第一章 第二話
「セーヌ公のオルセー市攻略許諾の書面ならびにオルセー伯の領主権譲渡証明書、たしかに拝読いたしました。我らオルセー市参事会といたしましては、ヴェルヌイユ閣下に忠誠をお誓いするのは吝かではございませんが……。はばかりながら、我らといたしましても、ご確認をお願いしたいことがございます」
オルセー市攻略の翌日、オルセー市参事会議長はクラリスを値踏みするように見つめ、懐から羊皮紙を取り出した。
「これをご確認いただきたいのです」
議長は、丸めた羊皮紙をクラリスのものとなったばかりの執務机の上に置いた。
クラリスのわきに控えていたヴェルヌイユ城代のリュシアンが、その羊皮紙を手に取り、クラリスにうやうやしく渡した。
クラリスが羊皮紙の束を紐解くと、ミヨが後ろから覗き込んで「わお」と呟いた。
「これは……オルセー伯があなた方参事会に認めた特許状ですね」
市民の自治権およびその範囲、職能集団ごとのギルド設立許可に関する特許、フォール川通行に関する特許などなど。
オルセー市民が歴代のオルセー伯から勝ち取った特権が列挙されていた。
「さようでございます」
ゆったりとしたローブを羽織った議長は、鷹揚にうなずいた。
市内の上級裁判権は領主に属するとはいえ、都市の実質的な管理は参事会が担っている。
オルセー市民は領主に従ってやっているんだという実績に裏打ちされた静かな自信が、議長の全身から滲みでていた。
「分かったわ。私たちとしても、オルセー市民の諸特権を侵害するつもりはないわ。いずれ、正式な特許状を発行します。それまでは従来の法にのっとって行動するよう、市民には伝えておきなさい」
「感謝いたしますぞ、クラリス様。ですが、本市の管理権は今、お父上に帰属するはずです。今のクラリス様のご発言は、フランソワ様のご承認と見なしてもよろしゅうございますな?」
議長の物腰はあくまでも慇懃。
それでいてクラリスのことを軽んじている様子が如実に分かる。
田舎領主の小娘ごときという態度が見え隠れする。
「ええ。父からはオルセー市の管理を一任されているわ。占領完了のご報告時に、正式な文書として父から管理権を譲渡していただくので、心配は無用」
クラリスはこの百戦錬磨の商人を睨めつけた。
だが、悲しいかな、全く効果がない。
そもそも、シャルルとミヨを後ろに控えさせているのに、議長はまったくペースを乱していない。
クラリスの執務室に入ってきたときも、議長はシャルルとミヨを見て、「ほう」と軽く呟いただけだった。
シャルルを黒鬼と恐れる兵士や農民とは明らかに器が違った。
「それは何よりです。では、正式な書類ができあがりましたら、またお呼びください。そのときこそ、我らオルセー市民は閣下と閣下のご一族に忠誠をお誓いいたしますぞ」
議長はもったいぶった一礼をすると、踵を返して退室した。
執務室の扉が閉まり、議長の姿が見えなくなると、クラリスは「ふう」と大きな溜息をついた。
「お嬢様、お疲れ様です。本日の面会予定は他にございません。どうやら市内のことは参事会がほぼ全て決定しているようです。おそらく、陳情なども参事会にいっているものと思われます」
城代のリュシアンがクラリスを慰撫した。
「ありがとう、リュシアン。まだまだやることがあるでしょうから、ここはもういいわ」
「かしこまりました」
リュシアンが深々と頭を下げて退室すると、ミヨが口を開いた。
「たかだか千五百人くらいの地方都市なのに、随分と市民の自治権が強いね。下手したら自治都市並じゃない?」
「特許状を見てびっくりしたわ。どうやって市民たちがここまで特権を勝ち取れたのか、不思議なくらいよ。でも、オルセー伯の花押が押されていたし、あの特許状は間違いなく本物よ」
「マックス・ヴェーバーがあの特許状見たら、喜んで『都市の類型学』で取り上げると思うよ。『このようにして中世都市から商業ブルジョワジーが台頭し、初期資本主義への道を切り開いたのだ』、みたいにね」
