【コミカライズ】貧乏令嬢はジャムを煮る ~妹の代わりに辺境伯に嫁ぐことになった平凡な貧乏子爵の令嬢ですが、このたび旦那様に溺愛されてスローライフを堪能することになりました~
はじめて短編を書き上げることができました。
••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••
【総合日間:1位/異世界(恋愛)日間:1位】
をいただきました。(2020/11/17~19)
【累計短編BEST300:3位】をいただきました。(2021/7/30時点)
【コミカライズ】
詳細は本編終了後の下をご覧ください。
••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••
応援してくださった皆様、ありがとうございます!!
父と妹のティーナが舞踏会に出かけるのを見送った姉のソフィアは、一人キッチンへと向かう。
朝食で余ったパンに、昼の残りのスープを温めて、彼女は自分の夕食を準備する。
料理人は雇っているが、ソフィアは一人分の夕食を準備させることを遠慮した。あまり良いとはいえない給料で働いてもらっているので、辞められては困ると気をつかっているのだ。
準備を終えるとソフィアは棚から瓶を取り出す。
彼女が手にしたのは、ルビー色に輝く苺のジャムだ。
「これが最後の一個。オレンジが安くなるの、まだ少し先なのよね」
春先に売りに出された苺のなかでも、熟れて、ひと山ワンコインで叩き売られる商品に狙いを定めて大量購入し、家の大鍋で贅沢にも砂糖とレモン汁と苺だけで作る、ソフィア特製の『贅沢苺ジャム』である。
夏はオレンジ、冬になると知り合いがお裾分けしてくれる林檎でジャムを作り、一人の食事に添える。
慎ましい生活を余儀なくされるソフィアの、ささやかな楽しみなのだ。
それというのも、ソフィアの生まれ育ったマンスコット子爵家は、没落一歩手前の貧乏貴族であるからだ。
貧乏子爵家を切り盛りする父のマイオンは、娘二人が将来困らないように幼少期の頃より綿密な計画を立て、実現に向けて真摯に働きかけることにした。
まずは令嬢としてのマナー教育だ。こちらは二人の娘に分け隔てなく受けさせる。
その後は、二人の娘の進路に合った教育に専念させたのだ。
長女のソフィアは、マイオンの兄にあたるマンスコット伯爵の次男で従兄のラウノを婿養子に迎えて家を継がせるので、そのように。
次女のティーナは、少しでも良い家に嫁げるよう見た目を飾ってやり、社交界デビュー後は茶会や舞踏会へと、とにかく人目に触れるように連れて歩いた。
――これは差別ではなく区別であり、貧乏子爵であるがゆえ多くの選択肢がないのは仕方のないことなのだ
マイオンはそう信じて疑っていない。悪いのは甲斐性のないマイオン本人だが、そんな彼が娘たちに選択肢を用意できるよう心を砕いた結果、なんとか一つずつ準備できたというのが、彼の主張であった。
そんな父の期待を背負った妹のティーナも、ついに十八歳を迎えてしまい焦っていた。
マンスコット家としては、彼女にできるだけ早く良い嫁ぎ先を見つけてもらわなければならなかった。
それが理由で今年は例年に比べてドレス代も装飾代も跳ね上がっていたが、一つ年上で婚約の決まったソフィアはその出費を黙って見過ごしている。
「すごい金額だけど、お父様とティーナがこれでも安いって言うのだし、私はそういうのに疎いから分からないのよね」
ソフィアの社交歴は舞踏会デビューの一度きり。
既に婚約者の決まったソフィアは、相手を見つけるために社交へ参加する必要がない。
家の付き合いで出る場合は父がティーナを連れていく。将来家督を継いでラウノと一緒に参加するまでは、ソフィアが社交の場に出る必要は無いとのことだった。
食事を済ませると、ソフィアは父親の書斎へ行き仕事を再開する。
いつ子爵家を継いでも問題ない程度に、彼女は家の仕事を引き継ぎ終わっていたのだった。
ある日、マンスコット子爵家にシトローナ公爵が訪ねてきた。若くして家督を継いだ公爵の突然の訪問に、ソフィアは慌てふためく。
(ま、まさかティーナったら、公爵様に見初められたのかしら? でも公爵様は確かご結婚されていたはず……なら第二夫人ということかしら?)
