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白月色の兎 ー妖兎の幻妖京異聞ー  作者: 御崎菟翔
第一章. 旅の始まり
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2. 蓮華の園

 ……く……苦しい……!


 私は、一面紫がかったピンク色の中に飛び込むと、足を緩め膝に手をつき、何度か大きく息を吸ったり吐いたりしながら、呼吸を整えた。

 それと同時に振り返って追いかけてくるものがないかを確認する。


 さすがに、もういないよね……


 はあ〜、ともう一度大きく息を吐き出し、その場にしゃがむ。さすがに足が限界だ。


 しゃがんだ状態で改めてあたりを見回すと、目線の少し下に、蓮華の花々が広がっていた。花の一つひとつは少し大ぶりで、何故かちょっとだけ光っているように見える。


「……蓮華だったんだ。キレイ。でも不思議」


 それに、先程までは目に入らなかったが、落ち着いてよく見ると、蓮華畑よりもやや濃い色合いの蝶がキラキラとした粉を振り撒きながら数匹舞っている。


 実に幻想的な光景だ。


 思わず、ほう、と感嘆のため息がもれる。

 その光景に魅入っていると、蝶が一匹、また一匹と、私に気づいたように少しずつ寄ってきた。

 手を少し上げると、一匹が手に乗るようにとまる。


 ぼーっとしたまま、みたこともないその美しい光景に吸い込まれるように見惚れていたからだろう。


「私の花畑を荒らすのは何者です」


と、視界の外から鋭い女性の声で突然呼びかけられ、ドキリと心臓が跳ねた。


 呼びかけられたというが、実際には心の中に突然響いてきたという方が正しいかもしれない。不思議とどちらの方向から声がかかったのか分かるが、耳で聞くよりもダイレクトに響いてきて心臓に悪い。


 私は反射的に飛び上がるように立ち上がり、声の主の方へ振り返った。


 そこには、薄紫色の長い髪を1つにまとめ、蝶と同じ色のキレイな着物を纏った人間の姿をした女性が、静かな怒りをたたえて立っていた。


「あなたですか。私の蝶を連れ去り、たくさんの蓮華を根こそぎ抜きとっていったのは」


 口は動いているが、言葉は私の中で響くし、口の形と言葉があっていない気がする。吹き替え映画を見ているような感じだ。


 しかし、言葉自体はわかっても、その意味が全くわからない。私は蝶を連れ去ってなんていないし、蓮華も抜いていない。


 私は首を傾げて女性を見る。


 伝わるかどうかわからないが、そのまま話してみよう。


「……私は何もしていませんが、蓮華と蝶を誰かに盗まれたんですか?」


 どうやら伝わったようだが、女性は、質問に質問で返されたのが気に入らなかったのか、イライラしたように声を荒げる。


「何をとぼけたことを。何度も何度も盗んでおいて!

 見張っておいて良かったこと。

 見なさい。あのように荒らしたことで、土から掘り返され、美しく整えた園が台無しではありませんか。それに、育てた蓮華は丁寧に摘み取り、大君へ献上する予定だったのです。それを盗んだばかりか、私の大事な蝶まで連れ去るなど!」


