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赤オニと桃太郎

作者: 黒瀬新吉

妖怪に取り憑かれたヤマトの大王の一行、その侍大将桃田は鬼の住む島を平らげたあと不敵に笑う。


「確かにこの品は大王に届けよう、この女どもも一緒にな、ははははっ」

「お前は、ヤマトの者か。おのれっ騙しおって!」


島に残された赤オニ「ニツ」はさらに真っ赤になって悔しがるのだった……

赤オニと桃太郎


 「この辺りはやがて山人を平らげたヤマト族が治めよう。その前にわれらワニ族はヤマトと対等な関係を作っておかねばならないー」


 ワニの族長『兄者』はそう言って祝言をあげたばかりの弟ニツを単身ヤマトに送った。そのかいあってヤマトは山人を平らげることができた。大王の感謝の品を乗せたニツたちの船と今後の同盟を約束する使者の乗った船は揃って都を離れた。ヤマトとワニの連合軍の勝利によって、抵抗するのは二、三の小国になり、すでに戦をすることも無くヤマトに飲まれていった。ヤマトと対等な関係の古い部族はニツの『ワニ族』と高山に住む『天空族』だけになった。


 「兄者の慧眼はたいしたものじゃ」


 北の港に船を着けると、ニツは妻に会いたい一心で砦の見張り櫓に上った。この砦には手だれは多いが人夫はいない、そのためヤマトからの礼の品々を下ろすのに時間がかかる、そのあと返礼の品を積み込むのだからまだ半日はかかる、ニツは朝までその砦の櫓に上り新妻の『カヤ』の白い肌を思い出して眠れなかった。


 朝が来た、ニツは出航した船が潮目の目印の赤岩にさしかかると一安心した。海の潮目を読み、海人とも呼ばれるワニ族のことをヤマトではオニと呼んでいることをニツは思い出した。真っ赤に日に焼けたその姿はまさしく赤オニだ。

「兄者はさしずめ黒オニだろうて」

ニツはひとりごちして笑った。そろそろ屋敷が見えるころだ。


「ニツ様、何やら様子がおかしいです、誰一人浜に出迎えがおりませぬ」

「はっはっは、昨夜はよっぽどヤマトの使者を歓迎したらしい。兄者も酒が過ぎたのだろう、まだ酔いつぶれておるに違いない。だが、それにしても……」

兄はともかく女一人出てこないとは少し妙だが。やがて船は港に着いた。そこには使者の船が転覆して船底を空に向けていた。小舟が一艘浜に上がっていた。(座礁でもしたのか。しかしあれほど大きな都の船が)

確かに妙だとニツは思った。

「これはただ事ではない、皆のもの気を許すな」

ニツの言葉の終わらぬうちに手下が返事の代わりに悲鳴を上げた。


 「ぎゃーっ」

振り返ったニツは黒い影が手下の顔からはなれるのを見た。手下は目玉を引きちぎられその穴から血しぶきをあげひっくり返って悶絶したのだった。

「おのれっなにものかっ」

ニツは長刀を抜き放った。


 「羅刹女(らせつじょ)の芭蕉扇のあやかし『雉女(キジメ)』さ、まあお前が知っているとは思えないわね」

瞬く間に四、五人の目玉がくりぬかれた。

「ああ、なんとまずい目だこと。もうたくさん、サイチェン(再会)。生きてたらね」

丘にあがったニツたちは浜から続く仲間たちの惨たらしい姿をいやでも見ないではいられなかった。雉女にやられたと分かる目玉の無い死体、何度も串刺しにされ血の一滴も残っていないもの、腕や首を引きちぎられたもの、胴を輪切りにされたものまであった。

