その2
328年前の動画が終わると同時に示された通路に、彼『女』らはぞろぞろと歩いてゆく。
そもそも裸を見て喜ぶ男は、まだここには1人もいなかった。おそらく、女の裸を見て喜ぶ最初の世代が現れるまでには、あと13年ぐらいかかるだろう。
さっきのビデオで男が言ってたように、明らかにお腹が大きな女が混じっていた。妊婦のほぼ全員が、難儀そうにしている。
「……そりゃそうだよね」
ニルヴは、妊婦たちを見ながら思う。
たぶん、自分達に与えられた記憶は記憶とも呼べないレベルの「プロフィールの箇条書き」でしかないだろう。わざと雑に作られた偽モノの。
しかも、ビデオの男の言うとおりならばほぼ全員が元は男、しかもその全員がかなりの重大犯罪者だ。
そんな地球の選りすぐりの荒くれ者が脳を加工されたとはいえ、いきなり臨月の妊婦となったのだ。妊娠してないだけ……いや、臨月ではないだけまだマシなんじゃないかな、と思う。
「大丈夫? 手を貸すよ。えーと……」
ニルヴは手近の妊婦に声をかけ、手助けする。
「ありがとう、助かるわ」
妊婦は、にっこりと笑って応える。
妊婦の笑顔は、暴力衝動を抑えるホルモンと妊婦特有の脳内麻薬の相互作用で出来ていた。
「えーと、私はニルヴ。ただの主婦! 夫のケンザブロウは架空の存在だけど」
「私は図書館員のアリシア。たぶん図書館なんて行ったこともないと思うけど」
お互いに自己紹介してみて、あまりの違和感に噴き出す。絶対に違うという確信だけはあった。
「でも、おなかの赤ちゃんにとっては、本物のママだよ!」
「……そうかな、なれるかな? お母さんに」
「大丈夫だよ! アリシアならなれるよ、きっと!」
「……そうよね、私は図書館員のアリシア。元がどんな腐れ外道だったかは覚えてないけど、この子のママということだけは事実だもんね」
「アリシア、優しいママが汚い言葉を使っちゃいけないんだよ?! タイキョーに悪いんだから」
「大丈夫よ、おなかの赤ちゃんは地球謹製の超エリートのDNAを持ってるんだから。ちょっとぐらいダメなママでも大丈夫ですよーだ。ねー、私の赤ちゃん」
アリシアは、愛おしそうにお腹を撫でた。
彼『女』達は全員すべて同じステンレス内骨格であるため、全く同じ身長・手足の長さになっている。
それゆえに、身長は全員一律で165センチで統一され、服のサイズは1サイズのみしか存在しない。
空調が完全に行き届き、温度管理も内蔵と頭部だけに限定されるため、船外活動服以外の衣装は、まったく飾り気のない下着とジャージしか存在しなかった。
しかし、その骨格に盛り付けたシリコン筋繊維・皮膚は個々人で異なり、スタイルが異なっている。それゆえに、ブラだけはAからDまで4種類存在した。
「いいなー、アリシアは胸が大きくて」
「でもこの胸、電解質と糖分と水分を高分子シリコンゲルで蓄えてるだけだから、砂糖水飲むだけで大きくなるんだよ?」
「うそ! 赤ちゃんにおっぱいはあげられないんだぁ~」
「ああ、ウチらの胸はようするに自分用のロングバッテリーだからね。血液を母乳に分解させる科学力は、まだなかったみたい」
短髪の東南アジア系美少女が、快活に答える。
「ついでに、肺の半分は酸素タンクになってる。有毒ガス及び無酸素環境下での生命活動のためらしいよ」
「うーん、私には難しいことは分からないよ……」
「誰に聞いたの? そんなこと」
「端末にマニュアルがあったんだよね。暇だからちょっと勉強してた」
「こういう娯楽が少ない空間で勉強するのは、刑務所の受刑者か新兵訓練の軍人だけなんだけどねー」
「えらいねー、勉強家なんだね! あ、私はニルヴ! ケンザブロウのお嫁さんだよ!」
「私はアリシア。 図書館員で、今はおなかの赤ちゃんのお母さん!」
「あ、アタシはエレイン。デパートのコスメ売り場の店員。でもこれ嘘なんだよね、アタシ口紅の色もロクに分からないから」
「でも本当の自分って……どんなだったんだろうね?」
「うん、さっきの男の人は犯罪者って言ってたけど……気になるよねえ、やっぱり」
アリシアは、軽く答える。
そういう他愛ない女子の会話をしている間に、ビデオ放送が開始する。いい年をしたオバハン女優が欲望丸出しでふてぶてしく行きぬく、男が見たら胸やけがしそうなアメリカ発のコッテリドラマだ。
「あ、あたしこのシリーズ大好きってことになってる~。一回も見たことがないけど」
「これから好きになればいいよ! きっと」
主役のファッション雑誌の敏腕編集長が新しい若い恋人とはじめてのセックスをエンジョイするところで、CMが入った
「みなさん、自分を見失っていますか?
本当の自分を知りたい、そんなことを考えていますか?