父に呼ばれたソフィアは、ドキドキしながらシトローナ公爵を出迎えた。が、その物騒な雰囲気に、妹の結婚などという良い話でないことを察し、父が何か失敗したのかと不安に駆られた。
応接室で父とソフィアの間にティーナが座り、対面にシトローナ公爵が座る。
「それで、ティーナ嬢の愚行について弁明があるなら聞くが、どうだ?」
「いいえ。滅相もありません」
父は体を縮めて平謝りだ。その隣では項垂れて涙を流すティーナが、ときおり嗚咽を漏らしている。
全く事情を知らないソフィアが固唾をのんで見守っていると、シトローナ公爵は鼻を鳴らして事実を突きつけた。
「なら、我が妹の婚約者に色仕掛けをして、あわや婚約破棄の惨事を引き起そうとし、図々しくも後釜に収まろうとしたことを認めるのだな!」
事実を知ったソフィアは言葉を失った。妹は確かに焦っていたし、できるだけ良い家に嫁げるようにと言い聞かされていた。
だからといって既に婚約者の決まっている相手に迫るなど、恥ずべき行為である。
「我が娘は、悪気はなかったのです! お相手が魅力的で、きっとつい話し込んでしまっただけでして。そろそろ焦る年齢でもあったので良いお話があれば紹介して欲しいと頼みたかったのです」
「ふん、どうだかな。他からもティーナ嬢の振る舞いに対する苦情が出ている。――そうだ、そんなに嫁ぎ先が見つからずに焦っているなら、一人紹介してやろう。ちょうど誰か良い相手を探して欲しいと頼まれていてな。どうだ?」
どうだ、と尋ねられたところで公爵家の紹介では喜んで受ける以外の選択肢など、ありはしない。
「アッペルシ辺境伯なんだがな、中々辺鄙な領地のせいか相手がない。もう未亡人でも年上でも多少の訳アリでも構わないとさえ言っている」
その話に、ティーナの嗚咽はさらに増した。
「なんだ、泣いて喜ぶほど嬉しいか? 残念ながら本人はいたって好青年だ。遠く離れた土地でならティーナ嬢のおかしな行動も収まるだろうさ。一度しかない温情だと思ってもらってかまわない」
「あ、ありがとうございます。素晴らしい縁談でございます」
父は感謝して、二つ返事でその話を受けたのだった。
「ぜったいにいや! あんな田舎には行きたくない!」
シトローナ公爵が帰ると、堪えていたティーナは縁談が嫌だと泣いて喚いた。その様子があまりにも尋常でなく、マイオンは縁談先で問題を起こしかねないのではと心配した。
「仕方ないでしょう、ティーナ。公爵様の申し出は断れないわ。それに悪い話ではないわよ」
「お姉さまは自分が行かないから、そう言えるのよ! 悪い話じゃないって思うなら、お姉さまが行けばいいじゃない」
「私は家を継がないといけないし、仕事だって今は殆ど私がしているの。私が居なくなったらお父様は困ってしまうわよ」
普段から、子爵家の仕事しかしていないソフィアにとって、仕事は誇りであった。
言いつけを守り父の思った通りに成長し、成果を収めたことにも自信を持っていた。
それを褒められたことは無かったが、任された仕事の量分だけ認められたと思っていたのだ。
「……別に仕事は私がやれるのだから、お前が居なくなったとて困らん」
「え、……でも」
「口答えをするな! 大体ソフィアはそれしかしてないのだから、出来て当然だろう」
いろいろと計画が狂ったことと、まるで長女のソフィアがいないと仕事ができないような言われ方が癇に障ったマイオンは、大きな声で彼女を責めた。
八つ当たりであったが、マイオンは娘たちのために心を砕いて道をつないできたのだから、どんな些細なことでも否定されたくなかったのだ。
「別にお前ではなくティーナがラウノと結婚して子爵家を継いでも良いんだ。ただ、ソフィアは社交の経験がないからな。そうなったら嫁げないのはお前なんだ。分っているのか!」
「そ、そんな。私は子爵家を継ぐためだけに育てられたのですから!」
そう育てたのは父なのだから、今さら方針変更されてしまったら困ってしまう。どうしていいか分からない。
焦って言い募るソフィアが、マイオンの目には黙れと言ったのに逆らってくる聞き分けのない娘に見えた。