「あなたの世界の話はどうでもいいわ」
心底疲れきったような口調で、クラリスがつぶやいた。
ミヨにしてもクラリスにしてもほとんど眠っていない。
仮眠を取ろうとしたようだが、寝付けなかったのだ。
間違いなく、戦場の恐怖と興奮で神経がささくれ立っていたためだろう。
そのせいで、クラリスはいつも以上に疲れ苛立っており、反対にミヨはいつも以上に陽気で口数が多かった。
ひとりシャルルだけが戦士に必要な分の休息をとっていた。
「まあ、特権は認めるしかないね。あたしたちは今、オルセー伯よりも権力基盤が脆弱なんだから」
「ええ。この城を落とせただけでも十分すぎるほどよ」
「問題は、あの議長も言っていたけど、オルセー市の支配権をセーヌ公にどうやって承認させるかだよね。セーヌ公は攻城を認めただけだから、オルセー伯領を王領として没収することもできる」
「そうね……」
クラリスは憂鬱そうに首を振った。
「なら、いっそのことアジャンクール王に臣従するのはどうだ? いかに皇都を占領したとはいえ、アジャンクール王は皇国を実効支配しているとは言い難い。オルセー伯に対する攻撃は私闘権の正当な行使に過ぎないと強弁すれば、案外所領を安堵してくれるんじゃないか?」
シャルルは二人の会話に口を挟んだ。
騎士道精神にのっとれば、およそ不忠者と誹られても仕方のない考えだ。
しかし、戦乱の世にあっては、これは至極当たり前の発想でもある。
だからこそ、オルセー伯とてアジャンクール軍優勢と見るや、王国に寝返ったのだ。
「それも悪くないけど、問題はクラリスのお父様がそれを認めるかどうかだね」
「無理ね」
クラリスは即答した。
「そうなると……。セーヌ公やその側近にお金を包むのが一番手っ取り早いけど……。でも、その前にセーヌ公の様子を探った方がいいね」
「そうね」
「これはあたしの想像なんだけど、セーヌ公のもとに結集する貴族はそれほど多くないんじゃないかと思う」
「なぜだ? 他に有力な王位継承者はいないんだろう?」
シャルルの問い掛けに、ミヨは頷いた。
「たしかにセーヌ公は王位継承順位から言ったら一番。でも、諸侯や地方領主にとって重要なのは、セーヌ公とアジャンクール王がぶつかった場合、どちらが勝つかということ。勝ち馬に乗れば領地を増やせるかもしれない。逆に敗者についたらお家が終わってしまうかもしれない。だから、多くの領主たちがしばらくは様子見を決め込むんじゃないかって思う」
「おそらくそうなるでしょうね。すでに諸侯や騎士の多くはクール盆地の大敗でかなりの打撃を受けているはずよ。これ以上の戦争は無理だという家も多いのではないかしら」
「シャルルがいなければヴェルヌイユ家もそうだったしね」
「ええ、そのとおりよ……。いまごろオルセー伯に占領されていたかもしれないわね」
クラリスが物憂げに応じた。
「じゃあ、とりあえずセーヌ公には連絡しないでおいて、その間に従士を募集しよう。領地を追われた騎士や主をなくした従士たちがかなりいるだろうから、そんなに難しいことじゃないはずだよ。セーヌ公に何か言われたら、クール盆地で失った従士の補充に手間取っていますとでも言えばいいし」
「つまり、様子見をしろってことね」
「そういうこと。しつこく催促されたら、オルセー市の領主権承認を参集の条件に付けて交渉してみればいい」
「……少し良心がとがめるわ」
「今さらだよ。自分の親族を暗殺しようとしているクラリスの言葉とも思えないね」
ミヨはにへらと笑みを浮かべた。
「……分かったわ。ミヨの言う通りにしましょう」
クラリスは大きく溜息をついた。
「あ、シャルル、従士選びはあなたに任せるわ。従士の条件は、あなたとともに戦える人。いいわね?」
クラリスは椅子に腰を下ろしたまま、わきに立つシャルルを見上げた。