 袖がバサリと音を立てるほど乱暴に指し示された場所を見ると、確かに蓮華畑の端の方が不自然に一部欠けている。


 なるほど。先程まで気づかなかったけれど、せっかくの美しい園なのに、その一部だけ花が途切れて土がむき出しになり、残念なことになっている。


 大君が誰かはわからないけれど、せっかく育てた園を荒らされ献上するはずだった花を盗られ怒り心頭のこの女性は、犯人を捕まえるべく、この場で見張りをしていたらしい。

 そこへ、見慣れない者が駆け込んできて園の中で長い間しゃがみこんでいたのだ。

 私は運の悪いことに、蓮華を掘り返していた犯人だと完全に勘違いされている。

 でも、このまま盗人扱いされてはたまらない。


「あの、勝手に入ったのは申し訳ないと思いますし、大事なものを盗られたのはお気の毒ですが、私は何も盗んでいません」


 しかし、女性は納得いかないように首を振る。


「そんな筈はありません。罪人が来たら教えるようにと言い聞かせてあった蝶達が貴方に寄っていったではありませんか。貴方に違いありません」


 そんな事言われても、知らないものは知らないし、そもそも蝶にそんな事がわかるのだろうか。


 いや、兎が立って喋っているような不思議の世界ならば、そういう蝶もいるのかもしれないけれど……


「そうは言われても、私ではないんです。少し走り疲れたからしゃがんで休んでいただけで、土を掘り返したりはしていません」


 ほら、と両手のひらを見せる。土汚れなどないキレイな状態だ。相変わらず、毛むくじゃらの手には慣れないけれど。


 それを女性は疑わしげに眉を顰めて睨む。


「それに、蝶がこちらによってきたから犯人だとおっしゃいますけど、本当に貴方が言っていることが蝶にわかるんですか?」

「当たり前でしょう! 私が手塩にかけて育てた蝶たちですよ!」


 女性は侮辱されたと思ったのか、顔を真っ赤にして、ほとんど叫ぶように言った。


 私は僅かに眉間にシワを寄せる。

 これほど興奮されては、話が進まない。


 でも、弁解するにも、ひとまず、蝶のことから解決しておきたいんだよなぁ……

 もし、本当に言葉が通じるのだとすれば、今度は蝶が寄ってきた理由を解明しなければならないし……

 とりあえず、ひとつひとつ解決していきたい。


「うーん……では、この場で蝶たちに、あちらの畑の端に集まるように言ってみてください」


 不意に言われた事で、女性は一瞬戸惑ったような様子を見せる。


 しかしすぐに、


「なぜ、貴方にそのような……」


と、女性は癪に障ったように反論しかけた。

 けれど、私はそれを遮る。


「蝶がよってくるのが根拠なのでしょう?ならば、ひとまず、貴方の言いつけどおり蝶が動けるかどうかを証明してもらわなければ困ります。

 まあ、本当に動けたとしても、私が犯人で無いことは確かなので、易々とは認められませんが、少なくとも根拠の有効性だけは示してください」


 私の無実を証明するためだ。犯人扱いする前に、ひとまず協力してもらわなくては。


「根拠に出来るような力が蝶にはあるのでしょう?」

「そ、そうです。蝶たちが教えてくれているのです」

「では、本当にそのように動けるのかを、まず見せてください」


 女性は一度、うぐぐっと押し黙ったあと、意を決して、畑の一角をすっと指さした。


「貴方たち、畑のあちら側に行ってちょうだい。そこの失礼な兎に貴方達の賢さを見せておやりなさい」


 しかし、蝶達は相変わらず、私と女性の周りをふわふわと舞っていて、移動する気配がない。


「さあ、お行きなさい」


 女性はもう一度声をかける。

 が、やはり反応はない。


「どうしたというの。いつもは私の言うことをきちんと聞くじゃないの」


 女性は痺れを切らしたように、さあ、さあ、と、自分の周りの蝶たちを手を振りながら追い立て始めた。


 えーー、いいの、それ?


 そう思いつつ見ていたけれど、蝶たちはやはり、女性の手をふわりと避けながらも移動する気配はみせない。


 しばらく様子を見て確認したあと、私はもう一度ため息をついた。


 やっぱり、蝶は蝶だね。


「貴方に言われたからと言って、特に移動などはしないようですね」

「そんな筈は……」


 女性は狼狽えたように蝶たちと私をみる。


「で……では、誰がこの畑を荒らしたというのです」

「そんなこと私にわかるわけがないでしょう」

「本当に貴方でないのならば、証拠を示しなさいな」


 まだ言うか。


「なら、まず、状況を教えて下さい。証拠と言われたって示せるものなんてありませんし、何が証拠になるかわかりませんから」


 私の言葉に女性は渋る様子を見せたものの、さっさと問題を解決したいのだろう。

 私を連れて荒らされた蓮華畑の一部に向かい始めた。


 私は歩きながら改めて周囲を見回す。

 柵のようなものはないが、大きな円形に蓮華が咲いている。不思議とデコボコした場所もなくキレイな円形だ。ただ一点、荒された場所を除いて。

 確かにキレイなのだが、そうは言っても蓮華だ。わざわざ盗んで行くものだろうか。しかも摘み取るのではなく掘り返してまで。


「この蓮華は何か特別なんですか? たしかに普通よりキレイですけど」


 私が溢すと、女性は眉根を寄せる。


「何を言っているのです。この蓮華はこの場所にしか咲かない特別なものですよ。それに、花は貴重な薬になるのです。それくらい、この辺りの妖ならば誰でも知っています」


 「妖」という言葉が出てきて、私はピクッと反応する。


「妖ですか?」


 私がそう言うと、女性は首をかしげる。


「何かおかしな事でもありましたか?」

「あ、いえ。良くわからないことを言っていると思いますが、私、この世界に来たばかりで……あの、この世界には妖がいるのですか?」

「妖以外に何がいるというのです」

「え、人とか動物とか……貴方も人ですよね?」

「人なんていませんよ。私も、ほら」


 女性は、不意に自分の背中から蝶のような大きな翅を広げる。


 わぁ! すごい!