「お前などいなくても我が家は困ることは無い。それよりも、ティーナが嫁ぎ先で問題を起こす方が困りごとだ。アッペルシ辺境伯のところへはソフィアを行かせることにする」
その場の感情に流された安易な選択であったが、マイオンの言葉は子爵家の決定である。ソフィアもティーナも従わざるを得ない。
こうして、姉のソフィアは、妹の代わりにアッペルシ辺境伯の元へと嫁ぐことになったのだった。
◇◆◇◆
王都を出発し、馬車に揺られて五日――
景色は建物が減り、レンガで舗装された道が畦道に変わった。まばらに生えた木々も、林から森しか見えない景色へと変わっていた。その変化を見ても、ソフィアの心は怯えもしなければ、悩みもしなかった。
(私は、誰でもいいからお嫁に貰ってもらえれば、いいの)
子爵の仕事以外、なんの取柄も特技も無いソフィア。行った先の辺境伯に気に入られなかったらどうしようか。
でも、未亡人でも年上でも多少の訳アリでも良いというくらいの条件を出した方だから、初婚で十九歳のソフィアなら、仕方ないと妥協してくれるだろうか。
彼女の心は、とにかくアッペルシ辺境伯に嫌われないように気を付けるということだけで、いっぱいだったのだ。
「「「ようこそお越しくださいました。お嬢様」」」
畑と山がどこまでも広がる中に見たこともない大豪邸が建っていて、馬車を降りたソフィアを辺境伯家の家人が勢ぞろいして出迎える。
その中央には一人の男性が立っていて、それが邸の主であるユリウス・アッペルシ辺境伯なのだと、すぐに分かった。
「遠いところをよく来てくれましたね。長旅で疲れたでしょう」
「はじめまして。ソフィアと申します」
本人を目の前にした途端、急に心が不安に支配された。ソフィアは社交性が無い、というか経験が皆無だ。それに外出用のドレスも必要が無くて作らなかったし、持っているのは家で着るための質素なワンピースばかりであった。一着だけ持っていた訪問着を着てはいたが、妹のティーナが茶会に行くときの姿には遠く及ばない。
「ソフィア、私が当主のユリウスです。今日はひとまず離れでゆっくりと体を休めてください。あなたの専属メイドも二人ほど付けますので、遠慮なく頼るといい」
その言葉に、メイドが二人前に進み出る。彼女たちはマリとミラといい、名乗り終えるとソフィアを別館へと案内してくれた。
(よかった、歓迎はされているみたい)
緊張でユリウスの顔をあまり見ることはできなかったが、少なくとも声は優しかった。
歳の近いレディースメイドを二人も付けてくれたのも驚いた。子爵家ではレディースメイドは一人だけで、姉妹の両方の面倒を見てくれていたのだ。
その待遇の良さに勇気づけられて、ソフィアは、ここでやっていくことを決意したのだった。
数日後、ソフィアは暇を持て余していた。ユリウスとは食事やお茶を共にする程度で、少しずつ会話しながら交流を深めていた。
ただ、彼は日中仕事をしているので、その間ソフィアはやることがないのだ。
子爵家ではずっと仕事だけをしていたので、これといった趣味もない。仕方なしに、広い邸の庭をメイドのマリとミラを連れて散歩していた。
邸の庭に植えられていた一本の木が気になり、ソフィアはじっくりと観察する。
「これは無花果の実かしら?」
「はい、いくつかは食べごろに熟れていますね」
野菜も果物もソフィアは店先で並べられたものしか見たことがない。無花果の存在は知っていたが、彼女の狙うはひと山ワンコインの苺かオレンジなので食べたことなど無かった。
邸の庭は、季節の花が咲き、果物の木が植えられていて、その実を狙った小鳥が木の枝にとまっている。まるで別世界のようにソフィアの目には映っていた。
「なんだか凄いわね」
周囲の景色に目を奪われて目的もなく歩いていると、邸の裏手にある業者の出入り口まで来てしまった。
ちょうど農夫が荷馬車で納品に来たところらしかった。興味本位で荷台を覗くと、まるで店先のように沢山の種類の野菜と果物が積まれている。
(あ、オレンジがある!)