「これが現実におこるものか、夢に違いない」

それをを見て吐き気まで催し、たまらずかがみ込む手下さえある始末だ。

「兄者、兄者はおらぬか、そうだ『カヤ』、『カヤ』は無事か」

ニツの言葉に応えるものは誰一人無かった。

「いったい誰がこんな惨いことを、うっ」

膝を落としたニツの背中に長い槍が刺さる。後ろ手でそれを引き抜き振り返るニツの目にはさっきまで乗っていた船が次第に遠ざかるのが見えた。


 「確かにこの品は大王に届けよう、この女どもも一緒にな、ははははっ」

「お前は、ヤマトの者か。おのれっ騙しおって!」

「赤鬼がますます真っ赤になっておるぞ、お前にはこの美しい女はもったいないわ、ぎゃはははっ」

下品な笑い声が響いた。そのときに目玉を狙って雉が爪を剝いた。それを寸前でかわしてニツは長い刀を抜いた。


 「うまくかわしたね、まあそのぼろ舟で追いかけて来れたら、もう一度立ち会いましょうか、間抜けな赤鬼さん。あっはっはっ」

大きな音とともに砦の屋根が焼け落ちたのは間もなくのことだった。ニツは悔やんでも悔やみきれなかった。

「おのれっヤマト族、ワニを、ワニをだましやがって」

ニツは連れ去られたカヤを思い、浜の砂を何度も拳で打った。


 「ニツ、わしの読み違いだ。済まぬ、ヤマト族があのような手を使うなどとは」

さすがはワニの首長、ちぎれた片腕でほらにうずくまっていた兄は弟の姿を見ると立ち上がりカヤを奪われたことを詫びた。知らせを聞いて間もなく北の砦から手だれが集まったが、既に敵の姿はない。運ばれてきたくすりをオババたちがまだ息のあるものに与えた。アワビの肉を煮詰めて作った『つん』と鼻をつく、刺激のある乳白色の塗り薬だ。その薬効か、あるいは並外れた再生の力か、まっぷたつになった手下の体がぴたりと合わさった。

「半年もたてば不自由もなくなる、ワニは肝を刺さねば死なぬもの。ヤマトの者ならば知らぬはずは無かろうが」

オババはニツに「けげん」そうに言った。そこへ報告が来た。


 「ニツ様、翡翠玉のかけら一つ残ってはおりませぬ」

「そうか」

「我らの船はすべて船底に大穴が空けられております」

「そうか」

「女はカヤ殿のほか十人ほどが奪われております」

「船も無くては追うこともできぬのか」

「やつらの乗ってきた船まで壊していったのはそういうことか」

オサがうなった。


 「兄者話してくれ。やつらのことを」

オサは少しずつ昨日のことをニツに話し始めた。


 「やつらは夕刻近くに港に着いた。お前は北の砦に立ち寄り明日戻るという。自分たちは大王から使わされた、ヤマトの使者でワニと同盟を結ぶためにはるばる都から来たと言ってな」

「ああ、そうだ。わしらとともにヤマトは山人を攻め落とし平らげたのだ。ヤマトの大王はたいそう感謝して。多くの宝物をよこし、固く同盟を結びたいと言った。その使者の乗った船とわしらは半月前に揃って都を出た」

「わしらは精一杯の歓迎をした、上等の酒、魚、さらに南にある常夏の国の果物。だが不思議なことにやつらは顔色一つ変えずにそれらを平らげるとさっさと奥で休んだ。わしらは残った酒ですっかりいい気分になっていた」


 「夜中に何やら鳥の鳴き声がした。たちまち数人の手下が暗闇から飛んできた矢に体を打ち抜かれた。庭にいる手下を長い槍で突き刺している赤ら顔の男、逃げる手下の体を信じられない剛力で引きちぎる男にも見覚えがあった。たったさっきまでカヤが注いだ上等の酒を底なしに飲み干していた連中だった」

(弓の雉嶋、槍の猿川、そして組み手の犬堂)

「わしらはようやくやつらの奸計に気付いた。女どもを奥に逃がし総出で戦ったのだが、やつらにはまるで叶わなかった。夜明け前にこのわしの腕を切り落とし、やつらは『カヤ』ら若い女のもとへ届けた。わしの命と引き換えになったのだ」

