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⑶『評論文の解明』

⑶『評論文の解明』



評論文とはいい気になったものである、と、批評的な評論文を読んでいた頃、思ったものだ。対象への攻撃、その名目で、自己の投影という印象批評を以ってして、楽しむだけの、主役になるのである。楽観的批評は、その攻撃意思すら忘却している。



こんな風に思った、それは、心の中に留めておいても、何の差し支えもない。まさに、評論文の解明と打って始めたこの論も、評論を評論している様なものではあるが、結句、評論文の定位性の不可逆性を述べているのである。我々には、評論文の本質が見えてくる。



対象の、小説や詩が素晴らしいのに、その素晴らしさを述べた評論文は、素晴らしいだろうか。確かに、多くの人に、対象の良さを知ってもらうことは必要だが、やはり、批評家より、独創家のほうが、素晴らしいだろう。何時だって、想像力の源は、雨の様に、或る種の不可思議を以って、降ってくるのである。

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