マーマレードを作りたかったことを思い出したソフィアは、見つけたオレンジが中々に立派で心を奪われた。
ところが農夫はそれを降ろさずに帰ろうとしたので、思わず尋ねてしまった。
「オレンジ? ああ、大きく育ちすぎたから持って帰って家族で食べるんだ。近所にも配るし、それでも余ったら捨てちまうな」
「す、捨てる?! この立派なオレンジを、捨てるのですか?」
「? ああ。こんなもん毎日山ほどとれるからな」
ひと山ワンコインで売っていたなら、即買い決定の立派なオレンジが捨てられるなんて、勿体ない。
「あの! このオレンジ、私にも譲ってください。お金もわずかならお支払いできますから!」
「「お、お嬢様?!」」
ユリウスより、ソフィアの好きにさせるよう言いつけられ見守り続けていたメイド二人も、さすがに驚いて止めに入ったのだった。
結局、ソフィアは大きく育ったオレンジを手に入れた。今はキッチンでマリとミラと一緒に大鍋でマーマレードを煮詰めている。
「もう、お嬢様が売り物にならないオレンジを欲しがったときは、どうしようかと思いましたわ」
「だって、綺麗なオレンジだとジャムにするのは抵抗があるのよ。形が歪だったり、傷んでいたり、汚れているほうが良いわ」
「納品されたオレンジを使っても大丈夫なのですよ?」
「いーの。これがいいの!」
オレンジ事件をきっかけに、マリとミラはソフィアに打ち解けはじめた。
二人は王都からきた令嬢だからと緊張していたのだが、オレンジでマーマレードを作りたいと騒いで、今も袖をまくって鍋をかき混ぜるソフィアの姿に親近感を持ったのだ。
午後、出来上がったマーマレードをスコーンに添えて、ユリウスと一緒にお茶をする。
「旦那様、マーマレードのお味はいかがですか? お嬢様と三人で作ったのですよ」
「うん、美味しいね。三人で作ったなんて楽しそうでなによりだ」
あっさりとした感想に、話を振ったマリと横に立つミラの目がギッと険しくなる。
もっと褒めろ、褒めちぎれ、と念を送られてユリウスは慌てた。
「じゃ、ジャムを作るのが好きなのかい?」
「……好き、というか、それくらいしか楽しみが無かったので」
一人の食事が少しでも楽しくなるように、あまりお金をかけることなく贅沢が出来るのも嬉しくて作っていた。
仲良くしていたメイド長に付き添ってもらい、市場に果物を買いに出かけるのも、ささやかな楽しみだった。
それに、あの頃は子爵家を継ぐ役目を任されていたので、勉強と仕事を優先し、時間をかけて楽しむ趣味を避けたら、これしか残らなかったのだ。
そんなことをポツポツと話したところ、気付けば部屋の空気がどんよりと重くなっていた。
目の前のユリウスに、控えているマリとミラが、ぐっと何かを堪えるような顔をしているのだ。
「あ、あの、どうかしましたか? マンスコット家が思ったよりも貧乏で驚かせてしまいましたか?」
「……いいえ。質素倹約は美徳ですから。ただ、そうですね。ソフィアの好きなことが、ここで沢山見つかるといいな、と」
「好きなこと……」
「気になる程度でも興味があれば話してください。何事もやってみないことには分かりませんから」
「……。そういえば――」
ひとつだけ、庭で見つけた無花果の実が気になっていると伝えると、翌日、ユリウスはソフィアを無花果狩りに連れ出したのだった。
無花果の木が遠くまで植えられた畑で、ユリウスのうしろを手提げ籠を持ってついていく。彼が摘み取った無花果を受け取り、籠に入れるのがソフィアの役目だ。
「お庭の無花果の木の話をしたつもりだったのですが」
「あれは父が趣味で植えたもので、手入れも簡単にしかしていないから味がいまいちなんだ。どうせ摘むなら美味しいほうが良いだろう」
そう言って、ユリウスが摘んだ無花果を手渡してくる。籠がいっぱいになったところで二人は周辺の散策に出かけた。
途中、ソフィアは山の斜面の上に生えていた一本の木に目が釘付けになった。楕円の丸い黄緑色の実が気になったのだ。
「あれは、檸檬ですか?」
「そうだよ。冬になると色づいて収穫できる」
はじめて見た檸檬の木に感動しているソフィアを、ユリウスは不思議に思いながらも、少しだけ安堵した。
全く縁談がまとまらず、泣きついた友人のシトローナ公爵からも会うたびに探していると言われ続けて数年。もう諦めて条件を緩くしたら、一人のまともそうな令嬢がやってきた。
大人しくて着飾らない見た目は辺境の土地に住む者達には好印象で、家人全員から絶対逃がすな囲い込めと、日々言われ続けていた。
