3
ガチャっと玄関から物音がして私は目を覚ました。
どうやら再び眠ってしまったらしい。
手には画面が真っ暗になった携帯を未だに握り締めていた。
「どうしたの?」
玄関から部屋への仕切りとなっているドアが音もなく開き、顔を覗かせた雄介に私は驚きつつもぼんやりとしたまま尋ねる。
「いや電話で話してたら泣くばかりで話にならないし、挙句通話が切れたから慌てて来たんだよ」
「…そうだっけ」
ガンガン痛みを訴える頭と熱くてたまらない瞼に、少しずつ記憶が戻ってくる。
そうだ、電話しながら雄介の声に安心して泣いて、充電が切れたんだっけ。
おそらく雄介は別れの話を真面目にしていたに違いない。
けれど私がこの世の終わりのように泣くから。
…もしかして心配して来てくれたんだろうか。
「これ返さなきゃいけなかったから丁度良かったよ」
小さなテーブルにコツンと何か硬いものが置かれる。
「合鍵…」
本当に終わりなんだなと、その鈍い銀色を見つめながら思った。
「もう駄目なの?」
それを見つめながら分かりきったことを聞いてみる。
「うん。これが最善だと思う」
彼の表情もちっとも和らがない。
無力だなと、そう思った。
人は、私は無力だ。
痛いくらいに実感しながら自嘲気味に唇を歪め、ふらりと立ち上がる。
ぐっと足に力をこめ、入口に立ったままの彼に近づく。
無言でゆっくり近づいてくる私は気味が悪いだろうに、彼はその場から動かず私を見ていた。
手を伸ばせば触れられる位置まで移動した私は思いっきり振りかぶって彼の頬を叩いた。
けれど人を叩いたことなんてない私は少しだけ目測を誤り、指先がかすめるような平手になってしまい舌打ちする。
もう一回だ。
再度ふりかぶって今度こそと頬に当たる瞬間、彼はグッと私の腕を掴んだ。
「駄目だよ。怪我するから」
その言葉に少しだけ優しさを感じて胸を揺らされたことに動揺し、今度は胸のあたりをグーで殴る。
何度かドンドンと叩いたところで涙が溢れた。
もうこれ以上泣けないというところまで泣いたはずなのに、一体今日一日でどれだけ涙が作られたんだろうか。
その後も拳を打ち続け、手が痛くなったところでそのまま私は彼の胸に頬を寄せた。
「行かないでよ」
どこにも行かないで。
好きだって笑ってくれたのはもうなかったことになってるの?
彼の腕がそっと私の背中に回される。
母親が子供にするように彼の手がリズムをとるように動く。
けれど安心なんて微塵も感じない。
あるのは不安だけだ。
「…ごめん」
そして雄介は一瞬だけ私をギュッと抱きしめると、すぐに身体を離した。
辛そうな彼の表情を見て、私は段々頭のどこかが冷めてくるような気配を感じた。
今、辛いのは間違いなく彼ではなく私のはずだ。
もう一度彼を見つめ、変わらない表情を確認したところで苛立ちがフツフツと湧き上がってくる。
冷静に考えれば、この状況をどうにもできない自分への苛立ちだったのだろう。
けれどこの時の私は、私を一人にしようとする彼が悪いんだと判断した。
要するに現実と向き合うことから逃げたのだ。
「分かった」
そう言って合鍵をしまい、雄介の見ている前でクリスマスに買ったペアリングを見せ付けるように外した。
彼は何も言わない。
それがまた悔しくて大切に大切にしていたそれを、彼へゴミでも捨てるかのように投げつける。
「それ、もう必要ないから持って帰って。見たくもない」
それだけ言って彼に背を向け、ベッドに横になった。
彼もこの言葉を聞いて傷つけばいい、そう思った。
沈黙が部屋を埋め尽くしそのまま数十秒か、数分か定かではないが、いくらかの時が過ぎて、そして。
「じゃあ」
そう言って彼が出て行く気配がした。
追いたくなるのをグッと堪え、耳を澄ます。
ゴソゴソと靴を履く気配がして、
「鍵ちゃんと閉めろよ」
彼の声と共にそっとドアが閉じられる音。
それで終わりだった。
喪失感に押しつぶされそうになりながら、私は起き上がる。
眠れそうもないからベランダへ出て、汚れるのも構わず横になった。
「星見えないなぁ」
明るい空を見ながら呟く。
そして悲劇のヒロインぶったそんな自分に失笑する。
そうやって私のどこにでもある、失恋の一日は終わっていった。