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その日の明け方、コウタロウからメッセージが届いていた。
『さっきはごめんなさい。どうかしてた。自分を何回殴っても気がすまない。でもまた会ってくれると嬉しいです』
さっと目を通してすぐに受信箱からごみ箱へ移動させる。
別に怒ってなんかいない。
男なんてそういう生き物なんだから、殴ったり謝ったりしてくれなくてもいいのにと思う。
けれど今すぐに返信を送るほど私は優しい人間ではなかった。
気にしているなら少しは反省しろ、というのが正直なところだ。
ごみ箱から再び受信箱へ戻ると新しいメッセージが来ていた。
『もし良かったら会いませんか?』
の文面に悩みつつもOKの返事を送る。
身体は疲れているが、ゆっくり休養をとる気にはなれなかった。
むしろ自分の体調なんか崩れてしまった方がいいとすら思える。
だからメッセージの送り主と今夜会う約束をして私は眠りについた。
夢もみないほどの深くて暗い眠りだった。
夜。
昨日と同じ駅の同じ場所に私は立った。
三度目ともなると、若干緊張が薄らいだ気がする。
まだ二人しか会っていないので統計を出すには早いが、見るからに危ない人やいい年したおじさんが、若者ぶって出会いを求めるなんてことはないんじゃないかと感じ始めたからだ。
メッセージや相手のプロフィールページはきちんとチェックしているし、やみくもに怖がらなくてもいいのかもしれない。
今回は私が先に相手に気付いた。
黒のシャツに迷彩のハーフパンツ。
アゴヒゲがワイルドな格好に拍車をかけている。
話しかけるには勇気のいるタイプの男だ。
どうしようかと迷っているうちに相手が私を見つけ、ずんずんと近づいてきた。
「…どうも」
にこりともしないで挨拶をされる。
「ナオトさん?」
おそるおそる尋ねてみると、男は頷いた。
それでも仏頂面は相変わらずで、今日はなしにして帰った方がいいのかと考え始める。
「あの…私」
「店、俺が知ってるところでいい?」
断ろうと口を開いた瞬間、そう言って歩き出したナオトに私は慌てて後を追った。
けれどこの不機嫌そうな男と楽しい時間が過ごせるんだろうか。
適当に理由をつけて早めに帰ろうと心に決めて、初めて見る飲み屋さんへと足を踏み入れた。
話は案の定弾まなかった。
ナオトはアクセサリーショップの店長をしていて、デザインなんかも手がけているそうだが、あまりアクセサリーをつけない私には深く突っ込めるような知識がなかった。
ネックレスやピアスは人並みに持ってはいる。
けれどブランドに拘りもないし、気に入れば買うというスタンスなので、話のしようがないのだ。
「この生春巻き、美味いから食べなよ」
そう言われて食べ物を口に運んで、お酒を口にする。
手持ち無沙汰でいつもより飲みすぎてしまっているかもしれない。
店のBGMがやけに大きい。
いや、大きく感じるというより耳鳴りのようにグワングワン鳴っているという感じか。
アジアンテイストな飲み屋なのに流れているのがユーロビート系の曲で、せっかくのそれっぽい店内の装飾が台無しだ。
お経を流した方がまだマシかもしれない。
「酒、弱いの?」
「あまり強くない、かも」
自分のペースさえ守れば潰れることはない。
けれど今日は気まずさを紛らわせるために明らかにペースを間違えてしまっていた。
「今の若い子ってどういうアクセサリーが好きなの?」
「うーん」
「シルバーとプラチナとゴールドだったらどれが好き?」
「学生だからお金もないし。シルバーが多いんじゃない?」
なんだかアンケートを答えてる心境だ。
テーマはもちろん装飾品。
自分の仕事に活かすためのリサーチでもあるんだろうが、今は間を埋めるための質問にしか聞こえない。