ニツはその時初めて兄の片方の目に生気がないのを感じた。

「それは」

「一つあればいいだろうと雉嶋め、やじりでえぐりとりやがった」

オサは話を続けた。

「その侍大将の強いこと、小柄だが素早い動きで手下の鉄棒をかいくぐり、その振り降ろした腕を次々と切り落としていった。それだけではない、鉄棒の一つをひょいと抱えて、ごおん、ごおんと振り回す。まったく手が付けられん、近寄る事さえもできなかった……」

「何?小柄で、剛力とな (はて、桃田は剣の達人、長身の男だが) 」

いぶかしそうにニツはオサに尋ねた。

「兄者、ほかの三人はどんな風体のやつらだった?」

「雉嶋はまるで女子のような白い顔立ちだが、猿川は赤ら顔で赤毛の男だ。犬堂という男など、そうだまるで耳まで裂けているような大口の……」


 そこへ、忌々しいやつらの船をたたき壊しにやった手下が入って来た。

「やつらが残した小舟の底にひとり隠れておりました」

それはふんどし姿の侍だった。

「……あなたは、桃田どのではないか」


 ニツからの伝令が届き、天空族から新しい船を融通してもらった。ニツと桃田は翌日には早くも海上にいた。その船は速度も速く、天駆ける船と名づけられた『アマハヤ』だ。


 桃田は真実をニツに明かした。


 それは都から船に乗り込む前の事だ。

「桃田殿は陸では武将だがこのような時は、船に乗った河童ですなぁ」

犬堂はそう言うと、抜き終わった団子のくしを海中に捨てた。

「河童は海を泳げまい、犬堂言葉を慎め」

雉嶋が立ち上がり前方を見た。船頭が言った。

「急に立ち上がっては、危のうございます。それに誰でも船酔いはある事、今のうちに慣れておく方が何かあった時に十分働けるというもの、そうでございましょう桃田様」

「そうとも、うぐっ」

桃田は返事をする息でさえ海上に吐いた。


 「拙者は気分が優れず水さえ飲めなかった。しかし船頭の好意を放っておく訳にも行かず、その金精丸を飲んだ振りをして海に捨てたのじゃ。そのうち犬堂がおかしくなった」

「うぐっ、何奴じゃ。わしの中に入り込み内腑を掻きむしる奴は」

「おのれ、その姿は人か獣か、真っ赤なその体は」

「あ、頭が割れそうじゃお前は空を自在に飛べるのか」

それを皮切りに、次々に口から緑色の泡を吹き皆倒れてしまった。船頭が近づいて来た。

「おや、お前にはくすりが効かなかったか、まあその体では満足に刀も振れまいがな、へへへへっ」

そう言うと突然船頭はわしの大小の刀を奪い、着物まで脱がすとわしを船底に押し込んだのだ。その時三人にあやかしが取り憑いたのだ。あの『金精丸』とは人の魂を閉じ込める妖薬に相違ない」


 天空族のオサがその様子を聞いてこう言った。

「その取り憑いたあやかしとは『犬堂』には『犬神』、『猿川』には『猩々』そして『雉嶋』には『雉女』、さしずめこういったところか」

「よく知っているな、天空族は」

「そうとも、わしらの先祖は自由に天空を飛び回っていたと言われている。ヤマトでは『テング』と今でもわしらを呼ぶが」

「やつらに勝てるのか、わしらの力で」

連れて来た手だれの手下は十人足らず、ニツはそう言って遥か沖を見た。

「勝てぬでもないが、そのためには金精丸を溶かさねばならない。そうすればあやかしは人の中から飛び出す。そのためには吉備津の僧の法力に頼むとよいだろう、わしがひと飛びしてこよう。それまではこらえるのだぞ、ニツ」