とはいえ、王都で生まれ育った彼女が田舎暮らしに嫌気がさして帰りたいと言い出すことを心配し、部屋も離れに用意させ、できるだけ不自由しないよう二人のメイドもつけたのだった。
(むしろ、馴染んでないか? 王都で令嬢らしい暮らしもしていなかったようだし――)
「今度は、檸檬を採りに来ましょうか?」
「! はい、ぜひ行きたいです」
ためしに次の約束を口にすれば、ソフィアがぱっと笑顔を浮かべて嬉しそうに頷いた。
その顔にユリウスの心が期待でいっぱいになって、思わず緩んだ口に手を当てたのだった。
夏の終わりにアッペルシ辺境伯の元にソフィアが来てから、秋が過ぎ、冬の訪れを知らせる寒い風が吹いたころ。
秋の収穫祭や、栗拾い、きのこ狩りにと、ユリウスは、とにかくソフィアを連れて領地を見せて回った。
ここには洒落たケーキ屋もカフェも無い。アッペルシ辺境伯が治める領地内でも、海に面した港町に、王都に近い場所には規模の大きな街もあり、邸も複数所持しているのだが、ユリウスが仕事の拠点とするのは、それら全ての街から離れすぎず国境に近い場所に建てられた、この邸なのだ。
そうなると一年の大半をここで過ごすことになるので、辺鄙な土地を包み隠さず見せて、ソフィアの様子を窺いつづけた。
一方、見るものすべてが目新しく映るソフィアは、ユリウスが連れて行ってくれる先々で収穫できる食材に感動していた。
採れたては格別に美味しくて、ユリウスの話を聞いては片っ端から食べていった。
この時点でソフィアは辺境の大地に胃袋を鷲掴みにされていたといえる。
それにユリウスと一緒に食事することが、とても楽しくて幸せを感じるのだ。
マンスコット家では、父も妹も不在がちで、一人で食事を摂ることが多かった。
その時はなにも感じていなかったはずなのに、ユリウスと一緒に過ごす時間が暖かすぎて、当時を思い出すと心が酷く冷えるのだった。
――ずっと、ここで過ごしたい
ソフィアが、そんな思いを抱いていたある日、ユリウスもまた、彼女のことを手放すことが出来そうにないと思い始めていた。
せめて半年ほどは様子を見たいと思っていたが、どうしようもなくなってしまい、ある日彼はその気持ちを口にした。
「冬の雪で道がふさがる前に、王都に婚姻届を出しに行かないかい?」
いつもデートに誘うときと同じような口調で、ユリウスは問いかける。
それを聞いて、控えていたメイドのマリとミラの目がギッと険しくなる。
プロポーズなら、もっとロマンチックな言い方があるだろうが、と念を送られたが、ユリウスはそれよりもソフィアの反応が気になって仕方なかった。
「――はい。ぜひ行きたいです」
ややあって、嬉しそうに笑うソフィアもまた、いつもの言葉で快諾したのだった。
◇◆◇◆
ユリウスの仕事も兼ねてソフィアは王都へと向かった。
途中、領地で一番大きな街に所有する邸に立ち寄り、そこに住むユリウスの両親へ挨拶もした。
二人はソフィアを歓迎し、とくにユリウスの母親は若い頃に使っていた宝石類を出してきてソフィアに譲ってくれた。
デザインは古いが、宝石の質も大きさも滅多に出回らない稀少なものばかりだから、王都の宝石商に頼んで流行のデザインに作り直したらどうだろうかと提案してくれたのだ。
受け取った装飾品が気に入ったソフィアは、そのまま使うことにした。
「一周回って、レトロで可愛いと思うのです」
ネックレスを首から下げて、時折手に取って眺めているソフィアに、ユリウスは思わず目を細める。
本当に良い娘が来てくれたと思うほどに、いつか不便な土地に嫌気がさして出ていってしまうのではないかと不安がよぎるのだった。
王都では、ユリウスが仕事を先に済ませるあいだ、ソフィアはマンスコット家に滞在することになっていた。
アッペルシ辺境伯の所持するタウンハウスは、全く利用しないことを理由に他人に貸し出し中なのである。
ユリウスも友人の家や宿屋を利用するなど変則的なため、ソフィアが落ち着けるようにとの配慮であった。
久しぶりにマンスコット家のタウンハウスに帰ったソフィアは、家の雰囲気が暗いことに驚いた。元々貧乏なので高価な装飾具は飾っていなかったが、数少ないそれらが軒並み見当たらない。
とりあえず自分の部屋に荷物を置きに行けば、部屋の中の私物は全て処分されているようだった。
(出迎えてくれたメイド長も少し疲れた顔をしていたし、何があったのかしら?)
