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百物語。  作者: 日曜
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九話 コックリさん

「コックリさんについて、いまさら説明する必要はないだろう。怪談としては、語りつくされた感のあるテーマだ。だが安心してほしい。僕がこれから語るものは、これまで語られたような、コックリさんにまつわる怪談とは、少々毛色の違うものだ。各人、初耳であろう事だけは保証しよう。さりとて、怖いかどうかまでは、保証できないが……。


 そうだな……。まず前置きしておくならば、これは怪談ではないだろう。もっとどうしようもない、知らず知らずのうちに変わっていた社会の話だ。


 低級霊だの動物霊だのの講釈は、僕にはできない。ウィジャボードとの類似性や、そもそもの起源についてもさっぱりだ。まして、神学や神道についても僕は浅学菲才の身である。だからこれは、僕のようなド素人が、半可通のままに思い付いた、もしかしたら実に見当違いな話なのかもしれない。


 さて、言わずと知れたコックリさんではあるが、その普及範囲は意外と狭い。そうだね。学校だ。学校以外の場所で、コックリさんという儀式が流行したという話を、僕は寡聞にして知らない。まぁ、大人がやるような事でもないから、当然だとも言えるだろう。


 この話の根元は、コックリさんという儀式と、この学校という施設に由来する。


 まず僕が気になったのは、コックリさんという儀式に必要不可欠な、あの紙の存在だ。五十音が刻まれ、イエスorノーの文言が左右に配され、その中心には――鳥居が描かれる。


 おかしくないかい?


 鳥居というのは、神域と俗界を区切るもの。神域への入り口であり、下手をすれば雑霊を退けてしまうような、神聖な結界である。勿論、素人が手順も踏まずに紙に描いただけの鳥居に、そこまでの力はないだろう。

 だがしかし、場違いであるという点は間違いない。コックリさんで召喚しようとする低級霊を、そのコックリさんに用いる道具が否定するという矛盾。この点に、まず僕は引っかかりを覚えたんだ。


 ああ、ごめんごめん。もってまわった言い方をしてしまった。簡潔に行こうか。


 学校という場所は教えを与える施設である。『教え』はすなわち『教義』と言い換えられるだろう。基礎学問と道徳倫理、すなわち理非と善悪を教授する学校という施設は、生徒たちに一種の共通認識を植え付けているという見方ができる。これは、別の言い方をすれば、宗教とそう違わない行為だと思わないかい?

 安心してくれ。宗教がなんであるのかという、論の尽きないテーマをここで長々と講じるつもりはない。それでも、宗教というものが人間という動物を、教義という統一的な思想の元に、個から群へと進化させた。それは、良きにつけ悪しきにつけ、客観的な歴史的事実だろう。

 

 現代において、義務教育を受けていない日本人というものは、非常に稀な存在だ。すなわちそれは、日本の学校で、義務教育という教えを受けなかった信者・・は、ほぼ皆無といっていい。社会通念という共通認識を、基礎共用という理非を、道徳という善悪を教え込まれた、共同体。それがいまの日本社会だ。

 宗教とはその規模だ。僕がそうであるように、神道についてきちんと学んだ人間というのは、然程もいないだろうね。同じく、仏教についても詳しい人間は稀だろう。対して、義務教育を受けていない人間というものはほとんどいない。


 するとどうだろうね?


 日本という国家において、主軸となる宗教が、下手をするとコックリさんという事にもなりかねないのではないか? 流石にそれは言い過ぎだという顔だ。うん、僕もそう思う。

 そうだね。僕等は新年を神社で祝い、葬儀を寺で行い、最近ではクリスマスまで祝っている。そう言う意味で、僕等の信仰する宗教というのは、神道、または仏教、もしくは耶蘇教という事になるのかも知れない。

 でもね……――


 そもそも宗教の区分などというものは、曖昧なものなのさ。


 神仏習合の例を出すまでもなく、神様というものは混同されたり貶められたり、間違われたりして、その姿をどのようなものにも変えるものなのさ。

 コックリさんという、怪異の知名度は、どれだけの日本人に膾炙しているだろう? 少名毗古那命スクナビコナノミコトよりは有名かな? 他方如来たほうにょらいと比べるとどうだろう? コックリさんよりも、この二柱の神仏に詳しいという者は、このなかにいるかな?


 だからといって、コックリさんを宗教として見る事はできないって? それはそうだろうね。僕だってそうだ。社会が安定しているうちは、誰もそんな事を懸念しないし、鼻で笑うだろう。社会が安定しているうちは、誰も神様仏様に救いを求めたりしないし、宗教というものをそこまで意識しない。せいぜいが、冠婚葬祭の儀礼程度の認識だ。

 だがしかし……、ひとたび社会が不安定になったらどうなるだろう? 本当に、既存の宗教に民心を癒すだけの影響力が、残っているかな? もしかしたら、不安から訊ねてしまわないかな?

 コックリさん、コックリさん、ってね?

 コックリさんという信仰は、現在は準備の段階。そしてその準備は、既に完了している。あとは、社会が不安定になったとき、民心が荒んだとき――人が『個』に戻ったこの国で、個人ではどうしようもない大きな問題に直面したときに――どこに救いを求め、どのような共通の概念で『群』になるか、だ。それは、そうなってみないと、わからない。


 コックリさんが神様と混同されたり、既存の神仏が貶められたり、単純にそう間違われたりしないと、本当に言えるかな……?


 まぁ、とはいえ結局のところこんなのは、懸念というよりも杞憂に近い代物だ。半可通の素人考えでしかないさ。下手の考え休むに似たり、ってなものさ。コックリさんが日本の主な信仰になってしまう可能性なんて、ほとんどないだろう。







 でも、まだコックリさんを、ただの雑霊、低級霊だと思えるかな? 鳥居は、なんの為に立てるんだい?」

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