 妖だって。つまり妖怪の世界なの? 私は兎の妖怪ってこと?


 私が静かに興奮していると、女性は奇妙なものを見るような目で


「そんなことはどうでもいいのです。今は蓮華の話ですよ」


と翅をしまってしまった。


 非常に残念だ。もっとよく見たかったのに。どうやって生えてるのかとか、本当に飛べるのかとか、鱗粉は出るのかとか。


 私が恨めしい目で見つめていると、女性はフンと鼻を鳴らした。


「さあ、ここですよ」


 近くに来ると、一層悲惨さがよくわかる。これは確かに怒りたくもなるだろ。


 土が掘り返されて、ところどころ土がボコボコと盛り上がり、小石がゴロゴロしている。

 もう一度植え直すには土を均すところから始めないと行けないだろ。


 掘り返された土を触ると、確かに柔らかい土が表に出てきている状態だ。


「根こそぎ奪われたと言いましたが、根にも何か効能があるんですか?」

「そんなもの、あるわけ無いでしょう。周囲にほんの僅かに漂う陽の気を花が吸収して薬に変化するのですから」


 また初めての言葉が出てきた。


「陽の気、ですか?」


 私が尋ねると女性は諦めたようにハアとため息をついた。


「こちらの世界に生まれたばかりならば仕方ありませんね。いいでしょう。教えて差し上げます」


 生まれた?


 私は首を傾げたが、女性は無視して話を続ける。


「陽の気というのは、人の世に満ちていると言われる気のことです。この妖の世では、周囲に陰の気が満ち、太陽はほんの僅かしか見えません」


 そう言うと、女性は空を指し示す。確かに、空には登り始めた太陽の影が雲の向こうにぼんやりとほんの僅かに見える。

 しかも朝であるはずなのに、周囲は太陽が出る直前の夜明け前か沈んだ直後の夕暮れくらいの明るさだ。


 なるほど、不思議な世界だ。

 妖といえば、黄昏時から夜間に出るもの、という印象が強い。陰と陽というのも、よく聞く言葉だ。イメージしやすい。


「陽の気は本来妖の世界にはありません。ただ、そこの山の頂にだけは陽の気が満ち、陽の気で満たされた泉があると言います。ここは、その頂から僅かに漏れ出る陽の気が薄く漂っている場所なのです」


 へぇ。私が走って降りた山はずいぶん特殊な山だったらしい。最初に出た泉は、女性の話す陽の気が満ちる泉だったのかもしれない。


「確かに、上の方にキレイな湖がありましたね。そんなに珍しいものだったなら、もう少ししっかり見ておくべきでした」


 私が残念に思っていると、女性は目を丸くして私を見た。


「あの山から来たのですか? しかも泉から?」

「ええ、まあ。気づいたら泉のそばにいました。この世界に来たばかりだと言ったでしょう。いろいろあって、一気に山を降りてきてしまいましたが」


 私はそう口にして、動く紙人形を頭に思い浮かべて思わず身震いする。


 一方、女性は何故か私を見たまま固まってしまった。また何かおかしな事でも言っただろうか。


 何とも居心地が悪くなり、私は話をもとに戻す。


「蝶も盗まれたと言いましたね。蝶の役割はなんです?」


 通常でいえば受粉だが、妖の世界では違うのかもしれない。そう思って問うと、女性は私の呼びかけにはっと正気を取り戻したように


「蝶が花と花の間を飛び回ることで花が種をつけ、増えるのです」


と答えた。


 なるほど、蝶の役割は人の世と同じのようだ。


「であれば、根こそぎ奪って別の場所で育てようとしたのかも知れませんね」


 根には効果のない蓮華をわざわざわざ根から掘り返して持って行き、受粉に必要な蝶を連れ去ったのではないだろうか。


 しかし女性は首を傾げる


「他の場所では育たないのに?」


 むしろ首を傾げたくなったのはこちらだ。

 山から流れ出る陽の気で育つならば、この山の周囲では同じように育つはずだ。

 この場所にピンポイントで陽の気が流れてくるわけではないだろう。

 根から奪って植え替え、虫に花粉を運ばせれば、そのうち数も増えるのではなかろうか。


「この場所、というのは、山の麓とかそう言うことですよね。それならば……」


 私が言いかけると、女性は即座に首を横に振った。


「いいえ。厳密に言えば、今蓮華が生えているこの一帯以外には育ちません」


 私はそれ以上続けることができずにポカンと口を開けた。


 そんなにピンポイントなことある?


