ありふれた英雄
ゲーム実況者が、お世話になった動画サイトを興隆させようと発起する話。
※この物語はフィクションです。実在する人物および団体には一切関係がありません
もうじき午後一時半になる、二〇〇八年七月二日。
窓から見えるのは、眩しいまでの青空と白い雲。
最近は空が青いほど、心に重たいなにかがのしかかる。
いっそ台風だとか、大雪だとかが降っていた方が気が休まるというものだ。
今、目が覚めたばかりだが、きっといつも通りこの家には誰もいないのだろう。そして、部屋の外には母親が用意してくれた朝御飯が置いてあるのだ。
高校生、三年の夏、受験シーズンただ中。
母親の焦る気持ちもわかる。
いや、他人事ではない。自分の人生なのだ。
自分だって、こんな昼間に、しかも平日から自室に引きこもっていることについて、なんの危機感も抱いていないわけではない。
だが、登校出来ないことは、どうしたって出来ないのだ。
「なんか、やってるかな」
僕は、ベッド脇においてあるアイパッドに手を伸ばした。画面は有名動画サイト、どろんこ動画の再生画面のままになっている。
朝起きてから夜寝るまでの間、オカルト系の動画をランダムに視聴するのが僕の日常だ。ときおり掲示板で色々なオカルト話を見たりする。
本当にそれだけの生活。
同級生らが必死で勉強しているというのにこの体たらく、涙が出る。
「こっくりさんと鬼ごっこ?」
おすすめ動画リストにあった、【二十四時間耐久実況】ロリこっくりさんと鬼ごっこした結果wwwwwというタイトルにつられて思わずサムネイルをタップする。
心霊スポットの動画か?とわくわくしながら再生を待ったが、始まったのはゲームのプレイ動画だった。
どうやらこっくりさんから逃げると勝ち、みたいなゲームらしい。
こういうフェイクというか、釣りタイトルには心底イライラする。
まあ、勝手に勘違いしたのは自分なんだけど。
「どもどもー!毎度お馴染み、しーばーです!今日はツー天堂さんのホラーゲーム、赤毛のこっくりさんをやって来たいと思いまーす」
僕は気だるく思いながら、そのまま動画を見続けることにした。時間はたくさんあるのだ。開き直ることも大事だと、この二年間の引きこもり生活で僕は学んだ。
扉の外においてあったメロンパンを取りに戻ると、画面はエンドロールが流れていた。合わせて言い訳の言葉も流れてくる。
「いやー、反則でしょ、あれはー……こんな早く死ぬとかある?」
僕は慌てて動画を巻き戻した。
「ちょっと!もう死んだの!?なんで!?」
ゲーム実況主、しーばーはプレイ早々こっくりさんに捕まって死んだらしい。タイトルには二十四時間耐久と書いてあるし、実際この動画は二十四時間分あるようだ。
僕はハラハラしながら、今度はちゃんと座り、最初から動画を再生した。
「どもどもー!毎度お馴染み、しーばーです!」
ガサガサとしただみ声の挨拶が、もう一度繰り返される。
今思えば、この人こそが、僕の人生を大きく変えてくれた英雄だった。
ソーラーノイズ
第一話 ありふれた英雄
「どもーこんにちはー。ねり梅でーす。今日は面白いフリーゲーム見つけたんで紹介しちゃいますよー!」
二〇一八年七月二日の夏もやっぱりめちゃくちゃ暑い。
マイク付きヘッドホンをつけ、ひろめのパソコン画面を前に、僕は、滴る汗をぬぐって言葉を続ける。
ゲームをしながらトークをする、ゲーム実況のレコーディング中だ。
「つーか暑いですねー最近!クーラー壊れちゃってほんと死にそう」
あははと笑う僕、関口陽太は、あの引きこもり生活から十年たった今でも変わらず、実家で引きこもり生活を続けていた。
いや、正しくは、その間一度一浪して大学に行ったが今度は就職に失敗して今に至る、という感じだ。
だが、全く収入がないわけではない。三年前からアフィリエイト動画サイトのタレントとして登録をしている。
僕の動画に広告をつけ、そこからお金をもらうというシステムだ。動画を投稿し続けて九年、今ではファンも多く、動画の視聴回数も月のトータルで十万を越えてるため、一応は暮らせる程度のお金はもらえている。
しかし、両親はまだ僕の仕事を理解できていないようで、ことあるごとに就職の話をされる。
正社員、終身雇用、退職金、それから年金生活。
流れるような定型の一生。もちろんそれらから外れていることに、思うことがないわけではないのだが、だからって人間、決まった形に収まる必要もないではないか。
「はい、じゃあ今回はここまで。次回はちょっと別ルート試していきましょうかね。ご視聴ありがとうございました。またお会いしましょう」
録音を切って、ヘッドホンをはずす。窓を開けると風が気持ちいい。
それでも晴れ渡る空に、少しだけ罪悪感を感じる。
同級生は今頃、スーツに身を包み、この日本の経済を支える仕事をしているというのに、自分はこの体たらく。
考えたくはないが、月収で考えてもきっと圧倒的に自分の方が劣っている。
「ま、気にしない気にしない」
僕の行為にだって金銭が発生している。誰かの役に立っているはずだ。
パソコン脇のペットボトルに口をつけつつ、動画投稿サイトのマイページから視聴者の評価を調べていく。
「やっぱりシナリオがちゃんとしてるやつか、思いっきり笑えるヤツの方が評価高いな」
自分のトーク力はそこまで高くない。それでもファンがついているのはきっとゲームの選定が良いからだろう。