天空族のオサは言うが早いかオオワシを呼び寄せた。その背に乗り船から空に舞い上がった。桃田は大王に文をしたためて、オサに渡した。

「必ずこれを都の大王にお渡しくだされ。相手はあやかしだ、きっと屋敷に戻り各地に巣食う仲間を集めておるに違いない。援軍をいただければ心強い」

オオワシは数度羽ばたくだけで、もうとっくに見えなくなった。


 その頃、桃田の屋敷では大宴会が開かれていた。今まで小さくなっていたあやかしや、死霊のたぐいまでこぞって屋敷に集まって来た。

「さすがのワニ族も油断したという事か」

「酒もうまいが、ワニの女の美しい事よの」

「どれ、わしもひと踊りしよう」

てんでバラバラに興じていた矢先に女の悲鳴が上がった。

「ぎゃーっ」

二人のあやかしに両腕を引きちぎられた女の声だ。


 「見苦しい、低俗のあやかしどもめが」

いっぱしのサムライ気取りの犬堂がつばを吐き、続けて猿川にこう言った。

「おい、オニはここに来ると思うか?」

「来てもらわねば困るのう。ふへへへっ」

そう言いつつ、赤毛の猿川はニツの女房『カヤ』の手を取り、立たせた。

「何をするつもりだ、大事な人質だぞ」

桃田が止めた。

「ゲハハハッ、殺しはしない。裸踊りでもしてもらおうと思ってな」

「そりゃあいい、やらせろ、やらせろ」

犬堂も酔いが回って来た。

「ふん、あいつらと変わらないじゃないか。どれ私は外の風に当たってくるか。まだ赤オニは来れやしないだろうからね」

雉嶋は軽々と屋敷の塀に飛び上がり、一声鳴いた。


 「他の娘に手を出さないのであれば、仰せの通りにいたしましょう」

カヤが帯に手をかけた。

「よせ、オニ女の舞いなど見たくもない。酒がまずくなるわ。それよりも猿川に犬堂、都から兵はまだ来ないのか?」

偽の桃田が二人に確認した。先手を打ち、既に偽の書状が届けてあったのだ。

「船ごと大王の宝を奪われたわしらは、隙を見てワニの船を奪って逃げ仰せた。そうちゃんと書いておった、明日には来るだろう」

「ともに戦うふりをして、さっさとわしらは退散だ。勝手に殺し合えばいいのさ」

そう言い放ち、ぐいと杯を空にした桃田に黙ってカヤは酒を注いだ。

「先ほどは助けていただきありがとうございます」

カヤはそっとささやいた。桃田はそれは聞こえない様子だった。


 「たいした軍勢だね、笑っちまうよ」

雉嶋が皆に聞こえる様に言った。あやかしどもは床下に隠れていた。翌日それも夕方に、早かごが二つばかし桃田の屋敷に着いた。

「大勝利の祈念に、取り急ぎ参りました」

僧は紫の袈裟をかけ、弟子とともに中庭に出た。武具や刀、弓を山積みにさせると念仏を唱え始めた。それを呆れて見ながら犬堂は言った。

「祈って戦に勝てるなら、この国はそのうち坊主の国になるだろう。あほらしい」

「犬堂、口を慎め。誰ぞ聞いているかも知れぬぞ。明日には本隊が到着するそうだ、もう少し我慢しておれ」

桃田はそう言って黙祷を続けた。やがてかがり火が焚かれた。精進料理の用意ができたとカヤが知らせに来た。

「さあ、中に入ってくだされ」

僧の体から溢れる光で、あやかしどもは動けなかった。桃田たちが奥に入ると入れ替わり四人のかごかきの姿が現れた。そして山積みの武具の中から長刀と黒い鉄の棒を抜き取った。二人掛かりで運んだ鉄の棒を軽く片手で振る男は、かがり火に照らされ赤く輝く。

