の低い草むらを掻き分けたりしているが、そんなところに居るわけがない。


 呆れた顔で、一つ目小僧に帰って良いと伝えて見送ると、紙人形の側まで行き、ヒョイっと掴み上げた。


 背後から掴んだため、紙人形は最初手足をバタバタとさせてもがいていたが、相手が私だと分かった途端ふっと体の力を抜いた。明らかにホッとしたような雰囲気を出している。


 そして、今度は抗議するように私に向かって腕を突き出し前後させはじめた。

 どうやら私に怒っているようだが、怒りたいのはこっちである。

 見張りを頼んだのに役割を放り出した奴がいたせいで毛布を盗まれることになったのだ。しかも、このあたりには大妖が出るという。今のところ遭遇していないから良かったものの、襲われでもしたらどうするつもりだったのか。


 私は抗議を続けようとする紙人形を一度ギュッと握ると、この夜2度目となる説教を朝まで行うことになった。


 空が白んできた頃、すっかり落ち込んだ紙人形に、今度はしっかり見張りをするようにと念押しして、昼まで仮眠を取ることにした。

 大妖は怖いが、昼間の短時間であれば大丈夫だろう。


 目が醒めると、私の側にリンゴのような赤い果実が数個置かれていた。以前、羊の旦那さんから疲労回復に良いと教えてもらったものだ。


 どうしたんだろう、と思っていると、紙人形が近くに落ちている小さな木の枝を器用にクルンと手で巻き付けて、地面に絵を書き始めた。


 こんなことができるなんて知らなかった。


 軽く驚いていると、紙人形が中央に目が一つある人の顔を描きあげた。下手くそだが、特徴だけですぐにわかった。

 きっと昨日のお詫びに持ってきてくれたのだろう。


 私はありがたくそれを籠に入れると、少し遅い出発をした。



 第三の支流にたどり着き、そこからさらに支流を遡上していく。

 支流の周りも特に変わった様子は見られない。


 煎じてはいないものの、途中で草に薬効が無くなっていると困るので、確認のために時々薬草を摘んではもしゃもしゃ食べる。


 食べにくいし飲み込みにくいし青臭くてしょうがない。煮詰めた訳ではないので効果も薄い。煎じ薬は煎じて飲むものだな、と思いながらも、確認しないわけにはいかないので、時々摘んではクチャクチャさせながら先へ進む。


 川の周囲の草に薬効があることを確認しながら2日ほど歩くと、尖った岩肌の雪山は仰ぎ見るほど近くなり、平らだった道も、いつの間にか上り坂になっている。ゴツゴツした岩も増え、大きな岩をよじ登るような機会もぐっと増えた。


 体は軽いが、如何せん小さいので、岩々を登るのは苦労する。ヒョイヒョイ木の上に登っていったりすることが得意な紙人形に木の上から登りやすいルートを探してもらって回り道をする機会も増えた。


 出会ってから今まで、役立たずだなんて思っていたことを心の奥でこっそり謝っておく。


 また、岩やちょっとした崖が増えたことで、岩と岩の間に隙間ができているなど、夜に身を隠せるような場所が見つかりやすくなったのがありがたい。平野で身一つで夜を越すよりよっぽど安心できる。これも身軽な紙人形が見つけて来てくれた。感謝しかない。


 ただ、とにかく寒い。

 山を登っていくたびにどんどん寒くなっていく。頂上付近に雪が積もっていたことを考えれば仕方がないが、移動中も毛布をきつく巻き付けながら進むようになり、とても動きにくくなった。


 考えた末に、せっかくの毛布がもったいないが、毛布の中央辺りを尖った岩でゴリゴリやって穴をあけ、手が通る場所も作って服の上から被ることにした。羊の奥さんの顔が始終浮かび上がってきて、申し訳ないと心の中で謝り倒した。


 腕にも毛布がほしかったが、籠を背負うためには仕方がない。


 そして、川というより沢という感じになってきた頃には、石や岩がゴロゴロし、危険な場所も増えてきた。回り道しようにも、そちらも急な山道や崖だったりして、いずれにしても危険が伴う。