けれどつまらない訳ではなかった。
自分の仕事を頑張っている人だということが伝わってくるから。
当たり前かもしれないが、どの人にも自分の生活があって仕事なり学生だったりして生きている。
その切れ切れの日常を聞くのが私は好きだった。
自分の代わり映えしない毎日に飽き飽きしているということもある。
そんな中、自分以外の人の生活を垣間見て、もう間近に迫っている就職への参考にもしたかった。
社会というのはまだ私にとっては未知だ。
だからこそ聞いていて興味深いというのもある。
「私だったら、ナオトがつけてるそれが好きだな」
指差した先には太いリング。
何か模様が入っており、少しくすんだ色合いがかなりの年季を感じさせるもの。
「これはティファニーのだよ」
商品名か何かを説明されるがカタカナのそれは右耳から左耳へあっさり抜けていった。
そしてまたお酒を口に含む。それからも続けられる市場調査に答えながら、飲みすぎたかなと少しだけペースを落とした。
今日も奢ってもらいお礼を言って立ち上がったところで、まずいと反射的に分かった。
足元がフラフラしているのが自分でも分かる。
「大丈夫?」
ナオトに腕を掴まれ、何とか頷いてみせたが吐き気と頭痛で倒れてしまいそうだ。
「うち近いから寄ってく?」
「いい、大丈夫」
一刻も早く横になりたくて私は首を横に振る。
駅までの道が果てしなく遠く感じる。
ゆっくりと、でも激しく頭を揺さぶられているかのような視界に泣きたくなった。
外でこんな状態になるのは久しぶりだ。
前回はいつだっけと思い出そうとした瞬間、記憶の中から忘れたい男の笑顔が浮かびそうになってすぐさま思考を追い払う。
酔っ払うと気が緩むからいけない。
あの男はもういないんだ。
「いいから。そんな状態の子に何もしないよ」
よほどひどい顔をしていたのか、ナオトが私の腕を掴んだままタクシーに押し込んだ。
「……ごめん」
そう言ってぐったりとタクシーのドアの方にもたれかかり、ほんの少しだけウトウトしながら気付いたら布団の上に寝かされていた。
目を開けて確認すると、布団の横の小さなテーブルにナオトがいる。
狭いけれどキレイに整頓された部屋だった。
「起きた?」
かけられた声に「うん」としゃがれた声で返事をする。
「トイレ借りるね」
しつこく残っている気持ち悪さに耐え切れず、吐いてしまおうと私は教えられたドアを開いた。
吐くのは苦手だ。
けれど入った途端、芳香剤の香りにやられて思わず戻してしまう。
涙を浮かべながら室内に戻るとコップに入った水を手渡された。
「少しはマシになった?」
相変わらずナオトは無愛想だけれど、実は表情に出ないだけて優しい人なのかもしれない。
日本男児というには外見がチャラいが、人間見た目だけでは判断できない。
「うん、ありがとう。今何時?」
「23時くらいかな」
まだ終電は間に合うだろうか。
それ以前にここはどこなんだろう。
「今から駅まで送るのも面倒だから泊まっていきなよ」
俺はこっちで寝るから、とナオトはテーブルの脇のスペースを叩く。
「いいよ、私がそっちで寝る」
家主にそんなことはさせられないと意見したが、あっさりと却下されてしまった。
消された電気の中、外で車が走る音を聞きながら目を閉じる。
ここ連日の疲れのおかげか、すぐにまた睡魔が襲ってきた。
けれどそんな穏やかな時間は一瞬で、布団に誰かが潜り込んでくる気配に意識が浮上する。
酔って疲れた身体は抵抗するのも億劫で私はされるがままだった。
相変わらずの男という生き物の性質に呆れながら、終わるのを待つために目を瞑る。
行為中、
「俺、茉莉のこと好きになりそうだよ」
という薄ら寒い言葉を囁くナオトだったが、私は鼻で笑うことしかできなかった。