 そう思ったが、すぐにある現象を思い出した。

 土壌の汚染などの話題の時に、周囲は何ともないのに、ある一帯だけ異常に汚染が進んでいるような場所をホットスポットと呼ぶと聞いたことがある。ここはそれに当たるのだろうか。


 もしそうだとしたら花の特別な効能も、周囲にある気のせいではなく、土のせいなのかもしれない。そんなこと調べようが無いが。


 ただそう考えると、この場所でしか育たないということにも頷ける。


「そのことは、この辺りの者ならば皆知っていることですか?」

「皆かどうかはわかりませんが、大抵知っていると思いますよ」


 ほうほう。


「では、蓮華が盗まれ始めた頃に、そのことを知らない人物が来たということはありませんか?」


 蓮華の価値は知っている。でも、他では育たないことは知らない。そんな人物がいれば、恐らくそれが犯人なのでは無いだろうか。余所者や新入りという可能性が高そうだ。


 女性はうーんと考え始めたが、すぐに


「そういえば」


と顔を上げた。


「一月ほど前に、見知らぬカッパが来たことがありました」


 カッパ!? すごい、見たい!


「この蓮華は、先程も言った通り、大変貴重な薬です。そのため、私が同等と判断したものと交換でなければ渡しません。けれど、カッパは何も持たずに来たのです。

 しかも、大病を患った者が居るのであれば後払いでも良いと言ったのですが、どうにも言動が怪しく、詳しく問い詰めたところ、売るつもりだったというではありませんか。

 腹が立って、そのまま追い返したのです」

 

 あぁ、きっとそいつだろうな。根拠は薄いが、多分そうだと思う。


「この蓮華、他に植え替えたらどのくらい持つと思いますか?」

「はっきりとは言えませんが、三日ほどで枯れてしまうと思います」


 なるほど。


「前に蓮華を持っていかれたのはいつですか?」

「三日前です」


 三日で枯れてしまうならば、そろそろ持ち帰った蓮華が枯れてきている頃だ。私は空を見上げる。


 盗むなら、夜間寝静まった頃だろう。妖が夜寝るのかはわからないが……


「いつも持っていかれるのは夜ですか?」


 私が尋ねると、女性は「ええ」と頷く。

 ならば何故真っ昼間に畑に来た私を有無も言わさず犯人扱いしたのか。納得できない。


 納得はできないが、小心者はそんな事すら言い出せない。仕方ないので、もういいということにしておこう。


「なら、今夜辺り、また来るかも知れませんね」


 丁度いいタイミングだったかも。

 しかし女性は疑わしげに私を見た。そんな目で見なくてもいいのに。


「もう、何度か持っていかれているのでしょう?蓮華を持って帰って植え変えるのに枯れてしまうから、何度も蓮華を盗みに来るのだと思います。

 ここでしか育たない事を知らない犯人は方法を変えながら、育て方を模索しているかも知れませんね。蝶まで連れて行くのですから」


 正直、そんな労力をかけられるなら盗みなんて働かないで地道に何か用意して交換すれば良いと思うが、それだけこの蓮華には価値があるのかもしれない。


「ひとまず、夜まで待つのが良いでしょうね。今日か明日には来ると思いますよ。来なければ、育てるのを諦めたということでしょうし」


 私がそう言うと、女性はハアとため息を一つついた。


「では、夜まで我が家へどうぞ。お茶くらい出しましょう」


 先程まで盗人扱いされていたのに、まさか家に招待してもらえるとは思わず、私がまじまじと女性を見つめていると、女性にジロリと睨まれた。


「なんです?」

「いえ、何でもございません」


 まあ、一息つかせてくれると言うならば、お言葉に甘えよう。


 そう思っていると、「そういえば」と女性が私の方に目を向けた。


「さっきから背中に貼りつけている紙人形はなんです?」


 唐突にそう指摘されて、私はザッと血の気が引き、全身の毛が逆立つような思いに晒された。


「いっ……!? ヤ、ヤダヤダヤダ! 取ってとってとってーーーーー!!!」


 こんなに怖い思いをしたことがあっただろうか。必死に走って巻いたと思っていた紙人形が、まさかずっと自分の背中に張り付いていたなんて!