「赤オニ……、ニツ」

あやかしの声が上がると同時に、その赤オニは時の声を上げて屋敷に飛び込んでいった。

「オニじゃオニが攻めて来たぞ」

床下のあやかしは、床板を跳ね上げて出てくるもの、武器を取りに庭に這い出すもの、戦いもせず逃げ出すものさえいた。

「おのれっ、オニどもがこんなに早く来るとは。さてはこの坊主ども」

「いかにもわしは吉備津の『梅林』悪さをするあやかしを懲らしめに来たものだ」

「生意気な、ひとひねり、ぎゃっ」

僧の首をつかもうとして伸ばした腕が側にいた弟子に切り落とされた。それは本物の桃田だった。

「桃田殿、遠慮は無用です。犬堂様に化身しているあやかしを殺しても犬童様に害は及びませぬ」

「それを聞いたら、遠慮はしない、ここは陸の上わしの太刀を見事受けてみよ、あやかしども」

片腕になった犬童はそれでもさらに口を大きく開き長い舌を出した。

「わしの動きをかわせるかな、田舎侍」

一つ吠えるとあやかしは大きな犬に変わった。

「やはり、おまえは『犬神』であったか」

動きが素早くなった犬神だが桃田の居合いで足をやられてやがてうずくまった。梅林和尚は『ふくさ』に包んだ黄色の丸薬を取り出した。息を切らしている大きな口にそれを投げ込むと念仏を唱えた。

「これでよし、じきに犬童様は気付かれるでしょう」

「またあえたね。赤オニ」

雉女がニツの目玉を狙った。しかし今日は彼はいつもより冷静にそれをかわし、鉄の棒で雉女の背をたたきつけた。

「ぎゃっ」

空に数枚の羽が飛び散った。すかさず僧が丸薬を飲ませた。雉嶋を吐き出すと、雉女は天井まで舞い上がった。雉嶋が起き上がる。

「おのれっ、あやかしめ!」

彼の手には既に大弓が握られていた。つがえたと思った時には「びゅう」と雉女の羽は矢に射抜かれていた。

「おのれっ、赤オニ」

猿川は『猩々』だったのだ。真っ赤な髪を振り乱し長槍を構えてニツに向ってくる。あやかしどもをなで切りにしている桃田は横目でそれを見るのが精一杯だった。ニツはその槍をかわしひと突きした。しかしそれをひらりと跳ねとび、大上段から猩々は振り下ろした。ニツの頬が縦に裂けた。

「やるな、あやかし」

「ほう、よけたか俺の槍を」

ようやく気が付いた犬童は僧を守りながら、とり囲むあやかしどもの腕を引きちぎっていた。雉嶋は矢継ぎ早に空から来るあやかしどもを次々と射落としていた。

「お前たちの戦は、俺たちのすみかまで奪う。その報いを受けろ、赤オニ」

猩々の一撃をニツはよけなかった。彼はまともにその槍に串刺しにされた。

「何故よけぬ、余裕を見せたつもりか?」

猩々はそう言った。ニツの傷が見る間に塞がった。彼はそしてこう猩々に言った。

「わしとて、ほらみろあやかしだ」

「……あやかし」

「不思議がるな、ワニ族は『オニ』から続く、天空族は『天狗』から続くと聞く。そしてヤマト族は『山人(やまんど)』と伝え聞く。あやかしはヒトの心にうたれた時ヒトとして生きて行くのだ。それがいい事なのかわしには解らぬ。元のあやかしには戻れないからな」

「で、ではわしらあやかしもヒトとして生きれるというのか」

「ああ百年後、千年後、明日かも知れぬが」

ニツはもう一度こう繰り返した。

「それがいい事なのかわしには解らないがな」

「騙されるな、猩々」

偽の桃田の声に猩々は我に返った。槍を握り直してニツに向った。

「あやかしは、あやかし。人などになれるものかっ、くたばれっ!」

しかしその突きを、今度は紙一重でニツはかわした。


 雉嶋のつがえた炎の矢にとうとう胸を射抜かれる雉女、猿川の長槍が猩々の首を貫き。犬堂の怪力が犬神のもう片方の腕を引きちぎった。桃田の居合いが雑兵どもを切り捨てる。ニツとワニ族の手下は偽の桃田とカヤを取り囲んだ。

