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翌日はどんよりとした曇り空だった。
昨日遅くまで選んでいた黒のシャツワンピに袖を通し、ひとまず午前中の講義に出る。
傘を持つのは好きではない。
むしろ少々の雨では傘はささない主義だが、今日は洋服が濡れるのが嫌で仕方なく傘を持った。
それでも空は憂鬱な色をしているが、私は浮かれた気分を隠せなかった。
「おしゃれしてどうしたの?」
同じ講義をとっている美波が終了のベルが鳴った後、ニヤニヤしながら聞いてくる。
「夕方、前話してた人と会うんだ」
「進展あり?」
以前もう会うことはないかもしれないなんて言っていたせいか、少し驚いたように聞く美波に首を横に振る。
「相変わらずだけど、好きって気持ちは認めることにした」
素直に打ち明けると彼女はニッコリと優しい表情を浮かべた。
「前進したじゃん。楽しんできてね」
私も笑顔を返しながら手を振る。
「うん、行ってきます」
約束の時間にはまだ早いが時間を潰す方法はいくらでもある、そう思って私は校舎を後にした。
今日は天気も悪いし駅ビルでもウロウロして、疲れたらお茶でも飲んでいよう。
そう思いながら足取りも軽くすぐ近くの駅へと向かった。
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約束の時間はもう三十分過ぎている。
待ち合わせ場所を決めなかったため、16時になった時点で自分の居場所をメールしたが、マサルからの返信はまだ来ていない。
電話も何度もかけたのに聞こえてくるのは留守電の女性の声ばかり。
移動するにもできずに、私は空になったコーヒーカップを見つめながらイライラと携帯を見つめていた。
マサルは夜から予定があると言っていた。
それは一体何時なんだろう。
私はどれだけここで待てばいいのだろうか。
手持ち無沙汰な時間が居心地が悪く席を立った。
駅の改札まで行ってみようとマサルと何度か待ち合わせたことのある東口へ向かう。
その旨をもう一度メールし、私は見通しのいい場所に立った。
背の高いマサルは来たらすぐに見つけられるはずなのだが一向に現れる気配がなく、私は途方に暮れてしまった。
ひたすらに流れる人の群れを眺め、気付けば時計は17時を大きく回っていた。
怒って帰ってしまえばいいのだが、私の足は地面にくっついてしまったかのように動かない。
理由は分かっている。
マサルに会いたいからだ。
少しずつ街にネオンが灯り始める。
そしてここへきてとうとう雨も降り出したので、私は少し笑ってしまった。
待ちぼうけをくらい、追い討ちをかけるように雨が降るなんてドラマでしか起こらないことだと思っていたが、実際にあるらしい。
むしろよくある話だからドラマで使い回されているのだろうか。
けれどドラマのヒロイン達と決定的に違うのは、私が傘を持っていることだ。
せっかくのキレイに準備した自分を雨で台無しにしないように傘を広げて、再び行き交う人を眺める作業に戻る。
何度かナンパやキャッチ、手相を見たいという暇そうな人に声をかけられたが、心ここに在らずの私は無表情に追い払った。
血走った目で人々を凝視している私にしつこく食い下がる人はいなく、声をかけてきた人も一瞬で去っていった。
それにしても遅い。
急病だろうか、それとも事故にあったのだろうか。
そんな可能性もないことはないが、確率はとても低いだろうと冷静な頭が判断する。
だとしたら寝ているとか、約束を忘れているに違いないとようやく認める頃には、すでに街は夜になっていた。
それでもその場から去れば会える可能性はゼロになってしまう。
駅を眺めながら私は冷えてきた腕をさすった。
こんな事ならドタキャンの方がよっぽどマシだ。
時間は無限にある訳ではない。
来るか来ないか分からない人を待ち続ける時間は、無駄というカテゴリに余裕で入るだろう。
分かっているけれど、それでも主人を待つ犬のような自分に嫌気がさす。
だから恋なんてするもんじゃないんだ。
久しぶりの感覚に舞い上がっていたけれど、良いこともある反面、嫌なことも必ずある。
そんな当たり前のことすら私は忘れてしまっていたようだ。
もしかしたらマサルは、私がマサルを好きになったという心の変化に気付いたのかもしれない。
だから会いたくなくなったのではないだろうか。
いや、だとしたら昨日会おうとメールした時に断るはずだ。
ならば私より優先順位の高い女から突然誘いがあって、そちらに行ったのだろうか。
ううん、それより昨日のメールから今までの間に彼女ができたという線も有り得る。
不安からか私の頭の中は次から次へとネガティヴな考えが浮かんでは積み重なっていった。
いつの間にか想像でこしらえた彼女らしき女性とマサルが笑い合っている場面が、事実のようにして瞼の裏に張り付いている。
そしてそうとは知らずにここで雨に降られながらマサルを待っている惨めな自分。
いきすぎた妄想にかぶりを振りながら私は自分の頬を軽く叩いた。
これは私の悪い癖だ。
何か嫌な事があるとネガティヴにネガティヴに考えてしまう。
けれど「嫌なことがあったら最悪な事態を想定しておいた方がいい。大抵はそんな事態に陥らないし、もしそうなったとしても衝撃が軽く済むからね」と教えてくれたのは今は記憶から抹殺した雄介だ。
彼の影響が少なからず残っている事実を突きつけられ、私は消えてくれと目を瞑る。
今ならすぐ脇にある道路に飛び出して車に轢かれても何の後悔もなく笑って死ねるような気がした。