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それから私は彼のことを忘れるために毎日予定をびっしり組み込んでいった。
講義にも真面目に顔を出したが、大学三年ともなると一、二年の時に単位をたくさんとっていたせいで、毎日朝から晩まで出席する日は少ない。
だから幽霊部員だったテニスサークルの飲み会にも顔を出したし、コンパにも誘われるがままに出かけた。
美波がお気に入りの先輩がいるというサークルにも勧められて参加した。
もちろん友達と飲みに行くのも大歓迎だ。
そうやってなるべく一人になる時間を減らし、雄介のことを考える隙を作らないように努力した。
けれどどれだけ忙しくしても、そんな努力を嘲笑うかのように、不意に雄介のことが頭によぎってしまう。
それは飲みすぎて誰かに甘えたくなった時だとか、学食で友達のノロけ話を聞いたときだとか、些細なことで脳みそにじわりと侵食してきた。
そんな時は誘惑に負けて電話してしまい、昔と変わらず私の他愛もない話や愚痴を優しく聞いてくれる彼に、ますます未練を持て余した。
もちろん他の誰かを好きになろうと努力もした。
ちょっといいなと思ったサークルの男の子が私に気があると聞き、二人でサークルの飲みを抜け出したこともある。
けれど恋愛感情を持っていない男といい雰囲気になっても、その場しのぎの繋ぎに付き合うなんて考えられるわけもない。
だからそのうち全く脈のない男にちょっかいをかけるという下らない行為を楽しむようになっていった。
もし本気で好きになられたらリセットをかけるように着信拒否にして会わないようにすればいい。
相手の男の気持ちはもちろん無視だ。
人の気持ちなんて信じるだけ馬鹿をみるんだよ、と犠牲になった男からの着信やメールを見ながらせせら笑う。
雄介をはじめ、男という生き物全般に私は嫌悪感すら覚え始めていた。
こういう精神状態になってひとつ思い出したことがある。
いや、思い出したくなくて意図的に忘れようとしていたことだ。
それは小学校五年生の頃。その日ひとりで電車に乗る用事があり、私は朝早く出かけ無事に用事をすませ、昼過ぎには帰路についた。
電車の中は時間が中途半端なせいかとても空いている。
眠気を誘うような静かな車内の中、私はぼんやりと窓の外を眺めていた。
すると停車駅から男がひとり乗ってきて私の隣りに座った。
田舎の電車のため、二人がけの座席が二列、進行方向を向いているタイプの車内だったため知らない人と隣同士に座るのは仕方がない。
けれどこんなに空いているのにと不思議に思った。
席を移動しようかな、そう子供ながらに隣りの男が邪魔くさくなって立ち上がりかけた時、おもむろに男は自分のコートを脱ぎ膝にかけた。
…私の膝にもかかるように。
マズいと頭の中で警告音が鳴る。
でも分かってるのに動けない。
何故なら男の手にカッターナイフが握られているのを見せつけられたからだ。
「声を出すなよ。そうしたら痛いことはしない」
そう言った男が悪魔か何かに見える。
その先は苦痛しかなかった。
男はスカートの中に無造作に手を突っ込み、私の下半身を撫で回す。
それが気持ち悪くて私は必死に足を閉じて身を捩じらせた。
しかし男はそんなことでは止める気配も見せない。
ささやかな抵抗に軽く笑い、そのまま下着の中に手を入れてくる。
そして好き放題に指を動かした。
一度だけ車掌が脇の通路を通ったので私は助けを求めようと車掌を見つめたが、男がそれを許さなかった。
空いている方の手がカバンに伸び、再びカッターをつかむのを見て私は車掌を見送る。
いよいよ抵抗する手段がなくなり、吐き気を堪えながら私は目を瞑る。
ただひたすら男がいなくなる事を心から願った。
その後男の痴漢行為は次の駅に到着する十分ほど続き、扉が開くとニヤニヤしながら「ありがとな」と言って去って行った。
男なんて汚い、下らない生き物だ。
家に帰りいつも通りの温かな食卓を囲みながら私は思う。
父親もクラスの男子も、そこらを歩いているおっさんも、全員くたばれ。
そう心の中で毒づいた。
雄介をなくした今、自分の心情と当時の私の心が重なった。
男性不信というほど深刻なものではないが、男全般が醜い生き物に見えた。
雄介と付き合い始めて、そんな男ばかりじゃないと思い始めていたのに。
私はため息をつく。
一度這い上がったはずの黒い黒い沼にまた足を突っ込んでしまう、そんな映像が頭にちらついた。