2:仮初の関係Ⅱ
顔見せが終わって、疲れたという風を取り繕おうともしないアゼルは夫婦の部屋―――連理の間に帰ってくるなりマントを脱ぎ捨てて襟元を緩めた。正装なのでそれ以上は面倒だと判断したのか手をつけないままソファに深く腰掛ける。続いて入った少女は床に転がされたマントを拾うと、皺にならないように軽くたたんだ。それを見たユアンが慌てて少女からマントを受け取る。
ソファに腰掛けてだらしない格好になっているアゼルとは対照的に、少女は立ちつくしたままどうしたらいいのかわからないとでも言うように曖昧に微笑んだ。ユアンがそれに気づいてアゼルを諌める。
「座ればいい。お前の部屋でもある」
少女はゆっくりとアゼルの向かい側に浅く腰掛ける。アンジュはその側にぴったりとついた。
「ああ、そういえば、お前の本当の名は……いや、やっぱりいい。お前も大変だな、身代わりで政略結婚など」
―――そう、少女は実はアネーシャ本人ではない。本物のアネーシャは平民と恋に落ちて行方不明になってしまっているのだ。そこへ舞い込んできたアゼルとの婚約話に、エデタージュ国王はアネーシャに似た少女を必死になって探した。そして見つかったのが、下町出身の少女なのだ。本来は何人か候補がいたのだが、話すことができないというのは好都合として少女に決まったのである。
「本当の名を捨てろとは言わないが、心の奥にしまっておけ。今のお前はアネーシャなんだからな」
ぞんざいに言い放たれ、アンジュとユアンは少なくとも衝撃を受けたのだが、少女は気にした様子もなく微笑み、机の上にあった紙とペンを取った。
『元よりそのつもりですので、気にしないでください。お心遣いありがとうございます』
メモに記された文字はくせもなく、流れるような書体だった。下町育ちと思っていたのだが、認識を改める必要があるのかもしれない。
「アネーシャ様、お召し変えを。いつまでもそのままでは窮屈でしょう」
「ああ、そうですね。寝所の奥にアネーシャ様用の部屋がございます。小さな部屋ですが、必要なものはそろっておりますので、そちらをお使いください」
「ありがとうございます。さ、アネーシャ様」
アンジュにつれられて寝室へ行く際、少女はゆっくりアゼルに頭を下げた。あれだけの辛辣な言葉にも動じず、こうして頭を下げる余裕があるとはとユアンは少しだけ自分の中の少女に対する認識を訂正した。
下町の娘が来るのだ、恐縮してガチガチになるか途端に開けた華やかな世界に我を忘れるかのどちらかだと思っていたのだが、どうやら違うらしい。
アゼルはアゼルで別に少女のためを思って言ったわけではないのに感謝の言葉を言われたことで少なからず戸惑っていた。けれど、そんなことはおくびにも出さずに少女の消えていった扉を見てふと言葉を漏らす。
「あの侍女……姫の侍女として遣わされるのだからそこそこの身分の出だろうに、下町の娘にかしづくことを厭わないんだな」
「……そうですね」
「それとも、よほど己の感情を隠すのに長けているかだろうが……まぁいい。関係のないことだ」
己とあの可愛そうな下町の娘は、愛のないこの鳥籠の中でこれからの一生を過ごすのだ。彼女にとっての救いといえば、両親の生活が安定したことと、今までとは比べものにならないぐらいの生活ができるということだろうか。
どちらにせよ、関係のないことだとアゼルは思考を区切った。誰かの心を汲むのは面倒だ。推察するのも、関わるのも、面倒だ。どうせ俺には何もできない。できることなど何もない。