 私が叫びながらバタバタしていると、女性はヒョイと紙人形の腕をつまみ上げて、自分の目線の高さに持ち上げた。


 しげしげと紙人形を裏返したり逆さにしたりして眺め、じっと顔があると思われる部分を見つめる。


 僅かに紙人形の頭が前に倒れたかと思うと、女性はフウと小さく息を吐いた。


「連れて歩いた方がよろしいでしょう。吉と出るか凶と出るかはわかりませんが」


 何それ! 凶なんていりませんけど!


 私はじりっと紙人形から距離を取る。


「い、いらないです! そんな不吉そうなもの!」


 私はそう叫んだが、女性は静かに首を振る。


「吉と出れば、強い味方になりなすよ。危うい状況になったときに必ず助けになるでしょう。

貴方の害となるような行動をするのであれば、早々に燃やしてしまえば良いのです」


 いつの間にか女性の手のひらに立っていた紙人形は、最初は女性の言葉に深く頷いていたが、燃やすという言葉が出ると、驚いたように女性を見つめた。


 泉の周りで見たときはヨロヨロしていたが、何だか動きがしっかりしてきている。

 かと言って、見た目の気持ち悪さは消えないが。

 悪いものを封じ込めた御札みたいに見えるのだ。


「そこまで言うなら、貴方が貰ってくれませんか?」


 私はそう主張したが、女性は再び首を振る。


「これは、貴方のためのものですよ。それに、その紙人形はどんな事をしても貴方について行く気で居るようですし」


 紙人形を見ると、無言でコクコクと頷いている。

 そして、不意に女性の掌から勢いをつけて飛び降り、身軽な様子でピョンピョンピョンと飛び跳ねて、私の肩に着地する。


 ひぃぃ!


 私が思わず手で払おうとすると、今度は頭の上に移動する。それを捕まえようと頭に手をやると今度はもう一方の肩に降りる。それを捕まえようとすると背中に移動する。


 そんなことを繰り返し、私は自分の体周りを負いながらクルクルその場で無様に回る事になった。


 数周したところで、私はハアハア肩で息をし、女性がクスクスと笑い始めた。


 私がピタっと動きを止めて女性を見ると、紙人形も動くのをピタっと止めた。


「もう諦めなさいな」


 クスクスが止まらない女性を見て肩の上の紙人形に目を向けると、紙人形は肩を竦めるようにしながら私を見た。


 私はため息を一つつき、紙人形をツンとつついた。気味の悪さは残るものの仕方ない。


「凶なんて運び込んできたら、すぐに燃やすからね」


というと、紙人形は大きく頷いた。



 女性に着いていくと、これ程大きく育つものかと思うほど大きな木が一本立っていた。

 その中央には、女性が屈まず中に入れるくらいの洞がぽっかりあいている。


 中は絨毯のようなものが敷かれていて、中央に円座が2つ置かれていた。


 部屋の端には大きく幅のある木箱が置かれていて、棚もある。棚の上には薬を煎じるための道具が置かれ、天井からは薬草が吊るされていた。


 外から見るよりも広く見える。

 私がしげしげと見回していると、


「女性の部屋をそのように見るものではありませんよ」


と窘められた。


 私は円座に座るように促されるとお茶を勧められる。温かい緑茶だ。立ち上る湯気を見て、私はほっと息を吐いた。


 少し女性と話をしたかったのだが、女性は私にお茶を準備すると、さっさと外に出ていってしまった。

 紙人形はそれを見て、ヒョイっと私の肩から降りて後を追いかけていく。


 あれ、私も外に出たほうがいいの?