 湿った山道で足を滑らせてせっかく登った道をザザザザーーっと数メートル滑り落ちたり、


 岩から足を滑らせて沢にバチャーンと落ちて数メートル流されたり、


 足をかけた大きな石が体重をかけた途端にボロっと崩れて岩の上にビタンと無様に倒れ込んだり、


 大岩から転げ落ちそうになってたまたま掴んだ木の枝が脆くなっていたためにポキっと折れてズシャーっと大岩を滑り落ちることになったり、


 とにかく涙なしには語れない苦難の連続だった。身も心もボロボロだ。


 途中で、なんでこんなことしてるんだっけ?と目的を見失って、すべて投げ出したくなったりしたけど、ここまでの苦労を無にしたくなくて足だけは懸命に動かし、前へ進んでいったことを誰か褒めてほしい。


 そんな中で、大した水量でもないのに高さだけは数メートルもある滝を目の前にした時には、目の前が真っ暗になった。


 しばらく滝を見たまま硬直していたが、紙人形に強めにツンツンされてハッとする。


「……ちょっと休もうか……」


 私の言葉に紙人形は僅かに首をかしげたが、どうしてもすぐに登る気にはなれない。


 ちょっと時間を下さい。


 まだ午前中だったというのに、私は現実逃避ぎみに動くのをやめ、さっさと野営の準備を始めた。


 紙人形は早く行こうと急かしたが、そんなものは無視である。

 むしろ、何故お前はそんなに元気なのかと問いただしたい。

 断固として動くことを拒否して、焚き火の火を突きながら残りの半日過ごした。

 紙人形が、まだ行かないのかと訴えるように、ピョンピョン、ピョンピョン周りを飛び跳ねるのが鬱陶しい。


 さらに翌朝、昨日と同様に焚き火をつつく。

 日が明けても動こうとしない私を見兼ねたように、籠をよじ登った紙人形が一つ目小僧からもらったリンゴのような果実を勧めてきたので、何個かかじる。


 さあ、体力は回復しただろ、と急かす紙人形を無視し続けて、ぼんやりと滝を眺める。


 わかってるよ。ここにいたって仕方ないことくらいわかってるよ。


 私はハァーーーと大きく息をついた。


 そして昼頃にようやく、重い腰を動かすことにしたのだった。


 紙人形に確認してもらったが、進みやすいのは滝の脇にある岩を登っていくルートのようだ。


 確かに階段状に点々と大石があったり岩が僅かに突き出したりしている。滝の脇は一見垂直の崖だが、よく見るとかなり急な斜面という感じだ。


 突起のない岩壁と違い、岩や石がゴロゴロしているだけ登りやすいと思う。


 こういうときは躊躇わずに一気に登ってしまうのが肝要だ。

 私は気合いを入れるため、一度、よし!と大きな声を出してから一番手前の石に手をかけた。

 道を確かめるために先行していた紙人形が驚いたように振り返ったが見なかったことにしよう。


 一歩一歩確かめながら足を上げ手を突き出し進んでいく。登り進めていくうちに足も腕もガクガクしてくる。でも、一番の敵は、滝から絶え間なく飛んでくる水しぶきだと思う。冷たくて冷たくて凍えそうに寒いし、手の指も足先も感覚がなくなってきた。


 上にあがったら真っ先に火にあたりたい。叶うことなら湯船に浸かりたい。足湯でもいいから!


 とはいえ、登ってすぐに温泉が湧いているなんて、そんな都合の良いことなんてあるわけがない。とにかく暖を取ることだけを希望に、私は岩にしがみついた。


 滝上まであと少し、というところまで来た。

 が、そこで私は手と足を止めた。あとちょっとなのだが、そのあとちょっとの部分にある岩は完全に水をかぶっている。ビチャビチャ水が跳ね返っているのが見えて、私は顔を顰める。


 うわぁ……あそこ行きたくない。


 水しぶきの冷たさも、手足が切り裂かれるように痛む寒さも、全てはこの滝の水が原因だ。その中にわざわざ入らなければ上にあがれないなんて。


 私はギュッと目を閉じた。


 いや、行くしかない。

 暖かい焚き火に当たるのだ!


