その5
地球の3倍近い表面積と豊かな資源の眠る惑星オーストラリア。
その片隅に、ひっそりと人類は橋頭堡を築くべく降着する。至上の命題は、人口増加。
軌道上では船員総出産体制へと移行し、現在妊娠していないのはシンシア以外の地上での先遣隊のみとなった。出産直後のアリシアですら、2人目の子供を身篭っている。
そのうち約半数は、双子を身篭っていた。これは、腸詰の子宮の個体差を考慮したうえでの計画生産だった。
その結果、都合430人の赤ん坊が年内には誕生する計算である。
そしてその全員が、男児だった。
オーストラリア地上には充分すぎるほどの有機物があった。その資源量は、およそ500億人の人類を養うに足る。
430人の赤ん坊を成長させるに足る有機物リソースは、もちろん母船内にはない。およそ3年で母船内の有機物リソースは新生児となって払底する。つまり、赤ん坊1000人分程度の有機物しか船内には存在しなかった。
結局それ以上の有機物は、地上で調達するしかない。
「……というわけで、食料の確保なんだけど」
問題は、食料調達だった。
現在は威力偵察ではなく食料調達のための狩猟がメインとなったため、ナトリウム散弾や劣化ウラン弾頭、そして鉛弾ですら使用は禁止された。
その結果、おおむね厚い甲殻を持つ獲物には暴徒鎮圧用粘着投網、徹鋼弾、ホットランス(超指向性マイクロ波加熱砲)などしか効果が見込める武器が無かった。しかも、格闘戦には戦車ではなくフレイル式対戦車地雷処理車両しか使えない。
ポテトを使って調べた地上で最も手に入りやすい食料は、沼地に生息する大型の軟体動物だった。これならば、現地調達した材料で作った手製の銛でも仕留められる。
地上に降着しておよそ2ヶ月、隊員を減らすことなく偵察活動は続いている。食料は既に、現地調達に切り替わっていた。
「……もう大ナメクジ食べるの飽きたー!」
ニルヴたちの主食は、ぶつ切りにした大ナメクジを茶色い植物の表皮でくるんで火を通しただけの「くるみ焼き」だった。
腐りにくく表皮ごと食べられ携帯も可能で、材料自体はどこでも調達可能。成長過程にある人間の子供を育てるには最適の組み合わせだった。しかし、彼『女』達は人間そのものではない。
最初はハンバーガー以来の大発明とはしゃいでいた先遣隊も、いい加減に飽きていた。
「高タンパク質で捨てるところがほとんどないし、おとなしいから地球産の家畜より優秀なんだよ! 餌なんてただの腐葉土で、残飯ですらなくていいんだから」
エレインはなだめる。実のところ、大ナメクジの味が気に入っているので、どう考えても気持ち悪い印象しかない大ナメクジというネーミングには反対していた。
「ヤダヤダやっぱり気持ち悪いー! それに、きっともっとおいしいものがあるはずだよー!」
しかし、淡白すぎる味にすっかり飽きたニルヴは、もうこれ以上くるみ焼きを食べたくなかった。
「じゃあクリーパーモドキ」
シンシアは、搭乗員を乗せた状態の軽威力偵察車両によく似たフォルムの生物を挙げる。
「えへへ、アレならいいかな……タラバガニに味がそっくりなんだよね」
センチネルモドキとクリーパーモドキはそれぞれ陸上甲殻類のメスとオスで、クリーパーの放つ排気ガスに反応する。その習性を利用して、先遣隊は狩りを行っていた。
「味は、ほとんど一緒だよ」
「でもさ、義体ってほんとあんまり物が食べられないよね」
「そうそう、手のひらぐらいのサイズのくるみ焼き1個でおなかいっぱいになる」
そして、トイレにすらほとんど行かない。元から少ない腸詰で発生した大小便ですら化学的に燃焼させ電気エネルギーに変換してシリコン筋肉の動力としているため、本当にそれでも燃えないごくわずかの無機物の塊しか排泄しない。
結果として、義体からの排泄物はエコロジカル過ぎてハエも寄ってこないということになる。
「まあ、妊娠してない限りはぶっちゃけブドウ糖があればそれで済むからねぇ」
2人が、シンシアを見る。
「な、なによ。アタシはお腹の赤ちゃんを育てるために、仕方ないんだから!」
シンシアは、常に他の隊員の3倍以上はくるみ焼きを食べていた。そもそも生体部分が10キロに満たない義体では、成長しない分ブドウ糖以外の消費量は人間の胎児以下だった。
その結果、シンシアは常に他の隊員の数倍のタンパク質を摂取している。
「赤ちゃんが出来ると、急に食いしんぼになるんだよね」
それゆえに、母船内の有機物リソースは凄まじい勢いで減少しているのだった。
「……じゃあ、つくってみますか!」
「何か別の生き物を食べるの? 果物とかいいよねぇ……」
「ダーメ、食べられそうな組成のモノでも、まだポテトでの毒性テスト結果が出てないじゃん」
何種類かの生物で、毒性が検出された。毒性はなくてもある植物の種は、ポテトの臓器内で発芽して全身に根を張る性質を持っていた。
「燻製と干物だよ。地上にみんなが降りてきたとき、みんなに食べさせてあげたいじゃん! 大ナメクジを」