気になって話を聞こうとキッチンに行くと、毎年分けてもらえる林檎が木箱に入ったまま放置されていた。
「! やだ、こんなところに置きっぱなしにしていたら、傷んでしまうわ」
慌てたソフィアは、大鍋を取り出すと直ぐに林檎のジャムを作り出した。
皮をむき、鍋に材料を入れて火にかける。
そこへメイド長が顔を出したので、ソフィアは鍋をかき混ぜながら話を聞くことにした。
「ソフィア様が出ていかれてから、エッラは勤め先を変えることになったのです。コックも通いの者に変わりましたし。今、マンスコット家に専任で仕えているのは、私だけでございます」
エッラは、ソフィアとティーナのレディーメイドであった。
家人が減り、邸の手入れが行き届かなくなったとメイド長は深い溜息をつく。
「ティーナ様は、旦那様の言いつけを守らず出かけてばかりで。この林檎のお礼も私が代筆しましたが、いつもはソフィア様のジャムを添えて返すので先方は残念がっていましたよ。美味しくて毎年楽しみにしていたのですって」
「なら、今からこれを届けてもらおうかしら」
「ええ、先方もきっと喜ばれますね」
メイド長が出来上がったばかりのジャムを届けに出かけると、入れ違いで妹のティーナが家に帰ってきた。
「お姉さま! 今日から滞在するのでしたっけ。まぁそのネックレス、宝石が大きくて凄いわね」
「ユリウス様のお義母様に頂いたの。レトロで可愛いでしょう」
ふわりと柔らかく笑うソフィアの姿に、ティーナは内心驚いた。姉はいつも淡々としていて表情に乏しく、仕事ばかりしている印象が強かった。身に着けていた宝石も高価であることが一目でわかる代物で、――ティーナは姉が恵まれた婚約をしたのだと瞬時に悟った。
「林檎のジャムを作ったの。この家だと、どのくらい消費するかしら?」
「誰も食べないわよ。私、林檎は大嫌いなの」
「そう――なら沢山持っていっても大丈夫ね」
領地で林檎の木は見たことがなかったので、沢山あっても喜んでもらえるかもしれない。ソフィアは粗熱のとれた瓶を籠に詰めると、自分の部屋へと運んでいった。
シトローナ公爵邸――ほとんどの仕事を片付け終えたユリウスは、最後の取引先であり、旧友のアレクシスと面会していた。
「まさか、まだ結婚していないとはな。あれだけ必死だったのに、娘が来てから止まる奴があるか」
「来てみたら思っていたのと違うと言い出すかもしれないと思って、様子を見ていたんだよ」
「しかもマンスコット子爵の爺は妹ではなく姉を嫁がせていたとはな。直ぐに婚姻届けが出てれば、約束を違えたと割って入ったところだ」
「やめてくれ。私はソフィアが来てくれて本当に喜んでいるんだ」
ユリウスが気に入ってしまったので、今さらケチをつけるつもりはないが、アレクシスにしてみれば追い払った害虫が、実はずっと王都にいたのだということが気に入らなかった。
「アイツ等がこれ以上問題を起こさないのなら、それでいい。友人が幸せな結婚にありつけたことも喜ばしいことだ」
アレクシスとユリウスは学生時代からの付き合いだった。卒業後はアレクシスが毎年オフシーズンにアッペルシ辺境伯の領地へ遊びに行き、狩猟を楽しむ間柄なのだ。
付き合いの続く大切な友人が、念願かなって結婚を決めたことをアレクシスは喜んだ。
のろけ話でも聞き出してやろうと休憩を挟むと、執事がユリウス宛の手紙を渡しに入ってきた。
蝋封にマンスコット子爵家の印が押された手紙を受け取り、ユリウスは急ぎ中身を改める。
「あれれ」
間抜けな声をあげ、ユリウスはその場で固まった。
何事かと思いアレクシスが覗き込むと、手紙には『姉を嫁がせたのは手違いであり、妹を送り出すので、明日の婚姻はソフィアではなくティーナとしてほしい。ソフィアもそれを望んでいる』という内容が記されていた。
「~~あの爺!」
「……アレクシス、一つお願いがあるんだが――」
「――別に構わないが、それより直接マンスコット子爵の邸に乗り込んだらどうだ?」
ユリウスの頼みを引き受けはしたが、アレクシスは多分原因はそれじゃないと確信していた。どう考えても問題は害虫達が引き起こしているはずである。
翌日、ショックで動きの鈍いユリウスを強引に馬車に詰め込んで、アレクシスは強行に出発したのだった。
□□■
朝、身支度を整えて部屋を出ようとしたソフィアは、扉が開かないことに慌てた。
(どうしよう、古すぎて鍵が壊れたのかしら?)
