抜けない棘
まだ日も明けきっていない午前四時。
「行ってきます」
陽太が、そっと家の鍵をかけて空をあおぐと、オレンジがかった青空と、白い雲が眼前に広がっていた。
マジカルアワー、日の光が遠く、夜をまだ染めきらない時間帯。
出掛けるのなんて、もう、何ヵ月ぶりだろうか。
大きく息を吸い込み、陽太は覚悟を決めて歩き出した。
ソーラーノイズ
第五話 抜けない棘
始発電車に乗り込んで、陽太は携帯のSNSアプリを開いた。付和雷同、新作、と検索すると、すでに何人か言及している人がいた。
『始発で群馬に向かってるなう』、『新作のために前泊した』『店の前に待機』、『グンマーで迷子なので誰か助けてください』などなど、朝から波瀾万丈な奴等ばかりである。
しかし何を隠そう陽太自身もまた、その群馬県某所のゲームショップへ向かう道中なのだ。
自他ともに認める引きこもりである自分が、たかだかゲームの新作で県をいくつも越えた場所まで出掛けるというのはある種の気の迷いでもある。
いや、実際気の迷いであっただろう。
佐々木との再会で、同い年ながら彼のしっかりした大人の風格に、すっかり当てられてしまったに違いない。
始発の電車は人が少なく、それでも椅子は満席だった。見渡すと、アウトドアに行く格好の人や、スーツ姿の人が見える。
自分とは違う、成功した人達。
人生を謳歌し、明るい世界で生きる人達。
陽太は胸がしめつけられる思いで電車の手すりをつかんでいた。
こういう劣等感と焦燥感で要らぬストレスを抱えてしまうのがいけないところだと自分を叱咤してみても、簡単には割りきれないものなのだ。
無理矢理外の景色に意識を向けると、車窓から青空が見えてきた。どうやら夜明けらしい。携帯を開いて時刻を確認したところで、陽太ははじめて今日は平日であることに気づいた。
「……しまった」
内心で後悔するがもう遅い。しばらく駅を越えると、学生らが電車に乗って来た。大きな指定校バッグを肩から床に下ろす姿を、陽太はありったけの平常心で見つめていた。
高校の、引きこもり時代が思い返される。
あの頃から、自分の他人に対する劣等感は変わらないまま。
窓から指す太陽の光は、今も苦手なままだ。
いっそ外が雨ならば、嵐ならば、家にとじこもる理由にもなるのに。
晴れた日に外に出るのは、世間一般では当たり前のことで、その、当たり前が出来ない自分の弱さが、悔しくて、惨めで、苦しい。
手すりをつかんだまま、陽太は目をぎゅっとつぶる。
ぐっと奥歯を噛みしめて、意識を新作ゲームに向けることに専念した。
車両にはまた二人、また三人と人が増えていく。どれだけたったろう、すっかり人がつまった車両で、赤ん坊の泣き声がして陽太は目を開けた。
声の主は自分の斜め前、電車の入り口付近で女性が抱き抱える子供のようである。
女性は困ったように子供をあやしていた。
陽太が子供の顔をじっと見ていると、子供は彼に気付いたようだ。
目の奥を見るようなその目に見つめられるうちに、子供は泣くのをやめ、陽太の顔をまじまじと見つめた。
陽太の表情がほっと緩んだが、女性が子供の目線を辿って振り返ると、慌てて下を向いて目を閉じる。
電車はまもなく、のぼりからくだりへと、その名を変えるところだった。
帰路の電車はすいていた。
電車に揺られながら、購入したゲームのパッケージを見ている陽太のポケットが、携帯の着信で震える。
見ると、佐々木猫、もとい、佐々木淳平からのメッセージが届いていた。
『来月の15日、池袋のPtスタジオでライブやるんだけど、スタッフやらないか?』
「スタッフ……?」
なにをやるのだろう。ライブということは、音楽だろうか。
佐々木がしばらくみないうちに自分とは全く違う世界にいることが少し、いやかなり悔しい。
音楽の機械を触るなどといった仕事なら、残念ながら力になれそうにない、と陽太が伝えると、佐々木から大丈夫!とスタンプが送られてきた。
『チラシを席においたり、開場したらチケット切るとかだよ』
「僕にできるかな……」
『へーきへーき。チケットと引き換えにお客さんに来場者プレゼント渡してくれたらいいだけだから』
陽太が返答に詰まる。なにぶん話ベタなうえにバイトすらやったことがないのだ。
だが、やったことがない、というのは、これを機会に挑戦できるチャンスでもある。
「失敗してもなんとかなるもん?」
『失敗?まあ、もう一人くらい声かけてみるし、そんな大事故にはならんよ』
「それなら……」
やってみたい、と思う。
うまくいけば自分も、明るい世界の住民に近づけるだろうか。
常に感じている、どこか後ろめたい思いも、ぬぐえない劣等感も、払拭できるだろうか。
陽太の答えを聞いた佐々木から、頑張ろう、とスタンプが送られてきた。
次回は、今治の過去です。