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一週間後、私はまたマサルのお店のドアをくぐった。
今日は一人。
長居するつもりはないからもう遅い時間だ。
ついでに言うならついて行こうかと心配する美波を断っての単独訪問だ。
理由は簡単。
優美さんに一人じゃ行動できない子供だと思われたくなかったからだ。
こちらは客なのだから気にしなければいいし、彼女も何も思わないかもしれないが、自分の中で二対一はフェアじゃない気がしたのだ。
そして今日はマサルに「行く」と告げていない。
もしかしたら休みの可能性もある。
そんな訳で私は必要以上に緊張していた。
「いらっしゃいませ」
先日と同じように優美さんのよく通る声が響く。
「茉莉ちゃん!」
語尾に音符がつきそうな嬉しそうな声に私は思わず微笑む。
今日も優美さんは綺麗だ。
「ひとり?カウンターのがいいかな。店長呼んでくるね」
そう言って奥のスタッフルームへ向かおうとする優美さんを慌てて引き止める。
「今日来ることはマサルに言ってないからいいよ」
マサルの名前を出した途端に彼女の目は鋭くなった。
が、それは一瞬ですぐに柔和な笑顔が戻る。
私は私で何がまずかったのか考えたが分からなかった。
強いて言えばマサルを呼び捨てにしたことか。
けれどこんな素敵な女性がそんなことを気にするのかと疑問になる。
「そうなんだ。じゃあ飲み物どう?」
「じゃあ・・・ビールを」
かしこまりましたと笑顔のまま彼女は去って行く。
ひとつに括られたフワフワの髪がなびき、通り過ぎる時に良い香りが漂った。
駄目だ、何もかもが違いすぎる。
私は唇を噛み締めた。
そこに立っているだけで幸せな気分にさせられる美しい優美さん。
恋敵だとしてもそれは揺るがない。
一方私はただの大学生。
誇れるような美貌も、誰にも負けないような特技もない。
ビールが運ばれてきた。
それをちびちびと飲みながら私はグダグダと考える。
勝ち目のない戦いに恋心が弱っているような気がした。
こてんぱんにやられる位なら身を引くのが正解なのかもしれない。
少なくとも自分のプライドは守れるだろうから。
そこまで考えて少し笑ってしまった。
プライドなんて今更どこにあると言うのだろう。
そんな役に立たないものを引き合いに出す自分が滑稽だ。
それにしても、と私は店内をちらりと見やる。
マサルもなかなか現れないし今日来たのは失敗だったのかもしれない。
さっき呼んで来ると優美さんが言ったので休みではないことは分かったが、一体何をしているのだろう。
けれど考えてみれば、先日来た時はマサルも気を使って私と美波の相手をしてくれていたに違いない。
それに今日は店内が騒がしいくらい客が入っていた。
ほぼ貸切状態だったこの前とは全く違う店のようだ。
これではマサルと優美さんの関係なんて探るどころの話ではない。
「茉莉?」
もう帰ろうかなどと考えていた矢先に聞き慣れた声がした。
顔を上げるとマサルがカウンターの中からこちらを見ていた。
「来るなら連絡くれれば良かったのに。あの道一人で歩いてきたの?大丈夫だった?」
心配そうに尋ねる声に何故だか涙が出そうになって慌てて気を引き締める。
危ない、こんな場所でマイナス思考のスパイラルにハマるところだった。
「うん。大丈夫」
精一杯明るく返したがマサルの表情はまだ曇ったままだ。
「俺今日は早く上がれるんだ。送るよ」
そう言ってマサルはポンポンと私の肩を叩いた。
それだけの事に私はなんだかホロっとする。
「分かった。待ってるね」
そう答えた私にマサルは笑顔を見せると、客に呼ばれて伝票を持ってそちらへ小走りに向かって行った。
少しかもしれないが二人で話をする時間が持てるんだと思うと若干心は落ち着いたようだ。
単純だなぁとため息を吐きながら通りかかった店員さんにビールのお代わりを注文する。
「茉莉ちゃん、今日はあまり話せなくてごめんね」
突然後ろから話しかけられて私はビクッと肩を震わせた。
振り向いて見ると優美さんがそこに立っていた。
「忙しいみたいだから全然構わないよ」
そう笑顔で返すと優美さんもホッとしたように笑った。
「良かった。なんか同窓会の二次会みたいな予約のお客様が予約されて。それで珍しくこんなに混んでるんだ」
それでこの混雑なのかと納得する。
確かにここは小規模な二次会をするにはもってこいの広さだ。
「でもこっちは準備に大わらわだよ。昨日から店長と二人で泊まりこみの準備だったし」
「そうなんだ」
そこで優美さんがバーテンに呼ばれ一旦その場から離れてビールを運んでくる。
それを私の前に置きながらごく自然に、
「店長のせいで寝不足だよ」
と軽くぼやき、そのまま後ろのテーブルから呼ばれ、オーダーを取りに行った。
マサルのせいで寝不足とはどういう意味だろう。
そんな意味深な言葉をわざわざ私に言う必要があるだろうか。
それに準備や仕込みが夜遅くまでもしくは明け方まであったとして、それは二人で行うことなのだろうか。
認めたくないが、どう考えても今の一連の言葉は私に対する牽制としか思えない。
もしくは挑発か、自慢か。
いずれにしても私にとって楽しい気分になるものではなかった。
美味しいはずのビールがやたらと味気なく感じる。
優美さんの言った言葉の意味を考えている間に時間はあっという間に過ぎていたようで、私服に着替えたマサルに肩を叩かれるまで私は再び一杯のビールを飲んでは再度マイナス思考に陥り、またビールを飲んで・・・という作業を繰り返していた。