「観念しろ、もう逃げられはせん」

ニツに負わされた深手の傷を押さえながら、それでも偽の桃田はカヤの首に匕首を突きつけた。

「もう観念しろ、元の姿にもどるがいい」

そう言うと僧は念仏を唱えた。その法力で桃田は小さな一つ目の童子の姿になった。

「なんとお前は『山童子(やまわらし)』だったのか」

「いかにも、ああ口惜しい。あと一息でヤマトとワニが戦をするところだったのに」

匕首を投げ捨てると観念した山童子はカヤを突き飛ばしその場にあぐらをかいて座り込んだ。

「さあ、好きにしろ」


 「何か恨みの一つも言ってみろ、山わらし」

ニツはそう言って向き合って座った。

「ふん、今更言って何になる。お前らには縁のない山奥の池の話だ」

「ニツに話してみたら?やまわらし」

カヤがそう優しくなだめた。


 「俺は元々大池の河童だった。山人が川をせき止めたんだ。魚をいっぺんに捕るためだけのためにな、おかげで大池は川下の大小の池とは隔たれてしまった。知っているか、池の水がどうして澄んでいるのか、それは絶えず水が流れて入れ替わっているからなんだ。その流れの中で俺たち河童は生きていける。大きなだけ、深いだけではだめなんだ。行き場のなくなった河童はどうなると思う、山に入りやまわらしとなるしかないんだ。それが今度はどうだ、戦でその山も半分焼けた。ヤマト、ワニ、山人もいっぱい死んだ。それだけだと思うな、山わらしもシシも野ぶたもな」


 「ここいらは今度はヤマトの治めることになった、もう俺たちの居場所はない。せっかくヤマトとお前たちを戦わせてやろうと計ったのにな、さあ殺せ」


 軍を率い、駆けつけた大王がニツに詫びた。

「本意ではなかったとはいえ、桃田たちを送ったわしのせいだ。済まぬ。ニツ」

「いえ、一時でもヤマトを疑った私の方こそ」


 「しかし、ニツ殿は強いな」

侍大将桃田はその後まもなく位が上がった。

「いえ、桃田殿もお三方も」

やがてニツは瀬戸の要所のある島を任された。

「吉備の団子のおかげですかな?」

犬堂は道場を開き師範になっている。

「あれ以来、酒を飲まずには刀を振れなくなった」

猿川はさらわれて来たワニの娘のひとりを女房にした。相変わらず赤ら顔だ。

「西国のさらに先にある国に行って参る」

雉嶋は弓の修行にまだまだ余念がない。


 幾年か過ぎた。


 「次はお前に似た姫であろうな、カヤ」

すっかり大和言葉が板についたニツはハヤと名付けた息子をひょいと肩まで持ち上げた。カヤはかなり腹がせり出している。

「カヤはやがて次の子を産む、大王に頼まれこの瀬戸の島を治めてはいたが、この海はなんと静かな事よ。まるで女子の様だ、なあカヤ?」

カヤはせり出した腹を擦りながら言った。

「女子の様な海も時にはあらぶる夜叉にもなりましょう、それに」

「それに何だ?」

「カヤはワニのおなごです。潮と風があれば満足です。こんな広いお屋敷はいりませぬ、ニツ様がお決めください」

「何を決めろというのじゃ、何が言いたいのじゃ」

ニツはカヤにずっと隠していたその心を見透かされた気がした。

「さあ、私にも分かりませぬ。ただ私の夫はこの島の殿ではなく、幾多の荒波の潮目を読み、戦となれば負け知らずの赤鬼であったような気がします」


 「殿、奥方様、船が出ます、お急ぎください」

港まで送る役目の船頭が催促した。南へ向う大型の船は都の港でニツたちを待っているのだった。その船頭の顔がニツをワニの赤鬼にたちまち戻してくれた。沖に出て、ニツはもろ肌になった。幾分薄くはなっていたが赤銅色の厚い胸板に心地よい風が久しぶりに当たった。

「お前、戻らなんだのか? 大王は約束を守らなんだのか?」

「いえ、大王がニツ様にお約束された通り、大池はまた海まで続く川とつながりました。わしはその川を下ってこうして参りました」

ニツはしばらくして、こう言った。

「来るか?」

「へい、お許しいただければ」

小柄な船頭は、額のひとつ目に、うっすらと涙をにじませた。


                   了                   2017.12.3

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