ガチャガチャと乱暴にドアノブを回して少し強めに扉を引いてみる。最後には誰かに気付いてもらおうと扉を叩いて叫んでいたら、見知った男の声が聞こえてきた。
「おはよう、ソフィア。ごきげんはいかが?」
「――ラウノ! どうしてここにいるの?」
「ソフィアの親父さんから、今日は一日ここから出すなって言われたから、朝からずっと待機していたんだよ」
「ど、どういうことなの?!」
「え~。いやさ、ソフィアが出て行ってから仕事は親父さんがしていたけどさ、ティーナが女主人の仕事ができなかったんだよ。あっという間に邸の中が滞っちゃって。さすがに親父さんも女主人の仕事まではこなせないし、そのせいで付き合いのある家から見限られて、仕事にまで影響しちゃって、みんな困ってたんだよ」
以前は、子爵の仕事とは別に、家のことはソフィアが全て切り盛りしていた。もちろん最初から出来たわけではなくメイド長に聞きながら学んだのだ。
なら、ティーナもメイド長に聞けば教えてもらえるはずである。
「ティーナは社交性があるし連れて歩くのには華があるけど、家同士の手紙や季節の挨拶みたいな地味な付き合いは苦手なんだと。俺もこれ以上婿入り先の家が傾くのは勘弁だ。それにティーナが辺境地へ嫁に行ってもいいと言い出して、ならソフィアとティーナを交換するのが、みんな幸せだよねって話になったんだよ」
「ちょっとまってよ! 私の幸せは?」
「子爵家の仕事がソフィアの役割だろ。聞き分けろよ」
――なんだその理由は!
ふつふつと腹の底から怒りが込み上げてくるが、そんな感情を生まれてこのかた扱ったことのないソフィアは、口をパクパクとさせて、拳を握りしめたのだった。
マンスコット子爵の邸に突撃したユリウスとアレクシスを、着飾ったティーナと父親のマイオンが出迎える。
「お待ちしておりましたわ、ユリウス様!」
抱きつかんばかりの勢いで飛び出してきたティーナを、ユリウスは思わず手で遮った。
「手紙は読んだが、あんなもので納得できるわけがないだろう。ソフィアに会わせてくれ。彼女と直接話がしたい」
「まぁ! お姉さまではなく本当は私が嫁ぐ予定でしたのよ。そうですよね、シトローナ公爵様!」
「だが、姉を送り出したのはマイオン殿だろう。ユリウスはソフィアを気に入っている。今さら妹を差し出すなどとは、どういう了見だ?」
アレクシスがマイオンを睨みつけたが、子爵家とて後がないので素直には頷かない。
「わたくしめの手違いでした。やはり最初のお約束に従うのが道理というもの。それにソフィアも納得して、ほら、贈られたネックレスをティーナに譲ったのですよ」
ティーナの胸元には、ソフィアが気に入ったと言っていたネックレスが輝いている。
――そんな訳がない!
大事そうに嬉しそうに、ソフィアが眺めていたことを思い出し、ユリウスはカッとなった。
「とにかく、一度――」
―― ガチャーーン!
「ソフィアに会わせて――」
―― ガチャーーン!
「話しをしないことには、納得で――」
―― ガチャーーン!
「ああもう。さっきから何なんだ!」
近くで響く破壊音に言葉を遮られて苛ついたユリウスが玄関ホールから外に出ると、地面にはジャムの瓶が転がっていた。
見上げると、数枚の窓ガラスが割れていて、その一つからソフィアが顔を覗かせた。
「ユリウス様! ユリウス様――――!!」
「ソフィア!」
見つけた、あそこにいるんだな、と場所を覚えると、ユリウスはマイオンとティーナを押し退けて正面の階段を駆け上がっていった。
「おい、ソフィア! なに壊してるんだよ。やめろよな。いずれは俺の邸になるんだから!」
ラウノがドアをガンガン叩き中にいるソフィアを怒鳴りつける。鍵を開け扉を押しても、びくともしなくて困っていた。
中のソフィアは、ラウノが入ってこないようにドアの前に置いた机を全力で押していた。
どうやって逃げるとか、どうやって乗り切るとか算段は無い。ただ馬車の入ってくる気配を感じて、窓から覗いていたらユリウスが邸に入るのが見えたのだ。
このままティーナを連れて行ってしまったらどうしようと切羽詰まって、気付いてもらえるように手元にあったジャムの瓶で窓ガラスを片っ端から割ったのだった。
「うわ、俺は別に関係ないんです。ここの子爵に頼まれただけです――!」
ラウノが叫んだあと、小さなノックが聞こえた。
「ソフィア、そこにいるのかい?」
「ユリウス様! 少々お待ちください」