「分かった」
シャルルは力強く頷いた。
戦闘以外の任務はこれがはじめてだ。
戦闘がない限り自分は何も役に立てないと思っていたが、どうやら役立たずにならなくて済みそうだった。
以前小隊を率いていたときは、部下にまるで興味がなかった。
生きようが死のうがどうでもよかった。
今も部下の生き死には気にならない。
それでも、クラリスとミヨのために、いい部下を選別して、役に立つ部隊を作り上げたいと思う。
シャルルは拳を握りしめた。
それからの二ヶ月はあっという間に過ぎ去った。
アジャンクール王は皇国北部の支配権を確固としたものにするために皇都カスティヨンに止まり、動こうとしなかった。
対するセーヌ公は、少なからぬ数の皇国貴族が様子見を決め込んだため、皇都を奪還できるだけの戦力を集めることができず、動こうにも動けなかった。
クラリスたちの手元には、ジャン=ジャックがもたらしたセーヌ公の情報がある。
ジャン=ジャックは、セーヌ公領の酒屋を片っ端からハシゴして、多くの従士たちから情報を聞き出してきたらしい。
それによれば、セーヌ公が動員できる兵力は最大でも八千。
アジャンクール王は一万近い兵力を皇都に駐留させている。
噂では、セーヌ公は不甲斐ない皇国貴族の態度に激高しているらしい。
だが、どれだけ気炎を上げようとも、セーヌ公にできるのは参集を求める親書にサインし続けることくらいであった。
その間、シャルルは自ら剣を持って、従士希望者を一人一人試験していた。
ヴェルヌイユ家が速攻でオルセー伯を下したという情報は、傭兵志願者や浪人生活を送る従士たちの間を突風のように駆け巡ったらしい。
一月もすると、あちこちから多くの従士希望者がオルセー城に集まった。
「戦国時代に仕える主君を求めて彷徨う浪人が一杯いたっていうけど、こんな感じだったんだろうなあ」
ミヨは志願者の一群を見て、そう呟いた。
シャルルは雪をかき分けた城内の中庭で、志願者と剣をまじえた。
たいていの者は、黒髪のシャルルが対戦相手と知ると逃げ出した。
だが、なかにはシャルル相手に挑みかかる猛者や、黒鬼が相手と知ってもまるで恐れない剛胆な者もいた。
彼らの武技を丹念に確かめたのち、シャルルは六十人ほどを選び抜き、クラリスに報告した。
その中には、かつてシャルルが率いた小隊で副長をつとめていたカトーの姿もあった。
「またお願いしますよ、隊長」
引き締まった巨躯を揺らしながら挨拶するカトーに、シャルルは「よろしく頼む」と応じた。
とたんに、カトーは驚いたような顔でシャルルをまじまじと見た。
「どうした? 何か問題でもあるのか?」
シャルルが問い掛けると、カトーは「いいえ」と首を振った。
「隊長……。ずいぶんとお変わりになりましたね」
「そうか?」
「ええ……」
しみじみとした口調でカトーは頷いた。
「そうか。全く自覚はないんだが、最近ほとんど訓練をしていないからな。少し躰の切れがなまっているのかもしれないな」
皇都にいたころは、毎日ずいぶんと素振りや型の確認をしていたものだ。
人殺しの技術を磨く以外にすることもなかった。
それが今では他のことに忙しくて、時間がまるでない。
シャルルはそう己を顧みた。
「そういうことではないんですが……。本当に自覚がないんですか? 昔は『よろしく頼む』だなんて言われたことありませんよ?」
カトーはシャルルの顔を覗き込んだ。
並んで立つと、カトーのほうが頭一つ大きい。
そこまで言われれば、シャルルにも見当がつく。
ミヨやクラリスと会ったからだ、挨拶をするという習慣がついたのは。
それどころか、最近では、人と長時間会話するのがまるで苦にならない。
「まあ、いろいろあったからな」
シャルルはそう言って頭を掻いた。
その仕草に、カトーはさらに驚いたように目を丸くしていた。
「そうでしょうねえ……」
「私のことよりも、これからの話だ。カトー、お前、副長をやれ」