そして、みんながおいしいと言った後で、大ナメクジの実物を見せるつもりだった。
ニルヴとエレインは、臓物を取り除かれ切り開かれ、精製された食塩で下ごしらえされた大ナメクジを順次ワイヤーに吊るしていく。
「こうして真っ白な大ナメクジをつるしてると、なんだかお洗濯みたいだね!」
「そうだねー……ものすごく生臭いけどねー」
風の通り道にたなびく大ナメクジの干物と、今は探索拠点となったドロップカプセル『ヘルダイバー』。
ニルヴとエレインが作った大ナメクジの干物の匂いが、ヘルダイバーへと怪物を導いた。
それは、30メートル超級の大型捕食生物。真っ白な毛に覆われた首長竜、としか言いようがない形状をしていた。
あまりにも巨大であったために、接近するだけで轟音が鳴り響く。
ヘルダイバー自体の3倍以上の大きさがある。フレイル式対戦車地雷処理車両のフレイルハンマーによる打撃力も、骨が肉に、皮膚に、さらに毛に覆われた脊椎巨大動物には効果が薄い。
「や……やっぱり大ナメクジの臭いに引き寄せられたのかな?」
「総員ホットランス装備! デカブツは内側から焼き切るに限る!」
ホットランス……超指向性マイクロ波加熱砲は、その性格上『砲』というより『槍』に近い。赤いレーザーポインターの真下に、目には決して見えないホットランスの矛先がある。
その見えない電磁波の矛先で巨大生物の体内から加熱し、蛋白質を凝固・変成させる。
射線上に、間違っても仲間がいないことを確認した状態でなければ使えない格闘兵器だった。
全員のホットランスはまず首に向けて放たれる。電磁波が起こす発熱はそもそも水分子の振動であるため、本来体積が大きければ大きいほど効果がない。しかし、ホットランスは同時に行う電磁誘導により射線上の局所加熱を可能としている。電磁誘導される距離は、およそ30メートル。柄ではなく、刀身が30メートルある、重機関銃並みの重さのある槍だ。人間の脊力では、おいそれと振り回すこともままならない。
だが低重力環境とシリコン筋肉駆動の義体の力が、ホットランスを振り回すことを可能にしている。
突然、大ナメクジの臭いに反応していた白毛竜の首が地面にしなだれ、デタラメに暴れだす。集束したホットランスのどれかが、長い頸部の神経束を焼き切った。
しかし、巨大な胴体はいまだその動きを止めない。
右前脚が地面にしなだれた自らの頭部を踏み潰したが、頭を失った白毛竜はなおも進行を止めない。
「ヤツの脳は1個じゃない! デカ過ぎるから、体のあちこちに副脳みたいな神経節があるタイプだ!」
シンシアは叫ぶ。
「ナトリウム弾を使え! あいつの毛をチリチリにしてやれ!」
オードリーがナトリウム弾の使用許可を出す。
ニルヴとエレインはクリーパーに飛び乗り毛長竜の回り込む。
「鬼さんこちら! 火の噴くほうへ!」
ニルヴは後ろ脚にナトリウム散弾を叩き込む。
ナトリウム散弾は竜本体には痛痒を与えることは出来ないが、ナトリウムが竜の汗の水分に反応して炎を噴き上げる。爆炎が、青から透明な炎の柱となって体毛を一気に燃やしていく。
副脳は、後ろ足に発生した不快感を『どうにか』するため、その場をグルグルと回り始める。しかし、自らの足で大脳を踏み潰した副脳には、どうすれば解決するのか分からなかった。
そもそも、問題を解決するという概念自体が存在しなかった。
ぐるぐると無色透明の炎に焦がされて踊る白毛竜の神経を、v字型に挟撃する形でホットランスが内側から加熱してズタズタに分断する。
すべての神経へのアクセスを絶たれた副脳は、体が動かなくなってしばらくして、考えることを止めた。
「ふう……大ナメクジの干物は無事だったね……」
「これで、みんなに干物をごちそうしてあげられるよ」
「ニルヴ、エレイン。もっと凄いものをごごちそうできるんじゃないの?」
2人の目の前には、30メートルを越える肉の塊が立ちすくんでいた。あまりにも巨大すぎて、死してなお倒れることが出来なかった。
「……なんで、どうしてこうなるかな?」
ニルヴとエレインは、くるみ焼きを手に天を仰ぐ。
結局、現在の装備では何の肉であろうが、くるみ焼きにするしかない。
エレインは大ナメクジの干物を、ニルヴは白毛竜のくるみ焼きをかじる。どちらも、いつもの味と似たような感じがして、少しだけ違っていた。
アリシア:あたしたちのために、大きなお肉をありがとう! もうすぐみんなも地上に降りるからね!
オードリー:ちぇっ、結局食べ物の目処がついたら来るんだ。現金なもんねぇ……
サリー:だってアタシたち、食べ盛りの赤ちゃんがいるからさ、おなかに。
シンシア:ところで、第1世代は全員男の子って、本当?
ミネルヴァ:うん、本当。戦闘能力と建築能力の拡充が第一なんだってさ。
なにか、取り返しがつかない間違いをしているような、モヤモヤした感覚が頭から離れない。しかし、知能指数が80台後半の自分が分からないようなことでも、自分より賢い誰かが察知して解決策をもう見つけているだろうと、それ以上深く追求することを止めた。