と頭をよぎったが、出されたお茶を放置するわけにもいかず、一人静かにお茶をすすった。


 結局、女性と紙人形は日が傾き始める頃に二人揃って戻ってきた。


 私は他人の家ですることもなく、ただボーッとしただけでほぼ一日を終えた。途中でウトウトしてしまった程だ。客人を招いておきながら放置するなんて一体どういう了見だろうか。


 しかも、帰ってきての第一声が


「もう日が沈みますよ、何をボケっとしているのです」


だったので、思わず握りこぶしを作った程だ。


 言いたいことは山ほどあったが、口答えしたら面倒な事になりそうな気がして、私はグッと飲み込んで外へ出た。



 私達は少し離れた場所から蓮華畑を見張る。妖の世界で初めての夜だ。


 空を見上げると、昼間、太陽は雲がかかったようによく見えなかったのに、月はくっきりと浮かんでいる。夜になって雲が晴れた?それとも、もっと別の仕組みがあるのだろうか。

 やっぱりよくわからない世界だ。


 盗人を見張らなければならないが、一方で突然変な妖や幽霊が出たら……という恐怖とも戦わなくてはならない。前方よりもよっぽど背後が気になって気になって仕方ない。ブワッと何かに来られたら、叫ばない自信がない。


 未知なる存在への不安が溢れそうで、何かを握って紛らわせようとしていたのだろう。知らずしらずの間に紙人形を握りつぶしていた。

 紙人形が左右に体をブンブン振っているのを見てようやく気づき、パッと手を離した。


 紙人形は地団駄を踏んで抗議してきたが、不思議な事に、クチャっとなった部分は時間が経つと元通りに戻ったので問題無いと思う。


 蓮華畑の主には呆れ顔で見られたが、見なかったことにする。


 そんな事をしている間に、蓮華畑の端でゴソゴソと影が一つ動いた。


 来た!


 遠くて良くはわからないが、その影は二足歩行でクワのようなものを持っている。

 それを思い切り振り上げた時、蓮華畑の主が怒りに打ち震えながら飛び出そうとした。

 しっかりたすき掛けをした上で、肩には麻縄をかけていて、捕まえる気満々だ。


 しかし、まだ早い。


「まだ、もうちょっと待ってください」


 私はすぐに、駆け出して行こうとした女性を小声で呼び止め押し止める。


 こういうときは、言い逃れできない決定的な証拠を掴んで捕まえるべきだ。万引きGメンと同じで、持ち去る現場を確実に現行犯として押さえるのだ。


「何故です! また荒らされてしまうではないですか!」


 女性もヒソヒソ声で応戦する。でも、私は首を振る。


「確実に持ち去ったところを捕らえるのです。そうでなければ言い逃れされるかもしれません。それに、蝶も連れて行かれたのでしょう。場所を明らかにして連れ戻すべきでは?」