シャルルは強引に話を変えた。
「よろしいのですか?」
「全員と手合わせしたが、お前が一番強く、冷静だった。以前も戦場では私の意を十分汲んでくれたし、問題ない」
「わかりました。また隊長と副長になりますね」
カトーはそう言って破顔した。
泣く子も黙るような厳つい顔なのに、笑うとどこか愛嬌がある。
そういえばカトーが笑うところなど、見たこともなかったと、シャルルは思う。
「クラリスからは、一ヶ月で連携がとれるようにしろと言われている。分かったな?」
「分かりました。……それにしても、クラリス様はヴェルヌイユ男爵のご息女のはず。隊長はお名前を呼び捨てにするほどの間柄なのですか?」
興味津々というふうにカトーはシャルルを見おろした。
「別に変な間柄じゃない。単に面倒だからお互い呼び捨てにしているだけだ」
「それ本当ですかあ?」
カトーの口調は疑いに満ちていた。
「こんなことで嘘を言ってどうする? そんなことよりも、明日は朝から訓練だ。もう休んでおけ」
シャルルはそう命じると、主館に入っていった。
カトーにクラリスとの関係を問われてから、少し落ち着かない気持ちになったのだ。
その気持ちを何と呼ぶのか、シャルルにはまるで見当もつかなかった。
――そんなことよりも、従士たちの練度をどうやって高めるか、それが問題だ。
シャルルは独りごちた。
シャルルの訓練は熾烈を極めた。
伯の騎士たちが残した騎馬を使った騎射訓練。
徒歩で槍衾や長弓の訓練。
そして何よりも多かったのが、夜間の登攀訓練に室内戦闘訓練。
明らかに攻城戦を意識した訓練であり、従士たちはみな、戦が近いことを肌で感じていた。
そして、訓練を開始して一月がたつころ、クラリスの従士隊が本格的な活動を開始した。
それはオルセー市攻略戦の焼き直しだった。
シャルルたち六十騎は、アジャンクール王に寝返った領主たちの居城を次々に強襲した。
目的は領主の身柄の確保――。
つまり、身代金目当ての戦争である。
高貴な身分の者を戦場で捕虜にして、身代金を要求するというのは、一般的な慣習だった。
危険は伴うが、略奪よりもはるかに儲かる。
身代金目当てに私闘権を濫用する者も後を絶たないと言われているが、それは騎士にとって身代金がどれほど魅力的かを雄弁に物語っていた。
この身代金稼ぎを実行するに当たって、ミヨは狡猾だった。
彼女の案に従ってクラリスは、セーヌ公からの参集命令に、周辺のアジャンクール王派貴族に脅かされていてオルセーを留守にできないと答えた。
セーヌ公から、速やかに周辺の寝返った貴族どもを片付けて駆けつけるようにとの命令が届くや、ミヨはこれを根拠にシャルルたちを送り出したのである。
最初の標的になったのはロシュフォール子爵だった。
小高い丘に聳え立つロシュフォール城の麓で夜を待ったシャルルたち六十騎は、深夜に城内に突入した。
シャルルが城壁をよじ登り、縄ばしごを垂らした。
すぐさま部下達が次々に城内に乗り込み、シャルルと一緒に歩哨を片っ端から片付けた。
彼らはそのまま城館に突入し、愛人を抱きかかえて眠っていた子爵を縛り、ずだ袋に押し込んだ。
カトーが子爵を軽々と抱きかかえると、一行はシャルルを先頭に、寝室から飛び出してきた騎士を血祭りに上げながら撤退。
帰りは城門を開いて、堂々と立ち去った。
ラン男爵、セヴレ伯爵、ヨード子爵など、オルセー付近の王国派貴族は、軒並みシャルルたちに侵入された。
当主を捕らえられた家は、泣く泣く宝物庫を空にしてクラリスに身代金を支払うことになった。
六十騎が全員黒い甲冑で身を固めていたことから、シャルルたちはいつしか黒騎隊と呼ばれ、富裕な地方領主に恐れられていった。
「私たちが最近なんて呼ばれているか知ってるかしら、ミヨ? 『押し込み』のヴェルヌイユだそうよ」
クラリスは自嘲するように呟いた。
