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部屋にたどり着いたのは0時半少し前だった。
酔いはほとんど残っていない。
それだけ安いお酒ではなかったということだろうか。
狭いキッチンでコーヒーを沸かしながら私はまとまらない頭で美波に聞いてみる。
「優美さんのことだけど、美波はどう思う?」
焦って話し出したせいか抽象的な質問になってしまった。
けれど美波はそう聞かれることが分かっていたのか、
「怪しいと思う」
と即答した。
その答えに私はやっぱりかと肩を落とす。
「でもマサルさんは優美さんを好きって感じには見えなかったよ」
そう付け加える美波だったがフォローにしか聞こえない。
「優美さんじゃ太刀打ちできないよ」
私は出来上がったコーヒーをテーブルに運びながら呻くように言った。
「そういう感じには見えなかったけどなぁ」
美波はコーヒーを受け取りながら首を傾げる。
「あんなに綺麗な人が傍にいて何もない方がおかしい」
断言する私に美波は困ったように笑う。
「確かに優美さんは綺麗だったけど、私はそこまで思わなかったよ。単に茉莉の好きな顔だったんじゃないの?」
そんなはずはない。
街頭でアンケートをとったらきっと優美さんが一番になると思う。
そりゃあトップモデルの人とかをライバルにしたら負けるかもしれないが、普通のOLさんを並べてみたら一目瞭然だろう。
そう言って反論したが、
「人の好みは色々だよ。現に私は一番に思ってないんだし」
そう冷静に返されてしまった。
確かに男の好みだって十人十色だ。
美波の言うことも一理あるかもしれない。
「私が言いたいのはそういうことじゃなくて」
美波が言い辛そうに続ける。
「優美さんがマサルさんを見る目っていうのかな。想いが溢れてた気がするんだよね。カラオケで茉莉とマサルさんが一緒に歌ってた時とか怖いくらい真顔だったし、帰りに付いて来るって言い張ったのも牽制みたいな感じがして・・・」
それは私も思っていた。
もし彼女がマサルを好きだった場合、私とマサルのこともどういう関係なのか探っていたのかもしれない。
私とマサルはそんな心配されるような関係ではないのだけれど。
「でもさ、優美さんがいない時に茉莉がトイレに言ってる間にマサルさんに言われたことがあって」
知らなかった。
私のいないところでのマサルの発言が興味深く、自然と耳を傾ける。
「マサルさんにとって茉莉は張り詰めた風船みたいなんだって。刺激を与えると壊れちゃいそうな感じが良い意味で新鮮だって」
「それって喜んでいいの?」
マサルが私のことをそう言っていたのは意外だった。
私はそんなに弱くない。
雄介と別れてから強くなろうとやってきて今があるのだ。
「いいと思うよ?守ってあげようってことでしょ?」
それは違うと思った。
マサルはそんなことを思う柄じゃない。
良くも悪くも私の中へは踏み込んでこないだろう。
それは私の性格も一枚噛んでいるかもしれない。
私は人に、特に男に弱いところを見せることが苦手なのだ。
いくらマサルが自分の手の内をさらして自分のことを話してくれても、私はそこまで見せる度量がない。
もちろん聞かれれば答えるが、自分から不幸を売り物みたいに話すのは躊躇ってしまう。
それが好きな人なら尚更だ。
そんな話を自らするなんて、情を引こうとするみたいではないか。
「守るとかはないだろうなぁ。事実を客観的に見る人だから」
おそらく一般的な感覚は、奴にはない。
そうなんだと受け止めてそこに感情を交えることはないだろう。
その時、携帯がメールの着信を告げた。
私はカバンにしまってあった携帯を取り出して差出人を見る。
「優美さんだ」
噂の人からのメールに美波を顔を見合わせる。
そこには、
『今日は楽しかったです。またお店にでも遊びにきてね』
というシンプルな内容が書かれていた。
それを見て素直に嬉しい反面、まだおそらくマサルと一緒にいるだろう彼女への嫉妬も沸きあがる。
さきほど私達と別れた後だって二人仲良く夜道を歩いてお店へ戻ったのだ。
今日のようにお客さんが少ない日はお店の中で楽しく交流を計っているに違いない。
ただメールをして会うだけの私より、それがどれだけ恋愛において有利なことか私は知っている。
美波にも文面を見せると
「宣戦布告・・・?」
と苦笑された。
「本気で言ってるのかどうなのか微妙なところだよね」
私もすっかり脱力した気分で曖昧な笑顔を浮かべるしかできなかった。
こんな時に思い出すのは、綺麗で可愛らしい優美さんの意志の強そうな眼差しだった。
その日の夜遅く、泊まって行ったら?と言う私に近いから大丈夫だよと笑って美波は帰っていった。
一人になった私はそのままベッドに腰掛け、今日あった出来事を反芻していた。
優しい営業モードのマサルに綺麗な優美さん。
薄暗いお洒落なお店に美味しいお酒。
帰り際に路上でケンカのようなおふざけをしている姿がフラッシュバックする。
お似合いだなとやけに冷静に考えた。
私は短期のバイト以外に働いた経験がない。
だから同じ職場で働く人たちがどの位仲良しになるのかは分からない。
けれどあの二人の雰囲気はただの仲良しではないような気がする。
明らかに一対一で接している匂いがストレートに伝わってくる。
そう、それは良い意味で部外者である美波も分かるくらいに。
そして優美さんの気持ちを表すかのように、彼女からのメールは私にしか送られて来なかった。
楽しかったとただ伝えるためだけなら、美波にも同じ内容のメールを送るのが普通だろう。
ということは、優美さんも私とマサルの間に流れる何かしらの空気を感じ取ったに違いない。
「勝ち目なんてないよなぁ」
思わず独り言をもらしてしまう。
けれど怖いもの見たさというか真実をはっきり知りたいという気持ちが静かに湧き上がってくる。
この恋が駄目になるのならばいい機会ではないか。
あの優美さんに潰されるのなら本望だ。
私は近いうちにまたお店を訪ねる決心をした。
今日は疲れたし寝てしまおう。
今仮眠をとれば明日の講義に間に合う時間に起きれるかもしれない。
そう思ってシャワーも浴びずに横になる。
心地良い倦怠感と、ここのところの疲れもあってか、その夜は夢もみずにぐっすり眠れた。
人間生きていれば必ず状況は変わっていくものなんだなと当たり前のことを実感した夜だった。