 そしてキッと目を見開く。

 

 私は心と手足に鞭打って、グッと手を伸ばし、水が当たって跳ねている岩を掴んで体を乗り出した。


 しかしその瞬間、ズルっと手が滑って岩を掴みそこねてバランスを崩す。


 うわっ!!!


 体がグラっとし、落下しそうになる。数メートル下は固い地面と滝壺だ。


 死ぬ!


 咄嗟に逆の手を伸ばし、なんとか別の岩を掴んだものの、水が容赦なく叩きつけてくる。


 じりじりと手が滑っていく。もう掴んでおけない。

 そう思ったとき、ついにズルっと体ごと滑った。


 私は必死に掴まれる場所を探す。壁から体を離したらおしまいだ。とにかく、腕と体で引っ掛かりを探す。バランスを崩したことで、勢いよく水流が打ち付け息がしにくい。服は上に捲れてお腹が直接岩肌石に擦れる。それでもどうにかこうにか滝の裏側の岩に体を引き寄せ、ズズズと少し滑り落ちたところで体が岩の突起にぶつかることで、ようやく落下の危機的状況から解放された。


 顔には未だバチャバチャと水が当たるが、落下が止まり、ホッとする。


 慎重に水の当たらない場所まで移動すると、上から降りてきた紙人形が、心配するように私の顔を覗き込んだ。


 大丈夫だよ、と言って強気に微笑んでみせる。


 とはいっても、体は水でびっしょり濡れて凍えるように寒いし、体中が痛む。


 上を見上げると、滝の上に上がるには、まだもう少し登る必要があることがわかる。

 私は岩にギュッとしがみついて泣きたくなった。


 ただ、ずっとここにしがみついているわけにはいかない。そのうち凍え死ぬか力つきて落下死することになるだろう。


 泣き出したいのを必死に堪えて、私は奥歯をきつく噛み締めて、再び登り始めた。


 先程は先行していた紙人形は、今度は励ますうに私に寄り添って進んでくれた。

 途中で諦めずに登り切ることができたのは、紙人形のお陰だったとおもう。


 今度は慎重に登りきり、私はようやく滝の上の平らな場所にたどり着いた。ようやくホッと息をつく。

 しかし、手も足も限界だし、お腹がヒリヒリして痛む。そして、とにかく寒い。


 火を焚きたかったけれど、そんな元気もない。

 籠をおろして、なんとか体温を下げないようにと蹲っていたら、いつの間にか自分の体は、一つ目小僧を追っていたときのような四足歩行の形になっていた。


 服はサイズが合わずにその場に脱げてしまっているが、濡れていて脱がなくては体温を奪われるばかりなので丁度いい。丸くなって手足をしまう。


 そうやって小さくなっていると、どこかに行っていた紙人形が心配そうに私を見たあと、私の耳を引っ張った。


 どこかに連れていきたいようだ。

 正直、微動だにしたくなかったのだが、あまりにもしつこいので、体に鞭を打ってのそのそ着いていくと、そこには小さな木の洞があった。


 四足歩行の今なら何とか入れるくらいの大きさだ。


 風を凌げて少しでも休める場所を探してくれたらしい。私は紙人形にお礼を言って、もそもそと洞の中に入って小さくなった。

 先程よりも少し暖かい気がする。そのままじっとしていていたら、どんどん眠たくなってきて、私はウトウトと眠りこんでしまった。


 目が覚めると、空には月が高く上がっていた。

 少し動くとカサカサ音がして、いったい何の音だろうと見遣ると、枯れ葉が洞の中に敷き詰められていた。それがじんわり暖かくて、私は少し身動ぎしてそれに埋もれる。

 すると、葉音に気づいたのか、紙人形が洞の中を覗き込んできた。私の目が覚めたことを確かめると、一枚、また一枚と蓮華姫の花びらを持ってきてくれる。


 今までケチって使ってなかったけれど、私が寝ている間に巾着を探して持ってきてくれたのだろう。


 随分心配をかけたらしい。


「木の葉も君が?」


と声をかけると、紙人形は小さく頷いた。