「言わせておけばいいんだよ。あたしの世界にも、身代金や略奪で大金をかき集めて公爵になった傭兵隊長が何人もいた。あたしは絶対に平民相手の略奪はやりたくない。オルセー城を攻めたときみたいな光景が市街地でも繰り広げられるのかと思うと、正気じゃいられなくなりそうになるよ。……でも、貴族相手ならそんな遠慮はいらない。ううん。そんな遠慮しちゃいけないんだよ。押し込み大いに結構。これなら堂々とした攻城戦とちがって、市民や農民は略奪に晒されないし、勢力を大きくするための資金も手に入る。あとは、その金を使って何をするか、それだけだよ」
ミヨの瞳には、思い詰めたような決意の光がやどっていた。
「……そうね……」
クラリスは目を伏せた。
「それよりも、そろそろ動こうと思う」
ミヨはクラリスの執務机に広げていた羊皮紙の束をどけながら、話を切り出した。
「というと?」
「セーヌ公の元に行くべきだと思う。皇都からの情報だと、アジャンクール王は雪どけとともにセーヌ公討伐に動くつもりらしい」
ミヨは身代金の一部を使い、皇都やセーヌ市などに情報提供者を確保していた。
多くは行商だった。
行商は各地を転々とし、ほうぼうで噂をかき集めてくる。
そういう行商のうち、判断能力のあるもの、具体的にはミヨの髪を見て驚かない者に、ミヨは金を握らせていた。
特に有益な情報をもたらした者には、特別報酬も約束してある。
おかげで、ミヨは立身出世に燃える多くの若い行商たちから様々な情報を入手していた。
皇都の戦争準備に関する情報も、そうした行商ネットワークを通じてもたらされた。
ミヨの情報に、クラリスは頷いた。
「ついに来るべきときが来たということね」
「だねえ」
「セーヌ公に遅参を咎められることになるわ。それに、オルセー市の領主権の問題もある。ミヨ、方策は考えてあるかしら?」
「もちろん。セーヌ公自身は高潔な騎士らしいけど、側近には金に汚いのがうじゃうじゃいる。お金は余裕があるし、何人かに金を握らせてとりなしを頼めば、なんとかなると思う。セーヌ公も、アジャンクール王軍侵攻の情報を聞いているはずだし、一人でも味方は欲しいはず」
「従士たちの準備はできている。最近徴募した四十騎は、騎射の腕前は今一つだけど、なんとかなるだろう」
シャルルは黒騎隊の訓練具合について二人に報告した。
本来、騎士の戦闘に騎射はありえない。
異教徒や蛮族の戦い方だ。
だが、ミヨは騎射の有効性を強く主張し、最初から騎射を訓練に取り入れさせていた。
部下を徹底的にしごき上げたシャルルは、いまでは鬼隊長として隊員から畏怖されていた。
練達の副長カトーが巧みにシャルルを支え、隊員たちの不満が溜まらないように取りなしていた。
シャルルの報告にクラリスは頷いた。
「ありがとう、シャルル。セーヌまでは十五日程度の長旅になるわ。従士たちの準備を整えさせておいて」
「分かった」
「まずセーヌ公に早馬を出すわ。雪どけが始まると道が泥で埋まるから、その前にはセーヌに着きたいところね」
「もろもろの準備も兼ねて、十日後に出発ってとこだね」
「そうしましょう」
「では、そのように伝えてくる」
気温が少し暖かくなったころ、クラリスはミヨ、シャルル、黒騎隊百騎を伴い、オルセー城をあとにした。
ヴェルヌイユ家の勢力は、冬の間に見違えるほどに成長していた。
老人の従士が数人いるだけで、農民兵が主力というかつてのみすぼらしい軍勢の姿はどこにもなかった。
見渡す限り白い雪原を黒一色の騎馬の群れが通り過ぎる。
隊列は堂々として、全く乱れがない。
黒騎兵たちが右手に持つ槍の穂先は、雪の光を反射して白銀に輝く。
旗手が掲げるヴェルヌイユ家の家紋は、晩冬の寒風に負けず、高らかに翻っている。
街道沿いの住民たちを黒装束で恐怖の底に陥れながら進むこと十五日。
クラリスたちはついに皇国第二の城塞都市セーヌにたどり着いた。