慌てて机をどかそうとしたが、ちょっとずつしか動いてくれない。なんどもなんども引っ張ってようやく扉が開くころには、ソフィアの腕も足も力を入れすぎてガクガクと震えが止まらなくなっていた。
やっと出てきたソフィアの顔を見て、ユリウスは安堵する。そして、マイオンやティーナが言っていたことが嘘かどうかの確認をしたくてヤキモキしていた。
それより早く、ソフィアはフラつく足取りでユリウスに倒れるように飛び込んでいき、その胸の中で泣きながら訴えた。
「ティーナではなく、私を連れて帰ってください。わ、わたし、お邸に帰りたい。置いてかないで――」
「――置いてなんていかないよ。私はソフィアを連れ戻しに来たんだから」
よかった、一緒に帰りたいと思ってくれているのだと、二人は心の底から安心したのだった。
「あいつらの処遇は、マンスコット伯爵に全責任を取ってもらう。兄は優秀だと聞いているから、こちらの納得のいく処置をしてくれるだろう。そうでなければ、どうなるか思い知らせてやる」
一度だけかけた温情を見事に踏みにじられたアレクシスは、帰りの馬車の中でマイオンの実兄であるマンスコット伯爵へ糾弾することを誓った。
元々は父親の持っていた伯爵と子爵を兄弟にひとつずつ与えて引き継いだのだが、今後は兄が伯爵も子爵も両方持つことになるだろう。
マンスコット伯爵はラウノの父親であり、いい加減な性格のラウノの将来を憂いて、しっかりもののソフィアと一緒にして子爵を継がせるように整えてあったのに、全てが水の泡となったのだった。
話を聞いていたソフィアは、寄りかかっていたユリウスの腕にぎゅっとしがみつく。
「アレクシス、その話は、これ以上は止めにしないか。ソフィアもいるのだし」
「ああ、すまない。ソフィア嬢は何も心配せずにユリウスに嫁いでくれ」
「はい。伯父さまは厳格な方ですので、お任せするのが一番だと思います」
父も妹も従兄のラウノも、貴族としての信用を失ってしまったのだ。
本人たちだけでは失った信用を回復することも、貴族としての責任を果たすこともできない。今後は伯父の監視下で平民として一生大人しく暮らすしかないのだった。
落ち込むソフィアの頭を撫でるユリウスに、アレクシスは毒気を抜かれて、話を変えた。
「この後はどうするんだ? しばらく王都でゆっくりしていけばいいと思うが」
「婚姻届を出すために数日は滞在したいところだね。あとは、ソフィアと王都を観光するのもいいかもしれない」
「邸は使えるように整え済みだ。好きにすればいい」
(邸? 滞在? 確か王都のタウンハウスは貸し出し中では……?)
宿屋にでも連泊するのかと不思議に思っていると、何やらユリウスが照れくさそうな気まずそうな顔で、目を泳がせる。
「実は、邸を……用意したんだ」
「?」
「ソフィアが、やっぱり王都が良いって言い出したのかと思って、なら王都にいつでも滞在できる邸があれば、交渉できるかと思ってね」
「!」
王都のタウンハウスなど、そんなに簡単に買えるような金額ではない。
混乱するソフィアをよそに、ユリウスは買ったばかりのタウンハウスに滞在することを決めた。
翌日に婚姻届をだし、晴れて夫婦となった二人は王都観光を楽しんだあと、雪の降りだす前に領地へと戻っていった。
翌年、ユリウスとソフィアは領地で盛大な結婚式を挙げるための準備に取り掛かる。
ソフィアに愛も時間もお金もかけたいユリウスは、質素でいいと抵抗する彼女を、あの手この手で丸め込む。
対するソフィアは、甘やかされることもお金をかけてもらうことも経験がなく、大切にされることに慣れなくて、始終混乱し通しなのだった。
こんな調子で、貧乏令嬢ソフィアは旦那様に溺愛されて末永く幸せに暮らしたのでした。
~End~
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )❤︎
=====================================
【お願い事】
楽しんでいただけましたら、下にスクロールして
【☆☆☆☆☆】で評価を押していただけると、すごく嬉しいです。
(執筆活動の励みになるので、ぜひに!!)
=====================================
【宣伝】
下スクロールしていただくと [コミカライズ] の告知があります。
本作品とあわせて応援していただけると、すごく嬉しいです!
。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。.。:+*゜