自分の動画をクリックすると、その脇に表示されるおすすめ動画が目にはいった。
そして、げんなりする。
「うっわ、僕が実況してたヤツ、一日前に違う人があげてんじゃん」
サムネイルこそ違うが、ゲームのタイトルが同じだ。しかも僕のよりちょっと面白そう。
「あー!!今治てめぇこのやろー!!」
動画の投稿主を見て、思わず大声をあげてしまった。
今治、というのは僕が勝手にライバル認定しているゲーム実況者だ。なにしろ動画の趣味がすごく近い。実況したいな、と思ったゲームの半分はコイツに先を越されており、録画後に気付いて投稿をやめるというのもしょっちゅうだ。
そしてなにより、コイツのトークは面白い。
そう、悔しいことに、面白いのだ。
「こんにちはー。最近めっきり暑くなりましたねー。満員電車とか、朝のラッシュのときなんて、弱冷車には絶対に乗りたくないくらい」
「社会人め……」
歳はきっと自分に近いと思う。ファンの数の多さは同じくらいのような気もする。自分もだが、なにぶん相手も複数アカウントを持っており、正確な数がわからないのだ。
ただこの動画サイト、クーリエtuneに限って言うなら、自分の方が百人ほどファンは多い。
「よし、僕の方がちょっとすごい」
というか、そう思っていないと惨めになる。社会人というエリートステータスに加えてネット界のカリスマ、なんて羨ましすぎて言葉もでない。
そして、どうせコイツには彼女がいるに決まっている。
しばらく動画を見ていると、終盤辺りで今治がこう切り出した。
「そういや今日は私が動画投稿してから三年目なんですよー。日頃ご愛顧ありがとうございます、なんて。あはは、でもいいよね、たまにはこういうらしくないのも」
「へー。三年か」
それでこんなにファンがいるのか、と妬ましさが湧いてくる。なんて、半分冗談だけど。
「コメントでも残しとこうかな。コイツあんまりコメント見なそうだけど」
僕と違って今治には辛辣なコメントも多い。でも、それならなおさら、おめでとうなんて言いづらい言葉でも言いやすい気がした。
もっとも今治が自分のことを知っているとは思わないが。
「三周年おめでとうございます。今治さんの動画はとても面白くて好きです。頑張って下さい」
当たり障りのないコメントをして、僕は動画サイトを閉じた。思えば僕も、そろそろ十周年になる。初めてゲームプレイ動画を見たあの日から、ずいぶんと世界が変わった。
「そういや、どろんこ動画は今どうなってんだ?」
どろんこ動画。高校生の自分が毎日のように見ていた動画サイト。オカルト動画やミステリー系の画像が多く、それに則したゲーム実況の動画も多い。
僕自身が動画を投稿するようになってからは、当時新設されたばかりの、より投稿が簡単なクーリエtuneを利用することが増え、どろんこ動画への足は遠退いてしまっていた。
検索をかけてどろんこ動画のサイトを開くと、そこには見慣れたホームデザインと、見慣れないボタンがあった。
寄付、と書いてある。
「寄付……?」
前はこんなボタンなかったはずだ。クリックすると、次のような文が流れてきた。
「現在どろんこ動画は、一部のボランティアスタッフによって運営されています。アフィリエイトではまだまだ補いきれていないのが現状です。どろんこ動画を応援くださるかたは、こちらのボタンから寄付をお願いいたします」
僕は慌てて動画のサムネイル一覧を見た。サムネイル下にあらわれている動画再生回数はだいたいが二桁、稀に三桁、四桁といったところだ。
「過疎ってる……」
もしかして、どろんこ動画は運営の危機にあるのではないか。
動画をいくつか見てみるが、たとえば都市伝説の説明が音楽と共に流れるといった読み物系統の動画が圧倒的に多く、僕がクーリエtuneで投稿するようなゲームの実況動画は比較的少ない。
「過疎ってる………」
二度言った。
ネタではない。
たとえようのない寂しさと、言い様の無い正義感がない交ぜになって、マウスを動かす手が止まった。
苦しくて、惨めで、生きているのが辛いどん底期の自分を支えてくれたのは、何を隠そうこの動画サイトだ。なんとかしたい、でも、僕に何ができるのだろう。
不意に通知音が鳴り響き、僕は驚いてガタンと椅子をならした。クーリエtuneからメッセージ受信の通知だ。
今治が僕のメッセージに返信したらしい。
「律儀だなあ……」
感心してメッセージを見ると、次のようなことが書かれていた。
「はじめまして、ねり梅さん。
この度はご視聴いただきありがとうございます。私も、ねり梅さんの動画を楽しみにしております。
いつか何かでコラボ動画とかあげてみたいですね」
「あっ」
今治の言葉に閃く。
もしも、僕一人でなければ。
僕だけでは無理でも、今治がいれば、あの動画サイトを盛り上げることができるのではないか。
今治があげた動画に僕が対抗する、その動画に今治が対抗する、そんなサイクルが、もしできたのなら。
「今治をどろんこ動画に誘導する最初の餌……」
僕はヘッドホンを手に取り、本日二度目のレコーディング準備を始めた。
ゲーム実況を見るのにハマっております。
この物語を書く上で、極力実際の実況者さんの身の上の情報を遮断した状態で書きました。
きっちりとしたモデルはいませんが、「これまんまこの人じゃん!」ってことがあったらごめんなさい。