「ありがとう。暖かく寝られたよ。蓮華もありがとうね」


というと、照れた様子で木の洞から出ていった。

 外で見張りをしてくれているのだろう。


 私は持ってきてもらった蓮華の花びらを口にすると、すうっと再び眠りについた。


 目が覚めると、もう昼頃だった。

 洞から出ると、夜に食べた蓮華と睡眠のお陰で動けるくらいまで体力が回復していた。

 私はとにかく温まりたくて、すぐに火を焚く。

 一晩中見張りをしてくれていた紙人形にお礼を言って休ませて、私は火を突きながら息をついた。


 昨日、四足歩行に変わったときに脱げた服を探しに行かなくてはと思いながら体を見回すと、あちこちに擦り傷ができていた。


 特にお腹は酷い有様だ。ところどころ毛がはげ、乾いた血がこびりついている。今は血は止まっているけれど、鈍い痛みがある。妖でも血は出るんだ……と、どうでもいいことをぼんやりと思った。そういえば、顔に水がかかったときも苦しかった。空気も必要なようだ。


 なんとなく、妖というと、食事も不要、空気も不要、実体もあるようでないもの、という印象があったが、そうではないらしい。

 紙人形に血が流れているとは思えないので、妖に依るのかもしれないけど。


 そんなことを思いながら、改めて自分の体を見回す。今までなんとなく服を着てたけど、そもそもが毛皮なので、何も着ていなくても恥ずかしくはない。


 ふと自分の背中、腰の右下辺りに奇妙な模様があることに気付いた。鏡もないしよく見えないが、焼き印のように黒くて、黒くなっている部分だけ毛が生えていないので模様がよくわかる。

 丸い陣に見たこともない文字のようなものが刻まれていた。


 今日初めて気づいたのだが、ものすごく気味が悪い。良くわからない不安とゾワっとする悪寒が湧き上がってきて、この紋様が自分の腰に刻まれていると思うと、言い表しようがない位の嫌悪感に苛まれた。しかし、くっきり刻まれたこれを、私はどうにもできない。


 ……早く服を着よう。せめて隠して見えないようにしよう。


 私はすぐに立ち上がり、自分の着ていた服を探しに歩き出した。


 たぶんコッチからきたよな、と記憶を辿りながら河原に向かうと、服はそのままそこに落ちていた。蓮華姫から貰った巾着も一緒だ。

 見知らぬ妖や獣に持っていかれてなくて良かった。


 手早く頭から被り、毛布の方はそのまま持って焚き火のところまで戻る。どちらもまだ濡れている。少し破れているが、着られないことはない。


 焚き火の側に枝を二本立てて、そこに広げるように毛布をかけて干した。巾着も一緒に干した。

 水に濡れて腐ったりしたら大変だ。


 服は自分が着たまま焚き火に当たっていれば乾くだろう。


 まだモヤモヤした気持ちはあるものの、努めて頭の角に押しやった。


 私達はその日ゆっくりと休息を取ることにし、そのまま動かず野営地に留まった。

 夜、とても怖くて嫌な夢を見た。冷や汗をかいて飛び起きたのだが、その瞬間にどんな夢を見たのかすっかり忘れてしまった。



 朝が来た。

 ここまで来たのだ。何が何でも源流にたどり着いてやる、と決意を新たにする。


 だいぶ川幅が狭くなってきたので、源流まであと少しだと思う。

 自分の体力回復と傷の治癒が出来たらいいなと思いながら、薬草をもしゃもしゃ食べたが、効果が少しあったので、まだまだ薬効はありそうだ。


 しばらく歩いて行くと、だんだんと沢のようだったところから、さらに水量が減ってきた。


 もうちょっとだ、と少し足取りが軽くなる。


 更に歩くと、この小さな体でもピョンと飛べば越えられるくらいの幅になり、ついに跨いでも渡れるくらいになったとき、小さな岩壁からチョロチョロ水が流れ出す、川の源流にたどり着いた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