そんな多感なレディの皆さんにご紹介したいのが、こちらのアンドレイ・マルチノフ君です。では失礼、ちょっと口のガムテープを剥がすよ! 痛くするから安心してくれたまえ」
さっきの男は、ロシア系の人相の悪い少年のガムテープを多少の肉ごと引きちぎる。
「何しやがんだテメェ! 俺にこんなことをして、ただで済むと思ってんのか! おやじが黙っちゃいねえぞ」
「見てのとおり、とても粗暴な少年です。彼はインターネットを通じてロシア国内で政治的勢力を伸ばす、超暴力的白人至上主義団体のリーダーです。彼らが殺害した有色人種は、既に1万人を超えているとさえ言われています。彼が直接手を下した犠牲者のみでも、30人は下らないでしょう」
「汚ねえ手を離せ! 貴様らは俺に手をつけたのが運のつきだな! おやじが全力でもみ消すさ、おまえらごとな」
「出来の悪い不良息子を守ろうとする親、とてもよくある光景です。でも馬鹿息子のほうは、その親心を知りません。際限なく、犯罪行為を凶悪化していくのです……そして、ハジける」
男は、アンドレイの肉体に長い注射針を突き刺す。そして一気に、その中身を体内に押し込む。
「なあ、アンドレイ。貴様にとってパパのミハエルは、どんなオマエの悪をもみ消してくれる素敵なパパだったんだろう? でも、悲しいかな父さんは耐えられなくなった。貴様が郊外でレイプして拷問して殺したアラブ系の女の子、あれは実はサウジの王族の姫様だったんだよ。さすがのパパでも、もうアンドレイの尻は拭いてあげるには汚すぎるんだ。分かるかい」
「ひ……ひくひょう……いひから、オヤチをよべよ……」
「残念! お父さんは来られないよ。でも仕方ないんだ、もう貴様はロシアの優秀な官吏ミハエル・マルチノフのかばいだてをはるかに超える、どでかい虎の尻尾を踏んだんだ。そう、貴様自身がね。そんな人間の屑アンドレイに、父さんからのビデオレターを預かっている」
アンドレイも見える位置に、ビデオレターが再生される。
「……アンドレイ、今という今ほど、お前を生んだことを憎んだことがない。お前からは見えないだろうが、今床の上にはオマエの姉さんの生首が転がっている。ぜんぶ、おまえのせいだ!」
アンドレイは、何かをうめいている。
「アンドレイ、おまえは踏み越えてはいかん一線を大きく越えた。もはや、母さんと一緒に責任を取るしかない。オマエのような極めつけの人間のクズを生んだことのけじめだ……サーシャ、すまない」
「いいえ、悪魔を産んだ私も悪いの」
そしてアンドレイの両親は、互いの頭を拳銃で撃ちぬいたところでビデオレターは終わった。
「……で、話はここから始まります。アンドレイ君は、あなたがたの中ではきわめて普通の極悪人です。すなわちそこにいる一人の例外もなく全員が全員、世界中のすべての悪を煮しめたような正真正銘の人間の屑です。自分なんて探したって、人類世界で選りすぐりの醜悪な怪物しかそこにいません。アンドレイ君並みの」
「ま、まてくりほ、 ほ、ほれは、ひ……ひへいなのは? ひ、ひひはふねえ!」
「おやおやアンドレイ、言葉の意味は分からないが、パパとママが貴様のせいで自殺して、お姉ちゃんが生首にされたこの期に及んで命乞いかい? 貴様みたいな地球代表レベルの人間の屑が。
だけどおめでとう、貴様はあまりにも人間の屑すぎるからこそ、クルーに選ばれた。
ちなみに貴様に投与したのは、自分で分かってると思うけど麻酔じゃなくて筋弛緩剤だからね。今から痛みを感じながら提供臓器を摘出され、そのあとで脳を取り出される。
ちなみに、クルー全員が同じ処置を経ていることは折り紙つき!」
アンドレイの獣のような悲鳴とともに精神の醜悪さとは正反対の壮健な身体に容赦なく医療用鋸が入る。
画面には、
『自分探しをしても、怪物しか見つかりません。特にあなたがたは。国連外宇宙開発局』
「……うええ、気持ち悪いね」
「ほんと、最悪だね」
ニルヴとアリシアは、ウンザリ顔でCMを見る。
「ところで、まだ元の自分って、気になる?」
「ヤダ! だってさっきの男と同レベルの悪党なんでしょ全員! だったら、図書館員のシングルマザーのほうが全然いい!」
「だよねー、人類世界よりすぐりの人間の屑だもんねー」
「さっきの筋弛緩剤のくだりは、たぶん本当だね! 麻酔をしていると、脳と義体の神経感覚適合テストが出来ないらしいから」
エレインが得意顔で解説する。
「……ということは、つまり自分探しをすると、生きたまま解剖されたことも思い出しちゃうんだよねぇ」
「あ、本編が再開したよ!」
「よーし、自分探しの旅はヤメ! テレビを見るのに集中するぞー!」
「あはははは! オー!」
あのCMを見てか見ずにか、それでも自分探しをした者は3名いた。
しかし記憶を回復した途端に発狂して、大脳を収められたヘッドソケットの永久再凍結処分を受けたものが2名、1名は眼球にリベットガン(釘打ち銃)を打ち込んで、自ら脳を破壊した。
「自分探しなんてするのは止めようって言ったじゃん……それでなくても凍結中のスペアのヘッドソケットは100個しかないんだからさ……」
壊れたヘッドソケットお掃除係、つまり釘打ち銃で室内に飛び散ったアリシアの脳を掃除する係に当たってしまったニルヴとエレインは、ブチブチと文句を言いながら生臭い破片を拭き集めた。
「……でもやっぱり、お掃除って楽しいよね!」
「うん! だよねー」
「赤ちゃんも早産になっちゃったけど結局大丈夫だったし、ヘッドソケット交換だけでアリシアの義体は腸詰込みで再利用できたし」
「今度のアリシアは、もっと強い子だといいねぇ」
「そうだよね、ママになるんだから強くならないと!」