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見つからなければいいのにと思ったカラオケ店はものの数秒で見つかり、案の定舞台はコウタロウのオンステージだ。
あまり座り心地のよくない硬いソファーにもたれるように座り、適当に手拍子をしたり口ずさんだりしながら私は騒音を聞き流すことに専念した。
酔っているせいもあるだろうが、あまり上手ではない歌を延々聞くのは思ったより苦行だ。
せっかくだから自分も楽しもうと曲を入れるが、その後にコウタロウが何曲も予約しているのを見てイライラとする。
二人でカラオケに来てるなら交互に曲を入れるのがマナーではないだろうか?
それともそれは私だけのマイルールだったのだろうか?
「あれ?何か疲れてる?」
そんな風にコウタロウにマイクを向けられ、苦笑いしか返せない。
そんなんだからフラれるんだよと心の中で毒づきながら「ちょっと酔ったかもね」と小さく答えた。
音が途切れるのを待って、そろそろ帰りたいと言い出すタイミングを計る。
楽しんでる人をカラオケに一人で置いて帰れるほど、残念ながら私は無神経ではない。
コウタロウが続けざまに歌い終わった後の「選曲してください」のテロップに今だ!と口を開きかけた時、奴がしんみりとした面持ちでこちらを見た。
「今日はありがとう。ふっきれるまではいかないけど、少しすっきりしたよ」
「そう。それなら良かった」
それ以外の返事が見つけられず、若干棒読みになってしまったがコウタロウは気付いた様子もない。
「初めて会ったのに連れ回してごめんな」
まだ酔いも残っているのだろう、赤い目をしたまま謝られる。
そのしおらしい様子に、イライラがすっと引いていくのを感じた。
さっきよりも優しい口調を心がけて返事をする。
「ううん。楽しかったよ。でもそろそろ眠くなっちゃった」
時計は午前二時をさしている。
暗にそろそろお開きにしようという意味も込めて、立ち上がって私は携帯をポケットにしまい、帰る準備を始めた。
「え?帰るの?」
心底意外そうにコウタロウは立ち上がり、私の肩を押して座るように促した。
「なに?」
やっと帰れると思ったのに阻止され、一瞬芽生えた穏やかさはあっという間に消え去り言葉に棘が混じる。
今度はそれに気付いたのか「うん、まあ」と歯切れ悪く言い訳をしながら、コウタロウはふわりと私を抱きしめた。
お酒と汗の入り混じった匂い。
それは嫌いではないけれど、好きでもない人のものはできれば嗅ぎたくない。
「ちょっとだけこうしてていい?」
けれど私は頷いた。彼女と別れたばかりで人肌恋しい気持ちは分かるから。
少しでも気が紛れるなら代わりになるのは別に構わない。
これで帰れるならと私は大人しくされるがままになった。
さっきまでが嘘のように静かになった部屋に、隣りの部屋からの歌声が聞こえてきた。
下手くそなラブバラードに笑ってしまう。
けれど他にすることもないのでそのバラードをフルコーラス聴いてしまった。
次は何の曲だろうと思ったら同じ曲で思わず吹き出す。
ヒトカラか何かの練習なのだろうか。
「どうしたの?」
それまで黙っていたコウタロウが急に笑い出した私に驚いたような声を出した。
「いや、隣りの歌が…」
説明しようと思ったその時、彼の手が私の胸を掠めた。
しかしそれ以降は特に触ってくる様子もない。
偶然当たってしまったのかと再び話を続けようとした時、再び胸に手が当たる感触に身体を離そうと両手でコウタロウの肩を強く押した。
「やめて」
ここはカラオケだ。
少ないけれど廊下を人が通るし、店員だって飲み物を持って走り回っている。
誰かに見られて喜ぶような趣味は残念ながら持ち合わせていない。
それに私はどうしても目の前の人をそういう対象に見ることができなかった。
今更セックスに愛なんてこれっぽっちも求めてはいない。
それは私にとってただの『行為』というものに成り下がっている。
けれどコウタロウとするのは何故か嫌で仕方なかった。
話を聞いているうちに少しながらも共感し、友情に近い感情を持ってしまったからかもしれない。
だから奴の手が私のジーパンに伸びてきた時は肩を思いっきりひっぱたいてしまっていた。
それでもコウタロウは止まらず、何かにとり憑かれたかのように真顔で行為を進めてくる。
「嫌だってば!」
再度振った手は奴の頬にヒットした。
それでようやくコウタロウがハッとしたように身体を離す。
「ごめん。本当ごめん」
慌てて頭を下げる様を見て、私は衣服を正す。
そのオロオロとした様子に、言い方はおかしいが悪気はないんだろうと思った。
こんな目にあっておいて可笑しな言い方だが、何かに一直線になってしまうと回りが見えなくなるタイプに違いない。
そう思う私が甘いのかもしれないが。
「これ、タクシー代。俺は少し頭冷やしてから帰るよ」
そう言って差し出されたシワシワのお札を見て、私はそれを手に取らずに立ち上がった。
「いらない」
これを受け取ってしまったら、そこで全てが有耶無耶になってしまうような気がした。
出費は痛いが、タクシー代は自分で出して帰ろう。
私にとっても勉強代だ。
そう思ってそのまま何の挨拶もしないまま部屋を出てドアを後ろ手に閉めた。
隣りの部屋からは相変わらず下手くそな歌声が響いていた。