 そう言うと、女性はグッと息を呑みこんだあと、キッと盗人を睨んで静かにその場に座った。


 盗人は、やはり女性の言っていた通りカッパだった。頭の皿を光らせて、水掻きのある手足を使って蓮華畑を掘り返していく。


 緑の体がヌメヌメ月明かりに光って気持ち悪い。

 爬虫類だね、あれは……


 人と同じくらいの背丈で二足歩行で追いかけてくる爬虫類の姿を思い浮かべてしまい、私は慌てて頭を振る。怖いなんてもんじゃない。


 そんな事を考えているうちに、カッパは蓮華を根から掘り返しては背負ってきたらしい籠の中に入れていく。


 隣からギリギリと歯ぎしりする音が聞こえてくる。いつ飛び出すかとヒヤヒヤしながらカッパの動向を見守る。


 ある程度掘り返したあと、カッパは周囲を見回して、今度は籠から網を取り出して振り回し始めた。ついでに蝶を捕まえるつもりなのだろう。


 あ、もう見守るのは無理そう。

 女性がそろそろ我慢の限界だ。


 私は落ち着いてと女性を押し留めたあと、近くに手頃な石を探す。

 そして、身を隠しながら少し移動して、私達から少し離れた木に向けて放り投げた。


 トンッ、カサッ、という音が、シンとした月夜に響く。


 カッパはその音にビクっとしたように、網を振り回すのを止めて辺の様子を窺った。


 私達はさっと木の後ろに身を隠す。


 しばらくすると、カッパはそそくさと網を籠に戻してその場を離れる準備をし始めた。


 私は女性に合流すると、「行きますよ」と声を潜めて指示をだした。



 私達はカッパの後を息を殺して着いていく。森の中を進んでいくため、歩きにくいが姿を隠しながら進むには丁度いい。

 木々の間から漏れる月明かりを頼りにカッパの後を追った。


 しばらく歩くと、少し開けた場所に出た。

 左側にはちょっとした沼があり、右側には岩壁にぽっかり空いた洞窟がある。


 その丁度真ん中に小さな畑が広がっていた。


 ただ、畑と言っても荒れ放題で、雑草があちこちに生え、枯れた花が頭を垂れて生えている。


「くそっ! 雑草ばかり生えやがって!」


 蓮華泥棒は、自分の畑らしき場所に着くと、蓮華の入った籠を置くいて雑草をせっせと抜き始めた。その中には、枯れてしまった蓮華も紛れているように見えた。


 隣では、本来の蓮華の持ち主が待てを食らった犬のようにウズウズしている。


「もういいですか? もういいでしょう?」


 本当は蝶を放つまで待ちたかったけれど、もうこれ以上待つのは無理だろう。隣の人が。


 ここまでくれば家探しも出来るだろうし、問い詰めることも容易だろう。


 そう思って私はGOサインを出した。


 そこから先は早かった。女性はバッと飛び出し、盗人が事態を飲み込めずにワタワタしている間に飛びついた。

 肩からかけていた麻縄を素早く取り出し、あっという間に縛り上げてしまった。


 見事な手腕に私は呆気にとられるしかない。

 ポカンと口を開けている間に、女性は盗人に向かって怒声を上げた。


「私の大事な蝶たちはどこです!」


 私がハッとして盗人に近づくと、やはり籠の中には蓮華が根から入っているし、畑には雑草に混じって枯れた蓮華が打ち捨てられている。


「何だよ! 俺は知らねーよ!」


 なんて言ってるけど、畑で網を振り回していた以上、蝶泥棒も確実にやらかしているだろう。


 泥棒は女性に任せて、私は右側の洞窟に足を進める。するとすぐに、口に蓋をした籠が置かれていた。それをパッと退けると、蝶が二匹ふわっと舞い上がる。


 そのままヒラヒラと私の周りを舞ったあと、女性の元へ飛んでいった。


 なんか意思があるみたいだな。


 女性が最初に蝶たちに犯人を教えさせようとしたのもそんなにおかしな事じゃなかったかも。


 私はそんな事をぼんやり思った。


 蝶が戻ってきた女性は、とても素敵な笑顔で愛おしそうに二匹を軽く撫でた。


 こうして、だいぶ呆気なく蓮華泥棒は捕らえられたのだった。


 ちなみに、捕まえた犯人をどうするのか訪ねたら


「心から反省させて二度とこのようなことが出来ないようにさせてやります」


と何ともすごみのある笑みでカッパを見下ろしたので、それ以上詳しく聞くのはやめておいた。


 カッパに助けてと目で訴えられたが、私にはどうすることもできない。見てみぬ振りを決め込んだ。



 結局、蓮華畑に帰って来れたのは、空が白み始めた頃だった。


 こんな事なら、昼間放置されたときに寝ておくんだったと後悔した。妖の体でも睡眠は必要らしい。


 女性の家に戻ってお茶をもらいウツラウツラしていたら、


「少し寝ていったらいかがです?」


と言われたのでお言葉に甘えることにした。



 目が覚めたのは昼頃だった。御暇しようと立ち上がると、


「これを差し上げます」


と蓮華の園の主は巾着いっぱいに詰まった蓮華の花びらを私に差し出した。

 巾着には長い紐が付けられていて、ポシェットのように肩から下げられるようになっていた。


 これだけの量を集めるにはかなりたくさんの蓮華が必要だったのでは無いだろうか。


「こんなにたくさん頂けません。大君という方に献上する予定だったのでしょう?」


 すると、女性は目を丸くしたあと、くすくすと笑った。


「良いのですよ。これからの旅にお役立てくださいな。このような時の為に育てているのですから。

 ただし、この巾着は肌見放さず持っているのですよ。毒や病にしか効きませんが、御身の危機には必ず口になさいませ。

 それから、巾着の中身が無くなれば、ここに必ず戻ってくると約束してくださいな」


 何だか、大した事はしていないのに物凄く感謝してくれているようだが、本当に貰って良いのだろうか……


 私が受け取るのを躊躇っていると、女性にグイと巾着を押し付けられた。


「善意を断るような無粋な真似は許しませんよ」


 有無を言わさぬ女性の顔に苦笑を漏らしながら、私は好意を有り難く受け取ることにした。

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