20:錆びていた鈴の音Ⅰ
あれから、ステラは毎日のように菓子を作った。アゼルはその差し入れを励みに何かをまとめているようだった。ステラは口を出さない―――出せない。アゼルが真剣な顔で何かをやっているのを、差し入れを持っていった帰りにちらりと垣間見るのが幸せだった。ああ、この人にはやはりこの表情が似合う、と思った。それと同時に、どこか苦しそうなその表情から、きっと今も過去と戦っているのだろうと身をつまされるような思いがするのだ。けれど、一歩踏み出すのは未だにやはり怖かった。
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とある日の朝、ソファで目覚めたアゼルはぐいと背伸びをし、威勢良く骨を鳴らしてから寝室から出てきて初日と同じような顔をしているステラに苦笑して、息を吐き出す。
「珍しいですね、最近はずっとこちらに帰らないことが大かたではありませんか」
ステラの気持ちを代弁したアンジュにアゼルは考えるような表情を見せ、頷く。
「ひと段落したんだ。だから―――今日は庭へ行こう」
その言葉に、ステラは久方ぶりに嬉しそうに頷いた。
庭に置かれたテーブルと椅子。そこに腰掛けて、何でもないことを語り合う。語り合うというには滑らかではないが、二人にとってこの時間はいつからかとても大切な時間になっていた。
「今日はあまり渋い顔をしないんだな?俺にはそちらの方が驚きだった」
アゼルがステラに想いを告げてから、ステラはどこかよそよそしかった。しかし今日はそれがない。喜ばしくもあり、だが不思議でもある。
「何かあったのか?」
ステラは視線を彷徨わせる。ペンを持っているが綴らない辺り、声が出るなら「それはその、」とか適当にごまかしの言葉を発しているのだろう。
「まぁ、いいか」
言いたくないことを無理に聞きだすことはせず、アゼルは大人しく引きさがってテーブルに載っているステラ手製の菓子を手に取る。
「それよりな、俺の話を聞いてくれ」
パッと表情を輝かせたアゼル。それに、ステラは柔らかく微笑んだ。
「牛乳は、常温だと痛みやすい。だが、冷やして運ぶとなると金がかかる。だから、どんなに美味くても主力の産業ではなかったんだ」
今回アジェの牛乳がノクールの城まで早く届いたのは単にアゼルが金を出して冷やしながら運べるものを手配したからにすぎない。普通に運ぶには限度があるし、冷やして運ぶと単価が上がるのだ。ステラもそれには頷いた。ステラがアジェの牛乳を飲んだのは一度きりだが、その時は確か近所のお金持ちのところで働いている夫婦がステラに分けてくれたから飲めたのだ。お金を払って飲もうと思うと、とてもじゃないが手は出ない。
「だがな、菓子に使えば良い。ヨーグルトやチーズは今も作っているがあまり市場にはまわしてなかった。鉱山に頼りきりだったからな。だがそれをやめて、もっと市場に出すようにするんだ」
つまり、いつ尽きるともしれない鉱山は出来るだけ長く、安定した収入を得られるようにしつつ、ブランド力の高いアジェの牛乳も前面に出すということだろう。噛み砕いて納得したステラはひとつ頷いて、アゼルに先を促した。その、納得した際の表情が何ともいえず可愛らしくて、思わずアゼルの表情も緩む。
「牛乳を使う菓子と、ヨーグルトにチーズといった加工品。それも産業に加える。そうしたら、規模が拡大されるから職にあぶれている人たちに職ができる。良い案だと思わないか?」
職にあぶれている、という言葉にステラは反応した。ステラは、職がないと生きていけないことを知っているのだ。だから、大きく頷く。
『とても良い考えだと思います』
「うん。それの企画書ずっと作っていてな。あとはきちんと綴じ込んで父上に見せるだけなんだ」
『早く見せた方がいいのでは?』
「お前の菓子が発端だから、お前に先に知らせないとと思ったんだよ」
『ありがとうございます』
ぐ、とアゼルは背伸びした。
「じゃあ戻るか。仕上げをする。余りは持ってって良いか?ユアンにもくわせてやろう」
どうぞ、と手で示してからステラは立ち上がってあまりを持ち運びやすいように持ってきていたハンカチで包んだ。アゼルもそれを受け取りながら立ち上がる。
「連理の間で良いか?送っていく」
その言葉に甘んじて、ステラは頷く。そんなアゼルの向こう側にディヴィの後姿を見た様な気がした。けれどディヴィがここち立ち寄る姿は一度も見たことがない。なので、見間違いだろうと自己完結しながらステラはアゼルの手を取った。
それが後に、後悔に繋がる。




